第9話
六式家の本邸は、東京の郊外、広大な森の中に隠されるようにして建っている。
結界によって地図から消されたその場所は、現代日本とは思えないほど古風で、重苦しい空気に満ちていた。
砂利を踏む音だけが響く枯山水の庭。
数百年の樹齢を誇る松の木。
そして、威圧的にそびえ立つ純和風の屋敷。
僕は学校(もちろん分身に行かせている)から帰宅するなり、奥座敷へと呼び出されていた。
廊下ですれ違う使用人たちが深々と頭を下げる。
彼らは僕を「坊ちゃん」とは呼ばない。「虚様」と呼ぶ。
それは敬愛の証ではなく、核弾頭に対する恐怖と慎重さが混じったような響きだ。
「……失礼します」
僕は重い襖を開け、父の部屋へと入った。
二十畳はある広い和室。その上座に一人の男が座っている。
六式 厳道。
当代の六式家当主であり、僕という「最高傑作」を作り上げた張本人だ。
彼は文机に筆を走らせていたが、僕が入ると手を止め、鋭い視線を投げてきた。
ただの視線ではない。物理的な圧力を伴う眼光だ。
並の能力者なら、これだけで失神するだろう。
「……座れ、虚」
「はいはい」
僕は胡座をかいて座布団に座る。
親子水入らずの団欒という空気ではない。これは「報告会」であり「査定」だ。
「昨夜、高速道路で騒ぎがあったそうだな」
父が静かに切り出す。
「マジェスティックから新型の玩具(13mm拳銃)を受け取り、ついでに京都からの脱走者を処理した。……違うか?」
「あー、もう聞いたの? 耳が早いねー」
僕は肩をすくめる。
八咫烏への報告はまだ上げていないはずだが、この親父の情報網は相変わらず底が知れない。
あるいはジェームズあたりが、恩を売るためにリークしたか。
「京都の不始末を尻拭いしたんだ。褒めてくれてもいいんじゃない?」
「ふん。Tier 2の鬼ごとき、お前にとっては散歩のついでだろう」
父は興味なさそうに鼻を鳴らす。
彼にとって、僕が怪物を倒すのは「呼吸をする」のと同じくらい当たり前のことらしい。
だが、次の言葉で空気が変わった。
「私が聞きたいのは鬼のことではない。……その後に会った『客』のことだ」
「……!」
「御言家の本家筋。……その術式をコピーしたな?」
ズズッと父が茶を啜る音が、やけに大きく響いた。
バレている。
僕の『万象模倣』のストックが増えたことすら、この男は見抜いているのか。
「……うん。まあね。可愛い狐のお面をつけた女の子だったよ。強烈なのを一発貰ったから、解析して頂いた」
「うむ。……貴重な能力だ」
父が湯呑みを置く。
その顔に、微かに満足げな色が浮かんだ。
「御言家の『本家の呪言』は門外不出の秘術。本来なら六式家といえど手が出せぬ領域だ。それを手に入れたとなれば、お前の手札はまた一つ最強へ近づいたことになる」
デッキか。
この親父も大概、僕をゲームのキャラクターか何かだと思っている節がある。
まあ、利害が一致しているうちはいい父親だ。
「そこでだ、虚。……先祖伝来の『コピー能力の応用』をお前に伝えようと思うてな」
父の言葉に、僕は眉をひそめた。
「応用?」
六式家は、数百年かけて「コピー能力者」を生み出そうとしてきた一族だ。
僕の前にも、不完全ながらコピー能力を持った先祖は何人かいたらしい。
彼らが積み上げたノウハウ。それは確かに興味がある。
「うむ。お前も知っての通り『万象模倣』には欠点がある。……コピーした能力は時間経過と共に劣化し、やがて消滅する」
「まあね。最初は数時間だった」
僕は自分の掌を見つめる。
赤ん坊の頃は数時間。3歳で一日。
そして8歳の今は、約7日間(一週間)まで保持できるようになっている。
成長と共にメモリ容量が増えている証拠だ。
「僕は今7日以上持つけどね。十分じゃない?」
「お前が例外なだけだ。過去の『失敗作』……もとい先人たちは、数分から数時間しか持たなかった」
父は淡々と言う。
失敗作ね。相変わらず冷酷な言い草だ。
「だが数時間では使いづらい。実戦で『あの技を使いたい』と思った時に、既に期限切れでは話にならん。……そこで祖先はどうやってそれを回避していたと思う?」
「えー、分からないなぁ。魔力を注ぎ続けて延命するとか?」
