「地味な女だ」と捨てられた令嬢、メガネを外したら隣国の王太子に一目惚れされました
◆〜第一章:灰色の令嬢と、心なき婚約者〜◆
「君を見ていると、どうにも気分が滅入る。まるで、雨の日の石畳を見ているようだ」
エドワード王子の吐き捨てるような言葉が、豪華な夜会のテラスに冷たく響いた。
華やかな舞踏会の喧騒が遠くから聞こえる中、このテラスだけは凍りついたような静寂に包まれている。
伯爵令嬢アリシアは、ずり落ちそうになった厚いレンズのメガネを指先で押し上げ、深く俯いた。
彼女が身に纏っているのは、王子の好みに合わせたという名目の、地味で古臭い茶色のドレス。
最高級の生地ではあるが、デザインは数十年も前のもので、まるで修道女の制服のようだ。
さらに、艶やかなはずの金髪はきっちりと夜会巻きに固められ、頭皮が痛むほど強く引っ張られている。
それは彼女の若々しさと輝きを徹底的に殺すための、“呪い“のような装いだった。
「申し訳ございません、殿下。私なりに、殿下の仰る『控えめな淑女』を体現しているつもりなのですが……」
「ふん。控えめと、地味で暗いのは違うと言っているんだ。大体、そのメガネだ。顔の半分を隠して、何が楽しい? 君の瞳が何色だったかさえ、私はもう思い出せんよ」
王子の言葉は、アリシアの胸を鋭く抉る。
だが、このメガネもドレスも、アリシアが自ら望んだものではなかった。
家の中では、継母から「アリシア、お前は目立ってはいけないよ。リリィの引き立て役として、影のように過ごしなさい」と毎日呪文のように言い聞かされてきたのだ。
このメガネも、継母が強制した度のアっていない代物。
かけ続けているだけで激しい頭痛がし、周囲の景色は歪んで見える。
すべては、アリシアの類稀なる美貌を隠すための策略だった。
エドワード王子の視線の先には、フリルの多い桃色のドレスに身を包み、他の貴族たちと談笑するアリシアの義妹、リリィの姿があった。
リリィはアリシアの継母の連れ子だ。
彼女はアリシアから奪い取った予算で着飾り、今や王宮中の注目を浴びている。
「君の妹のリリィを見習え。彼女はあんなにも華やかで、私の隣にいても見劣りしない。それに比べて君はなんだ。私の隣に並ぶことさえ、王家に対する冒涜だと思わないのか?」
王子の冷酷な瞳がアリシアを射抜く。
「アリシア。今日、この場をもって君との婚約を破棄する。幸い、リリィが私の隣を歩くことを承諾してくれた。君のような『灰色の令嬢』は、私の妃には相応しくない。田舎の修道院で一生本でも読んで過ごすといい。それが君のような地味な女に似合いの末路だ」
エドワード王子は、婚約破棄を突きつけられたアリシアが、ショックで泣き崩れ、足元に縋り付いてくるのを期待したのだろう。
事実、周囲で聞き耳を立てていた野次馬たちも、憐れみの視線をアリシアに向けていた。
だが──。
アリシアの胸の中にあったのは、悲しみでも絶望でもなかった。
それは、重い鎖が断ち切られたような、深く、深い“解放感“だった。
「……左様でございますか。承知いたしました、殿下。お望み通り、私は殿下の前から消え失せましょう」
アリシアの声は、驚くほど冷静で、そして清らかだった。
「なんだ? 泣き喚きもしないのか。やはり、心まで石畳のように冷たく、感情の乏しい女だな。興が削がれた。さあ、行こう。リリィ、私の天使よ」
王子は忌々しげに鼻を鳴らし、テラスまで駆け寄ってきたリリィの腰を抱き寄せて、広間へと戻っていった。
「お姉様、さようなら」と勝ち誇った笑みを浮かべるリリィの顔も、今の彼女には滑稽にしか見えなかった。
一人、夜のテラスに取り残されたアリシア。
夜風が強く吹き抜け、固められていた髪を数本、解くように揺らした。
「……終わった。やっと、これでおしまいなのね」
彼女は、震える指先で、あの忌々しい重苦しいメガネを外した。
レンズを通さない世界は、ひどくぼやけている。
だが、それと同時に、今までこめかみを締め付けていた不快な頭痛が、魔法が解けたかのようにすっと消えていった。
アリシアは顔を上げた。
