第7話
地下訓練場『鳥籠』。
無機質なコンクリートの壁に囲まれたその空間は、今日も今日とて暴力と魔力の坩堝と化していた。
僕の目の前には三人の男たちが立っている。
いずれも八咫烏の実働部隊に所属する、Tier 3(戦術級)のエージェントたちだ。
肉体強化のスペシャリスト、炎熱使い、そして速度重視の短剣使い。
バランスの取れたパーティだ。まともにやり合えば、8歳の子供一人を制圧するなど造作もない戦力差だろう。
――まともにやり合えばの話だが。
「始めッ!」
審判の合図と同時、三人が動く。
まずは肉体強化の男が正面から突っ込み、左右から炎と短剣が挟撃を仕掛けてくる。教科書通りの連携だ。
僕はポケットに手を突っ込んだまま、あくびを噛み殺すように口を開いた。
魔力回路を喉に集中させる。
声帯を震わせるのではなく、意味を現実に刻み込む。
「――【動くな】」
ピタリ。
空間が凍りついたかのように、三人の動きが停止した。
金縛りではない。脳からの電気信号が筋肉に届く手前で、強制的に遮断されたのだ。
彼らの表情が驚愕に染まる。
勢いよく踏み出した足が、空中で静止している。
効果時間はせいぜい1秒から2秒。
Tier 3クラスの魔力抵抗があれば、すぐに呪縛を振りほどける。
だが。
音速を超えて交錯する超人同士の戦闘において、「1秒の完全停止」が何を意味するか。
それは「死」だ。
「はい、一人目」
僕は動けない肉体強化の男の懐に、悠々と歩いて潜り込む。
無防備な腹部。
そこに『身体強化』で硬度を増した拳を、腰の回転を乗せて叩き込む。
ドゴォッ!!
「がはッ……!?」
男の体がくの字に折れ、砲弾のように後方へ吹き飛ぶ。
呪縛が解けた瞬間には、もう彼は戦闘不能だ。
「なっ、貴様……!」
左右の二人が拘束を破って動き出す。
炎熱使いが掌を向け、短剣使いが踏み込む。
遅い。
僕のターンは、まだ終わっていない。
僕は短剣使いの方を向き、再び言葉を紡ぐ。
「――【動くな】」
ギギッ。
短剣使いの体が、見えない鎖に縛られたように急停止する。
慣性の法則すら無視した強制停止に、彼自身の関節が悲鳴を上げる。
「次は念動力で」
僕は指先を振るう。
停止して無防備になった彼の体を、見えない巨大な手で掴み上げ、天井へ向かって放り投げ、そして床に叩きつける。
ビターンッ!!
受け身を取る暇もない。彼は白目を剥いて沈黙した。
「く、くそっ! 化け物が!」
残った炎熱使いが恐怖に顔を歪めながら、最大火力の炎を練り上げる。
広範囲焼き尽くし攻撃。
だが、その術式が完成するよりも僕の唇が動く方が速い。
「――【動くな】」
三度目の呪言。
炎熱使いの動作が止まる。練り上げていた炎が制御を失って霧散する。
「ラストは雷撃をぶちかます」
僕は右手を掲げる。
昨日コピーした『雷属性魔法』。
バチバチと紫電が弾ける。
相手は動けない。回避も防御もできない、ただの『的』だ。
「あ、あが……ッ!」
「バイバイ」
ドォォォォォン!!
