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第13話 「バクンシュドゥールの抵抗戦」

難産でしたorz


 ナバルは緑の頬を獰猛に引きつらせると、戦列中央に姿勢も低く切り込んでいった。

 迎え撃つイスフェルト軍、戦列左右後方からは弓兵が援護の弾幕を張るが、ナバルとそれに続くオーク戦士たちは粗末な盾でそれを打ち払うと、イスフェルト歩兵戦列へ襲い掛かる。



「ハハハハ! 退け退け退けェ……!」



 風を含む轟音、ナバルと向き合う兵が歯を食いしばりながら斧を剣で受け止める。

 一瞬遅れていれば上半身と下半身が泣き分かれしていただろうことに戦慄を覚えながら、怯んでいる暇はない。



「カッハハハ! 貴様らにベルトルド様を渡せるかってんだッ!」


「ヒャハハ、いいねぇ、いいねぇ。やっぱ相手はそこそこ強くなくっちゃよっ。」



 火花を散らして受け止めた斧を剣を凪ぐことで打ち払い、即座に右足を深く踏み込んで左手側から横凪に剣を振るう。ナバルはそれを軽々と避けながらむしろ楽しげに笑うのだった。



―――――――――――――――――――――――



 血煙舞う戦場。

 そのやや後方、まだ血に染まっていない雪原に少年を乗せた白馬が佇む。寒々とした外気に広い鼻腔から洩れる息が白み、戦場の騒音と臭いに興奮する愛馬を沈めようと、少年はその白魚のような手で馬のたてがみをそっと撫でてやる。


 しかしその手つきは馬を宥めてやろうというよりも、自分の気持ちを落ち着けようとする気持ちの方が強かったかもしれない。元々白かった肌は目の前の凄惨な光景に更に蒼白になってしまう。


 少年――ベルトルドは自分を守って戦う男達の背を見ながら唇をかみ締めた。



(……何もできないなんて。――、不甲斐ない。)



 汗と血を流しながら、圧倒的に恐ろしいオークの集団に立ち向かう。それがどれほどの犠牲を払わなければならないのかを考え、赤らむ目をぎゅっと瞑る。自分には考えられないことだった、前世では喧嘩もまともにしたことがなく、武器を持たない男を相手に戦った時ですら心臓が脈打ち、息苦しいまでに緊張し、恐れてしまう。



「腕ッ……俺の腕ェ……ッ!」


「ハーッハハハァ! 来いよ雑魚どもぉ!」



 ガントレットを引き裂いて、腕ごと血煙と共に空へ舞う。

 朱色の鮮血が純白の雪原を染め上げ、片腕を失った兵士が地面に蹲る。それなりに腕に覚えのある兵士だったのだろう、周囲の兵がどよめき、



「あん? なに? もうびびったの?」



 ナバルはつまらなそうに斧を肩に担いで、あくびを一つ。



「ナ、なめるなぁッ!」


「うるせぇ。」



 隙だらけのナバルに、槍を手にした兵が気合を発して突っ込むが、次の瞬間には槍先を打ち払われ、


「ッ!」


 姿勢も低く駆け出すナバル、槍の柄に斧を滑らせれば火花が舞う、そのまま凄まじい速さで振りぬいた斧が兵の胴をチーズのように切り裂いた。



「ギャアアアアッ!」


「ち、畜生! なんだってんだ、なんだってんだよコイツはぁああッ!」



 半狂乱になって数名の兵が突入する。

 恐怖の裏返し、熱狂を持って突撃を敢行した彼らをナバルはバカにするように笑って、1歩後退。槍を打ち払う、2歩後退、槍に身体を滑らせ複数の剣をその槍で受け、一人の懐に入ると一閃。崩れ落ちる兵を手に突貫、動揺する兵たちに切り込み胴、腕、顔面を続けざまになぎ払う。



「…ぅ……あぁ。」



 胴を切り払われた兵が雪を赤に染めながら張ってナバルに背を向ける。

 自分に向かってきた兵をあらかた片付けたナバルは、それを見て一歩一歩ゆっくりと近づいていく。必死で逃れる兵士、しかしその動きは悲しくなるほど遅かった。


 それを見てなんとかしなければと手綱を握るベルトルド。  

 しかしその手は震え、馬腹を蹴るための足は持ち主の意に反して動かない。腰にぶら下げている長剣は飾りか、歯噛みし、削れるような音をたてながら前方をにらむ。それに気付いたヨハンが眉根を寄せた。



