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格闘系女子しののめ果央

作者: 弱キック

 東京都杉並区某所、令和の時代に珍しい木造平屋の和風建築。そこは格闘ファミリー『東雲家』が経営する流派『残心道空手』の道場だ。

 東雲家は夫婦と一男一女の4人家族。兄の冬哉が一般教室の、母親の佳那子がキッズ教室の師範をそれぞれしている。妹の果央(ラオ)は両部門の師範代。ちなみに本作の主人公でもある。父親の拳二郎は自作格闘術『救世七星流(ぐぜしちせいりゅう)拳法』の研鑽で武者修行中。今ごろは南米辺りで怪しげな技を会得中と思われる。

 救世七星流拳法は投(投げ技)、打(打撃技)、極(関節技および絞め技)をバランスよく組み込んだ、超実戦的格闘術である。その特徴を一言で説明すれば、すっげー強い! ベースこそ拳二郎が最初に極めた残心道空手だが、数ある格闘術のイイトコ取りをした結果、全くの別物に生まれ変わった。しかもまだまだ成長途中であり、触れた相手を内部から破壊することを最終目標としている。だから強い。語彙力がなくなるほど強い。ただし強いだけに危険でもあり、他人には教えていない。拳二郎いわく、『救世七星流は一子相伝の暗殺拳』とのことで、現在の使い手は本人と果央のみである。


【4月某日 残心道道場】

 ようやく冬の寒さが和らぎ、誰もが脱ぎ捨てた外套の分だけ活発になり始める春の午後。学校から帰宅した果央は早々に空手道着に着替え、キッズ教室の手伝いをしに道場へ向かった。

 「たっだいまー。手伝いに……あれ?」

 いつもなら子供たちの掛け声が聞こえているはずだが、今日は様子が違った。道場の隅で、面識のない青年に詰め寄られている冬哉。静かにその様子を見守る佳那子と子供たち。

 「もしかして久しぶりの?」

 果央に気付いた冬哉は、藁にもすがる思いで助けを求めた。

 「果央、いいところに。いつものアレだから説明代わってくれ」

 「うへぇ、やっぱりかぁ」

 果央は全てを理解し、溜め息交じりで青年の方に声をかけた。

 「お兄さん、ここは残心道の道場ッス。救世七星流は教えてないんスよ」

 青年は聞く耳を持たなかった。

 「嘘を言わんでください! ここは東雲拳二郎さんのご自宅と道場でしょ。なのに教えてないなんておかしいじゃないですか」

 冬哉は呆れ顔。既に何度も同じ説明をしたが、青年は受け入れてくれなかったのだろう。いつものアレというだけあって、この道場には似たような入門希望者が定期的に訪れていた。

 「いや、ここの経営者は父ちゃんじゃなくて兄ちゃんなんス。そもそも救世七星流は弟子を取ってないんスよ、未完成の拳法なんで」

 「嘘だ! シノケンさんは世界中の大会で優勝してるじゃないですか。あれで未完成とかありえませんよ」

 東雲拳二郎、通称シノケン。外国人にシノノメは覚えづらいらしく、いつしかこう呼ばれるようになったのだとか。

 青年は大柄で、声もリアクションもやたらと大きい。佳那子がいま稽古を中断しているのも、青年がうるさすぎて集中できないからだった。

 「俺は強くなりたくて青森の田舎から出てきました。お願いします、シノケンさんに会わせてください! そして弟子にしてください!」

 真面目そうで本気具合も伺えるが、他人の話を聞かない時点で問題外である。果央はやむなく強硬策に出ることにした。

 「んじゃ~あたしに勝ったら父ちゃんに推薦するッス」

 「ほ、本当ですか!?」

 「ただし負けたらソッコーで帰ってくださいね。勝っても負けても恨みっこなしッスよ」

 「ははは、望むところです」

 青年は身長190センチを超える筋肉質。果央は145センチの痩せ型。男女の違いもあり、勝敗は戦うまでもなく目に見えていた。

 「どっちかがKOされたら終わりってことで」

 果央はトントンとその場で軽く跳躍し、リズムの調整と膝のバネの確認を行った。それ以外は気持ち腰を落とした程度で、格闘技の構えらしい構えは取らなかった。

 「いつでも好きな時にどうぞ」

 青年の服装はワイシャツとチノパン。動き回るには問題なさそうで、床板で滑らないよう靴下だけ脱いだ。

 「最初から全力でいきます。ダリャー!」

 青年は小柄な果央が相手でも躊躇せず、腕を広げた前傾姿勢で突進してきた。タックルで押し倒し、マウント技で一気に勝負を決めるつもりだ。しかし迫力は確かにあるが、冷静に見極めると隙だらけ。小技で距離とタイミングを測ってから出すというセオリーを無視した、力で押し潰す気まんまんの攻撃だった。勝てば弟子入りという旨味と、体格差で自分の方が有利だという驕りが技を曇らせたか。 

 「手ぶらで帰すのも忍びないんで。せりゃ!」

 果央はタックルがヒットする直前その下に潜り込み、両手を伸ばして青年の首を掴んだ。そしてそこを支柱にして斜め上方向にジャンプ。首にかけた手を滑らせて後方へと回り、無防備な延髄に両膝を落とした。

 「ドハッ!」

 急所に直撃を受けた青年は顔面からダウン。この間も果央の手は青年の首回りをロックしたまま、膝は延髄に乗せたままだった。すなわち一連の動作でプロレス技の子牛の焼き印押し(投)、延髄蹴り(打)、さらに首絞め(極)を与えたのだ。2人の体格差を逆手に取った、アクロバティックな複合技である。

