仕事納め。
今年最後の書類に判を押して、俺は深くため息をつき、天井を見上げた。
今年も、しんどかった。
来年、俺は二十八歳になる。あっという間だった。
ここのところ、前世ではほとんど感じなかった重い疲労感が、襲ってくる事が度々ある。
エルロンドは来年の秋で五歳。
エルロンドが二十歳になる頃には俺は四十前半のおっさんである。
自分が老いていく姿が、上手く想像できない。
気持ちが老いていかなければ、若々しいままでいられる、と前世ではよく耳にした。
精神だけで言えば、俺は五十年以上生きているのだ。
若々しくはないだろうが、老いてもいない。
「コーヒーでも、お持ちしましょうか。」
俺付きの執事が声をかけて来る。
フィリップは、シエーナに付けているので、最近は自分の仕事をしている時以外は、シエーナと一緒にいる事が多い。
この執事は、悪くはないが、フィリップにはやはり及ばない。
ここで、俺が頼むと言えば、しばらくしてコーヒーは出てくるだろう。
だが、フィリップはほとんど待たせる事がない。
俺がどのタイミングでコーヒーを欲しがるか、きちんと理解していて、準備してあるのだ。
それでいて、煮詰まったコーヒーなど飲まされた事もない。
コーヒーに限った事ではなく、全ての意味でフィリップに劣る。
決して無能ではないのだろうが、いつでも替えのきく人材でしかなかった。
「そうだな。夕食まで、俺の部屋で過ごすから、運ばせてくれ。」
ここで、いらない、と言う事が俺にはできない。
本当は欲しくなくても、気を遣われると、逆にこちらも気を遣うところが、俺にはある。
いらないと言った方が楽になれるのだろうが、気がつけばそんな事を言ってしまっている自分がいる。
前世でもその傾向があったが、奴隷だった頃の影響が大きいと、俺は思っている。
つい顔色を伺ってしまうのだ。
それが返って相手を不愉快にさせてしまう事がわかっていても、ついやってしまう。
立ち上がり、執務室を出ると、眩暈がした。
疲れは、間違いなくある。
それは否定できる事ではないが、気持ちは萎えていない。
心さえしっかりしていれば、俺は働ける。
溜息ではなく、深呼吸して俺は私室に向かった。
歩いている内に、眩暈は収まったが、今度は浮遊感がある。
気のせいだと、思う事にした。
部屋に辿り着くと、窓際に置いた椅子に腰を降ろした。
四人掛けのテーブルも置いてあり、最近はソファで寛ぐより、こちらの方が好きになった。
マルガンダの風景が、変わって行くのが見えるのだ。
日に日に建物が増え、少しずつだが人も増えている。
夕暮れ時に、それを眺めるのが最近の日課だ。
徹夜が続くような案件があったとしても、必ずこの時間に休憩をとって、この風景を眺めるようにしている。
「アルマンド様。」
しばらくぼんやりしていると、ノックの後に、サラの声が聞こえる。
コーヒーを持って来てくれたんだろう。
「入ってくれ。」
言うと、サラがトレイを片手で持ち、入って来た。
「お疲れ様でした、アルマンド様。」
言って、サラは俺の前にコーヒーシュガーやフレッシュ、マーブルクッキーを並べていく。
どれも、前世では廃棄処分になるほど溢れていたのに、こちらでは一生口にできない者の方が多い高級品である。
「ありがとう。サラ。」
普段はブラックしか飲まないが、今日は少し甘いモノが欲しかった。
サラはフィリップよりも、こういった心遣いでは上を行く事がある。
もう少しサラが若ければ、手を出したかも知れない。
まぁ、今はサラも結婚して子供が二人いるそうだが。
「本当にお疲れですねぇ。年が明けたら休暇をとって、旅行にでも行かれたらどうです?」
コーヒーをすすりながら、俺は苦笑した。
そんな事、できやしないし、例え出来たとしてもシエーナやエルロンド、それにパウロや護衛騎士の皆もついてくる。
王都まで、行って帰ってくるだけでも二月半かかるのだ。
時間と金の無駄でしかない。更に疲れに行くような旅行に、そんな無駄遣いをするつもりはない。
「難しいだろうな。今のままだと。」
言って、口にクッキーを放り込む。
甘さは控えめで、バニラの優しい香りが口に広がる。美味い。
個人的には、もう少し甘くても良いぐらいだが。
「そりゃぁ、うちの旦那にも色々聞いてますけどね。うちの旦那ですら、年明けにはお休みを頂けるそうじゃないですか。アルマンド様も、お休みになられても良いと思いますけどね。」
ん?
「うちの旦那って。お前の夫、うちにいるのか?」
「あれ、言ってませんでした?」
キイテナイヨー。
「誰だ?」
「サルムートですよ。庭師が代官にしてもらったのに、まったく。少しはアルマンド様を見習って欲しいものです。」
おお、サルムート。
お前、子供がいたのか。
土ばっかりいじってるもんだから、てっきり独身かと思ってた。
「なら、尚更サルムートには、休みをきっちりとらせんとな。確か、子供がいただろう?」
サラがふん、と鼻を鳴らす。
これだけ見ると、かかあ天下の肝っ玉かあちゃんである。
昔は、本当に美人だったんだがなぁ。
「アルマンド様にも、エルロンド様がいらっしゃるじゃないですか。」
「俺は、会いたければすぐに会える。」
「会いに行かれる事なんか、ほとんどないのに?」
コーヒーカップを持った手が、思わず止まった。
「働き過ぎですよ。アルマンド様は。そりゃぁキートスさんみたいなのも、いますけどね。あの人は好きでやってるんですから。」
「そうか。」
カップに口をつける。
心なし、さっきよりも苦い気がする。
「とにかく、一度お休みをとられた方が良いですよ。アルマンド様は。一年ぐらい放っておいたって、うちの旦那がなんとかしますから。」
いや、それは無理だろう。多分過労死するぞ。
少なくとも、サルムートの性格なら確実に禿げる。
「考えておくよ。サラ。ありがとう。」
言うと、サラはニッコリと笑って一礼し、部屋を出て行った。
窓の外に目をやる。
美しい夕暮れは、まだ続いていた。