「ベルトルド様……、指揮官の仕事は見守ることっすよ。」


「……でも。」



 次第に追い詰められていく兵。

 周囲の戦況はナバルやオーク隊長といった獰猛な戦士に食い破られ、全体的に劣勢。とても兵を助ける余裕のある者は居らず、皆自分の命を守るので手一杯だった。


 

「……母さん、かあさん。」



 血化粧を施された口元をパクパクと開き、左手で腹を押さえながら這い蹲る兵士。一歩一歩距離をつめたナバルがその傍らに立ち、そして。



「っち、命惜しみやがって。」



 斧を持ち直す、そして振り上げた。――刹那。



「う、うわああああああああッ!」


「――ッ! ベルトルド様!?」



 ベルトルドはもはや訳がわからなくなっていた。

 血に塗れた斧が朝日を浴びて鈍く輝く、その光が涙を流す兵に振り下ろされそうになった瞬間、何かが心の中ではじけた。足の呪縛が消える――猛然と白馬の腹を蹴った。手の震えが止まる――力強く腰の長剣を引き抜き右手に構え、朝日に掲げるようにして思いっきり振り回す。



「あああああああああッ!」



 そして恐怖と興奮を吹き飛ばすように、腹のそこからとにかく叫んだ。

 訳もわからず叫ぶ、その目は興奮に狂い、口元は裂けんばかりに吊りあがって、艶やかなチャコールの長髪をボサボサに振り乱しながらとにかく喚き、腕を振り回し馬腹を蹴った。



「ッく、俺に続けェ!」


「応!」



 ヨハンが悔しげに顔をゆがめ、次の瞬間にその目は戦士の覚悟を帯びる。主君を守るべく、背後に控えていた馬廻衆8騎に振り返って叫ぶと、自らも槍を水平に構えて突撃を開始する。

 

