椿と彰
九条彩花は、ある場所に一人立っていた。辺り一面真っ白な世界。周りには何もない。
ぼうっと突っ立っていると、彩花は男とすれ違う。見覚えのある顔だった。えっと、誰だっけ。
しばらく考えていると、彩花は思い出したように
「お兄ちゃん!」と叫ぶ。
すれ違った男は兄の九条彰だった。彰はそんな彩花の声は無視し、ひたすらに歩き続ける。
「待ってよお兄ちゃん。どこ行くの? 置いていかないでよ。あたしも連れてって」
彰は応えない。妹を無視し歩き続ける彰は、七歳ぐらいの少女の前で立ち止まった。その少女の額には、短いが二本の角が生えている。
彰と少女は何やら楽しそうに話している。彩花はそこに加わろうとするが、近付けないばかりか、どんどん二人から遠ざかっていく。
やがて二人の姿は見えなくなった。
「お兄ちゃん! 待ってお兄ちゃん! 行かないで!」
叫びながら目覚める彩花。色々と分からない夢だった。どうして無視をするのか。あの少女は誰なのか。
それに、ここはどこだ。彩花が目覚めた場所は和室だった。辺りを見渡していた視線を下げると、布団で寝ていたらしい。あたしの部屋はフローリングの床だ。しかも、あたしはいつも布団ではなくベットで寝ている。
そんなことを考えていると、
「鈴音、起きたみたいだ」
「本当だ。おはよう」と二人の男が部屋に入ってきた。
鈴音と呼ばれた男は、肩甲骨の辺りまで伸びた美しい長髪に、中性的な顔立ちをしている。親しみやすそうな雰囲気が感じられた。もう一人の男は、筋骨隆々でがっしりとした体格をしている。いざという時に頼りになりそうな雰囲気が感じられた。二人共、腰に刀を差している。
「相当うなされていたようだったから医者を呼ぼうと思ったけど、大丈夫そうだね。それとも、まだ具合悪かったりする?」
鈴音に訊かれ、彩花は首を横に振る。
「そうか。では、俺の質問にも答えてくれないか。妙な格好をしているが、お前は何者なんだ? どこから来た?」
「えっと……。あの……」
男に訊かれどう説明しようかと口籠もっていると、
「金時、そんな質問攻めするものじゃないよ。それに、相手に聞く前にまずは自分からだよ」と鈴音が優しく諭す。
「それもそうだな」と金時と呼ばれた男も納得していた。
最初に鈴音がこの町について説明してくれた。
ここは都である嵬俚。この場所はかつて、紫炎という鬼の王に支配されていた。その時代、夜になると鬼が活発に活動することから『夜の都』とも呼ばれていたらしい。だが、それも長くは続かなかった。当時の天皇の従者であった近衛金貞が鬼の王を討った。そして、嵬俚に蔓延っていた鬼の残党を殲滅。嵬俚に平和が訪れた。
鈴音は、本名を鷹司鈴音という。代々嵬俚を治める天皇の一族の長男で、鷹司家の現当主。つまり鈴音がこの国の天皇という訳だ。
金時は、本名を近衛金時という。近衛家は代々鷹司家に仕える一族であり、金時は現当主。嵬俚の英雄と称えられる金貞の息子である。
彼らは幼馴染であり、天皇と従者の関係を忘れなんでも気軽に話し合える仲だとか。
「これで僕達の紹介は終わりだよ。さあ、次は君の番だ」
鈴音が彩花に話をするよう促す。
「はい……」と重い口を開き、話し始めた。
「あたしは九条彩花と言います。日本に住んでいました」
日本ってどこだ? と、鈴音と金時は顔を合わせヒソヒソと話していた。
「えっと……。あたしは人を追って神社に行きました。そしたら誰かに押し倒されて気を失って。起きたらこんな場所に……」
彩花はそこで話すのをやめた。
あれ? あたしは誰を追ってたんだっけ?