 「今のが救世七星流、即堕三重殺(そくださんじゅうさつ)ッス。良い子はマネしないでね……って、あれ? おーい、聞いてますかー?」

 青年は気を失っていた。代わりに冬哉が答える。

 「一般人相手に無茶な技を……でもおかげで助かったよ。介抱は俺がやっとくから、果央と母さんは稽古を頼む」

 「了解。そんじゃみんな、気合入れてくよー」

 しかし果央の派手な活躍を目の当たりにした子供たちは興奮冷めやらず。稽古に集中できる空気ではなくなってしまい、やむなく終了時間まで果央の特別演舞ショーを見せることになったのだった。


【午後6時 公園】

 時は過ぎて午後5時30分、キッズ教室終了。本来ならこの後すぐに社会人教室があるのだが、本日は冬哉の都合により休講だった。そこで暇と元気を持て余した果央は、夕飯前に軽いジョギングに出かけた。

 自宅から徒歩10分程度のところにある大きな公園。昼間は小さな子供連れや犬の散歩客などでそれなりに賑わうが、夕方過ぎのこの時間帯はガラガラで、走るにはちょうど良い。

 「ん?」

 公園に着いた早々、果央はいつもと違う空気を感じた。周囲を見渡すと、トラック状になった通路の内側、芝生が生い茂る中央広場に人だかり。帰宅時間を忘れて遊ぶ子供たちではなく、長身の男性が5人ほど。さらにもう1人、女性らしき人物が前述の男たちに追い詰められていた。どこからどう見ても、住宅街にある憩いの場には相応しくない光景だ。

 「うぇ、マジ?」

 このままでは女性が危ない。果央は即座に判断し、人だかりに急行した。

 「だりゃー!」

 「ノォォー!」

 一番手近な男の背中に強烈な飛び蹴り。不意打ちを喰らった男は、明らかに日本人ではない叫び声を上げて地面に突っ伏した。

 「女の子を襲う不審者集団とかヤバすぎっしょ。警察呼ぶ前に退いてくれない?」

 果央は男たちにスマートフォンを見せつけた。番号は既に入力してあり、後は通話ボタンを押すだけだ。

 しかし相手は白人で、日本語を理解していない様子。それでも地元民の少女が自分たちの邪魔をする気だと悟ったらしい。ネクタイを緩めたり指の骨を鳴らしたりと、わかりやすい威嚇動作で果央を追い払おうとした。

 「ふ~ん、『痛い目見る前に帰んな』ってトコか。だったらしゃ~ない」

 果央は手のひらを上にして右手を差し出し、指を曲げて手招きのポーズをとった。往年のカンフースターやハリウッドのレスラー兼俳優がよくやる挑発だ。

 男たちは果央の強気な態度に失笑を漏らした。彼らは果央より2回りは大きく、しかも5対1だ。笑われて当然だろう。

 対する果央は軽く溜め息。

 「はぁぁ~。体格イコール強さなのは否定しないけどさ、例外も認めないと、負けた時に恰好つかないよ?」

 呟いた次の瞬間、果央は跳躍して回し蹴り一閃。1人の顎を的確に捉えた。

 「ゴフッ!」

 蹴られた男は、まるでアクション映画のようにきりもみ回転しながらダウン。そのまま気絶したらしく、起き上がってこなかった。

 「重要なのはヒットポイント、タイミング、インパクトの3つ。力はあくまで補助的要素でしかないんだよ」

 果央は打撃技について講釈した。半ば無意識に、師範代を任される時の感覚で行ったのだろう。相手は日本語を理解していないが。

 男たちは果央の実力に驚きつつ、目つきを鋭くさせた。そして無言の合図で彼女の四方を囲み、一斉に襲いかかった。

 多勢に無勢。しかも回し蹴りなどの大技に必要なスペースも狭められ、体格差を埋める手立てがない。大口を叩いた割に果央、大ピンチ!

 「狭くても、肩幅さえあれば十分」

 果央はフィギュアスケートのアクセルジャンプの要領で跳躍した。腕は胸の前で組まず、右肘を横に突き出し、左手を右手の拳に添える。回転を加えたエルボースマッシュだが、救世七星流はこの程度で終わらない。相手の頬に当てた肘をそのまま顔面で滑らせ、1回転してもう1撃。これを何度も繰り返すことで、多くの相手をまとめて叩き潰すことができるのだ。

 「どりゃりゃりゃりゃあぁあぁー!」

 「ゴファ!」

 次々と倒れる男たち。彼らもそれなりに強かったのだろうが、救世七星流の前では赤子同然だった。

 「見たか、救世七星流、肘水車! (ひじすいしゃ)」

 幸運にも軽傷で済んだ男が1人、片膝をついて悔しがった。

 「Блин!(クソッ)」

 「まだやる気? 次は救世七星流の奥義をぶっ放すよ?」

 言葉は通じずとも殺気は伝わる。男は勝ち目がないと察すると、気絶した仲間を叩き起こして去っていった。 

 果央はその姿が公園から消えるまで見送り、それからようやく肩の力を抜いた。

 「ふぃぃ~、どにか諦めてくれたか。さて……」

 戦いに夢中で忘れかけていた被害者を探す。目当てはすぐそばの木陰に倒れていた。

 果央と同じぐらいの年齢で、肌が透き通るように白い、金髪の美少女。抱きしめたら折れてしまいそうな細い身体と、相反する大きな胸。それらが奇跡のバランスで成り立っており、同姓でもつい目が釘付けになってしまう。目立った外傷はないが、額から汗を流しつつ目を覚まさない。どうやら疲労で倒れたようだ。