落雷。
直撃を受けた男が黒焦げになって(死んではいない、手加減した)倒れ伏す。
戦闘終了。タイム5秒。
僕はパンパンと埃を払い、倒れている三人の先輩たちを見下ろした。
「……うん。『呪言』を起点に攻撃出来るの、やっぱ万能だなー」
僕は独りごちる。
これはいわゆる「ハメ技」だ。
格ゲーで言えば、ガード不能のスタン技からコンボを叩き込んでいるようなもの。
相手がどれだけ格上でも、どれだけ強力な能力を持っていても、発動さえさせなければただの肉塊だ。
「まあTier 2以上になると、抵抗される可能性はあるけど……」
精神力が高い相手や、防音の術式を展開している相手には効きづらい。
だが、それでも一瞬の隙は作れる。
相手の思考を一瞬でも「呪いの解除」に割かせれば、その隙に僕の『万象模倣』で最適化した超火力を叩き込めばいい。
まさに初見殺しの最強戦術だ。
***
「おいおい……また派手にやったな、虚」
呆れた声と共にタオルを投げて寄越したのは、顔馴染みのエージェント・言峰だった。
彼は20代の優男で、口元を隠すようなスカーフを巻いている。
彼もまた『呪言』の使い手だ。
「サンキュ。……言峰さんの呪言も、これくらい効けばいいのにね」
「無茶言うなよ。俺のはあくまで『暗示』レベルだ。お前のみたいに因果律に直接命令するような、デタラメな出力は出せねぇよ」
言峰は苦笑いしながら、ドリンクバーの烏龍茶を啜った。
「大体お前、その呪言のオリジナル、どこで拾ってきた? 俺ら東京の『分家』の人間じゃ、そこまでの威力は出せないはずだが」
「ん? そこの辺で野良の呪言使いからコピーして、自分で改造(魔改造)しただけだよ」
そう。
『呪言使い』という能力者は、実は東京にもクソ多い。
だがその大半はTier 4やTier 3止まりだ。
「眠れ」と言えば相手が少し眠くなる程度。「転べ」と言えば足がもつれる程度。
決定打にはなり得ない。
なぜなら彼らは全員『分家』の人間だからだ。
「本家は京都だっけ?」
僕が聞くと言峰は、神妙な顔で頷いた。
「ああ。京都の『御言家』。……あそこは別格だ」
御言家。
古来より朝廷に仕え、言葉一つで鬼神を鎮め、あるいは政敵を呪殺してきた、日本最古の呪術一族の一つ。
東京にいる呪言使いたちは、そこから枝分かれした薄まった血脈の末裔に過ぎない。
「分家の連中は雑魚だし、僕の魔力ならほぼ無効化出来るけど……本家は強いからなぁ」
「強いなんてもんじゃねぇよ。俺も一度だけ本家の当主代行を見たことがあるが……」
言峰が声を潜める。
「あいつら、呼吸をするように呪うぞ。存在そのものが『命令権』を持ってるようなもんだ。俺たちがPCにコマンドを入力しているとしたら、あいつらは管理者権限でシステムを書き換えてる」
「へえ……」
そそられる話だ。
僕の『万象模倣』は見たものをコピーする。
だがコピー元の質が高ければ高いほど、そこから最適化される僕の能力も跳ね上がる。
分家の劣化コピーをベースに改造するより、本家のオリジナルをコピーした方が手っ取り早く最強に近づけるはずだ。
「本家の人、会ったことないな。コピーしたいけど」
「やめとけ、死ぬぞ。……いや、お前なら死なないかもしれんが、社会的に抹殺される」
「そんなに違う?」
「違うな。抵抗はほぼ無理だし、何より……あいつらは『京都から出ない』」
言峰の言葉に、僕は頷いた。
そう。それが最大の問題だ。
「そうそう、ほぼ出ないね。引き籠りだよね」
「引き籠りというか護り神だからな。京都という土地そのものが巨大な結界であり、彼らのテリトリーだ。彼らはそこから動かないし、余所者が入ってくるのも嫌う」
日本の能力者社会は、大きく二つの勢力圏に分かれている。