視界は霞んでいるが、夜空に浮かぶ月の光だけは、今の彼女を祝福するように優しく、そして鮮やかに輝いていた。
「もう、誰の顔色もうかがわなくていい。私は、私に戻るの」
彼女は手の中に残ったメガネを、ゴミを捨てるかのようにテラスの隅へ置いた。
それは、「灰色の令嬢」としての彼女の死と、真の姿への覚醒の合図だった。
◆〜第二章:湖畔の奇跡、あるいは運命〜◆
婚約破棄から一週間。
王都から遠く離れた馬車に揺られ、アリシアは隣国との国境に近い辺境の別邸へとたどり着いた。
「家族の恥さらし」
「無能な灰色の娘」
継母と義妹リリィ、そしてエドワード王子の冷酷な言葉を背負わされての追放だったが、馬車の扉が開いた瞬間、彼女の胸を満たしたのは悲哀ではなく、澄み渡るような喜びだった。
そこは、手入れこそ行き届いていないものの、原生林と美しい湖に囲まれた静謐な場所──。
アリシアにとっては、監獄から解き放たれた後の楽園そのものだった。
「もう、あの重苦しいメガネをかける必要も、自分を殺すような茶色のドレスを着る必要もないのね……」
誰の目もない別邸で、彼女はまず、己を縛っていたすべてを脱ぎ捨てた。
鏡の前に立った彼女は、亡き実母が密かに残してくれた衣装箱を開ける。
中から現れたのは、シンプルながらも最高級のシルクで編まれた、澄み渡る初夏の空のようなスカイブルーのドレス。
袖を通せば、肌に吸い付くような感触が心地よい。
長く固められ、艶を失っていた金髪は、ハーブを煮出した湯で丁寧に洗われ、今や腰まで届く滑らかなシルクのような輝きを取り戻している。
そして彼女は、戸棚の奥に隠し持っていた小瓶を取り出した。
視力矯正の魔法薬。
かつて、エドワード王子に「地味な女にそんな高価な薬は必要ない」と冷たく一蹴され、買い与えられなかった代物だ。
自らのわずかな貯金で密かに手に入れていたそれを、一滴ずつ瞳に落とす。
不快な歪みが消え、世界が急速に輪郭を取り戻していく。
「……世界は、こんなにも鮮やかだったのね」
窓の外に見える森の緑、空の青──。
それらすべてが、まるで宝石を散りばめたかのようにキラキラと輝いて見えた。
ある日の午後。
アリシアは別邸の敷地内にある、水晶のように透き通った湖のほとりに佇んでいた。
風にそよぐ草花に囲まれ、彼女はふと、水面に映る自分を覗き込む。
そこには、レンズの奥に隠されていた醜い娘の姿はなかった。
長く濃い睫毛に縁取られた、星を散りばめたような高貴な紫水晶の瞳。陶器のように滑らかで白い肌。
そして、瑞々しく色づいた唇。
それは、家族から“地味“という呪いをかけられ、抑圧されていた絶世の美貌の完全なる覚醒だった。
水面に映る自分の美しさに、当のアリシア自身が戸惑っていた──その時だ。
「……失礼。あまりに美しい光景だったので、つい足を止めてしまった。森の妖精が降臨したのかと思ったよ」
背後から届いたのは、低く、それでいて鈴を転がすような心地よい響きを持つ声。
驚いてアリシアが振り返ると、そこには見事な黒髪をなびかせ、燃えるような情熱を宿した青い瞳を持つ青年が立っていた。
仕立ての良い旅装に、洗練された立ち振る舞い。
纏う空気の重さは、彼がただの通りすがりの旅人ではないことを如実に物語っている。
「……どなた様でしょうか。ここは私の家族の敷地内ですが。不法侵入でしたら、すぐに立ち去ってくださいませ」
アリシアが困惑し、首をわずかに傾げる。
その拍子に、陽光を浴びた金髪が眩いばかりの光を放った。
その瞬間、青年は雷に打たれたかのように息を呑み、その場に釘付けになった。
彼の瞳には、かつて見たこともないほどの驚愕と、そして深い熱情が浮かんでいる。
彼は吸い込まれるようにアリシアに歩み寄り、流れるような動作でその場に膝をついた。
そして、驚く彼女の手を恭しく取った。
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだ。私は隣国、ルーン王国の王太子、ゼノスという。……信じられない。この世に、これほどまでに澄み切った、美しい瞳を持つ女性が存在していたとは。私の目は、今まで何を見ていたんだ……」