 「ぬぅぅ、とりあえずウチ連れてくか」

 果央は少女を背負い、その隣に置いてあった旅行用のスーツケースを拾うと、野次馬に見つからないよう祈りながら公園を後にした。


【翌朝6時 自宅2階 果央の部屋】

 果央、ベッドから起床。朝のトレーニングのためジャージに着替える。その生活音に誘われ、隣に布団で寝かせておいた少女も目を覚ました。

 「起きたね。おはよー」

 「???」

 少女は状況が理解できず、キョロキョロと周囲を見回した。

 「あそっか、日本語ダメなんだっけ。グ……グッモーニン」

 昨夜の男たちは言葉が通じなかった。彼らに追われていたこの少女も恐らく同じだろう。

 「えっと……ユ、ユーダウン、ツカレテ。ダカ~ラ、アイ、ハコンダ、マイハウス」

 果央はジェスチャーも交え、昨夜の経緯を必死に説明した。

 「というわけなんで、んっと……ユー、セーフ、フォ……フォーエバー!」

 『もう安全だから安心して』と言いたいらしい。

 少女は果央の言葉を最後まで聞いてから答えた。

 「つまりあなたがあいつらを追い払ってくれたのね。ありがと、感謝するわ」

 流暢な日本語だった。

 「しゃべれるんかーい!」

 「主要先進国の言語なら一通り。ほかも辞書さえあればどうとでも」

 「なにそれ天才じゃん。でもまぁそれなら助かるわ。あたしは東雲果央。あなたは?」

 「エレーナ」

 「どっか痛いトコとかない?」

 「ええ、おかげさまで平気よ」

 言う割にエレーナの顔色は青く、声にも覇気が感じられなかった。

 「まだ疲れが取れてないっぽいね。襲われてた理由とか諸々聞きたいことあるけど、とりあえずもう少し寝なよ」

 「悪いけどもう行かなきゃ。早く消えないと、またあいつらに襲われるわ」

 エレーナは布団から出ようとしたが、立ち上がり際に足がもつれて転倒した。

 「キャッ!」

 「ほら、やっぱ無理だって。昨日の人たちならあたしが何度でも追い払ってあげるからさ、今はゆっくり休んだ方がいいよ」

 「あなたはあいつらの本気を知らないだけ。面倒に巻き込まれたくなかったら、これ以上関わらないで」

 エレーナは布団の脇にあったスーツケースにしがみつき、無理やり立ち上がった。本気で出ていくつもりのようだが、今にも再び転びそうだ。

 「その調子じゃ100メートルも歩けないっての」

 「いいからほっといて!」

 騒がしい割に力がこもっていない。保護された獣の威嚇さながら、不安な気持ちがひしひしと伝わってくる怒声だった。

 「ったく、このわからず屋!」

 果央はエレーナに背後から抱き着き、布団に押し倒した。

 「ちょっ!? 放し――」

 「元気がなけりゃなんにもできないって、どーしてわかんないかな」

 暴れないよう両足をエレーナの胴体に絡め、首に回した左腕は右腕をクロスさせて固定。総合格闘技でおなじみの胴絞めスリーパーホールドだ。

 「ぐぇっ……」

 「ちゃんと食べて、ちゃんと寝る。人間はね、そうしないと生きてけないの」

 絞まる頸動脈、遠のく意識。弱った少女が格闘家に抵抗できるはずもなく、早くも手足の力が抜けている。

 「気合も大事だけど、まずはしっかり体を作らなきゃ」

 母親のようなお説教だが、エレーナの耳には届いていなかった。スリーパーの名に偽りなく、彼女は完全に落ちていた。

 「よーし、大人しくなった。でも見張っとかないとまた出てっちゃいそう。ぬぅぅ……」

 今日は平日で、果央は普通に学校がある。冬哉は午前中から一般教室があり、佳那子も支部の会合で外出予定。しかし拾った手前ほったらかしにはできないし、かといって見張りを頼めそうな知り合いも思い浮かばなかった。

 「休むしかないか」


【午前11時 果央の部屋】

 欠席の許可を家族と学校にもらい、軽く家事なども済ませて11時。果央はスマートフォンをいじって暇を潰していた。

 エレーナはまだ眠っている。

 「流石にお昼には起きるかな」

 少なくとも半日は何も食べていないから空腹のはず。とりあえず野菜スープでも食べさせよう。そんなことを考えながらネットのニュースを眺めていると……。

 「ぐわぁぁぁー!」

 物々しい悲鳴に次いで、大きく壁を揺らすほどの衝突音。道場からのようだが、温和な兄の稽古では絶対に聞こえるはずのない音だった。

 「なんだろう、嫌な予感」

 その疑問に答えるように、誰かが階段を駆け上ってこちらに近づいてくる。そしてノックもなしに乱暴にドアが開けられた。

 「ら、果央ちゃん、大変だ!」

 現れたのは一般教室の門下生だった。余程の大事件なのか、顔面蒼白で目を白黒させていた。

 「時田さ~ん、ノックぐらいお願いするッス」

 「うをっ、ごめん……てかそんなことより大変だ、道場破りだよ!」

 教室では師範代である果央の方が上の立場だが、一般教室の門下生は全員彼女より年上であるため、稽古の時間以外は妹や娘のように扱われていた。

 「いまどき? でも道場には兄ちゃんいるっしょ?」

 「いま時間を稼いでる。だけど相手は集団で、しかも日本語が通じないんだ」

 間違いなく昨夜の男たちだ。道場破りではなく、エレーナを追ってきたのだろう。

 「了解ッス。あたしに任せて」

 言うが早いか、果央は部屋を飛び出した。時田も後について道場へ。

 「…………んん……?」

 喧騒に叩き起こされる形でエレーナが目を覚ました。起きがけに果央が慌てて出ていく姿を目撃し、おおよその状況を理解する。

 「あの子が相手をしている間に逃げ……ううん、奴らがアレを使ったら1分ももたない」

 再び地震のような衝撃で壁が揺れた。迷っている暇はない。

 「……くっ、賭けるしか」

 エレーナはスーツケースに手を伸ばした。


【午前11時5分 道場】

 道場に着いて果央が最初に目にしたのは、壁にもたれかかった3人の門下生だった。この道場のトップスリーで、うち1人に至ってはプロの大会にも出場するほどの実力者だ。にもかかわらず手も足も出なかったようで、ほかの門下生たちに介抱されていた。