政治と経済、そして『八咫烏』が支配する現代的で合理的な「東京」。
伝統と格式、そして『古き一族』が支配する閉鎖的で魔術的な「京都」。
僕たち八咫烏のエージェントにとって京都は、一種の「治外法権」だ。
うかつに手を出せば、政治問題どころか呪術戦争に発展しかねない。
「ちぇっ。つまんないの」
僕はストローで、空になったグラスの氷をかき回した。
本物の呪言、手に入れたいなぁ。
「死ね」と言ったら相手が死ぬ。それくらいシンプルで絶対的な力が欲しい。
今の僕の「動くな」も便利だが、まだ工夫の余地がある。
***
「それはともかく、何か面白いこと起きないかなぁ」
僕はソファに深く沈み込み、天井を仰いだ。
最近マンネリ気味だ。
Tier 3の妖魔や分家の能力者相手の模擬戦では、もう経験値(刺激)が足りない。
僕のスノーボール式の成長速度に、環境が追いついていないのだ。
「ほら、東京にTier 2が出るとかさぁ。出たら大騒ぎだろ? 怪獣映画みたいで楽しそうじゃん」
「縁起でもねぇこと言うなよ!」
言峰が顔を引きつらせた。
Tier 2。『国家戦略級』。
単体で軍隊一個大隊と渡り合える、正真正銘の化け物。
僕が先日模擬戦で戦ったソウジさんや、念鉄の爺さんがこの領域にいる(爺さんは全盛期ならだが)。
「出ないよなぁ、東京には」
「そりゃそうだ。東京に出るのはTier 3が限界じゃない?」
近くで聞いていた情報分析官の女性が、会話に入ってきた。
彼女はタブレット端末を見せながら解説する。
「高ランクの怪異や強力な逸れ能力者ってのは、実はTier 3とTier 2の間に『知能の壁』があるのよ」
「知能の壁?」
「そう。Tier 3までは本能で暴れる獣が多い。だから人口が多くて魔力が豊富な東京に、蛾が光に集まるみたいに寄ってくる」
ふむ。
僕が夜な夜な狩っている小鬼や下級吸血鬼なんかは、まさにそれだ。
食欲と破壊衝動だけで動いている。だから罠にも嵌めやすいし、狩りやすい。
「でもTier 2以上は違う。奴らは知能も高いし、学習能力がある。……自分たちが『狩られる側』になるリスクを理解してるのよ」
女性分析官は、東京の地図を指差す。
「東京には八咫烏の本部がある。Tier 1級の猛者たちが常駐し、Tier 0に近い『六式家の最高傑作』みたいな規格外もいる。……そんな激戦区に賢い怪物がノコノコ出てくると思う?」
「……思わないね」
「でしょ? 奴らは徒党を組んで、八咫烏の目が届きにくい地方の山奥や廃村にコロニーを作る。そこで力を蓄えたり、独自の社会を作ったりしてるのよ」
なるほど。
一般能力者には完結ない話だね。
彼らが相手にするのは、あくまで「迷い込んできた獣」だけ。
賢い敵は、そもそも戦いの土俵に上がってこない。
「つまんないなぁ。賢いなら賢いで、挨拶くらいしに来ればいいのに」
「来たらテロだよ。東京が大パニックになるわ」
Tier 2の集団が東京を襲撃。
想像するだけでワクワクするが、八咫烏としては悪夢だろう。
インフラは破壊され、経済は停止し、一般人の死傷者は万単位になる。
僕が「守るべき遊び場」が壊れてしまうのは、流石に困る。
「……地方遠征行きたいなぁ」
僕はポツリと呟く。
東京が安全地帯すぎるなら、こっちから危険地帯に出向けばいい。
東北の山奥とか、四国の秘境とか、Tier 2が巣食っていそうな場所はいくらでもあるはずだ。
そこに行けば、見たことのない能力や手強いボスキャラに会えるかもしれない。
「でも東京守護しないとダメだからねぇ」
僕は自分の置かれた立場を思い出して、ため息をつく。
僕は「八咫烏の切り札」だ。
おいそれと東京を離れることは許されない。
「日本は東京に集中してるからね。政治も経済も能力者戦力も」
