第8話 「おいてけぼり」
紙媒体をアイデア丁に導入、やっぱり紙とペンは優秀です。長らくお待たせしました、更新を再開します。
「ようこそバクンシュドゥールの村へ、騎士様方。私はこの村の村長のヨアキムと申します。」
幼少の領主を擁したイスフェルト伯軍は、バクンシュドールの村へと入った。
流石に百を超える軍勢を入れるには、貧村の広場は手狭で、村人への配慮からもベルドルド、ヴァルツァー、そして正規の騎士20名が騎乗のまま広場へ乗り入れ、初老の村長の出迎えを受けている。
「……。」
「あれが、領主か。」
だが村には陰鬱な空気が漂っている。
それは朝には晴天だった空が、いまではどんよりと曇っているからという天候的な理由ばかりではあるまい。今にも崩れそうなほど粗末な家屋と、その暗がりからこちらを覗き見る村人達の表情は暗く、大半は戸惑いの篭もった視線だが、中にはあからさまな敵意を向けるものも居る。
一様にやせこけ、ぎらついた視線を一身に受けるベルトルドは、前世の平和な世界ではあり得なかった状況に怯えながらも目の前の村長に可憐な笑みを向ける。
「お出迎えに感謝します、村長殿。僕が領主、ベルトルド・クリストファー・イスフェルトです。こちらは……。」
「久しいな、ヨアキム殿。」
紹介しようとすると、それを遮って熊男が精悍な笑みを向ける。
村長はベルトルドの笑みには警戒を隠さない様子だったが、熊男に声をかけられればその憔悴した表情に微かな笑みを浮かべて軽く一礼した。
「あぁ、ヴァルツァー卿。昨年の飢饉の折には世話になったな。」
「なんの、友人とその家族を助けるのは当たり前であろう。」
「ふん、そう言いながら全ての村人にまで私財を売り払って食料を配ったのだったな。して――…この方が貴公の言っていた領主様か。」
窪んだ眼窩、いかにも生気に乏しい骨の浮いた顔だったが、そこから覗く白い視線は鋭い眼光を放っていた。視線を向けられたベルトルドは微かにたじろくが、一方の熊男は明るく笑う。
熊男の登場に、家々から向けられた視線もかなり和らいだ感じがした。軍勢が村に現れ、それが絶対権力者の軍勢となればより恐ろしいだろうが、そこに恩ある人物の姿を見出せば幾分か安心できるのだろう。
「いかにも、この方が我が主ベルトルド様よ。愛らしかろう? いずれ母君と合わせて我が物になる予定のお方だ。
「ほぅ、甲冑など着ておるから“おのこ”と思うたが、やはり姫御であったか。」
(……突っ込むところはそこなのか、ヨアキムさん。)
ズキズキと痛み始めた頭を抱えながら、さりげなくとんでもない事をのたもうた熊男の大きなわき腹をガントレットを嵌めた右手で殴りつけるベルトルド。姫御かという言葉にはもはや訂正する気力も沸かず、真相はそのうち分かるだろうと溜息を吐いてうなだれた。
ほぅ、とベルトルドの顔を眺めて何事か考える村長だったが、熊男のニヤニヤ笑いを見て愉快そうに口の端を吊り上げた。
「……相変わらず不敬な男だな貴公は。ともあれ折角お越しくださった友人をいつまでも寒いところに置いておくわけにはいかぬ、俺の家に行こう、大したもてなしはできんが酒くらいは振舞うぞ。」
「ここの地酒は美味いからな、期待しよう。」
「……、酒とか駄目だからねヴァルツァー。」
じと目で見上げるベルトルド。しかし二人は一向に構う様子も無く談笑している。
(というか村長さんも十分不敬だよ……。)
明るく笑って、いつのまにか馬を下りたヴァルツァーが、村長と肩を組みながら彼の家へと足取り軽く歩いていく。いつものことだが規格外な家臣の振る舞いに唖然としていると、接待役だろう、20代前半くらいの女性が慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「ももも申し訳ありません領主様! あのお二人は長年の友人同士でございまして、いつもあのように……。」
「いえ、あの熊男はいつものことですから。どうかお気になさらず、慣れてしまいました。」
恐縮しきる女性に首を傾げて明るく笑うと、若い女性も可笑しそうに視線を合わせて笑った。こちらがおどけた口調で言うと、ほっとした様子でおどけたような楽しむような色を目に浮かべる。
「うふふ、頼もしすぎる殿方も考え物ですわね。」
「えぇ全く。いつ簒奪されるかと思うと気の休まる日がありませんよ。」