 劣勢の歩兵戦列は騎兵戦力の投入を見ると慌てて道を空けた。


 そして彼らは見る。

 騎兵の先頭を駆け、荒海のようなオーク戦列を引き裂くようにして進む白馬を。そしてそれに跨る姫君のように可憐な、けれど今や獰猛に叫ぶ若武者の姿を。



 くじけかけていた兵の心に再び闘志が宿る。

 肩から血を流している兵が不敵に笑った、そして腹に力を込めて言う。



「ハハハハ! 閣下を一人で突撃させたなんて知れたら、生きて帰ってもミリア様に殺されるぜ。」



 膝をついていた兵が震えながら口の端を吊り上げて、太ももの矢を引き抜く。革鎧の穴を撫でながら地に落ちていた斧を拾い上げた。



「ちげぇねえ。 ――…見ろ、ベルトルド様がお一人で居られる。お助けするぞぉッ!」


『おぉーッ!』



 傷ついていた兵が立ち上がり、押されていた兵の心が再び奮い立たされた。

 勢いに任せるまま個々に突出していたオーク戦士たちは、突然の一斉反撃に対処が遅れ、



「ぬああああああ!しねぇぇぇッ!」


「ガハハ!甘いわぁッ!」



 先ほどまで兵を切り刻んでいたオークの戦士。彼の腹部めがけて一人の兵士が槍を突き出す、それはあっけなくオークの剣で打ち払われるのだが。



「まだまだァッ!」


「ック――」



 間髪いれずに後続の兵が別の槍を突き出す、呻きながら防ぐオーク。

 更に別の槍、下から上から左右から、次々と付き込まれる槍衾。あっという間に戦士は串刺しになり、兵たちはそれに満足せず次々と槍衾を前進、串刺しの数を増やしていく。



「えぇいっ! うろたえるんじゃねぇ、窮鼠が最後の抵抗をしているだけだ、落ちつけーこのチンピラども。」



 オーク隊長は呆れ顔で剣を肩に構えると。



「下がってんじゃねーよ。」



 押されてきたオークの背を叩ききる。

 表情を変えぬまま――しかしその目は興奮にギラついていて。



「戦士の名誉を汚すような野郎は俺の部下じゃねぇ。――…逃げるヤツは俺が殺す、せめて戦って死にやがれ。」



「――っ、……ガアアアアアアッ!」



 槍衾に圧迫されつつあるオーク戦士たちが、仲間の死骸を盾に再突入を開始する。

 ぶつかり合う二つの戦列、その中央をベルトルドは駆ける。



「……ッヘヘ、見えてるかぁニンゲン。オメーの為に女神がすげぇ形相でやってくるぜ。」


「――…か、閣下。」



 血を吐き、霞がかった目で兵士は確かに見る。

 髪を振り乱し、つぶらな瞳に涙を浮かべて真っ赤な顔をしたベルトルドが、自分の方を真っ直ぐに睨んで馬を駆けてくるのを。


 それは可憐で、隙だらけで頼りない。

 しかし死に行く彼にとっては何者よりも頼もしく、暖かい者であった。



「……ベルトルド様。」



 もし彼が血液を失い朦朧とした頭で無ければ、死に行く途中でなければこう思っただろう。なぜ指揮官が前に出ているのかと、自分ごとき兵卒の為に指揮官が身を晒しては本末転倒ではないかと。


 しかし、たった一つの命が失われていく今。

 圧倒的な死の気配が前途に真っ黒な口をあけて広がっている中で、一心に自分の為に駆けて来る――恐怖を抱えながらそれでも迎えに来てくれる指揮官を前にして、彼の心を満たすのは至極単純な気持ちであった。



(……すみません、ありがとう。)


「んじゃ、あばよ。」



 薄く笑う兵士の首に、無機質な斧が振り下ろされた。

 ――一瞬の間、ベルトルドの時間が止まる。



「キサマぁあああああッ!」


「ひゃははッ、いいぜぇ、それでこそ戦士だ。いいなぁその表情、ゾクゾクくらぁッ!」



 今や一筋の怒り狂う矢となって駆けるベルトルド。それを見てナバルは子どものように、ただ楽しそうに笑う。



「ベルトルド様ッ! ご自重を、今ここで貴方が倒れたらッ!」


「あああああああああああああッ!」



 恐怖、悲哀、怒り。

 もはやグチャグチャな心の中。行き場を失ったエネルギーは凶行となってベルトルドの身体を突き動かす。そして――



「覚悟ォッ!」


「ヒャハ、ヒャハハハハハ!」



 轟。

 筋骨隆々の白馬が後ろ足で立ち、前足を掲げて眼前に立ちはだかるナバルを踏みつけんとする。とっさに左方へ飛ぶナバル、前足が地面に付く、その瞬間にベルトルドは剣を振り下ろした。


 重力、馬が地面へ戻ろうとする力。

 長剣の重みを付加した一撃がナバルの肩へ振り下ろされるが。


――ガチィッ!



「……クックク、ヘロヘロなんだよ、太刀筋がよぉぉおッ!」


「――ッつぁ、い、痛いぃぃっ!」



 受けることなく剣戟を裂けたナバル、その避けると同じ動作でカウンターを繰り出した彼は、斧の刃を反転――峰打ちにしてベルトルドの剣を持つ右手を砕く。

 

 初めての痛みに呻き、馬上で蹲る彼の長い髪を引っつかんだナバルは、そのまま馬から乱暴に引き釣り下ろそうとするも。



「閣下から汚い手を離せッ!」



 続けざまやってきたヨハンの馬上からの一撃に中断され、辛うじて斧で軌道をそらす。



「――獲物だ!フレイヤだ! ――ナバルに手柄を独り占めにさせるかよォッ!」


「――っ、させん! 閣下のために!」



 次々と殺到してくるオーク戦士たち。

 まるで津波のように押し寄せてくる彼らに、馬廻りの8騎は主君を逃がすため無謀な突撃を敢行していく。


 両者の戦いの為に一時生まれた決闘場。

 ヨハンは馬上から槍を構え、一歩踏み込めばナバルの首をつける場所で睨みを利かせている。かたやナバルは痛みに泣き呻くベルトルドの長い髪を無造作に掴み、空いた右手で斧を斜に構えてヨハンの出方を伺う。