「そうよ。東京落とされたらまずいから、戦力も東京近辺に固まってるし」
言峰が頷く。
これが日本の防衛ドクトリンだ。
『東京一点集中防御』。
地方はある程度犠牲にしても(あるいは地方組織に任せても)、心臓部である東京だけは鉄壁に守る。
その要が、僕やソウジさん、そして念鉄の爺さんのようなトップランカーたちだ。
「京都除くだけどね」
「ああ。京都は京都で勝手に守ってるからな」
京都には御言家をはじめとする古き一族がいる。
彼らは八咫烏の指揮下にはないが、自分たちの土地は自分たちで守るだけの戦力を持っている。
だから日本には事実上二つの「聖域」があることになる。
近代的な要塞都市・東京。
魔術的な結界都市・京都。
その間にある地方都市は……まあ運が悪かったね、という話だ。
「……ねえ言峰さん」
「なんだ?」
「もしさ。地方で『Tier 2の群れ』が蜂起して東京に進軍してきたら、どうなると思う?」
「やめろよ、怖い想像させるな。……まあ八咫烏が総力を挙げて迎撃するだろうが、甚大な被害が出るだろうな」
言峰は身震いした。
でも僕は想像してしまう。
そんな事態になれば僕も「東京待機」なんて言っていられない。
前線に出て、思う存分暴れ回れるはずだ。
退屈だ。
平和は素晴らしい。分かっている。
でも、僕の中の「ゲーマー」としての血が、もっと難易度の高いクエストを求めている。
今の東京は、レベル99の勇者が「スライム狩り」をしているようなものだ。
作業としては楽でいいが、魂が燃えない。
「……そろそろイベント発生しないかな」
僕はグラスに残った氷をガリガリと噛み砕いた。
その音が訓練場に響く打撃音に混じって、消えた。
***
その日の夜。
僕は自宅(六式家の屋敷)の自室で、学校の宿題――もちろん分身がやる予定のものだが、気まぐれに中身を確認していた――を眺めていた。
『わたしのまちのじまんできるところ』
そんなタイトルの作文課題だ。
分身くんは『東京タワーが見えるところ』と、無難なことを書いている。
僕ならなんて書くだろうか。
『強力な結界に守られ、怪異の発生率がコントロールされた世界一安全な箱庭』とでも書くか。先生に呼び出されること間違いなしだ。
ピロン。
スマホが鳴った。
八咫烏の緊急通知ではない。
個人的な裏ルート。マジェスティックのエージェント、ジェームズからのメッセージだ。
『Hey, Boy. 約束のブツ(13mm)の用意ができた。だが渡す前に少し話がある。……面白い情報を手に入れたんだ』
面白い情報。
ジェームズがそんな前置きをする時は、大抵ろくでもないことだ。
だが今の僕にとっては、「ろくでもないこと」こそが一番のご馳走かもしれない。
『場所はいつものカフェで。……ああそれと』
メッセージの続きに、僕は目を細めた。
『西の方(West)から妙な風が吹いている。Tierの変動に注意しろ』
西。
それは京都を指しているのか、それとももっと別の何かか。
あるいは僕が待ち望んでいた「賢い怪物たち」の動きか。
僕はスマホを閉じ、窓の外の東京の夜景を見下ろした。
煌々と輝く光の海。
この平和な箱庭が、壊れる予感。
「……ふふっ」
笑みがこぼれた。
不謹慎? 知ったことか。
僕はヒーローじゃない。最強を目指すプレイヤーだ。
難易度が上がるなら、それは歓迎すべき「アップデート」だ。
「さて、明日は忙しくなりそうだ」
僕は作文用紙をゴミ箱に放り投げ、ベッドに潜り込んだ。
遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。
それはまるで、来るべき祭りの開幕を告げるファンファーレのように聞こえた。




