第9話 「法と覚悟と」
作者の体調は回復しました。しかし今度は夏の暑さを前にPCがKIA(戦闘時死亡)してしまい、慌ててノートパソコンを購入、自宅のネットPCにデータを移して執筆を継続します。
「貴方が領主様とは誓って知らなかったのでございます、何卒、なにとぞご慈悲のほどを……。」
そこは村の迎賓館……といっても名ばかりで、実態は村の男衆が寄り合いに用いるボロい集会場。粗い木目の板壁からは隙間風がすき放題入り込み、乏しい温もりをもたらす火鉢の弱弱しい炎がゆらゆらとたゆたう。
ベルトルドは、その迎賓館でも一段高い場所に設置された木のイスに腰掛け、土間に引き立てられて許しを乞う哀れな男の姿を見下ろしていた。
「なりません、閣下。この者は領主たる閣下に殴りかかりました。これを許せば法が保たれませぬ、いかに領主様といえど法は守らねばなりません。」
涙で顔をぬらし、手首を後ろに回され、膝をついて拘束された男。その傍らに厳格な面立ちで油断なく控える中年の騎士が、日ごろのふざけた気配が嘘のように冷酷な様子で言った。その言葉を受けて、ベルトルドは暗澹たる気持ちで男の顔を見る、助けに入ったときは、まさかこんなことになるとは思いもしなかった、それは彼が転生者であり、世界の価値観の違いと自分の立場に対する認識が甘かったとも言えよう。
男は、金髪の少女とその弟の叔父であり、今は養父であった。
彼女たちの両親が飢饉の折、疫病にかかって亡くなって、食料の乏しい中で新たに口が二つ増えたのである。更に彼は自分の妻すら食糧難で亡くしていた。そんな境遇の男が、自分の子でもない二人に愛情を注ぐことは彼の人格に関わらず難しいことであったろう。
ベルトルドは2重の意味で彼を罰する事に躊躇いを覚えた。
彼自身、平和な国で何不自由なく両親と国の保護を受けて生かされてきた身である、自分ではほとんど何も成せない病身の身、恩を返せなかった負い目があり、そんな自分がこの厳しい世界で必死で生きてきた男を罰する権利などあろうかという苦悩。
そして、この目の前の男は少女とその弟を虐待し、領主に殴りかかった罪人であるが、それ以前に二人にとっては養父であり叔父である。その男をここで罰してしまえば二人は罪人の子であり、更にはこの厳しい時代に身寄りを失わせてしまうことになる。今はヴァルツァーの支援でなんとか食べてはいけるようだが、決して豊かとはいえない。そんな中で村人たちが口増やしの彼女らをちゃんと育ててくれるのだろうか。
(これすら贅沢な考えなのかもしれない……。)
この世界では、彼女たちのような例は決して珍しいことではない。
現に彼女たちを見る騎士らの表情には一切の苦悩が感じられないように見えた。それは彼らの人格が冷たいということではない、単にそれに慣れすぎてしまい、心を痛めていては生活していけないといけないという事を示しているとベルトルドには思えた。
彼らの主人である自分がそれを理解せず、こうして自身の感傷に浸って同情し、自分の責任である領主の業務を滞らせていることは贅沢であり怠慢であるように感じられた。ベルトルドは、その小さな顔に出来るだけ感情が出ないように気をつけながら、冷や汗で顔に張り付いたチャコールの髪を払う。
「この場合、法では罰の方法はどのように定められている?」
尋ねられた方の騎士は厳格な表情を崩さないながらも、予想外といった風に片方の眉を上げた。丁寧に整えられた口ひげの下の口を開く。
「……特に定められてはおりませぬ。しかしそれは"定める必要すら無かった”ことに他なりません。このような場合、貴族は己の名誉に従いました。すなわち、名誉を傷つけた平民にはそれ相応の報いとして死を与え、貴族の名誉がそれだけ重く、また領主の権威が侵しがたい物であることを示すことは当たり前のことであるからです。」
