第6話 「村を見下ろす丘」
不敵な騎士団の面々。
城を発した一行は約三日間の行軍の後、さしたる妨害もなく目的地の村“バクンシュドゥール”を見渡す丘に差し掛かっていた。村は周囲を山に囲まれた盆地の中にあり、周囲の大半を森で覆われているため視界も悪い。
丘も森で覆われ、木々を切り開くようにして作られた狭い道は次第に木の根に侵食され、夕刻の茜色の空は葉に遮られ薄暗い。行軍の疲労と鬱屈とした森の光景に嫌気がさしつつあった頃、傍らで馬を進める熊男が言う。
「間もなくバクンシュドゥールの村が見える頃ですな。」
不意に斜面がなだらかになり、木々が途切れて森を抜けたことがわかる。
丘の頂上に立てば視界一面に開放的な風景が広がった。
「うわぁ……。」
前世の記憶、山岳の多い東北で良く見られた盆地によく似ている。
さほど高くない山々が平地を囲むように連なり、地表は深い森が覆う。その中央にポッカリと切り開かれた人里、夕食の支度をしているのだろう、家々の竈から生活の煙が立ち昇っていた。
雪化粧を施された家々の屋根が、夕日に照らされて茜色に輝く。
その美しい光景に思わず感嘆の声を漏らすベルトルドだったが、傍らに立つヴァルツァーの表情は険しい。怪訝に思い問うような視線を向けると、それに気づいた熊男が微かに笑って口を開く。
「閣下はこの地形を見て何か気づきませんかな。」
どういうことだろう。
ベルトルドは言われて辺りを見渡すが、何の変哲もない盆地。鬱蒼と茂る森と、木々に降り積もった雪の層……周囲をぐるりと囲み、村からは一本の道が。
「……!」
「お気づきになりましたか。」
そう、村からは道が一本しか伸びていない。
あるいは見落としてしまうくらい細い道しかないのかもしれないが、野良仕事用の獣道ならともかく、村と村を繋ぐ道がそこまで細い事はあり得ない。
「周囲は山と深い森、街道はここ一本……。つまり、今僕達が居る峠を塞がれたら退路を完全に絶たれるわけだ……罠をかけられたら。」
「左様。」
「隊の食糧備蓄はどれくらいだ?」
傍らに馬を並べて景色を眺めていた騎士の一人が進み出て一礼する。
「残り5日分です、マイロード。」
淀みなく言い切られたその言葉に唖然とする。
なんか……少なくないか?
こちらのいぶかしげな表情を見た騎士が、少々うろたえた様子でこちらを伺っている。そういう顔をするという事は、つまり僅かな食料で出陣するというのも珍しくないらしい。
「近頃、我が騎士団は出撃の機会が多く……。戦力はあれども慢性的な物資不足に陥っているのです、今のところ作戦行動に支障はありませんが。」
これさえなければもっと出陣の機会を増やすのですが。そう苦笑する騎士の顔を見て、考えの甘さに頭を殴られるような思いがした。
「わかった……、教えてくれてありがとう。」
騎士は顔を綻ばせて頷き、視線を村に戻した。その横顔を眺める。
努めて表情に出さないよう気をつけながら、心の中で盛大に自分のマヌケさを呪った。
ここは、中世だ。
異世界といっても文明の程度は史実の中世と同程度、あるいはもっと低いかもしれない。そんな環境でまともな補給の概念など有ろうはずもない。考えてみれば暗黒時代の行軍とはほぼイコールで略奪の道程ではなかったか。
当時のポピュラーな補給手段、それは現地調達。
少なくとも往復に加えて2日分の食料を持参するだけ良心的ということだろう。
「また、悩んでおられますな。」
ふと我に返ればニヤニヤとこちらを眺める熊男の視線。
こいつはなぜ自分が考え込むと分かるのだろう、一応表情には出さないよう気をつけているのに。怪訝そうな視線を向けると、熊男はニヤリと笑った。