「あらまぁ、……でもヴァルツァー卿でしたら村人の信頼もありますし、それにお強いですわ。あり得ないお話ではありませんことね。」
「頼もしくはあるのですが、胃の痛い話です。」
口の端を持ち上げて冗談めかして笑うと、しばしの沈黙の後、二人は悪戯を共有する者同士のように愉快そうに笑いあった。どうやら明るく、冗談好きな性格らしいこの女性は、村では珍しくふっくらした頬にえくぼを浮かべると思いっきりベルトルドの肩を叩いた。
ゴィン、と甲冑が硬質な音を立てる。
流石に痛かったのか赤くなった手を涙目で摩りながら彼女は励ますように笑った。最初は驚いたベルトルドだったが、彼女の笑みを見て、そういえばこの国はスキンシップが過剰だったと思い出す。
「頑張ってくださいな領主様っ! 私は応援いたしますわ。」
「ありがとうございます……。」
開けっぴろげな明るい笑み。それは前世で地域のおばちゃんに親切にしてもらった時のような感覚だった。しかし目の前の女性の笑みは、ただ明るいだけでなく何か底知れぬ強さのような物を感じる。
(やっぱり苦労してるんだろうな……。)
彼女は楽しげに笑うと「こちらです」とベルトルドの手を取り、騎士らにも身振りで示して村の応接館へと案内してくれる。手を取られた時は驚いたが、ガントレットの指だし穴から感じる感触はアカギレを通り越して痛いくらいギザギザしており、服も前世では考えられないほど汚れている。
後ろで結った髪もところどころほつれて、歯は黄ばみ、肌は汚れと染みだらけ。
それでも彼女の笑顔が魅力的に見えるのは、きっとその性格ゆえなのだろう。
「ちょ、ちょっとまって。ひっぱらないで……!」
とはいえ騎乗なら重量は分散するが、徒歩となると減量版とはいえプレートメイルは重い。ぐいぐい引っ張られて転びそうになりながらなんとかついていくベルトルド。
「おぉ、領主様は早速モテモテですなぁ。」
「あはは、うらやましいっす。」
(笑ってないで助けろぉぉぉ!)
薄情な家臣のちょっとした謀反を喰らいながら、必死こいて歩くベルトルド。アグレッシヴすぎる女性の足取りは止まることを知らなかったが。
「――…、…ろ、がっ!」
「……め、てッ!」
「……ん?」
女の子と男が言い争うような声が聞こえたような気がして、ふと足を止める。
鎧の重量を活かした強引な制止を受けた女性は不満げな視線を向けてくるが、ベルトルドの表情を見て開きかけた口を閉ざす。続く騎士たちも何事かと周囲を見渡すが、何も聞こえないし見当たらない。
「――助けてッ!」
「……ッ!」
しかしベルトルドの耳はハッキリと言葉を聞き取り、女性の手をなるべく丁寧に解くと声の方向に一直線に駆け出していた。慌てて続く騎士と女性。それにしても甲冑が重い、次の出征はもっと軽いものにしてもらおうと青い顔で荒い息を吐きながら駆けるベルトルドだった。
「こンのゴクツブシめッ! 今日という今日は許さねぇッ!」
「ねぇちゃんに手を出すなッ!」
「ウルセェッ!」
殴打音、何か重量のある物が吹き飛び壁にぶち当たる音。
騎士や女性にも聞こえたらしく、騎士らは特に驚く様子も無くただ主君を追うために必死になり、女性は気まずそうに眉をひそめていた。
(……慣れてるんだろうなぁ。)
心は慌てながらも、頭のどこかで騎士らの表情に変化がないことを見て前世の人々との感覚の違いを思う。話に聞くこの世界の悲劇の中では比較的軽いものなのだろうとは想像できたが、しかしだからといって無視できるほど、ベルトルドはこの世界に適応しては居なかった。
「キャアアアアアアアアッ!」
足音を立てながら、声の響いてきた家屋の扉を開け、視界に飛び込んできた光景に唖然とする。青筋を立てていきり立った男が、顔を庇ってしゃがみこむ少女の胸倉を掴み衣服を引き裂こうとしている。
壁際にはベルトルドと同い年くらいの幼い少年が荒い呼吸をしながら倒れ、室内には割れたビンや壊れた家具が散乱していた。
少女は10代の中ごろくらいだろうか、小柄で痩せぎすの身体に比して大きな頭を抱え、豊かな光沢を放つ長い金髪は所々血で汚れている。衣服もボロボロで汚れていたが、小動物めいた小顔も合わさって総じて可憐な印象を見る者に与えた。
見たことも無い光景に一瞬思考停止に陥るベルトルドだったが、こちらに気づかない男が彼女の服を引っ張ったのを見て強引に我に帰る。
(ど、どうすれば……、とにかく止めないと!)