「……。」
「ベルトルド様……ヴァルツァー卿ともども、幼少の貴方様には酷な事とこれまで控えておりました。しかしこの乱世において、残忍さは時に領主の義務なのです。――…受け入れなされませ。」
微かに頷く騎士の髭を眺めながら、ベルトルドは己の不甲斐なさをかみ締めていた。
悔しさに歪む顔を臣下から隠そうと俯き、長い髪が顔を隠す。城でもあったことだが、古い慣習というのは往々にして今を生きる領主よりも強い力を持っている。それに逆らうことは、全権を握る強い王ですら難しい。増して自分は実権のない幼少領主、逆らう為には 正当な理由が居るが、実績のない自分にそれが主張できるとも思えない。
「何卒……なにとぞ……。」
「なりませんぞ、閣下。」
(……、僕は……っ。)
死の淵を覗き怯え、慈悲を乞う男の声。
はっきりとそれを断罪する、見知ったはずの騎士の聞きなれぬ冷たい声。
ベルトルドは身体の震えを感じた。イスを握り締める手が白むほど、強い力がこめられる。歯を食いしばり、背筋を伝う嫌な汗の感触を堪えながら顔を上げ、
「……、罰を――」
口を開きかけた刹那――その男は現れた。
「おぉう、私のベルトルド様に殴りかかったという不届き者はコヤツかッ!」
激しい衝撃音、前世の記憶から、思わずSWATの突入シーンを思い浮かべてしまったベルトルドが慌てて顔を上げると、そこにはアルコールで真っ赤な顔をした熊男が、髭におつまみの欠片をくっ付け、その巨体で哀れにも縮こまる男を見下ろしていた。
光源といえば火鉢の弱い明かりくらいしか無かった薄暗い室内に、扉が破壊されたことで外の陽光が雪明りに反射されて、まばゆい程の白い光が室内を、熊男の姿を照らす。
呆気に取られるベルトルドと騎士を横目に、大またで室内に入った熊男は"むんず”とばかりに哀れな男の首根っこを掴み上げ、その顔を自分の顔に寄せてにらみつけた。抵抗する気力を失い、すっかり怯えきって視線を合わせる男、その足は地につかず、宙にぶら下がっており熊男の巨体がいかほどの物かを見せ付けた。
「――で、当然罰するのであろうな?」
グリッと音がしそうな勢いで首だけを中年の騎士の方へ向ける熊男。
決して背の低くない男をぶら下げて置きながら、身体の部分が微動だにしないあたり恐ろしい筋力である。その光景に表情を引きつらせながらも、中年の騎士はなんとか自失から回復し頷いた。
「う、うむ。即刻死罪とするようベルトルド様に申し上げていたところだ。ヴァルツァー卿。」
ヴァルツァーの領主への下心、もとい忠誠心の情念が深い事を知っている騎士は、この言葉を受ければ満足するだろうと思って疑わなかった。しかし――
「……な ん だ とぅ?」
『ひぃ?』
まるで巨人が地の底でうめき、その声だけで大地を引き裂くような凄みのある低音。
"ゴゴゴゴゴ”と音がしそうな気配を背に、熊男が男をぶらさげたまま大またで距離をつめ、あっという間に空いてる方の手で騎士の胸倉を掴む。苦しそうにうめく騎士と、般若のような顔の熊男、両者を前に、ベルトルドは自分の心臓が子兎のように跳ねるのを抑えるので精一杯で、口を開くことすらままならぬ呪縛にとらわれる。
「貴様、まさかとは思うが。"私の”ベルトルド様に"手を出した”男を、ただ首と胴を離して"さっさと終わり”などと言うつもりはないだろうな?」
「しょ、処刑方法を考えろというのか? しかし、あまりに残酷な刑罰ではベルトルド様のお心に……。」
「たわけィ! 誰が"殺せ”などと言った。死者は痛みを感じんし、塵ほどの役にも立たんわ! ――…おい、貴様ッ!」
「ひゃ、はいッ!」
「貴様の成したこと、天より高く、深海より深く反省しておろうな?」
「も、もちろんでございますハイ!」