思い出そうとするが、顔の部分にモヤがかかって思い出せない。確か彩花にとって大切な人だった気がするが。
すると、頭の中に彰が両親を殺した場面。そして、走り出した彰を追い神社に行った場面が鮮明に映し出された。
そうだった。あたしはお兄ちゃんを追ってたんだ。なんで忘れちゃったんだろう。大好きなお兄ちゃんなのに。
兄を思い出した彩花は、大粒の涙を零しながら子供のように泣き出した。
「おい、どうした? やはりまだどこか痛むのか?」
「お願いします。お兄ちゃんを助けてください。あたしのたった一人の家族なんです。お願いします……」と鈴音と金時に縋りつく。
鈴音と金時は、突然泣き出す彩花に困惑する。詳しく話を聞こうと二人が彩花に寄り添おうとした時だった。神社で見た淡い光を放つ玉が現れ、その中から少女が現れた。それは夢の中で彰と話していた少女だった。
「椿お前、ここにはもう戻ってくるなと言っただろう」
椿と呼ばれた少女はコロコロと笑いながら金時に話しかける。
「金時さん、約束破ってごめんなさい。でも、あたしにはまだやるべきことがあるの。それに、おかげであたしの大好きな人にまた会えた」
椿の話を聞いて、鈴音が金時を睨め付ける。
「金時、そのことは後で話そう。それで、その大好きな人っていうのは?」
「分からないの? あたしの大好きな人はこの世でただ一人。お父さんよ」
椿がそう告げると、部屋の障子が勢いよく壊された。辺りは煙に覆われよく見えないが、人影のようなものがあるのが分かった。次第に煙が晴れると、彩花は障子を壊した人物の姿に驚愕した。鬼だった。彩花はその鬼に見覚えがある。あの日の夜両親を食べていた鬼。彰であった。
「鐃藍じゃないか。僕も君が大好きだ。また会えて嬉しいよ」
鈴音は涙を流しながら鐃藍という鬼に話しかける。
「嘘ばっかり。お父さんが甚振られてるところを楽しそうに眺めて殺したくせに。話は変わるけど、お父さんはお姉さんのおかげで蘇ったけど、まだまだ完全じゃないの。やっぱ生きてる人間を食べなきゃ元気にならないのかな。それでね、お父さんが言ってたことを思い出したの。若くて高貴な男ほど精力がつきやすいって」
その目は鈴音を見据えていた。
「えっと……。どういう意味かな?」
「察しの悪い人。お前を食べさせてお父さんを完全に蘇らせるの!」
「行くよ、お父さん!」という椿の声を合図に、鐃藍は戦闘体制に入った。
「友達を二回も殺すのは苦しいけど、君がその気なら僕も応えなきゃね。金時、君は椿を殺れ。僕は鐃藍を殺る」
腰に差した刀を抜きながら言う鈴音を横目に「……承知した」と呟き金時も刀を抜く。
鐃藍の目は金時を見据えていた。
「おい鐃藍! 君の相手は僕だろう? 無視するなよ!」という鈴音の叫びも虚しく、鐃藍は金時に襲いかかる。それに応えるように、金時も刀を構え斬りかかろうとしていた。
彩花は目の前で繰り広げられる光景に理解が追いつかないでいた。
そもそもあの人はあたしのお兄ちゃんだ。椿のお父さんでもなければ、鈴音の友達でもない。それに、なんで殺そうとするの? あんなに優しい人なのに。
そんなことを考えているうちに、彩花は叫んでいた。
「やめて! あたしのお兄ちゃんなの!」
彩花の言葉に金時の動きは一瞬止まる。その動きが止まった一瞬の隙を突き、鐃藍が金時の腕を切り裂いた。金時の腕からは勢いよく血が吹き出し、その場に倒れてしまった。
「金ちゃん!」
彩花は会ったばかりの金時をそう呼んでいた。次いで、
「荒ぶる鬼神よ。我の命に耳を傾けよ。汝の忠誠をここに示せ。出でよ、式神」と呪文を唱えていた。誰かに教えてもらった訳でもない。自然と頭に浮かんできたのだ。
手に痛みを感じた。見ると、親指から血が滲んでいた。床には血で描かれた五芒星。どうやら彩花が自分で親指を噛み、その血で描いたもののようだった。
「これ、あたしが……?」
無意識のうちに唱えた呪文と描かれた五芒星。そして、色々なことに理解が追いついていない彩花の前に黒色の着物に桃色の羽織を着た少女が立っていた。




