第6話
8歳になった。小学三年生だ。
ランドセルの革も少し馴染み、教室の空気も低学年の動物園のような騒がしさから、少しだけ社会性を帯びた集団へと変化しつつある時期だ。
周りのガキどもも少しは大人になってきた……か?
いや、やっぱりガキだ。休み時間に廊下を走り回る速度が上がり、掃除用具のホウキを振り回す技術が向上した程度だ。精神年齢の成長曲線は肉体のそれよりも、遥かに緩やからしい。
だが、そんな子供たちの間にもある変化が訪れていた。
それは「色気づく」という現象だ。
「……ねえ六式くん。これあげる」
「……(コクリ)」
「きゃー! 受け取ってくれたー!」
放課後の教室。
僕の席――正確には僕の『分身』が座っている席に、女子たちが群がっている。
手渡されているのは手作りのクッキーや、ファンシーな便箋に入った手紙だ。
僕はその光景を、遠く離れた六本木の高級マンションの一室(分身能力者のアジト)にあるモニター越しに、ポテチを食いながら眺めていた。
「……何やってんだあいつ」
画面の中の分身くんは無表情でプレゼントを受け取り、小さく頷いている。
言葉は発しない。必要最低限の動作のみ。
それが逆に「クール」で「ミステリアス」だと受け取られているらしい。
『六式くんって普段は静かだけど、困ってる時に消しゴム貸してくれたりするよね』
『そうそう! あと掃除の時間に重い机を軽々と運んでくれるし!』
『王子様みたい……!』
女子たちの黄色い声が、高性能マイクを通じて聞こえてくる。
頭が痛い。
僕は分身に「目立つな」とは命令したが、同時に「女の子には優しくしろ」という、元社畜としての最低限のマナーもインプットしておいた。
その結果がこれだ。
「無口なイケメン(顔は六式家の遺伝子のおかげで無駄に良い)」×「さりげない優しさ」=「爆モテ」。
小学生女子の恋心を、鷲掴みにしてしまっている。
(……勘弁してくれよ)
中身が三十代の僕としては、8歳の女の子からの淡い恋心なんて、微笑ましいを通り越して罪悪感しか湧かない。
ロリコンの趣味はないし、そもそも精神年齢が離れすぎている。彼女たちが「りぼん」や「ちゃお」の話をしている時、僕は日経平均株価とTierランキングの変動をチェックしているのだ。話が合うわけがない。
「おい虚ちゃん。お前の分身、またファンレター貰ってるじゃん。アイドルかよ」
横から茶々を入れてきたのは、この部屋の主である売れないミュージシャン――分身能力のオリジナルだ。
彼はギターを爪弾きながら、羨ましそうにモニターを見ている。
「羨ましいなら代わってあげようか? 算数のドリルとリコーダーの練習付きだけど」
「遠慮しとくわ。……で、今月の『契約金』なんだけどさ」
「分かってるよ。振り込んどいた。新しい機材買うんだろ?」
「話が早くて助かるねぇ! 一生ついていくよ、スポンサー様!」
彼は現金な笑顔を見せる。
そう、彼を東京に留め置き、いつでも分身能力を補充できるようにするために、僕は毎月安くない金を払っている。
学校生活を円滑に進めるための必要経費だ。
僕はモニターの電源を切った。
分身くんの青春を見ていると胸焼けがする。
僕にはもっとドロドロとした、大人の世界がお似合いだ。
***
その日の夕方。
僕はスーツに着替え(もちろん子供用だがオーダーメイドだ)、都内某所の高級料亭へと足を運んでいた。
『鳥籠』での訓練も楽しいが、最近は別の仕事が増えてきた。
きっかけは、あの『念鉄の爺さん』こと厳造氏からの紹介だった。
『ワシの昔の馴染みでな。ちょいと厄介な立場にいる先生がおるんじゃが、護衛の手が足りなくてのう。虚お前さんの念動力なら適任じゃろう』
そう言って回されたのが、政治家の護衛任務だ。
それもただの街頭演説の警備ではない。
表沙汰にできない密会や、能力者絡みの利権が絡む、限りなく黒に近いグレーな会合の警護。
今日の現場は料亭『松風』。
手入れの行き届いた日本庭園が見える個室で、日本の政治を動かす重鎮たちが酒を酌み交わしている。
「……目標異常なし」
僕はその個室から100メートル離れた別のビルの屋上にいた。
胡座をかき、膝の上にはタブレット。
そこには料亭周辺の3Dマップと熱源反応が、リアルタイムで表示されている。
僕の任務は『遠距離警護』。
政治家たちのすぐ側に立つSPとは違い、姿を見せずに外敵を排除する仕事だ。
8歳の子供が料亭の中にいたら目立つし、何より「子供を盾にしている」という悪い噂が立つ。だから、このスタイルが一番都合が良い。
(さて今日の敵はどいつだ?)