あっという間の出来事だった。
騎士を怒鳴り飛ばしたヴァルツァーは、そのままの勢いで顔だけ(どうでもいいが不気味)を男に向けると、男が溺れるんじゃないかという勢いでツバを飛ばしつけながらその言葉を引き出した。
そして、猛然と、まるで火がつかんばかりの勢いで怒っていたはずの熊男が、怒気など欠片も見当たらぬ悪戯っぽい笑みを浮かべながら、一物ありそうな視線をこちらに投げかけている。その表情が二人に見えないようにしている辺りは流石だったが、その表情がまるで……。
(ほれ、がんばりなされ。)
そう、励ましているようで。
口の端に浮かびそうになる笑みを抑え、ベルトルドはキっとその少女めいた顔に覚悟を宿し、騎士と男を鋭く見やる。わざと大きな音を立ててイスから立ち上がり、注意を引いた。
「静まれ! ……まったく、領主の前で喧嘩とは相変わらず不敬だね。これで法を語るか。」
「い、いやしかし。これは日ごろとは違うのですぞ!」
「あぁ、分かってる。その上で決めるんだ、クリフォード。」
真っ直ぐに視線を向けられたクリフォードと呼ばれた中年の騎士は、しばし何か言いた気に口を動かすも、やがて抑えて、更には不敵に髭面を綻ばせて恭しく一礼し下がる。
「裁きを申し渡す。バクンシュドゥール村のニコラ、面を上げよ。」
ベルトルドは人に判決を言った経験などない。前世で見た時代劇の、肩に桜吹雪がついてたりする奉行様を思い出す。あまりに貧弱な参考資料。場にそぐわぬ思考に少しだけ笑った。
殺されるより酷い目に合うのかと、ニコラと呼ばれた男の目には深い恐怖、それを通り越した絶望と疲労感が浮かんでおり、それを見たベルトルドはアホな思考などあっさりと吹き飛んで思わず覚悟が緩みひるんでしまう。しかし熊男に視線を向ければ、そこには代わらぬ視線がある。信頼を感じる、自分はそれに答えたい。
こんなことを言う資格があるのかも分からない。領主の義務を果たすことになるのか、自信もない。だが一つだけはっきりしていることは、いかなる結果を生もうと自分が選んだの責任は、きっと自分で取ろうという覚悟だ。
「知らなかった事とはいえ、領主に暴行を加えようとした事、容易には許されぬ。よってニコラ、お前の身分を剥奪し僕付きの奴隷とする。現時点からお前は僕の"所有物”、何人たりとも僕の許可無く傷つける事を禁じる、心せよ!」
言い切った。
ベルトルドは興奮で昂ぶる気持ちが急速に冷えていくのを感じた。それと同時に、人の運命を決する傲慢さと、慣れぬ事を言った羞恥が一気に心の中で肥大化していく。"かぁぁぁ”と赤らむ顔、しかしそれを違う意味で捉えた熊男がなにやらショックを受けた表情で固まり、次の瞬間にはボカスカと、唖然とするニコラの頭を殴る事で八つ当たりを開始した。
「――と、とにかくそういうことだから。これは領主命令! 早速破るなヴァルツァー、お前は後で迎賓館裏に来るように!」
「ほぅ、ついに愛の告白ですかな?」
「違うッ! 一瞬でも君に感謝した僕がバカだったッ!」
2度も"私の”宣言をしたり、何かと誤解を招く発言をした熊男をしばいてやりたいベルトルドだったが、どうせのらりくらりとかわされる上に、二人きりなど逆にこちらがまずい状況になりかねない。"あーもう!”と長い髪をくしゃくしゃにかき乱すと、後の事をクリフォードに言いつけ、逃げるように迎賓館を後にした。
"感謝”と言質を取ってニヤニヤする熊男。
命が助かったは良いが、よく分からない状況に困惑するニコラ。
深刻に諫言をしたはずが、いつのまにか"いつもの”光景が繰り広げられる事に唖然としていたクリストファーは、そんな二人の対照的な姿を見て不敵に髭面を綻ばせるのだった。
シリアスとジョークの比率がわかりませぬ。
どちらが行き過ぎても良くないものですし、どうしたものか。