第10話
9歳になった。小学三年生だ。
世間一般の同級生たちがリコーダーの指使いや、割り算の筆算に苦戦している頃。
僕は地下訓練場『鳥籠』で、もっと複雑で命に関わる計算式と格闘していた。
「――らぁッ!!」
「遅い」
ドォォォォォン!!
爆音。
目の前から迫ってきたのは、Tier 3の『爆炎使い』のエージェントだ。
彼が放った火球が、僕の目の前数センチで見えない壁に阻まれて弾け飛ぶ。
「なっ、またか!? 直撃コースだったぞ!」
「惜しいね。タイミングは完璧だったけど、貫通力が足りないよ」
僕はポケットに手を突っ込んだまま、一歩も動かずに攻撃を受け流した。
煤汚れ一つついていない。
僕の周囲50センチ。そこには今、極薄だが高密度の『念動力障壁』が展開されている。
「囲め! 障壁の維持で手一杯のはずだ!」
背後から、別のエージェントが斬りかかってくる。
さらに頭上からは、風使いによる真空の刃が降り注ぐ。
三方向からの同時攻撃。
普通なら、防御を一点に集中させるか、回避行動を取る場面だ。
だが、僕は動かない。
脳内のCPU(思考領域)をフル回転させる。
プロセス1:『念動力障壁』の全方位維持。強度均一化。
プロセス2:敵の位置情報の更新。3Dマップ展開。
プロセス3:反撃術式の構築。選択――『重力操作』。
(……キッつ。脳味噌が焼ける)
こめかみに血管が浮くのを感じる。
防御を維持したまま、別の攻撃魔法を行使する。
口で言うのは簡単だが、これは「右手で円を描きながら、左手で四角を描き、同時に口で般若心経を唱える」ような作業だ。
神経が削れる音が聞こえるようだ。
だが、やる。
「――『排斥』」
カッ!!!!
僕を中心に、紫色の重力波が全方位へ炸裂した。
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
「バリアを張りながら、広範囲攻撃だと!?」
三人のエージェントが木の葉のように吹き飛ばされ、壁に激突する。
勝負ありだ。
「ふぅ……」
僕は大きく息を吐き、額の汗を拭った。
障壁は解除しない。
戦闘が終わっても、呼吸をするように、心臓を動かすように、無意識レベルで『念動力』を維持し続ける。
「……だいぶ馴染んできたな」
最近の課題。
それは『念動力バリアの常時展開』だ。
寝ている時も、風呂に入っている時も、常に薄い膜で全身を覆い続ける。
オート・ガード機能の実装だ。
最初は頭痛が酷くて夜も眠れなかったが、一ヶ月も続ければ脳が適応してきた。
今では意識のリソースを5%程度割くだけで維持できる。
「この状態で他の能力を使いつつ、大出力の能力を使えるようになるのが目標だけど……」
僕は自分の手を見つめる。
さっきの『重力操作』は、威力にして通常の6割程度。
防御にリソースを食われて、攻撃の出力が落ちている。
流石に大出力の能力(Tier 2クラスの極大魔法など)との併用はまだ無理だ。
もしやろうとすれば、脳のヒューズが飛んで廃人コースだろう。
「まあ、名実ともに『最強(仮)』扱いになって来たから、敵はいないけどね」
現状、僕の防御を貫けるのは、Tier 1クラスの猛者か、Tier 2の上位個体くらいだ。
そしてそんな相手が出てきても、僕には『万象模倣』がある。
相手の最強の矛をコピーして、同じ矛で殴り返せばいい。
「……とはいえ、借り物の力じゃ限界があるのも事実か」
僕は苦笑する。
例えばソウジさんの剣術。
動き(モーション)は完コピできる。
だが、彼が何十年もかけて練り上げた『剣気』や『間の取り方』といった、目に見えない経験値(熟練度)までは完全には再現できない。
同じ技を使えば、オリジナルの方が僅かに強い。
だからこそ僕は「複数の能力を組み合わせる(コンボ)」か、「基礎スペックの底上げ」で勝つしかないのだ。
休憩スペース。
僕はプロテイン入りのココアを飲みながら、タブレット端末で「ある極秘資料」を読んでいた。
八咫烏のアーカイブからハッキングした、S級禁書指定の術式理論だ。
『元素体化』。
肉体そのものを、魔力によって構成された「元素」へと変換する奥義。
ONE PIECEで言うところのロギア系能力。
これさえマスターすれば、物理攻撃は完全に無効化される。
斬撃も銃弾も打撃も、すべて僕の体をすり抜けるようになる。
「……難しいな、これ」
僕は眉間にシワを寄せる。
理論は分かる。
自分の肉体の構成情報(DNA、タンパク質、水分)を一度分解し、指定した属性(火、水、雷など)の魔力配列に置換する。
そして意識だけでその形を維持し、必要に応じて肉体に戻す。
一歩間違えれば、人間に戻れずに霧散して死ぬ。
あるいは、意識が元素に溶けて自我が消滅する。
ハイリスク・ハイリターンすぎる技術だ。
「試しに、指先だけ……」
僕は左手の人差し指に集中する。
属性は『雷』。
指の細胞をイメージの中で解きほぐし、電子の揺らぎへと変換する――。
バチッ!!