 道場の中央には冬哉の姿が。片膝をついて息を切らし、扇状に並んだ例の男たちを見上げていた。

 男たちはダメージひとつ負っていない様子。興奮して暴れるでも敗者をあざ笑うでもなく、淡々と冬哉を見下ろしながら、外国語で何か話していた。

 「アンタら、これはちょっとやりすぎじゃね?」

 果央は既に爆発寸前だ。

 「次は救世七星流の奥義をぶっ放すって言ったよね? まぁ言葉は通じてないだろうけどさ」

 男たちの1人が果央を見て言った。

 「Приведите Елену」

 当然ながら、果央も彼らの言葉が理解できなかった。

 「なに言ってるかわかんないって。日本語、日本語ぷりーず」

 別の1人が意思の疎通ができないことを理解し、スマートフォンの翻訳アプリ画面を果央に向けた。抑揚のない機械音声が流れる。

 「エレーナ ヲ ワレワレ ニ ワタシテクダサイ」

 「あーやっぱりね。でも答えはわかってるはず」

 果央は飛び蹴りで襲いかかった。

 「お断わりだよ!」

 全体重を乗せた右足が、アプリ画面を見せた男の胸板にヒット。軽量級とはいえ大抵の相手をKOできる威力……のはずだが、男は痛がるどころかビクともしなかった。

 「うそ、昨日はヨユーだったじゃん」

 「果央、離れろ!」

 冬哉の険しい声。それとほぼ同じタイミングで、男の胸から何かが飛び出した。

 「ひゃうっ!」

 出てきたのは長さ1メートル近い巨大な口だった。ワニのそれとよく似ていて、中には凶悪な牙が上下にビッシリと並んでいた。

 冬哉の警告でかろうじて難を逃れた果央。一瞬でも遅れていたら、今ごろは足1本まるまる失っていただろう。

 「ゲゲッ、バケモノ!?」

 「気をつけろ、こいつら全員似たような体だ」

 果央は冬哉や門下生たちの敗北理由をようやく理解した。人外相手に普通の空手が通じるわけがない。

 「でも救世七星流なら」

 果央はスライディングでワニ男の下に潜り込んだ。ワニの口は可動部分も実在の動物と同じで、上部は大きく開くが下部はほぼ動かなかった。

 「隙あり!」

 両手をクロスさせて床を叩き、その勢いで逆立ちの体制から捻りを加えて上昇。相手の顎部に蹴りを放つ。それが救世七星流サンライズ穿孔脚(さんらいずせんこうきゃく)である。

 「どうだ」

 人間相手なら顎の骨を確実に砕く危険な技。だがワニの口は頑強な骨に加え、分厚くも柔軟な皮膚に覆われていた。すなわち結果は、渦状の足跡を少し付けただけ。果央は跳ねたボールのように真下に戻された。

 「ぬぅぅ、ちっとも効かない」

 果央は後ろに飛んで体勢を整えた。すぐに攻撃の構えを取るも、頭の中はほぼ真っ白だった。これまでも格上の相手に負けたことはある。しかしそれは才能や修練の差であり、努力で克服できる可能性はあった。今回のように生物としての根本が違う戦いは初めてだ。努力でどうこうできる問題ではない。

 いつの間にかワニ男の仲間たちも、体の一部を異形に変えていた。肩からカマキリの鎌。ゾウの顔。背中にヤマアラシの針。尻尾と、足の倍近い長さの手はテナガザルか。

 「うわぉ、妖怪変化」

 こんな化け物相手に兄たちはよく無事だった、と果央は思った。しかし実態は手加減されたようである。死人が出る事件になれば世間から騒がれるが、怪我人程度ならば誰も気に留めないからだ。たとえ化け物にやられたと訴えても、フェイク画像が飛び交う現代、確実な証拠がなければゴシップ誌ですら採り上げないだろう。

 カマキリ男が外国語で何か言っている。

 「(上から許可が下りたんでな。昨夜の借りを返させてもらうぜ)」

 殺しはしないまでも、果央だけは全力で叩き潰すつもりのようだ。

 「(いくぞ)」

 男たちは散開し、果央を包囲した。

 「どうしたもんか……」

 まずは右側からヤマアラシの針が襲いかかってきた。こちらは実在する動物と違い、水中銃のように針を飛ばせるようだ。

 「せいっ」

 果央は上半身を少し捻ってこれを回避。しかし針の軌道に気を取られ、足首に迫るテナガザルの手を見落としてしまった。

 「のあっ」

 文字通り足元をすくわれて転倒。そこへ間髪入れず、カマキリの鎌が振り下ろされる。

 「へうっ」

 横に転がり逃れるも、その先にはゾウ男が待ち構えていた。

 「ヤバ」

 巻き寿司さながら、自らの胴体で長い鼻を巻き取ってしまう。そのままゾウ男の頭上高く待ちあげられ……

 「待って待って待って待って待って」

 力いっぱい投げ飛ばされた。

 「どぅぇぇえええー!」

 顔から壁に激突しそうになるも、そこは戦い慣れした格闘家。どうにか体を丸め、接地面の広い背中で当たっていく。

 「ぎゃん!」

 激しい衝撃で道場全体を揺らしたが、戦闘不能になるほどのダメージは負わなかった。

 「果央!」

 「果央ちゃん!」

 心配して叫ぶ冬哉と門下生たち。

 「あー大丈夫ダイジョーブ。ちゃんと受け身は取れてるよ」

 果央は笑顔で無事を伝えた。

 「とはいえヤバイなぁ。このままじゃ勝てない。何か武器、武器は……?」

 道場にあるのは木刀やヌンチャクといった木製武器がいくつか。化け物相手では焼け石に水である。

 「(無駄だ、私たちには勝てんよ)」

 「(大人しくあの小娘を引き渡せば良いものを)」

 「(本気で痛めつけて心を折るんだ。そうすれば口封じにもなる)」

 男たちが再び果央を取り囲もうと歩み寄る。

 「ピ、ピーンチ!」 

 果央が濃厚となった敗色に焦りを感じた、その時だった。入口の引き戸がガラガラと開き、息を切らしながらエレーナが現れた。

 「果央、まだ無事!?」

 「エレーナ?」

 「これ、受け取って!」

 エレーナは銀色に輝く何かを果央に投げた。

 「ふに?」

 受け取ったそれは、両手に収まる大きさの輪だった。見た目は鉄かステンレス製のようで、しかし触ってみるとゴムのように柔らかく、伸縮性もあった。装飾は特になく、代わりに超小型のモニターと計器らしきものが取り付けられていた。

