覚醒の彩花
「荒ぶる鬼神よ。我の命に耳を傾けよ。汝の忠誠をここに示せ。出でよ、式神」
そう呪文を唱え、血で五芒星を描くと、九条彩花の前に黒色の着物に桃色の羽織を着た少女が立っていた。どこからともなく現れた少女に驚く彩花。少女の方もまた、見慣れない妙な格好をした彩花を見て驚いていた。だが驚きを表したのも一瞬で、鐃藍の方を見据えると全てを理解したかのように彩花に向かい口を開く。
「またこうして会えたこと、嬉しく思います。ですが、今は再会を喜んでいる場合じゃないですね。戦う許可を」
「どういうこと?」
「……? わたくし達式神は、主の許可を得て行動します。この状況から察するに、わたくしは戦う為に呼び出されたんですよね? ならば、早くわたくしに戦う許可をください」
「許可したらあの人と戦うってこと? そんなの駄目! 見た目は変わってるけど、あの人はあたしのお兄ちゃんなの! お兄ちゃんを傷付けないで!」
「人ではありません。あれは鬼です。それに、数年前鬼は何の罪もない人達を殺した。わたくしの主も。許される行いではありません。早く許可を!」
少女は訴えるが、彩花はこれを拒否する。
「駄目! お兄ちゃんを傷付けたらあんたを殺すから!」
「えっ……。それでは、わたくしが呼び出された意味が……」
少女は狼狽える。そんな少女を他所に、彩花は鐃藍の手を取り話しかける。
「誰にもお兄ちゃんには触れさせない。ねえ、お兄ちゃん。こんな変な所から早く帰ろう」
しばらく見つめていると、鐃藍は九条彰へと姿を変えた。
「ごめんな彩花、辛い思いさせて。一緒に帰ろう。僕達の家へ」
彰は彩花の手を握り返し、蒼天殿から出て行こうとする。
すると、今度は椿が彰の手を取った。
「違うよ。貴方はこの女の子のお兄ちゃんじゃない。あたしのお父さん。人間は皆悪いの。現にお父さんを攫おうとしてる。そんな悪い人は生かしてちゃいけないの。だからやっちゃって」
椿が叫ぶと、彰は「うぅ……」と唸りながら鐃藍へと姿を変えた。そして、その鋭い爪で彩花を切り裂く。
「……っ!」
彩花は声にならない悲鳴をあげ、その場に倒れてしまう。そんな彩花を何とか立ち上がった近衛金時が片手で担ぎ上げ、
「鈴音! 今は撤退し体勢を立て直す」と鷹司鈴音に向かって叫ぶ。
「どうしてだ? 憎き鬼とその娘を殺す絶好の好機だろう?」
鈴音は言い返すが、負傷した彩花と金時、そして主から許可を得られず立ち尽くす少女を見やると、
「チッ。分かったよ。今の僕達に勝ち目はないね。恋華、撤退だ」と金時の後に続く。
「承知しました」と恋華と呼ばれた少女は鬼の方を一瞥すると、三人の後を追う。
「待ってくれ。行かないでくれ、彩花」
彰は鈴音達に連れて行かれる彩花に呼びかける。だが、
「ねえ、何回言わせるの? 貴方はあたしのお父さん。……もしかして、あれだけじゃ足りなかったのかな? もっとあげれば良かった」
「さっきから君は何を言ってるんだ?」
「ううん、気にしないで。あたし達の家に帰ろう、お父さん」
「そうだね、椿」
鐃藍は椿に優しく笑いかけると、二人は蒼天殿を後にする。
蒼天殿から撤退した鈴音達は、ある古びた小屋に逃げ込んだ。たまに誰かが掃除をしているのか、少し小綺麗になっているが、所々に蜘蛛の巣が張っている。
中に入ると、恋華は彩花と金時の手当てを始める。
「なあ金時、椿と親しかったようだけど、もしかして君と椿は友達だったりするのかな? 鬼と仲良くなろうなんて考えるもんじゃない。それに、逃したってどういうこと?」
「子供をずっと牢に閉じ込めるなんて心が痛む。椿はまだ七歳だ。未来ある子供を……っ!」
金時が言い終える前に、鈴音が彼の胸ぐらを掴み馬乗りになる。その衝撃で怪我をした腕に痛みが走り、金時は顔を歪めた。
「未来? 鬼なんかに未来なんて必要ない。悪は全て滅びるべきなんだ。君は優しずぎる。特に金蘭ちゃんと同じ年齢の子供には。その優しさは君の長所であり短所だ。もう忘れたらどうだ? その枷がある限り、君は椿を殺せない。嵬俚に本当の平和は訪れない」
鈴音の言葉に金時が何か言い返そうとしていたが、
「鈴音さま、流石にそれは言い過ぎです。金蘭さまは金時さまの大切な人。そんな大切な人を忘れろと? そんなことは不可能だと、鈴音さまが一番よく分かっているはず。金時さまへの発言を撤回し、謝罪してください」と恋華が代わりに言い返す。
それを受け鈴音は何か言いたそうだったが、金時の上から降りると、