 今ここでヨハンが退けば、ベルトルドは人質にとられ連れ去られてしまう。

 臣下として、彼を炊きつけた者として――そして多分、友人としてそれを看過するわけにはいかない。



「閣下から汚い手を離せ。その御髪に触っていいのは今のところ奥方様だけだ。」


「ほーぉ、まぁ良い匂いはするがね。――俺たちに連れ去られたら明日の朝にはヒデェ臭いに変わってるだろうから、奥方様とやらも要らなくなるんじゃねーの?」


「――ッ、……ベルトルド様、大丈夫っすからね。今はとにかく動かないで。」



 問答は無用。

 ヨハンはゆっくりと馬を回るように進めながら槍を突き出すタイミングをうかがう。ナバルはベルトルドが呻くのも構わず髪を引っ張り、野卑た笑いを上げながら斧を構えた。



 馬が嘶き、そして――。

 ヨハンの馬が後ろ足で地面を蹴り上げる、一挙に突き出される槍。迎え撃つ斧、鉄と鉄がぶつかり合い、冬の空気を震わせ火花が舞った。




―――――――――――――



「……ぅ、うぁぁ。」



 兵士が、穏やかに笑っていた。

 こんなに情けない主君の為に、あんなにも優しく笑ってくれた彼を目の前のオーク戦士は虫けらを殺すかのように殺したのだ。


 ……だというのにベルトルドは、髪を捉まれ、馬から引き釣り下ろされて。今や彼の殺気に怯え動くことも出来ずに涙を流し、彼の意のままに扱われ恐怖に震えている。


 ヨハンが何かを言ったような気がした。馬廻りたちが視界を駆け抜け、必死でオークの波を食い止めているのが見える。一人討たれ、二人討たれ、次々と囲まれて首を奪われていく。


 ぼんやりする視界。

 鼻腔を刺激する酷い獣臭。

 髪を乱暴に掴まれる痛み、腕を割るような痛み。



(……どうして、こんなことになったんだろう。なぜ僕はここにいるんだろう……。)



 暗い瞳でベルトルドは俯く。

 ただベッドで自分の病に耐えていた頃は想像もしなかった"痛み” 人の死が、他者の殺意がこんなにも痛いものだったなんて。



「……もうやだ。」



 朱の唇が微かな弱音を呟く。

 しかし次の瞬間には思いっきり髪を引っ張られ、頭皮の痛みに悲鳴を上げる。



「――ッ! っ、 ……!」



 ヨハンが何かを叫んでいる。

 オークが獰猛に笑う……ダメだ、もうだめだ。オークの牙が、その太すぎる腕が、幾人もの血を吸った無機質な斧が、笑みが、そしてヨハンの死が怖い。冷たい、痛い、恐ろしい。



「……やめて、もう許して。」


「――、――…!」


「、、、! ハ、~、ッ!」


 光を失った虹彩。ベルトルドはもう何も見ていない、聞こえても居ない。

 ぼんやりとした思考の中でただ思うのは。


(……僕を、家に帰らせて。)



―――――――――――――――――――



「――、ッ」


「――トルド、――まッ!」


「――…ベルトルド様ッ!」


『――っぅ』



 ベルトルドは再び目覚めた。

 体中、特に腕が痛むが、身体の感覚もある。身体を包む暖かさ、足に伝う雪の冷たさが気にならないくらい、それは生きた心地を与えてくれた。



「……、ヨハン?」



 呟いた声は掠れていた。

 潤む瞳で見上げれば、間近にヨハンの疲れながらも励ますような笑顔。 



「あ、起きましたか?ベルトルド様。 もう大丈夫っすよ、ここまで逃げれば、だいじょう……ぶ。」



 精一杯持ち上げた口角。

 しかしそれが窄んでいく言葉尻と同じ速さで力を失っていき、最後にはヨハンの身体は雪原に崩れ落ちてしまう。


 踏み荒らされていないまっさらな雪原。

 見渡せば近くに森と、後方に延々と続く二人分の足跡。そして、微かに見えるバクンシュドゥールの村は燃えていた。



「ヨハン! ヨハン! ――起きて、起きて、起きてよぅ……!」



 肩を揺らす、頬を伝う大粒の涙も気にせずに枯れた声を一心に上げる。

 けれどヨハンは微かな笑みを浮かべたまま動かない、脱力して横たわる彼の身体、彼の右腕には、大きな血液の染み。



「……ぅ、ぅ、あ。」



 どうしようもない感情がわきあがってくる。

 悲しみ、嘆き、絶望、不安、運命に対する切実な不満。子どもが癇癪を起こすように、ベルトルドは両手で顔をもみしだき、髪を掴んでくしゃくしゃにする。俯き、嗚咽を漏らす。