 「ブレスレット?」

 「二の腕にはめて、『ブートアップ』と言いなさい」

 真剣に指示を飛ばすエレーナに対し、果央は照れ臭そうにはにかんだ。

 「えー、この歳でニチアサごっこはちょっと恥ずかしいかも」

 エレーナはキレ気味に吠えた。

 「死にたくなかったら早く言え!」

 「うひぃぃー! ブブ、ブートアップ!」

 助けた相手になぜ高圧的な態度を取られなければならないのか、などと一瞬考えた果央だったが、それでもエレーナの一喝に気圧され、慌ててブートアップと叫んだ。すると左腕にはめたばかりのブレスレットから英語音声が流れだした。

 「Command received. Acceleration Gear boot up」

 次いで謎の黒い煙が噴き出し、果央の全身を包み込んだ。煙は無臭で、息苦しさを感じる前に消えていた。この間、およそ1秒弱。

 「いったい何が……へぬ?」

 視界に見慣れない数値やアイコンが入り込む。まるでパソコン画面のような。違和感はそれだけではなかった。手足、よく見ると全身が、甲冑らしき装甲に覆われているではないか。

 「マジでニチアサじゃーん!」

 果央は頭を抱えて叫んだ。

 「今のあなたは運動能力が5倍。そいつらなんてもう敵じゃないわ」

 「いやそんなことより何よこれ? ライダー? それとも5人で戦う系?」

 「説明は後。とにかく今は戦いなさい」

 頃合いとばかりに男たちが向かってくる。

 「ぬぅぅ、どうせなら魔法少女が良かった」

 果央はブツクサと文句を言いながらも腰を落とし、左手を開いて軽く前に出した。

 トップバッターはサル男。鞭のようしなる右手を振り回し、大振りながら軌道が予測できないパンチを放った。

 「甘い!」

 果央はその拳を見ることなく、気配だけで動きと攻撃箇所を察知。左手でいなしつつ、相手のみぞおちに右の掌底打ちを叩き込んだ。ところが!?

 「ウグェッ」

 サル男は腹部に手のひらサイズの風穴を空け、膝から崩れ落ちた。傷口と口から溢れ出る血が止まらない。

 果央は想定外の威力に狼狽した。

 「ちょっ……えっ!? ただの掌底だよ? 貫通とかおかしいでしょ」

 「い、言ったでしょ、5倍って」

 さも当然であるかのように平静を装いつつも、エレーナの声は震えていた。彼女もここまで強力だとは予想していなかったようだ。

 男たちも動揺し、ざわざわと相談を始めた。下手に手を出せばサル男の二の舞になる。しかし仕事で来ている以上、何の収穫もなく帰るわけにはいかない。

 彼らの煮え切らない態度にエレーナの叱咤が飛んだ。

 「くだらない相談より薬! ちゃんと持ってるでしょ。早くそのサルに与えなさい」

 ヤマアラシ男が困惑しつつ答える。

 「ど、どうしてお前が敵の心配を?」

 エレーナもヤマアラシ男も外国語で話している。しかし果央にはどちらも日本語で聞こえた。どうやらギアが会話を自動翻訳してくれているらしい。これなら逆に果央がしゃべった場合も外国語に変換してくれそうだ。

 「死人が出ると面倒なことになるってだけ。アンタたちもここの人たちを殺す気はないでしょ。わかったら早く投与を」

 カマキリ男はエレーナの言い分に釈然としないものを感じながらも、上着のポケットからスチール製のケースを取り出した。中には注射器と青い液体が。それを慣れた手つきでサル男の首筋に打つ。すると流れていた血が瞬時に止まり、傷口もみるみるうちに塞がった。