僕は瞳を閉じる。
視覚を遮断し、代わりに『魔力感知』と『空間把握』の感覚を極限まで広げる。
意識が拡張し、半径1キロメートル以内の全ての動くもの、全ての魔力の流れが、脳内マップにプロットされていく。
料亭の周囲には、八咫烏の護衛たちが結界を張っている。
だがプロの暗殺者というのは、そういう「壁」の隙間を縫ってくるものだ。
――ピクリ。
反応があった。
風上500メートル。ビルの給水塔の陰。
殺気は完全に消している。心音すら制御している。
だが、ライフルのスコープが反射した微かな「因果の歪み」までは消せていない。
(スナイパーか。……弾丸に術式を込めてるな。『風属性・貫通強化』。物理結界をすり抜ける気か)
Tier 3クラスの暗殺者だ。
普通のSPなら反応できない距離と速度。
標的は与党の幹事長、烏丸議員。
パンッ。
乾いた音がした瞬間、既に弾丸は音速を超えていた。
見えない死神の鎌が料亭の薄い障子を突き破り、政治家の眉間へと吸い込まれる――その直前。
「――はいストップ」
僕は指先をクイクイッと動かした。
料亭の庭にある「ししおどし」の水。
それを念動力で操作し、空中で極薄の「水の膜」を展開する。
ただの水ではない。高速回転させた高圧の水流だ。
バシュッ!!
魔弾が水の膜に衝突し、弾道がわずかに逸れる。
弾丸は烏丸議員の髪を数本散らし、後ろの床柱に深々と突き刺さった。
「ななんだ!?」
「襲撃か!?」
個室が騒然となる中、僕は次の一手を打つ。
スナイパーが次弾を装填するよりも速く、僕は屋上の小石を一つ拾い上げ、指で弾いた。
『身体強化』+『念動加速』。
僕が放った小石はレールガンのごとき速度で500メートル先の給水塔へ飛び、スナイパーのライフルのスコープを粉砕し、そのまま肩を撃ち抜いた。
「ぐあっ……!?」
スナイパーが無力化されたのを感知する。
あとは地上に待機させている八咫烏の実働部隊に位置を知らせて、確保させるだけだ。
「任務完了。……ちょろいもんだね」
僕はあくびを噛み殺し、屋上から飛び降りた。
重力を操作し、羽のように軽やかに料亭の庭へと着地する。
***
騒ぎが収まった後、僕は烏丸議員と対面していた。
SPたちが緊張した面持ちで周囲を固める中、白髪の老紳士である烏丸氏は、興味深そうに僕を見下ろしている。
「……まさか噂の『六式家の最高傑作』が、こんな愛らしい少年だったとはな」
「愛らしくて悪かったですね。次はもっと可愛げのない筋肉だるまでも寄越しましょうか?」
僕がぶっきらぼうに答えると、烏丸氏は「カッカッカ」と愉快そうに笑った。
豪胆な人だ。命を狙われた直後だというのに、手元の日本酒を旨そうに啜っている。
「いや礼を言うよ。君のおかげで命拾いした。厳造からの紹介と聞いた時は半信半疑だったが……『見えない盾』というのは心強いものだ」
「仕事ですから。請求書は八咫烏経由で回しておきます」
「ああ弾んでおこう。……ところで虚くんと言ったかな」
烏丸氏は、僕に座るように促した。
政治家特有の、相手を値踏みするような目。だがそこには明確な敬意が含まれている。
「君から見て、今の日本の『防衛力』はどう思うね?」
「……防衛力ですか」
唐突な質問だ。
だが僕は、前世の知識と今の立場からの視点を交えて答える。
「Tier 0の『神々』を除けば、我が国は安泰でしょうね。八咫烏の組織力は世界でもトップクラスだし、個々の能力者の質も高い。特に結界技術と探知能力に関しては、マジェスティックすら凌駕しています」
「ほう。『神々』を除けばか」
「ええ。あの連中は戦略兵器(核)みたいなものですから。抑止力にはなっても、実戦力として数えるのはナンセンスです。大事なのはその下……Tier 1、Tier 2の実働部隊を、どれだけ効率的に運用できるかです」
僕がスラスラと答えると、周囲のSPたちがギョッとした顔をする。
8歳児の口から出る言葉ではないからだ。
だが烏丸氏は、満足げに頷いた。
「その通りだ。だが、その『運用』には金がかかる。能力者の育成、設備の維持、そして君のようなフリーランスへの報酬……。財務省の連中はその辺りのコストを渋りよる」
「インフラへの投資をケチれば、国ごと沈みますよ。……例えば魔石の輸入関税。あれを撤廃すれば国内の魔導具産業が活性化して、結果的に防衛予算の圧縮に繋がるんじゃないですか?」
僕が経済政策にまで口を出すと、烏丸氏は目を丸くし、そして膝を打った。
「痛快だ! まさか8歳の子供から関税の話が出るとはな! ……君、将来は政治家にならんか? 六式家の看板があれば当選確実だぞ」
