春雨
ソーテルヌ南岸の街を発って、三日。
サルムートが、サンテミリオン開拓の本拠地を構えているローツェ山を目指している。
快速の小型船で行けば、ローヌ河を下って、ローツェ山を流れる川を遡上すれば、そろそろ着く頃だ。
シエーナの猛反対の結果、のんびりと馬車で移動しているので、後七日は掛かるだろう。
ローヌ河を眺めながらの、本当にのんびりとした旅だ。
人数が増えた分、馬車をもう一台買って、今は二台ある。
片方には天幕などの野営の為の物資を。
もう片方には、食糧と武具が積んである。
初めの一日目には、小さな漁村があったりしたが、この辺りには人が住む場所はない。
だが、ソーテルヌとローツェ山を陸路で結ぶ街道はきちんと整備されていて、時折荷物を満載した馬車を連ねた隊商とすれ違う。
いずれ、このあたりにも宿場町や農村がつくられるのだろう。
「あ、降って来ましたね。」
オーズが呟いて、馬車を止めた。
まだ昼過ぎぐらいだが、今日の移動は此処までだ。
俺の頬にも、雨がポツポツと当たる。
雨の日は、余り移動しない。
一日中降りそうな時は、少しだけ進む事もあるが、基本は天幕を張ってのんびりと過ごす。
雨の中を進むのは、視界が悪く警戒がしにくいし、余計な体力も消耗する。
急ぐ旅でもなく、食糧もたっぷりあるのだ。
無理をする必要はない。
「思ったより、時間がかかりそうだな。」
皆が張ってくれた天幕で、シエーナとオーズ、アルファドを相手にお茶を飲みながら、話しかけた。
ソーテルヌで食事を振舞ってから、時折こういう機会をつくろうと思っている。
俺が飲む茶は、当然一級品のそれだが、独りで飲んでも大して美味くない。
シエーナとばかり過ごすのも、良くはないだろう。
「春を運ぶ雨ですから、しばらくは雨が多いでしょうね。」
オーズが、美味そうに茶を啜る。
アルファドは、まだちょっと緊張しているようだ。
多分、茶の味もわかっていない。
「この季節は、毎年だな。良い事なのだろうが。」
「降らなかった事も、降り過ぎた事もありませんからね。」
ここ数年の、落ち着いた天候がエンリッヒ侯爵家の開拓事業を後押ししたのは、確かな事だ。
現代日本でさえ、天候の猛威には敵わなかった。
こちらの世界では、ちょっとした雲の気紛れでも、多大な影響が出る。
「この調子が続けば良いんだが、そうもいかないだろうな。」
「不吉な事を言わないで下さいよ。」
「備えが、必要だと言う事だ。」
粟や稗、蕎麦などの雑穀の栽培、飼葉の備蓄や川魚の養殖など、麦の備蓄以外にも、飢饉に対して出来る事は多くある。
他に、怖いのは蝗だ。
平原の多いマルガンダ周辺やサンテミリオンなどは、蝗害による損失は途轍もないものになるだろう。
一度起こると軒並み食い散らして行くので、これも備えが重要になる。
この世界に、殺虫剤なんて便利なモノはない。
確か、過去の蝗害には魔法使いが平原を焼き払って、対処していた筈だ。
それでも、目を覆いたくなるような被害が出たと言うから、飛蝗が
いかに凄まじいかを物語っている。
「そんな事まで、アルマンド様は考えてるんですね。」
「まだ暫くは、皆が目先の事で精一杯と言う状況が続くだろうからな。せめて、町や村の建築が落ち着けば、変わってくるのだろうが。」
「気が休まる間もないでしょうに。」
町や村は、作っただけでは終わらない。
そこで暮らす人々の暮らしを安定させるには、年月が必要なのだ。
ローヌの建築で、俺達はそれを学んだ。
まだ豊かになる途上にあるが、ローヌでさえ、やっと発展の軌道に乗った程度だ。
衣食足りて礼節を知る、と言う言葉がある。
ローヌ以西の領民が、礼節を知るのは、まだ数年先の話だろう。
それから四日、雨は降ったり止んだりを繰り返した。
行程は、かなり遅れている。
俺達はわ分厚い毛皮のコートを羽織って、雨の中を進んでいた。
ソーテルヌからサルムートに知らせを送っているので、あまり遅くなると心配させる。
進めないのは仕方ないが、ただぼんやりとのんびりしていたでは、流石に悪い。
「鬱陶しい雨だ。」
俺の傍を歩くバルザックが、時折悪態を吐く。
彼は、正式に俺直属の部下として雇った。
特に何かをさせるつもりはないが、パウロ達と護衛の真似事をしている。
彼には、彼の好きにさせるつもりだ。
「農民にとっては、必要な雨だ。そう苛つくな。」
「そりゃそうですがね。」
「冒険者なら、慣れたものだろう。」
「慣れはしないですね。雨なら、普通は動かねえ。」
「そんなものか。」
「装備が痛む。食糧は湿気にやられる。人間だって下手すりゃ風邪をひく。おまけに視界は悪い。音も聞こえにくい。並の冒険者じゃ、死にに行くようなもんだ。」
なるほどな。
「傭兵連中は、料金上乗せさえすりゃ雇えますがね。俺達はまず動かねえ。宿で寝てるか、酒場で飲むかしてますよ。」
「なんだ、飲みにでも行きたいのか?」
言うと、バルザックは苦笑いを浮かべた。
わかりやすい奴だ。
「おい、ハリー。まだ酒樽はあっただろう。今夜、出してやれ。」
「宜しいのですか?」
「見張りの当番は、一杯だけだ。ローツェまで、もうそれほど遠くないだろうし、飲んでしまえ。」
天候の機嫌にもよるが、あと五日か六日で着くだろう。
荷物を軽くすれば、その分馬車もよく走る。
皆の歓声と、一部の残念がる声。
今日の見張りは、オーズとバックスだったようだ。