 「わわっ、魔法みたい」

 常識では考えられない現象を目の当たりにした果央は、ゲームの回復アイテムを連想した。

 「命が助かる代わりにしばらく行動不能になるわ」

 「それ聞いて安心した。人殺しなんてヤだかんね」

 救世七星流は一子相伝の暗殺拳などと拳二郎は嘯くが、法治国家の現代日本、言うまでもなく殺人はご法度である。拳二郎も果央も当然そんな経験はなかった。

 「薬はまだあるはずだから、遠慮なく叩き潰して」

 「オッケー。んじゃ~ちょっとカッコつけちゃうよ」

 今の果央はまさに無敵だった。ただでさえ常人離れした救世七星流の動きが、衣装のアシストによって特撮の域にまで達していた。

 「救世七星流、踝投げX! (くるぶしなげえっくす)」

 「救世七星流、猛覇尻固め! (もうはしりがため)」

 「救世七星流、蒲公英突き! (たんぽぽづき)」

 瞬く間にカマキリ男、ワニ男、ヤマアラシ男の三人を完封。残るはゾウ男1人となった。

 「アンタも倒したいトコだけど、そうすっと仲間の介抱する人がいなくなるっしょ。だから見逃したげる」

 ゾウ男は傷ついた仲間に注射を打つと、彼らを鼻と肩で担ぎ、苦々しい顔で道場から出て行った。去り際の『覚えていろ』という捨て台詞が小物然としていて痛々しかった。

 「ふぅ、どうにか凌げたわね」

 エレーナは安堵の溜め息。

 「どうにかじゃないっての」

 果央はエレーナに抗議。

 「何が何だかサッパリだよ。あの人たちは何者で、このニチアサ衣装は何なのさ?」

 「わかってる、一から全部説明するわ。でもその前に……」

 「その前に?」

 エレーナは道場の壁にかけられた時計を見た。

 「あ、タイムオーバー」

 「ほへ?」

 果央は何の前触れもなく、衣装を着た時と同じように煙に包まれた。煙は今回も1秒足らずで消え失せたが、中から現れた果央は一糸まとわぬ全裸になっていた。

 「んにゃぁぁぁー! なんでぇぇぇー!?」

 果央は大慌てで大事な部分を隠しつつかがんだ。

 「とと、とりあえずこれを」

 冬哉が道着の上を脱いで果央にかけた。

 門下生一同は果央の裸を見て一瞬固まったが、すぐさま状況を察して顔を背けた。余談だが、鍛え抜かれた果央の体は良くも悪くも無駄がなく、門下生の誰一人として邪な気分にはならなかったという。

 「ギアはまだ開発途中でね、30分経つとウルが蒸発しちゃうのよ」

 「ギアだのウルだの知るかー! それよか服返せー!」

 冷静に淡々と語るエレーナとは対照的に、果央は恥ずかしさで全身が沸騰しそうなほど熱くなっていた。そしてエレーナが言ったことは全く理解できなかった。

 「悪いけどもうないわ。詳しいことは着替えついでに、あなたの部屋で話しましょ」

 

【午前11時50分 果央の部屋】

 「さて、じゃあ説明させてもらうわね」

 エレーナが使った布団を片付け、代わりにローテーブルと座布団を設置。新しいジャージに着替えた果央、エナジードリンク片手のエレーナ、そして生真面目にメモ帳とペンを用意した冬哉が卓を囲んだ。

 「まずは私の素性から。私はクルーシブルから逃げてきたの」

 「く……苦しいぶる?」

 話はまだ始まったばかりだというのに、果央は聞き覚えのない言葉を聞いて、早くも思考を放棄しかけていた。

 「クルーシブル。日本語に訳せば『るつぼ』になるかしら。武器商人とか頭のおかしい金持ちなんかの出資で成り立ってる、胡散臭い研究機関よ」

 そこでは出資者たちの金儲けを目的に、モラルや人権を無視した様々な研究が行われているという。エレーナはロシアの片田舎に建てられた施設にいたが、クルーシブルの支部は世界中にあり、組織の正確な規模は彼女にもわからないらしい。

 「私はある計画の主任研究員だったわ」

 その計画とは、次世代兵士の開発だった。武器や戦闘機の高性能化、ドローンを使った新戦術、兵士人口そのものの減少など、世界の戦場は群の数による優劣から、再び個の実力による優劣にシフトし始めている。そこで1人で戦況を変えられるほどの超人を売り込めば、クルーシブルが世界を裏から牛耳ることができると考えたそうだ。

 計画を進めるにあたり、ふたつの研究チームが開発担当に選ばれた。ひとつはエレーナ率いる機械工学チーム。こちらは先ほど果央が装着した『アクセラレーション・ギア(以下、ギア)』による外装強化を提案していた。

 もうひとつは、Dr.ミリガン率いる遺伝子工学チーム。こちらはカマキリ男たち、すなわち遺伝子操作による肉体強化を提案していた。

 そして両チームを競い合わせ、最終的に勝利した方を主力商品として売り込む算段だったという。 

 「ちょっと待った」

 冬哉が説明の途中で口を挟んだ。

 「遺伝子操作なんて技術的に危険だし、モラルの面からも拒絶する人は多いだろ? 常識で考えれば君のチームの勝ちでは?」

 「常識で考えれば、ね。でもその常識は、平和な先進国でしか通用しないものよ」

 「……なるほど」

 世界には命の価値が低い国などいくらでもある。しかもそういった国ほど武力の需要が高いのだ。

 「もっと言うと、どちらの案にも一長一短があったの。ウチの方は人体への影響が少ない代わりに高価で、量産するにはまだまだ改良が必要。ミリガンの方は安価だけど、人体に影響でまくり」

 「つまり長い目で見れば君の方が将来性があり、今すぐ稼ぐならミリガンという人の方が適していると?」

 「ええ。理解が早くて助かるわ」

 「…………(お昼なに食べよっかなぁ)」

 果央は2人の会話についていけず、昼食のことを考えていた。

 「ミリガン案で稼ぎつつ君の案を進める、なんてのは都合よすぎかな?」

 「残念ながら予算は限られてるわ。だから先日、コンペの名目で実戦勝負を行ったの」

 「結果は?」

 「勝ってたら逃亡なんてしないわよ。コンペに勝利したミリガンは、その勢いで支部の実権まで握ってしまったわ。おかげでウチの研究はチームごと解体。元からあいつと仲が悪かった私は、お払い箱どころか命を狙われたってわけ」

 身の危険を感じたエレーナは、早々に試作段階のギアだけを持って組織から脱出。当てもなく各地を転々とした挙句、日本で疲労の限界を迎え、追跡者であるカマキリ男たちに捕まったという。

