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第54話 私は私だ

最後にレイがラシェルの前に立った。


ラシェルがレイを見ていた。


子供の身体。


しかし、その目は年齢に似合わなかった。


数ヶ月、見続けてきた、不思議な存在。


「ラシェル」


「はい」


「世話になった」


ラシェルが首を横に振った。


「いいえ」


「世話になったのは私の方です」


レイが軽く頷いた。


ラシェルがしばらくレイを見ていた。


それから、ぽつりと口を開いた。


「あなたは誰なの」


短い、問いだった。


レイがしばらくラシェルを見ていた。


それから、答えた。


「私は私だ」


ラシェルの口角がわずかに上がった。


「そうね」


「それで十分ね」


笑いが収まった。


ラシェルがレイを見ていた。


しばらく何も、言わなかった。


それから、ぽつりと言った。


「ありがとう」


敬語が抜けていた。


しかし、ラシェルはもう、それに気づかなかった。


あるいは、気づいたが言い直さなかった。


レイが軽く頷いた。


「うむ」


「達者で生きるのだぞ」


ラシェルが頷いた。


「はい」


また、敬語に戻っていた。


しかし、その「はい」には揺れた声が混じっていた。


短い間があった。


「またいつか、お会いできれば」


「うむ」


ラシェルがもう一度レイを見た。



ラシェルが玄関の方を見た。


そこにティナと、リオル、セルジオが立っていた。


中庭の方にはミル、グレイド、アルヴィス。


別々の場所に別々の人々がいた。


しかし、皆が同じ朝の光の中にいた。


ラシェルがぽつりと言った。


「家族の、形はいろいろね」


レイが軽く頷いた。


「うむ」


「あなたが教えてくれたこと」


レイがラシェルを見た。


しばらく言葉が止まった。


「お主が──いや、お前が」


レイが言い直した。


「自分で見つけたこと」


ラシェルが軽く頷いた。


短い、しかし、決定的な、交換だった。



レイが馬車に乗り込んだ。


グレイドが馬車の御者台に座った。


ミルが馬車の中に入った。


アルヴィスが馬車の脇を馬に乗って、進む役だった。


御者が馬の向きを変えた。


馬車が動き出した。


商会の、玄関を離れた。


門の前を抜けた。


通りに出た。


ラシェルがしばらく馬車を見送った。


ティナがリオルの手を握っていた。


ティナの目から、また、涙が流れた。


しかし、笑っていた。


リオルも、ティナの肩に手を置いて、馬車を見送っていた。


セルジオは姿勢を崩さずに立っていた。


馬車が北の方角へ、進んでいった。


朝の光の中で馬車の影が長く伸びていた。


馬車が見えなくなった。


ラシェルがしばらく立っていた。


それから、息をひとつ、吐いた。


ティナの肩に手を置いた。


「中に入りましょう」


ティナが頷いた。


リオルも、頷いた。


セルジオが扉を開けた。


四人で邸の中に戻っていった。



夜。


ラシェルが中庭に出ていた。


ティナと、リオルは邸の中でもう、眠っていた。


セルジオも、自室に下がっていた。


中庭は静かだった。


木の葉はもう、ほとんど、落ちていた。


冷えた空気がラシェルの頬を撫でていた。


ラシェルが空を見上げた。


北の空に灰色の雲が低く垂れていた。


空気は湿気をわずかに含んでいた。


「雨が来るかしら」


ぽつりと言った。


北の空がわずかに明るく光った。


しかし、ラシェルはそれに気づかなかった。


ただ、空を見ていた。


しばらくして、ラシェルが邸の方へ、向きを変えた。


邸の中に入っていった。


執務室に戻った。


机の上の、革袋。


ラシェルがそれに軽く触れた。


百年の、手垢。


そして、いま、もう一つの、手垢が加わった。


ラシェルがしばらく革袋を見ていた。


それから、ぽつりと言った。


「私は私だ」


レイの、言葉だった。


しかし、いま、自分の、言葉でも、あった。


燭台の火をラシェルがふっと消した。


中庭にはもう、誰も、いなかった。


北の空に雲がさらに低く垂れ込めていた。


夜が深まった。


──この夜から、数日後。


北への街道を四人が進んでいた。


灰色の空の下、湿った冷たい風が頬を撫でていた。


街道沿いの木陰で馬を休ませる時間だった。


グレイドがふと思い出したように振り向いた。


「そうだ、坊主」


「ひとつ、伝え忘れてたな」


レイが顔を上げた。


「これから、我らの真の主君に引き合わせる」


「サングラディア竜国 司令長官、リーフェ様だ」


少し、間があった。


「失礼のないようにしろよ」


「お前は公爵家の血を引いていようが」


「向こうは国の頂点の方だ」

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