「ごめん、金時。確かに恋華の言う通りだ。仇を前にして気が立っていたんだ。僕も一回も父上のことを忘れたことはない。それなのに酷いことを言った」と頭を下げ謝罪する。
「やめてくれ。天皇が従者に頭を下げるな。それに、俺も謝らねばならない。俺の役割は天皇はもちろん、その周りの人々を守ること。それなのに、自分が怪我を負ってしまったどころか、この少女まで怪我を負わせてしまった。つくづく俺は甘い人間だな。もっと己を鍛えねば。父上に顔向けできん」
鈴音と金時の二人のやり取りを見て、恋華はクスクスと笑う。
「恋華、何かおかしいか?」
「すみません、失礼しました。この感じ、とても懐かしいと感じておりました。お二人が喧嘩すると、よくわたくしと妖華さまで止めていたなと」
「懐かしいね。まあ、あの時は僕達もまだまだ子供だったからね」
「そうですか? 大人になっても喧嘩している時ありましたよ」
「ははは、そうだったかな」
三人が昔話に花を咲かせていると、「……うーん」と彩花が目を覚ました。
「おはようございます、妖華さま」
「妖華さんって、貴女の大切な人? ごめんなさい。あたし、妖華って人じゃないの」
「……そうでした、すみません。貴女はわたくしを呼び出した。そんなことができるのはあの方だけ。そして何より、妖華さまに似ています。顔も声も」
そう言うと、恋華は泣き出してしまった。鈴音が優しく涙を拭う。その二人を見つめながら金時が彩花に声をかける。
「すまないな。恋華は主である妖華が大好きでな。式神といえど、彼女はまだ年端も行かない少女。故に感情を抑えられないこともある」
金時はそこで言葉を区切ると、今度は彩花の方を見据え再び話し始める。
「初めて会った日から質問ばかりで悪いが、彩花だったか? 金ちゃんという渾名は妖華にしか呼ばれたことがなかったが。何故お前がその名で俺を呼んだ?」
「それはわたくしも知りたいです。何故貴女がわたくしを呼び出せたのか。貴女は何者なのですか?」
「そんなこと聞かれても……。何故だか分からないけど、呪文とか色々頭に浮かんできたとしか……。それに、あたしは普通の女子高生。あなた達が思っているような特別な人間じゃないよ」
「女子高生?」
彩花は金時と恋華の質問に戸惑いながら答える。
金時さま、女子高生って何ですか。さあな、さっぱり分からん。と二人は小声で話していた。
そして三人の間にしばらく沈黙が流れると、鈴音がボソっと呟いた。
「もしかして、妖華の魂が彩花に宿っているんじゃないのかな?」
「魂が宿る? 呪術の一種か?」
鈴音に言われ、彩花はこれまでのことを振り返ってみる。会って間もない金時のことを妖華しか言わない渾名で呼んだこと。頭に浮かんできた式神を呼び出す呪文と血で描かれた五芒星。誰かの記憶でもないと彩花には到底分からない事柄だ。これが俗に言う転生というものか。いや、ここは現実世界。ファンタジーの世界じゃない。あ……、ちょっと待って? と、彩花はここに来た時のことを思い出す。あたしはスズナリ村の神社で突き落とされ、嵬俚という異世界に辿り着いた。そういうことなら、転生という可能性もなくはない。彩花は一人で納得する。
「鈴ちゃんがそう言うなら間違いなさそうね」
「その呼び方、君は本当に妖華なんだね。懐かしいな」
鈴音は妖華に思いを馳せる。その表情は温かく、そしてとても優しかった。
だがそれも束の間、鈴音は真面目な顔になると、彩花の方を向く。
「そういや、君の話をちゃんと聞いたことなかったね。あの時も邪魔が入っちゃったし。僕達と初めて会った時、君はお兄ちゃんを助けてほしいと言った。そして、あの娘と一緒に蒼天殿に来た鬼を見てお兄ちゃんと言った。どういうことか詳しく聞いてもいいかな?」
「うん……」
彩花はスズナリ村での出来事を事細かに鈴音に説明する。元気だった彰が突然苦しみ出したこと。人との関わりを避けるようになったこと。夜、鬼のような異形な姿に成り果てた彰が両親を貪るように食べていたこと。神社へと走り出し、謎の人物の手と共に光の玉の中に入ってしまったこと。
夢で見た内容のことも説明した。そして、蒼天殿に現れた二人が夢で見た少女と変わり果てた姿の彰であったこと。
「あの時は早くお兄ちゃんを助けたくて、見ず知らずの貴方達に縋りついた。でも、結果二人を戸惑わせてしまった。しかも、あたしのせいで金ちゃんが怪我をした。ごめんなさい」
「この程度の怪我、どうってことない。それに、謝るのはこちらの方だ。俺はお前の兄を斬ろうとした。謝っても謝りきれん」