 「果央がいなかったら、私は昨夜の時点で殺されていたわ。本当に感謝してる」

 果央は特に照れも恩着せがましくもせず、当然のことをしたまでだと軽く流した。

 「でもさ、なんでわざわざ日本に来たの? エレーナみたいなキンパツの美人さん、ここじゃ目立ちすぎると思うんだけど」

 「ふふ、日本は外国人旅行者が多いじゃない。その中に紛れ込めば安全よ」

 エレーナはドヤ顔で胸を張った。

 「そっかぁ、ナイスアイディアだね」

 果央は心から感心した。

 いくら旅行者が増えようが、日本人の方が多いから目立つだろう。冬哉はそう思ったが、場の空気を読んで黙っておいた。

 エレーナの話は続く。

 「私の素性に関してはこんなところかしら。次はギアについてね」

 「そうそう、それ! 裸にひん剥かれたこととか、いろいろと聞きたかったんだ」

 「わかってる。一通り話すわ」

 ギアは俗に言うパワードスーツである。装着者は身体能力の飛躍的な向上に加え、内臓コンピュータ『ミーミル』によってデータ解析や自動翻訳などのアシストも受けられる。最大の特徴は、気体金属『ウル』が装甲を形成していること。ウルはエレーナが開発した新素材で、普段は気体の状態で専用カートリッジに収納。ブレスレットから出た指示に従い固体化する。重さをほとんど感じないほど軽く、耐久性も金属で最も硬いタングステンを上回る。ただし固体の状態でいられるのは今のところ30分間だけで、それを超えると蒸発する。またその際に繊維、要するに着ていた衣服もまとめて融解および蒸発させてしまうという問題があった。

 「ぬぅぅ、ならば今後の着用を拒否する」

 果央の目は本気だった。

 「ギアには既にあなたのデータが記録されてるわ。フォーマットには時間がかかるし、その間に襲われたら今度こそ終わりよ」

 「だからってマッパはヤだ! エレーナのことは守るけど、待遇の改善を要求する」

 それからしばらく、2人はギア改良の可否について言い争った。エレーナが言うには、改良は可能だが必要な機材と設備が足りないとのこと。対する果央は、それなら着たくないの一点張り。十代少女として当然の反応とは言え、このままではいつまで経っても話がまとまらないだろう。

 見かねた冬哉が妥協案を出した。

 「いずれは改良するとして、とりあえず5分前になったらエレーナが警告したらどうだ?」

 エレーナが快諾する。

 「そうね。ついでに着替えも用意しておくわ」

 しかも着替えは全て彼女が自腹で購入するという。果央は学校の制服と道着、それにジャージしか着ないが。

 「ぐぬぬ……もし誰かに裸を見られたら、もうゼッタイに着ないかんね」

 果央の方も渋々ながら、提案を受け入れることにした。ギアは着たくないがエレーナは見捨てない、そこが果央の良いところである。

 「ところで」

 仲裁ついでに冬哉はエレーナに尋ねた。

 「この騒ぎに終わりはあるのか? できれば化け物の道場破りはもう勘弁してほしいんだが」

 師範が勝てない相手に何度も来られては、空手道場として商売上がったりなのだ。

 エレーナは伏し目がちに答えた。

 「ホントはすぐ出ていくつもりだったんだけど、果央にギアを渡しちゃったから……」

 前述の通りフォーマットには時間がかかる。また出ていくにしても、エレーナには特に行く当てはないのだろう。そのあまりにも弱々しい声に、迷惑を被っている冬哉の方が逆に罪悪感を感じてしまった。

 「ごめん、君はずっといてくれて構わないんだ。だけど騒ぎがもっと大きくなるんなら、いっそ警察に助けてもらうべきじゃないかな」

 「常識外れの化け物と、関係者でも実態が掴めない組織よ? 平和ボケした日本の警察が勝てる相手じゃないわ」

 「なのにあたし1人で戦えと?」

 「もちろん組織と戦えだなんて無茶は言わない。研究成果が果央に倒されたと聞いて、ミリガンは自分の目で直接それを確かめに来るはず」

 エレーナはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、空になったドリンク缶(アルミ製)を握り潰した。

 「その時に叩けば、私の大逆転勝利よ」

 美しい顔が邪悪に歪む。研究を妨害されたこと、組織を追い出されたこと、命を狙われたこと……etc エレーナにはミリガンに対する恨みが山ほどあった。

 「こわっ! 悪の科学者だ」

 果央は助ける相手を間違えたかなと思ったり思わなかったり。

 「そんなワケで果央、あなたにはもう少しだけ付き合ってもらうわ」

 「うぃ~。まぁ乗りかかった船だもんね」

 「ギアにももっと慣れてもらわないと。単純なパワーアップだけじゃなくて、内臓機能がいろいろとあるのよ」

 「いいけどマッパは――」

 「わかってる。とりあえず今日はもう襲ってこないはず。今のうちに着替えを買いに行きましょ」

 エレーナの読み通り敵は来なかった。冬哉と門下生たちは化け物騒ぎを忘れ、いつもの午後を過ごした。道場破りや弟子入りなどの珍客が絶えないこの道場は、関係者の誰もがトラブルに慣れっこだという。果央も元気になったエレーナを連れ、食事に買い物にと、貴重な休みを堪能したのだった。


【翌日 午前7時 東雲家の庭】

 土曜日。学校こそ休みだが、朝から晩までレッスンスケジュールが埋まっており、師範代の果央にとっては平日以上に忙しい一日である。しかし今日はエレーナの護衛が最優先ということで、仕事は全てキャンセル。これからギアの操作訓練を行うところだ。

 「ギアのエネルギーはカートリッジ式。今日使えるのは5個までよ」

 「よっしゃ、どんとこーい」

 朝から果央は気合十分。都内らしからぬ広い庭で壁も高く、もしまた全裸になっても外から見られることはない。その安心感がやる気に直結していた。

 「装着前にざっと説明するわね。まずは両足についたリフター。これで空中浮遊が可能よ」

 「いきなりトンデモ化学!」

 「元の技術は20世紀前半からあるものよ。これプラス背中のジェットパックで、地上にいる時以上に立体的な高速戦闘ができるわ」

 ただし30分という時間制限がある現状では、高く飛びすぎると墜落死に直結するという。

 「『親方、空から女の子が』とか言われてみる?」

 「冗談じゃないやい」

 続いては武器の紹介。顔の側面にレーザーガン。手のひらから最大十億ボルトの電気を放出するパルスショック。物体を寄せ付けない電磁バリア。どれもギアのエネルギーを活用したもので、実弾系の武器は持っていなかった。