「お断りします。国会答弁より怪異を殴ってる方が、精神衛生上いいので」
僕は肩をすくめる。
政治家とのパイプは欲しいが、政治家になりたいわけではない。
あくまで僕は「最強の個人」として、自由に動きたいのだ。
「残念だな。だが君のような存在がいること自体が、我が国の希望だ。……頼りにしているよ、『現代最強』」
現代最強。
その言葉にはやはり「Tier 0を除く」という注釈がついている気がして、僕は少しだけ鼻白んだ。
だが、この国の中枢にいる人間から直接頼られるというのは、悪い気分ではない。
権力者の「借り」は、いざという時に金よりも重い通貨になる。
***
仕事を終え、僕は送迎車の中で銀行口座の残高を確認していた。
端末に表示された数字は、同年代の子供が見れば卒倒するような桁数だ。
今回の報酬に加え、先月の討伐報酬、六式家からの小遣い(という名目の研究協力費)。
合計すれば、都内に一軒家が建つレベルの金額が動いている。
「……ふむ。まあ今月も黒字か」
僕は安堵の息を吐く。
金は稼いでいる。だがそれと同じくらい――いや、それ以上に「出費」が多い。
僕が目指す「現代最強」の座。それを盤石にするためには、僕一人の力では足りない。
便利な能力者を囲い込み、東京に留めておくための「維持費」が必要なのだ。
一つは、先ほどの『分身能力者』。
彼には生活費に加え、ライブハウスのノルマ代や機材費まで支援している。彼がいなくなれば、僕は明日から学校に行かなければならなくなる。それは死活問題だ。
そしてもう一人。
最近新たに囲い込んだ重要な能力者がいる。
『あ、もしもし虚くん? 今月の入金確認したよー! ありがとね!』
スマホをかけると、能天気な声が返ってきた。
相手は20代のニート……もとい自称・空間デザイナーの男。
能力は『異空間収納』。
彼は戦闘能力こそ皆無だが、その収納容量は桁外れだ。
4トントラック数台分の物資を亜空間に放り込んで、手ぶらで運べる。
僕は彼と契約し、僕専用の「武器庫」としての役割を担ってもらっている。
「頼んでた『アレ』確保できた?」
『バッチリだよ! 海外のブラックマーケットから仕入れた対妖魔用の銀製ナイフセットに特殊閃光手榴弾。あと君が欲しがってたアメコミの限定フィギュアも入れといたよ』
「フィギュアは余計だけど……まあいいや。助かる」
『いやー虚くんのおかげで、働かずにレアアイテム収集に没頭できるよ。最高のパトロンだね!』
彼は笑う。
こいつも金がかかる男だ。レアな魔導具やアイテムを収集する趣味があり、その購入資金を僕が援助する代わりに、僕の武器弾薬を管理してもらっている。
『分身(身代わり)』と『収納(補給線)』。
この二つは最強を目指す上でマスト(必須)だ。
いくら僕が強いと言っても、物理的に学校と戦場を往復し、大量の武器を持ち歩くのは不可能だ。
彼らのような「非戦闘員だが有用な能力者」は、放っておけば地方に埋もれるか、マジェスティックのような海外組織に引き抜かれてしまう。
だから僕が金で縛る。東京に留め置き、僕の手足として機能させる。
「……金がいくらあっても足りないな」
僕はこめかみを揉んだ。
政治家との会話で偉そうなことを言ったが、僕自身の懐事情も、自転車操業とまでは言わないが、決して余裕しゃくしゃくというわけではない。
もっと稼がなければ。もっと強い敵を倒し、もっと太いパイプを作り、この東京という街を、僕にとって都合の良い「狩り場」に作り変えなければ。
車窓の外、東京の夜景が流れる。
その光の一つ一つが、金に見えてくる。
「田中、次の予定は?」
「はい。本日は金曜日ですので、明日は土曜日で学校はありませんが、八咫烏からTier3妖魔の討伐依頼が入っております。場所は奥多摩の山中」
「Tier3か。報酬は?」
「推定で三百万ほどかと」
「安いな。……まあいい、行くよ。新しい能力のテストもしたいし」
僕はシートに深く体を沈めた。
8歳児の悩みとは思えない、金と戦力とスケジュールの管理。
だが不思議と苦ではない。
前世の社畜時代、誰かのためにすり減らしていた命を、今は「自分の野望」のためだけに使っている。
その充実感だけは、何物にも代えがたい。
「……さて、帰ったら宿題(分身にやらせたやつ)のチェックでもするか」
最強への道は一日にして成らず。
地味な資金繰りと地道な人脈作り。
そして何より圧倒的な暴力。
その全てを完璧にこなしてこそ、僕は『贋作の神様』として君臨できるのだ。




