中庭(1)
指が痛い。
左手の中指が、痛い。
ふとした瞬間、思い出したように、じんわり痛みだし
それと同時に現れる柔らかな痒み。
「どうかした?」
氷をたっぷり入れたグラスに麦茶を注ぎながら、ケイは言った。
「庭が、どうかした?」
その言葉で、自分が突っ立ったまま中庭を眺めていることに気がついた。
いつから眺めていたのか。
そして、ケイはいつからそんな私を見ていたのか。
「いや、指が痛くて……」
咄嗟に的外れな返事を口走ってしまった。
ケイの方を見ると、特に気に止める様子もなく、グラスに口をつけていた。
グラスがケイの体内に麦茶を流しこむ。
喉が鳴り、水滴がケイの指を滑り、腕へと伝い落ちていく。
私がここに来たのは3ヶ月ほど前だ。
まだ外は肌寒く、夜はコートがないと外を歩けないくらいだった。
私は彼氏のユーゴと一緒に、バイト先から同棲しているマンションに帰ろうとしていた。
バイト先は居酒屋で、従業員も客層も私と同い年くらいの人たちで賑わっている。
その日は、休日ということもあり、お客は多く、みんな親しく笑い合い、仲良し雰囲気の喧騒一色だった。
私はこの空気が大の苦手だ。
高い賃金と、ユーゴが同じバイトだという理由がなければ、こんな仕事すぐ辞めていただろう。
肉体的にも、精神的にも疲れ果て、家でゆっくり晩酌しようとユーゴに話ていた。
すると、ユーゴが突然言い出した。
「せっかく飲むならいつもと違う所で飲まないか?」
ユーゴに連れられ電車で20分ほど、小さな駅で降りた。
空き地やシャッターのしまった錆びた店が並ぶ商店街を通り
小さな散髪屋の角を左に曲がると、古い家が並ぶ細い路地に出る。
その中の一軒の古い家の前で立ち止まった。
指の形に黒ずんだチャイムを押すと
中から背の低く青白い顔をしたケイが出てきた。
ユーゴは、ケイを友達だと紹介したが、俄には信じられなかった。
ユーゴの友達にしては、あまりにもケイは地味で面白みもなく、毛色の違う人物だったからだ。
ケイは、突然の訪問にも関わらず、戸惑うでも驚くでもなく、何も言わず私たちを家の中に招いた。
玄関から右手に進むと台所と食堂があり、その奥が、まだ炬燵が置いてある居間になっていた。
居間の向かいにケイの部屋があり、居間とケイの部屋に挟まれて小さな中庭があった。
「庭があるんですけど!」
マンション暮らしの長かった私は、庭が新鮮だった。
中庭には、自信なげな南天の木が一本だけ植えられていて、その根元には盛り土がしてあった。
そして、全体を雑草が自己主張の塊となって覆っていた。
ユーゴは慣れた手つきで冷蔵庫を開けると、勝手に缶ビールを取り出し、ガラス戸を開け縁側に座った。
私も急いでユーゴの膝に座り、一緒になってお酒を飲んだ。
冷たい風が部屋の中を一気に冷やしていったが、私たちは気にせず騒いでいた。
あの時、ケイも一緒にいたか記憶が曖昧だ。
疲れと酔いの心地いい揺れの中、ケイの部屋に電気がついているのが確認できた。
部屋の明かりが揺れて、中で誰かが動いているようだった。
どこからかユーゴの低い声が、不規則に響いて私の脳に溶けていった。