「否。それも試したが効率が悪すぎた」
父は指を一本立てる。
「正解は……『回数制限』を設けることだ」
「回数制限?」
「うむ。『あと10回しか使えない』、あるいは『あと5回しか使えない』と魂に誓約を刻み込むのだ。そうすることで時間による揮発を防ぎ、保存期間を1ヶ月、1年、あるいは12年と、劇的に伸ばすことが出来る」
僕は目を見開いた。
なるほど。
ゲーム的に言えば「時間制限付きスキル」を、「回数制限付きアイテム(消費アイテム)」に変換するということか。
「へー、そりゃいい。貴重な能力を保存出来るわけだ」
これは革命的だ。
例えば、滅多に出会えないレアな怪異の能力や、今回のような「二度と会えないかもしれない強敵」の能力。
これらを7日で失うのは惜しい。
だが「あと3発だけ撃てる切り札」として倉庫にしまっておけるなら、戦略の幅は無限に広がる。
「そういうことだ。すでに7日持つお前には不要かと思っていたが……貴重な『呪言本家』の能力となれば話は別だ。あれは京都に行かねば補充できんからな」
「確かに。あの子、次は殺しに来るって言ってたし、簡単に再コピーさせてくれそうにないしね」
僕はニヤリと笑う。
あの強烈な『平伏せ(ひれふせ)』。
あれをここぞという時の切り札として、大事にとっておける。
「了解。じゃあ、その方式で保存を試みるよ」
「うむ。やり方はこうだ。……脳内の魔力回路に意図的に『詰まり』を作る。ダムのようなものだ。そこに術式を封じ込め、発動のたびに水門を開くイメージを持て」
父から教わった具体的なイメージ操作法に従い、僕は脳内メモリにアクセスする。
現在ストックされている『御言流・呪言』のデータ。
これを揮発性のメモリ領域から、固定化されたストレージ領域へ移動。
その代償として、アクセス権に制限をかける。
【使用可能回数:残り10回】
【保存期間:無期限】
カチッ。
脳内でロックがかかる音がした。
成功だ。能力のアイコンが、灰色から金色に変わった(ような気がした)。
「出来たよ。10回限定の必殺技だ」
「よし。……ならば次はその中身。『呪言』そのものについての勉強もしようか」
父は満足げに頷き、姿勢を正した。
ここからが本題らしい。
「呪言かぁ。……あれ、そんなに勉強することある?」
僕は小首をかしげる。
「だって言ったことを実現する能力だろ? 『死ね』と言えば死ぬ。『燃えろ』と言えば燃える。どうみても強能力じゃん。工夫も何もなくない?」
実際、僕は分家の呪言を使って、格上の相手をハメ殺してきた。
シンプル・イズ・ベスト。最強の初見殺しだ。
「甘いな、虚」
父はピシャリと言い放った。
「お前が戦ってきたのは、所詮Tier 3以下の雑魚どもだ。……Tier 2、Tier 1の世界において、呪言とは『制限の塊』のような技術なのだ」
「制限?」
「うむ。考えてもみろ。……魔法を発動するプロセスを」
父は指を折りながら解説を始める。
「まず第一に『考える(思考)』。1アクション」
「うん」
「次に『口に出す(発声)』。2アクション」
「まあ、そうだね」
「そして、その言葉が『対象に届く(伝達)』。3アクション」
父はそこで言葉を切り、鋭い目で僕を見た。
「そして言葉とは『音』だ。……音の速度は?」
「マッハ1。約340メートル毎秒」
「そうだ。……だがな虚。戦闘において『音速』は、超一流にとっては遅すぎるのだ」
ハッとした。
遅すぎる。
言われてみれば、そうだ。
僕が模擬戦をしているソウジさん。彼は『縮地』を使う。その初速は、もはや目で追えるレベルではない。
マジェスティックの強化人間たち。彼らの反応速度は、神経加速によって0.0数秒の世界にある。
そしてTier 1クラスの怪物たち。彼らは、物理的に音速を超えて移動することさえある。
「あー、なるほど?」
僕は頭の中でシミュレーションする。
距離10メートル。
僕が「死ね」と言う。
①僕が死ねと念じる(0.1秒)。
②僕が口を開いて発音する(0.2秒)。
③音が空気を伝わって、相手の耳に届く(約0.03秒)。
合計0.33秒。
これに対し、音速で動ける敵なら?