「……えっ? 王太子、様……?」
アリシアは絶句した。
ゼノス王太子の青い瞳は、嘘偽りのない感嘆に震えている。
その眼差しは、彼女の表面をなぞるのではなく、魂の輝きまでを見通しているかのようだった。
アリシアの地味なメガネ姿を知る者がいれば、今の彼女を見ても決して同一人物だとは思わないだろう。
厚いレンズと古臭い髪型で『灰色の令嬢』と呼ばれていた少女は、今、運命に導かれた王太子の前で、世界を魅了する【至宝】としてその姿を現したのだ。
それは、すべてを捨てたアリシアが、初めて“ありのままの自分“として愛される物語の、幕開けだった。
◆〜第三章:奪還と、王太子の求愛〜◆
ゼノス王太子は、アリシアがアステリア王国で受けていた仕打ち──継母による抑圧、合わないメガネの強制、そして何より婚約者であるはずのエドワード王子の心ない暴言──を彼女の口から聞き、静かな、しかし苛烈な憤りをその瞳に宿した。
「信じがたい。その王子は、天から贈られた至高の宝石を、自ら泥の中に捨てたとでもいうのか。……アリシア。そんな場所に戻る必要はない。我が国へ来ないか。君を、私の妃として迎えたい」
「そんな、陛下。お会いしたばかりの、しかも追放されたばかりの私に……」
アリシアは戸惑い、伏せ目がちに呟く。
だが、ゼノスは彼女の白く細い手を、壊れ物を扱うような優しさで、それでいて決して離さないという強い意志を込めて握りしめた。
「『一目惚れ』という言葉。私は今まで、詩人が語る空想の産物だと思っていた。だが今、これほどまでにその言葉の真意を痛感している。君のその澄んだ瞳、その控えめながらも気品溢れる微笑み……そのすべてを、私の命に代えても守り抜きたいのだ」
ゼノスの眼差しは熱く、そしてどこまでも誠実だった。
長年、冷たい石畳のような言葉の暴力に晒され、凍てついていたアリシアの心が、彼の熱情によってゆっくりと、けれど確実に溶け出していくのを感じていた。
しかし、物語はここで穏やかに幕を閉じるほど甘くはなかった。
アリシアが消えたアステリア王国では、ある劇的な異変が起きていたのだ。
アリシアは、ただ“地味で従順な女“だったわけではない。
彼女は伯爵家の膨大な実務を一手に引き受け、さらに誰にも気づかれぬよう、自らの強大な魔力で領地の結界を人知れず維持していた。
彼女こそが、国を影から支える真の柱だったのだ。
彼女がいなくなった途端、領地の作物は枯れ始め、結界が薄れたことで魔獣の被害が続出した。
さらに、彼女に代わって『王太子の婚約者』の座に収まった義妹リリィは、事務のいろはも知らず、ただ贅沢な夜会に現金を注ぎ込み、王宮の予算をわずか数週間でパンクさせたのである。
「アリシアを連れ戻せ! 彼女をここに引き戻し、あのメガネをかけさせ、また以前のように文句を言わさず働かせるんだ!」
エドワード王子は、自らの非を認めるどころか、すべてをアリシアの【放棄】のせいにし、怒りに任せて別邸へと軍を差し向けた。
だが、彼が湖畔の別邸で目にしたのは、記憶にある『灰色の令嬢』とは似ても似つかぬ光景だった。
「……誰だ、あの女神のような女性は……?」
湖畔の柔らかな光の中で、ルーン王国の精鋭近衛兵たちに跪かれ、守られている一人の美女。
彼女は、これ以上なく華やかに、そして自由に微笑んでいた。
厚底のメガネを脱ぎ去り、本来の輝きを取り戻した彼女の美貌は、リリィなど足元にも及ばない。
それはまさに、王国の伝説に語られる「初代女王」の再来と見紛うばかりの神々しさだった。
「アリシア……? お前、本当にアリシアなのか!?」
エドワード王子は、信じられないものを見たというように声を震わせた。
馬から降りる足元も覚束ない。
アリシアは、ゆっくりと彼の方を向き、刺すような冷ややかな視線を投げた。
「エドワード殿下。お久しぶりですわ。……お隣にいらっしゃるのは、殿下の自慢の『天使』ではありませんか?」