「ったぁっ!!」
激痛が走った。
指先が焦げている。
変換に失敗し、自分の魔力で自爆したのだ。
すぐに『再生』を発動して治すが、ジンジンとした痺れが残る。
「まだ無理か……」
肉体を捨てるというのは、生物としての根本的な恐怖を乗り越えなきゃならない。
今の僕にはまだ、『念動力バリア』という物理的な盾の方が性に合っているらしい。
「まあ、今はバリアの常時使用が安定してきたし、焦ることはないか」
マスターするべきことは山積みだ。
伸び代があるというのは、ゲーマーとして喜ぶべきことだ。
カンストしてやる事がないよりは、ずっとマシだ。
午後。
僕は訓練場の一角にある、初心者用の講習エリアにいた。
最近僕はここで、新しい「副業」を始めている。
「――はいそこ。イメージが散漫してるよ。もっと魔力を一点に絞って」
「ははいッ! すみません、六式先生!」
直立不動で頭を下げるのは、20歳そこそこの青年だ。
彼は最近覚醒したばかりのTier 4(潜在的脅威)。
能力は『発火能力』だが、制御ができずに自分の服を燃やしてばかりいる落ちこぼれだ。
「君の悪い癖はね、『火を出そうとしすぎてる』ことだ。火は結果であって、過程じゃない」
「ははあ……?」
「見てて」
僕は指を鳴らす。
『万象模倣』発動。
彼の発火能力をコピーし、さらに僕の演算能力で最適化する。
ボッ。
僕の掌の上に、美しい球体をした炎が浮かび上がる。
揺らぎもしない。まるでガラス細工のように安定した炎だ。
「すすげぇ……。俺の能力と同じはずなのに、なんでこんなに綺麗なんですか?」
「酸素の供給量をコントロールしてるからだよ。君はガソリンをぶち撒けて火をつけてるだけ。僕はガスコンロのつまみを調整してる。……この感覚、共有するから覚えて」
僕は炎を彼に近づける。
そして言葉だけでなく、魔力の波長を通じて「制御のイメージ」を直接伝達する。
コピー能力者だからこそできる『模範解答の提示』だ。
普通の教官は「気合だ」とか「丹田に力を」とか抽象的なことしか言わないが、僕は「正解のデータ」を見せることができる。
「あっ……分かった! こういう感じか!」
青年が目を輝かせる。
彼の手元にも、先ほどよりずっと安定した小さな炎が灯った。
「そう、それ。忘れないうちに100回繰り返して」
「はいッ! ありがとうございます!」
青年は感動した様子で、練習に戻っていった。
続いて、隣にいた女子高生(風使いの新人)が手を挙げる。
「六式せんせー! あたしのかまいたち、全然飛ばないんですけどー!」
「君は出力不足。筋トレが足りない。あと風の刃を薄くしすぎ。もっと分厚く、ナタみたいなイメージで撃ってみて」
僕は彼女の能力をコピーし、見本として訓練用マネキンの首をスパンと飛ばして見せる。
「うわエグっ。……でもイメージ湧きました!」
そう。
僕は最近、八咫烏の新人教育係も兼任している。
理由は簡単。
「教えることは学ぶこと」だからだ。
他人の能力をコピーし、それを解析し、より良く使う方法を考える。
そして、それを言語化して伝える。
このプロセスは、僕自身の『万象模倣』の精度を飛躍的に高める。
彼らは生徒であり、同時に僕の実験台であり、生きた教科書でもあるのだ。
それに評判も上々だ。
「六式先生の指導は分かりやすい」
「天才の視点をインストールできる」
と、予約待ちが出るほどの人気講義になっている。
9歳児に頭を下げる大人たちを見るのは、まあ悪い気分ではない。
夕方。
講義を終えた僕はスーツに着替えて、別の現場に向かっていた。
今度は「先生」ではなく、「護衛」の顔だ。
場所は赤坂の高級ホテル。
政財界のVIPが集まるパーティー会場。
僕の護衛対象は、以前命を救った烏丸議員だ。
「やあ虚くん。今日も頼もしいな」
「どうも。……今日は少しきな臭いですね」
僕はシャンメリーのグラスを片手に、会場を見渡す。
煌びやかなドレスやタキシードに身を包んだ人々。
だがその中には、明らかにカタギじゃない「魔力」を纏った連中が混じっている。
海外のマフィアか、あるいは対立政党が雇った傭兵か。
「先生、あまり窓際には立たないでください。今日は『虫』が多い」
「ふむ。分かった」
烏丸氏は素直に下がる。
その直後だ。
パリンッ!!