「わたくしも謝らねばなりません。そんな事情も知らず、貴女に戦う許可を急かしてしまった。申し訳ございません」
鈴音、金時、恋華の三人は深く頭を下げ彩花に謝罪する。
「頭を上げてよ。あなた達にも鬼を恨む事情があるんだろうし。あの女の子達は何者なの?」
「妖華の魂が宿っている結論になったけど、記憶があるところとないところがあるんだね。いいよ、教えてあげる」
「鈴音、お前では言いにくいだろう。俺が代わりに……」という金時を制して、鈴音が彩花の問いに答える。
鬼の名前は鐃藍。かつて鬼が嵬俚を支配していた時代、見せしめとして鈴音の父である鷹司鈴山の公開処刑が執行された。そして、その時の処刑執行人が鐃藍だった。公開処刑が終わると、鬼達は笑いながら蒼天殿に戻っていく。処刑場には血だらけで動かない鈴山と、無惨な姿の父を見て動けないでいる鈴音だけが残った。しばらくして、鈴音は投獄される。牢の中で鈴音はあることを心に誓った。必ず復讐を果たしてやると。
「復讐を誓ったのはいいんだけど、当時の僕は鬼を斬る力もない子供でね。金時と妖華の三人で強くなる為に鍛錬を始めたんだ。その甲斐あって大人になった時には充分力がついてね。無事鐃藍を倒し、父上の仇を取ることができた。ちなみにあの少女は鐃藍の一人娘の椿だよ」
彩花は椿があたしのお父さんと言っていたのを思い出す。
「でも、その鐃藍って鬼はどうして生き返ったの?」
「それは僕も分からない。ねえ恋華、陰陽師にそういう術があるのかな?」
「それは聞いたことがありません。妖華さまは主に祈祷や占星術といったものをしておりました。……、そういえば、死んだ人間を他の人間を憑代として生き返らせる呪術師がいると聞いたことがあります」
「では、鐃藍が生き返ったことについてはその呪術師の仕業と見て間違いないだろうな。問題はどうやって鐃藍と彩花の兄を切り離すかだ。知らないか?」
「妖華さまから聞いたことがあります。ですが……」
恋華は口籠る。
「恋華、教えて。お兄ちゃんを助ける為なら何でもする」
「妖華さまがそう仰るなら、分かりました。方法は一つ。殺すことです」
恋華は彩花をまっすぐ見つめ、そう告げた。
確かに殺すことも一つの方法ではあるが、実はもう一つ憑代にされた器から魂を切り離す方法がある。それは陰陽師による祈祷だ。まず、憑代にされた人間を五日間山奥の洞窟に山籠りさせ、人との関わりを完全に断つ。すると、魂は不安定な状態になり、器となった人間との繋がりに緩みが生じる。そうなった時、陰陽師が必要な道具を持って山奥の洞窟に出向き、祈祷を行う。そうすれば、器となった人間と魂を切り離すことができるが、これで終わりではない。魂と切り離されたばかりの人間の体はとても衰弱した状態になっている。それを回復させる為に、陰陽師の居住である唐草御殿の神仏の間に連れていく。そこで数日に渡り祈りを捧げた後、ようやく器となった人間は元の私生活に戻ることができる。これがもう一つの方法。だがこれは魂が善人だった場合。魂が悪人だった場合はこの方法は通用しない。というのも、昔から魂の人間性が器となった人間にも宿ると言われており、悪人の魂の器となった人間は犯罪を犯し、世の秩序を乱すと考えられてきた。今回の彰は、魂が悪人だった場合に当てはまる。故に、殺すしか方法はないのだ。
「彩花。ぼうっとしてるけど、大丈夫?」
「え……。あ、うん。大丈夫」
本当は全然大丈夫じゃないんだけど。今恋華は何と言っていた? 殺す? 大好きなお兄ちゃんを? そんなことできる訳がない。
彩花は鈴音の問いかけに答えた後、ずっと頭の中で考えを巡らせる。
お兄ちゃんを殺すのは嫌だ。でもお兄ちゃんの中に鐃藍という鬼の魂が入っているのはもっと嫌だ。お兄ちゃんはあたしに優しいの。なのにあの女の子の呼びかけで鬼の姿になってあたしのこと無視するし。そんなのあたしの知ってるお兄ちゃんじゃない。
「……分かった」
彩花は口を開くと、いつもより少し低めの声で呟いた。
「あたし、お兄ちゃんを殺す。お兄ちゃんを助ける為に。だから恋華、力を貸して」
それを聞いた恋華は、力強く頷く。
「承知しました。必ずやお兄様をお救いいたしましょう。共に参りましょう、妖華さま」
「あたしは妖華さんじゃないよ。彩花って大事な名前があるの」
「彩花さま」
「彩花でいいよ」
「はい。では参りましょう、彩花」
「うん。よろしく。……待っててお兄ちゃん。お兄ちゃんはあたしが助ける」