「何年共に居るとお思いですか。私は閣下のおしめを代えた事もあるのですぞ?」
「……なぜだろう、寒気がする。」
「おぉ!これはいけませんな。ここは風が吹き抜けますゆえお風邪を召されたかもしれませぬ。ささっ、私の馬へ。ここは極上の心地ですぞ。」
良い笑顔でポンポン、と自分の鞍の前を叩く熊男。
視線を移せば、もじゃもじゃの黒ヒゲには行軍3日分の汚れが付着し、額は油でテカテカと反射し……一言で言えば非常にむさくるしい姿だった。
しかし実際、山々から吹き抜ける風は身を切るように冷たく、鎧姿のまま身を竦める。熊のような巨体は毛皮こそないものの風を遮り、さぞかし暖かいだろう……。
「――!」
危ない、良い笑顔を見ていたら一瞬でも頷こうとしていた自分が居る。
ゾゾゾゾと背中を寒気が伝い、我に帰ると慌てて背筋を伸ばした。
「指揮官が幼子のように抱かれては格好が付かないよ。」
「ホッホ、閣下はまだ幼子でいらっしゃるでしょうに。」
鋭い指摘に思わず“うっ”と詰まる。
指揮官の少年が言葉に詰まるのを見て怪訝そうに視線を向ける部下達を意識しながら、どうにか面目を保とうと咳払い。強引に口を開く。
「と、とにかくダメだ。――グリムホール!行軍再開だ、兵達をたたき起こせ。」
「はい、マイロード。」
グリムホールと呼ばれた若い騎士がいわくありげにニヤリと笑って慇懃無礼に礼をして道端で休む兵達を起こしていく。兵らはやれやれと尻についた泥を払いながら、やはりニヤニヤとこちらを眺めてくる――、怒りと羞恥で頬が紅潮するのを感じた。
面目丸つぶれだ……。
初めからそんなものがあったかはさておき、あの不敵な表情を見るかぎり自分にとって非常に不愉快なゴシップが既に広がっていることは間違いない。
まさか主君権限を振りかざしても思考の自由までは奪えないし、奪うつもりもなかったが。せめてもの抵抗として皮肉を言ってやることにした。
「……我が隊は食料は乏しくてもゴシップのネタは豊富だね。」
「ハッハッハ!それこそ我が隊の特徴なれば。」
ゴシップのネタが尽きないのが特徴の騎士団とはなんなのか。
どうやら熊男は騎士団にも相当な悪影響を及ぼしているらしい。あっさりと返されたことに一抹の悔しさと呆れを感じて頭を振りながら。
「……進軍開始。」
ついにヅキヅキと痛み始める頭を抱えて。
馬腹を軽く叩けば愛馬は元気に嘶き歩を進めていく。そんな主君の後姿を見て、背後では押し殺した笑いがそこかしこで起る。
(逞しいものだなぁ……。)
主君に対する不敬、という意味では問題かもしれないが。彼らの場合はむしろ親愛の念に寄るところが大きいと思う。幼少で至らぬ自分に形式上とはいえ、命を預けてくれる彼らに負い目を感じる自分にはむしろありがたいことだったが。
(でも、頭にくるものは頭にくるよね。)
キッと視線に力を込めて振り替えれば、ピタっと止む笑い声。
いかにも“神妙”な顔をしてこちらを見てくる部下達。思わず口を開こうとして失敗し、赤い顔でパクパクと口だけが動いて。
「……、はぁ。」
だめだ、かなう気がしない。
脱力して馬を進めると、今度こそ大きな笑い声が巻き起こった。戦いを前にするには場違いな明るい笑いを後ろに控えながら、頼もしいことには違いない、そう思って苦笑するベルトルドであった。
どうにも情報を出すのが苦手です、文字数ばかり増えてしまう。
今回くらいの情報量で、そのかわり話数を細かく区切ることにします。
しかし読みづらい、文章構成の問題だと思うのですが、次話は見た目の読みやすさを心がけてみます。