しかし男はベルトルドよりも遥かに背が高く、痩せ気味ではあるものの男らしいガッチリした体つきをしている。その上、今は興奮し怒気も露に暴力を振るう……前世では父親に殴られたことも、大声で怒鳴られたことも無かったベルトルドは驚きと恐怖を強く感じた。
騎士らは必死で追いかけているが、到着までは間がある。
動けないベルトルド。男が、ゆっくりとこちらを振り向き血走った目で睨みつけてきた。
「……ナンダァ?てめぇは。」
男も正常な状態であれば、彼の甲冑姿や汚れの一つも無い白い肌と長い髪を見れば、彼が高貴な身分であると理解して態度を改めただろう。しかしお互いにとって不幸な事に、彼は極端な興奮状態にあって判断力を失していた。
「そ、……その子を離してください。」
ベルトルドもまた、名乗れば良いのに頭が真っ白で思考が停止していた。とにかく言わねばならぬと思った事を、硬直し動かぬ舌を根性で動かして吐き出すように言う。その瞬間、男の顔が更なる怒気に歪んだ。
「ガキがぁ、指図するんじゃねェッ!!」
次の瞬間、物凄い勢いで身を捻ると、筋肉を浮かせて拳を握り締め顔面めがけて振り下ろしてくる。
「――ッ!」
咄嗟の判断。
ベルトルドは日頃ヴァルツァーに鍛えられた訓練の成果か、頭は動かなくとも身体が勝手に拳を避けようと動き思いっきりしゃがみこむ。頭上を風を切る音と共に腕が過ぎ去って、滴る汗が髪に降りかかった。
男のキツイ体臭と共に、彼の攻撃対象が自分に移ったことを感じて戦慄が走る。表情をゆがめながら、訓練以外の初めての戦闘に恐怖した。
(このぉッ!)
恐怖に竦む身体。しかし日々の訓練が、今は動けと教えてくれる。
ベルトルドは必死で戦いを乗り切る方法を考え、そして腰元に“ある”重量を思い出した。
「うぉぉぉッ!」
突然の乱入者に混乱し、より一層怯える少女。
地を這い、倒れた少年を庇ってこちらを見やる視線を感じながら、ベルトルドは目の前の男を倒す方法に集中していた。
男の突き出した腕、それを沿うように姿勢を低く駆け出し、甲冑で保護された右肘を男の腹部深くに埋め込む。
「うぐぅ……ッ!」
男の顔が苦悶の表情に歪み、腹を庇うようにして一瞬蹲る。
その一瞬があれば、剣を抜くには十分だった。
「はぁ……っ、……はぁ。――そこまでだッ!」
バックステップで距離を取り、訓練した動作で長剣を抜き放ちそのまま切っ先を男の喉へ突きつける。荒い息を飲み込みながら睨むベルトルド、その眼光と剣の切っ先を受けて男は悲鳴を上げると、腰を抜かしてよろよろと尻餅をつく。
「ま、まてッ、許してくれぇ……!」
「ベルトルド様ッ!」
慌てて屋内に踏み込んだ騎士達が眼にしたのは、腰まで流れたチャコールの髪を振り乱し、小柄な背を荒く息で揺らしながら剣を突きつけるベルトルドの姿と、鼻水を垂らしながら尻餅を付く男の恐怖に歪んだ顔だった。
「ベルトルド様、いけません! ベルトルド様ッ!」
「……、来るのが遅いよ全く。」
中年の騎士に肩を揺さぶられ、深い息を吐くとようやくベルトルドは興奮状態から脱した。はぁ、と溜息を吐きながら剣を鞘に収め、疲れた顔に冗談っぽい笑みを浮かべて騎士の腹を軽く叩いてみせる。
「護衛失格だね。」
「ベルトルド様の足が速いのが悪いのです。」
などと言いながら尻餅をついた男を拘束する騎士。
そのなんとも不敬な返答に口の端を持ち上げて小さく笑いながら、ベルトルドはなるべく穏やかな表情を浮かべようと苦心して少女の前に膝をつく。
「……ひっ」
思いっきり怯えた表情を浮かべられて、少し傷つくベルトルド。
自分でもそうなるだろうとは思いながら、とにかく安心させようとニッコリ笑った。
「……、」
そっと手を伸ばし、怯えて少年を抱きしめる少女の頭に乗せてから。
(……、……しまった、なんて言うか考えてなかった。)
自分のマヌケさに固まった。
(「もう大丈夫です。」は今後の彼女のことを考えると安易に言っちゃいけない言葉だ。「よく頑張ったね。」は偉そうだし、「僕は君の味方」……うわぁ臭い。)
あれこれと懊悩するベルトルド。
その苦悶の表情が百様の変化を見せるので、自分の頭に手を置きながら変顔をする年下の少年に、金髪の少女はようやく泣き顔に笑顔を浮かべた。
「くすっ。」
(あ! 笑ったッ!)
彼女の笑顔に勢いづいたベルトルドは、とにかくこの作戦で行こうと一生懸命変顔を作り始める。涙顔を赤らめて笑う少女と、向き合って変顔を続ける幼い領主。
置いてけぼりを食らった騎士と女性と男の心中は奇しくも共通していた。
『なにやってんだ領主様は』と。
スランプと皮膚トラブル、ネット不調のブリッツクリーク(電撃戦)を受けて更新が停滞しておりましたが、ようやく復活できました。