窓ガラスが砕け散り、数体の黒い影が飛び込んできた。
『式神』だ。
紙や呪符で構成された、人工の暗殺者。
会場に悲鳴が上がる。
「キャアアアア!」
「な、何だあれは!?」
SPたちが拳銃を抜くが、式神の動きは速い。
天井を這い回り、鋭利な爪で烏丸氏に殺到する。
「――おイタが過ぎるよ」
僕はグラスを置くのと同時に、能力を解放した。
「『重力操作』――【ダウン】」
ズドンッ!!
会場の重力が、局所的に10倍に跳ね上がる。
空中の式神たちが、見えない手で叩き落とされたように床にへばりつく。
ビタンッ、ビタンッ!
紙の体が重さに耐えきれず、ベリベリと裂けていく。
「ななんだ!?」
「動けない……!」
式神だけではない。
会場に紛れ込んでいた術者(操り手)たちも、重力に捕まって膝をついていた。
一般客には影響がないよう、ピンポイントで敵対者だけを識別して重力をかけたのだ。
これも日々のマルチタスク訓練の成果だ。
「はい、確保」
僕は指を鳴らす。
床に這いつくばった術者たちの前に、念動力で拘束具(近くにあったカーテンコード)を巻き付け、芋虫のように縛り上げる。
戦闘時間3秒。
グラスのシャンメリーが泡立つ間もない早業だ。
「すすごい……」
「あれが六式家の……」
「現代最強の子供……」
招待客たちの視線が集まる。
畏怖。称賛。そして媚び諂い。
彼らは理解しただろう。
この会場で一番権力があるのは、政治家でも財閥の長でもなく、この9歳の子供なのだと。
「……ふん」
僕は鼻を鳴らす。
この程度の雑魚、コピーする価値もない。
式神使いの術式も、お粗末な三流品だ。
「先生、片付きました。デザートの時間には間に合いますよ」
「カッカッカ! さすがだ。君を敵に回さなくて本当に良かったよ」
烏丸氏が笑いながら、僕の肩を叩く。
帰りの車中。
僕は窓の外を流れる東京の夜景を眺めながら、今日の戦闘データを脳内で反芻していた。
(重力制御の精度は上がってる。マルチタスクも問題なし。……でも)
満足はしていない。
今日の敵は弱すぎた。
Tier 3程度なら、もはや準備運動にもならない。
「……足りないな」
呟く。
僕は「最強(仮)」だ。
周囲は僕を「現代最強」と持ち上げるが、それは僕が『Tier 1の能力をコピーできるから』だ。
つまり、僕の強さは「他人の強さ」に依存している。
もしコピー元がいない無人島で、オリジナルのTier 1と戦ったら?
もし初見で対処不能な『理』を持つTier 0と遭遇したら?
勝てるか?
今のままじゃ怪しい。
「やっぱり『元素体化』は必須だ」
物理無効。
それは防御の最終形であり、人間を辞める第一歩だ。
それを習得して初めて、僕は「借り物の最強」から「真の最強」へと進化できる気がする。
「……帰ったらまた練習するか」
指先の痺れを思い出しながら、僕は拳を握りしめた。
9歳。
人生はまだ長い。
だが世界は、僕が大人になるのを待ってくれないかもしれない。
京都の動き、マジェスティックの干渉、そして未だ見ぬTier 0の神々。
焦燥感と、それ以上の高揚感。
僕はシートに深く体を預け、目を閉じた。
瞼の裏には、いつか到達するべき「完成された自分」の姿が、ぼんやりとだが浮かんでいた。