エドワードの隣で、高級なドレスを泥で汚し、マスカラが涙と汗で剥げ落ちたリリィが、焦りと疲労で十歳も老け込んだような顔で震えていた。
もはやそこには、かつての愛らしさなど微塵もない。
「アリシア! 冗談は終わりだ! さあ、すぐにそのふざけた格好をやめて、あのメガネをかけろ! 地味な茶色のドレスを着て私の後ろに従え! 戻ってきて以前のように働くなら、また私の婚約者に戻ることを許してやる!」
エドワードの傲慢極まりない、救いようのない絶叫。
それを遮ったのは、アリシアの細い肩を引き寄せ、力強く抱き寄せたゼノス王太子だった。
「私の婚約者に、汚らわしい声をかけるな。アステリアの凡夫よ」
ゼノスが放つ、大国の後継者としての圧倒的な覇気と威圧感。
それに気圧されたエドワードは、無様に尻餅をついた。
「彼女は、君が『地味だ』と捨ててくれたおかげで、ようやく自分を縛っていた枷を捨て、真の輝きを取り戻した。感謝するよ。君が眼科医へ行く必要のあるほどの、類稀なる【節穴の審美眼】の持ち主で、本当によかった」
ゼノスの勝ち誇った、そして底冷えするような嘲笑が、湖畔に響き渡った。
◆〜第四章:輝きの先に〜◆
エドワード王子とリリィに待ち受けていたのは、想像を絶する没落だった。
アリシアという国の【盾】と【頭脳】を自ら放り出した報いは、瞬く間にアステリア王国の王宮を呑み込んだ。
底をついた国庫、荒れ果てた領土。
それらすべての責任を追及されたエドワード王子と、贅沢の限りを尽くした共犯者リリィは、王家の資産を使い果たした大罪によって王位継承権を剥奪され、失脚した。
さらに追い打ちをかけたのは、隣国の至宝──すなわちルーン王国の次期王妃となるアリシアへの数々の侮辱罪だった。
ゼノス王太子が突きつけた厳重な抗議により、彼らは平民へと落とされ、かつてアリシアが強要されていたような、地味で過酷な労働に従事することになったのである。
泥にまみれ、色褪せた粗末な服を纏い、終わりのない重労働に明け暮れる日々。
「こんなはずではなかったのに!」と嘆くエドワードの傍らで、爪を割り、髪を振り乱して働くリリィに、もはやかつての“天使“の面影はどこにもなかった。
彼らは一生をかけて、自分たちが踏みにじった『灰色』の日々の重さを思い知ることになったのだ。
一方、アリシアはルーン王国へと渡った。
彼女が国境を越えた日、ルーンの民はこぞって道端に集まり、花びらを撒いて彼女を歓迎した。
そこには、彼女を“地味“と蔑む者など一人もいなかった。
数ヶ月後、挙行された結婚式は、歴史に永遠に刻まれるほど華やかで、慈愛に満ちたものとなった。
王都の大聖堂。
ステンドグラスから降り注ぐ七色の光に包まれ、アリシアは実母が残した以上の、最高級のレースと真珠をあしらった純白のドレスに身を包んでいた。
長い睫毛に縁取られた紫水晶の瞳は、もう何にも遮られることなく、誇らしげに輝いている。
「アリシア。君はメガネをかけていても、いなくても、私の最愛だ。君がどのような姿であれ、私は君という魂を見つけ出しただろう」
式典の最中、ゼノスが彼女の耳元で甘く、熱い吐息と共に囁いた。
「だが、世界を魅了する君のその瞳を、一番近くで独占できるのは……やはり私の特権だね」
ゼノスはそう言うと、アリシアの瞳を覆うように、薄い絹のヴェールを優しく押し上げた。
アリシアはもう──俯かない。
レンズ越しに歪んだ世界を見ていた臆病な少女はもうどこにもいなかった。
彼女は今、真っ直ぐに愛する人を見つめ、幸せに満ちた微笑みを返した。
誓いのキスが交わされた瞬間、ルーン王国中に祝福の鐘が鳴り響いた。
アリシアはその後、持ち前の実務能力と深い慈愛をもって国を支え、民からも夫からも深く深く敬愛された。
自分を愛し、その真価を正しく認めてくれる最高の伴侶の隣で、彼女は世界で一番美しい『真珠の王妃』として、いつまでも、いつまでも眩いばかりに輝き続けた。
〜〜〜fin〜〜〜
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