(どうしようどうしようどうしよう……ヨハンが死ぬ、ヨハンまで死んじゃうッ!)



 ヨハンに暖められた心が急速に冷えていく。凍っていく。

 まるで世界にたった一人取り残されるような感覚、永遠に孤独に陥ったかのような錯覚を覚えて、幼子のように不安に泣き喚く。


 真っ白な雪原。

 冬の厳しい風が血にぬれたベルトルドの髪を撫でていった。揺れる髪を押さえることもせず、されるがまま彼は腰を落としたまま途方に暮れる。


 少し、そのまま泣いただろうか。

 静寂、圧倒的なまでの静寂が彼を包む。


 癇癪を起こしても、泣き喚いても、誰も答えてなどくれない。

 自分で何かしなければ、誰も何もしてはくれないのだと、自然が教えているかのようだった。


 北国の厳しい自然の中で、ベルトルドは涙を拭う。

 霞がかった自分の頭を思い切り殴りつけ、甘え、助けを求めようとする自分の根性を叩きなおすかのように頬をはたいた。



「……ぼっ、僕しか、今のヨハンは救えないんだ。」



 乏しい前世の医療知識を総動員する。

 おずおずとヨハンの腕を取り、脈を取る。前世では自分の脈をよく計っていたので慣れた動作だったが、その脈の弱さに恐怖した。


 とにかく止血しなければならないと、傷口を圧迫する。

 それでもゆっくりと流れ続ける血液、危険だとは教わっていたが、しかし今となってはやむを得ないと、傷口より上腕を自分の服を裂いて作った紐で圧迫する。


 他にも傷がないか改めたが、小さい傷はたくさんあっても大きい傷は他には無い。


 北国の強い風が吹いてきた。

 空はどんよりと曇っている。分厚い灰色の雲の彼方、天頂方向に太陽がうっすらと見えることから日中だとわかったが、この国の夜は殺人的に冷えるのである。


 暖を取れる安全な場所を確保しなければならない。

 しかし村は焼かれている、――心の中を鋭い痛みが走ったが、無意識に彼の防衛本能がそれ以上考えないよう制止をかけていた。ぼんやりとした頭が考えたのは、洞窟を見つけるか、あるいは雪でカマクラを掘るかしなければならないということ。


 枝を集め、どうにか火を起こして。

 それから適うなら食料や酒も必要だった。



「ヴァルツァー……。」



 蒼白な頬が持ち上がり、朱色の唇が親しい人の名を呟く。

 いつも助けてくれた彼は今は居ない。今や最後の望みであったが、すぐに駆けつけてこれるわけもない。少なくとも彼が探しに着てくれるまで、ヨハンを守れるのは自分だけだと覚悟を決めた。



「ゲホッ、ゴホッ……。」



 風がベルトルドの肌を撫でる。

 頭がぼんやりするのは、どうやら疲れや精神的なものだけではないらしい。熱が出てきたことを自覚しながら、重い身体を起こす。



「……。」



 甲冑を脱ぎ捨てた。ヨハンの甲冑もはずし、二つともその場に埋める。

 代わりにヨハンを背に担ぎ、なるべく彼を動かないように気をつけながら。目前に迫った森を目指してベルトルドは進む。



「……死なせない。絶対に、死なせない。」



 暗い瞳で呟くベルトルド。

 彼の顔色は今にも倒れそうなほど悪かったが、それを気にとめる者はその場には居なかった。

シレジアと世界の試練はいよいよ本格的になっていきます。

自分の身を守れる事すら類まれなる幸運、現実を前にベルトルドは大切な人に手を伸ばせるのでしょうか。

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