0.33秒あれば、10メートルの距離を詰めて、僕の首を切り落とし、納刀まで終えられる。
「……3アクション+最高速度で音速だから、隙だらけだと」
「そういうことだ。視線で発動する魔眼や、念じるだけで発動する無詠唱魔法に比べて、呪言は『音』という物理現象を介する分、致命的なラグ(遅延)が発生する」
ラグ。
ゲーマーとして一番嫌いな言葉だ。
どんなに威力が高い攻撃も、当たらなければ意味がない。
相手に届く前に自分が死んでいたら、判定負けだ。
「つまり弱い?」
「うむ。純粋な速度勝負においては弱いな」
父は断言した。
だが、その口元には意地悪な笑みが浮かんでいた。
「……ただし。呪言は、その『弱さ』を逆に『縛り』として利用することで、能力の強度を確保しているのだ」
「縛り?」
「そうだ。魔術の基本原則だ。『手順が面倒であればあるほど、効果は高まる』」
父は湯呑みを指でなぞる。
「『わざわざ声に出さなければならない』。『音が届かなければ効果がない』。『耳が聞こえない相手には効きづらい』。……これらの制約を背負うことで、呪言は因果律に対して強力な強制力を生む」
なるほど。
ハンター×ハンターの念能力や、呪術廻戦の縛りのようなものか。
リスクを負うことで、リターン(威力)を最大化する。
「だからこそ当たれば必殺なのだ。……昨夜の少女の『平伏せ』もそうだったろう? お前はそれを聞くしかなかった。聞こえてしまった時点で、お前の魂は『命令に従う』という契約書にサインさせられたも同然なのだ」
思い出す。
あの時身体が勝手に反応した感覚。
あれは物理的な攻撃ではない。脳のOSを外部からハッキングされたような強制力だった。
「音速の壁を超えられないという弱点は、裏を返せば『音が届く範囲なら絶対的な支配権を持つ』という強みになる。……使い所を見誤るなよ、虚」
父の忠告。
つまり、超高速戦闘の真っ只中で使う能力ではない。
相手の足を止めたり、不意打ちで聞かせたり、あるいは至近距離で叩き込むための「切り札」として使うべきだと。
「了解。……勉強になったよ。さすが家元」
「ふん。伊達に当主はやっておらん」
父はそっぽを向いたが、まんざらでもなさそうだ。
さて、話はこれで終わりかと思ったが、僕にはもう一つ、どうしても聞いておきたいことがあった。
「ねえ、親父」
「なんだ」
「呪言を極めたら……その先には何があるの?」
僕は探るように問う。
御言家の本家。
彼らは、ただ人を操るだけの能力者なのか?
言峰さんが言っていた。「管理権限でシステムを書き換える」と。
それはもっと恐ろしい領域の話ではないのか。
父の目がスッと細まった。
部屋の空気が、さらに重くなる。
「……Tier 0(規格外)の話か」
Tier 0。
アークに属する20人の神々。
国家戦略級すら超えた、惑星規模の災害。
「Tier 0に至った呪言使いはな……。ある出来事を『無かったこと』にしたり、逆に『有ったこと』にすることも出来る」
「……は?」
「文字通りだ。物、人、そして『歴史』に直接呼びかけるのだ。『実際はこうだったのだ』とな」
僕は絶句した。
歴史改変。現実改変。
「死ね」と言って殺すレベルじゃない。「お前は生まれてこなかった」と言えば、その存在が最初から消滅するということか?
「例えば、飛んできたミサイルに対して『それは不発弾だ』と言えば、火薬の化学組成そのものが書き換わり、鉄の塊と化す。死んだ人間に対して『まだ生きている』と言えば、因果が逆転して蘇生する」
「……デタラメだね」
「ああ、デタラメだ。もはや『音』すら関係ない。彼らの言葉は、世界を記述するプログラミングコードそのものなのだから」
恐ろしい能力だね。
歴史改変も出来るわけだ。
僕が目指している「最強」のゴール地点には、そんな化け物たちが、うじゃうじゃいるのか。
「Tier 0は正真正銘、神々だからな……。アークの連中がなぜ世界に干渉しないか分かるか? 彼らがうっかり『あーあ、世界なんて滅びればいいのに』と呟いただけで、それが実現してしまうからだ」
父は重々しく告げた。
だから彼らは沈黙する。
力がありすぎるが故に、何も出来ない。
それはそれで、不自由な話だ。
「……ま、僕にはまだ関係ない話か」
僕は立ち上がった。
まだ僕は8歳。Tier 1にも届いていない発展途上だ。
神の領域を心配する前に、まずは目の前のTier 2やTier 3をどう料理するかを考えるべきだ。
「おかげで良いヒントを貰ったよ。この『10回限定の呪言』……大事に使わせてもらう」
「うむ。精進せよ。……それと学校の宿題も忘れるなよ」
「分身に言っとく」
僕は手を振って部屋を出た。
廊下を歩きながら、僕は自分の脳内ストレージを確認する。
金色に輝く『御言流・呪言(残り10回)』のアイコン。
そして、新しく理解した「音速の壁」という弱点と「歴史改変」という可能性。
(音速が遅いなら……音が届く前に、相手の耳元に『音の発生源』を転移させればいいんじゃないか?)
ふと、そんなアイデアが浮かぶ。
『空間転移』と『呪言』のコンボ。
あるいは、『無音領域』の結界内で、骨伝導だけで声を届ける暗殺術。
アイデアは尽きない。
弱点があるなら、それを埋めるパズルを組めばいいだけだ。
「……ふふっ」
楽しくなってきた。
この世界は、知れば知るほど奥が深い。
攻略しがいのある「神ゲー」だ。
僕はスキップ混じりに廊下を進んだ。
その背後で、六式家の重厚な歴史が、静かに僕を見守っているような気がした。