 「わざわざ内蔵しなくても、その辺にある銃を使えばいいじゃない」

 「日本じゃどの辺にもないけどね」

 身体能力の強化が最大の特徴であり、内臓武器はあくまでオマケである。

 「何とか流ケンポーを使うアンタには、ぶっちゃけ必要ないかも? でも一応もしもの時のために覚えといて」

 「うん……まぁ、昨日みたいなグロシーンは極力避けたいところ」

 内臓破裂だの大量出血だのをするぐらいなら、『〇〇軍団、バンザーイ!』などと叫んで爆発フェードアウトしてほしかった。

 「クルーシブルの関係者はみんな『エリクサー』を持ってるわ。だから即死さえさせなければ大丈夫よ」

 「ゲームアイテム?」

 「効果としては似たような感じ。開発者がゲーマーだったの」

 昨日テナガザル男の腹を治した薬のことである。

 「説明はこんなところね。細かい部分は実際に使って確かめてもらうわ。じゃあ装着お願い」

 「えっと……ブートアップ!」

 叫んだ後に瞬きひとつ。目を開いた時には、見慣れた庭の景色がモニター越しの映像に変わっていた。

 「昨日は説明できなかったけど、中のOSは視線と脳波で操作可能よ」

 「おっしゃる意味がサッパリごめんなさい」

 「要は見たり考えたりするだけで使えるってこと。例えば強さを知りたいと思いながら相手を見ると、体重や筋肉量なんかのデータをスキャンしてくれるの」

 「ふむ、データかぁ……」

 果央はエレーナの全身を見た。

 「私を調べてどーすんのよ!」

 エレーナは咄嗟に胸元を隠した。ちなみに服はちゃんと着ているし、レーザースキャンなので隠しても無意味である。

 「あ、いや、外人さんは細くても発育いいなぁと」

 「すぐ消せ! そして忘れろ!」

 エレーナの剣幕はギアの自爆スイッチ(存在未確認)を押す勢いだ。

 果央はエレーナの体に羨望を抱きつつ、未練たらたらでスキャンを中止した。

 「……ったく、限られた時間を無駄にしないでよね」

 「うぃ~」

 「まずはリフターを使ってみて。頭の中で『浮け』って念じれば機能するはず」

 果央は胸の前で両手を重ね、印を結ぶ忍者の真似をした。

 「ニンニン、はぁぁー!」

 「軽くでいいのよ、軽くで。そんな風に気合入れる必要があったら咄嗟に使えないでしょ」

 「あら左様で。では…………浮け」

 ギアは果央の思考を読み取り、両足のリフターを起動させた。まだ地上から1メートルも浮いていないが、初体験の果央を驚かせるには十分だった。

 「わわっ! ふよふよして、なんかゼリーの上にいるみたい」

 果央の体は上下に揺れていた。浮くには浮いたがバランスが安定せず、大太刀回りなどできそうになかった。

 「アンタのイメージにあわせて機能してるの。だからピタッと停止する姿を想像すれば、地上と同じように立てるわ」

 浮遊という言葉のイメージが強すぎたのだ。

 「な、なるほど……ふにっ!」

 言われた通りに想像すると揺れが収まった。

 「後は必要に応じて『進め』とか『逆さになれ』とか指示を出せばいいわ。浮いた状態をずっと意識する必要もない」

 「わかった。ちょっとやってみる」

 基本の使い方さえ学んでしまえば応用は容易だった。急上昇に急発進、ジグザグ飛行に連続旋回と、果央は縦横無尽に空中を飛び回った。格闘家ならではの動体視力と運動センスである。 

 「いい調子ね。次はお皿を投げるから、空中にいたままレーザーで撃ち抜いて」

 昨日の外出で買っておいた紙皿である。エレーナは最初は丁寧に、途中からはわざと乱雑に飛ばした。

 果央はその全てを事も無げに撃墜。しかも皿の中心部を正確に撃ち抜いた。

 「最後は丸太にパルスショックよ」

 正しくは丸太ではなく木人椿(もくじんとう)。中国武術の練習道具だ。壊れて道場の倉庫で眠っていた。

 果央は空から急降下。そして木人椿の頂点に両手を添えて逆立ち状態となり、10億ボルトの電気を放出した。

 「ピカー!」

 木人椿はバチバチという音と共に強い光に包まれ、破片を飛ばしながら縦に真っ二つに裂けた。放出時間1秒にも満たない電撃でこの威力である。少しでも時間を延ばせば、無事でいられる生物はいないだろう。

 「予想以上の動きだったわ。もっと早くアンタと出会っていれば、コンペも負けなかったのに……」

 エレーナは嬉しさ半分、悔しさ半分といった顔だった。コンペに負けたおかげで優秀なテスターを獲得するとは、何とも皮肉な話である。

 「なんかゲームのチュートリアルみたいだった」

 操作訓練だからあながち間違ってはいない。

 「使ってみて気になった点とか疑問点とかある?」

 「特には。もっと難しいと思ってたからほっとした」

 「なら引き続き操作訓練をお願い。ミリガンの部下は今日明日中にまた来るわ」

 次の敵は前回よりも強いはず。コンマ1秒のミスが命取りになることもあるだろうから、時間の許す限りギアの扱いに慣れてほしかった。

 果央は裂けた木人椿を見ながら一言漏らした。

 「救世七星流の技にギアのパワー。う~ん……実戦空手道とブーメランを組み合わせるぐらいのことができそう」

 「は? ブーメラン?」

 「何でもない。適当に体を動かしてみるから、5分前になったら教えて」

 果央は残心道と救世七星流、両方の演舞を行い、技のひとつひとつを細かく確認した。


【午前11時 庭】

 果央、訓練続行中。

 「大変だ、また来たぞ」

 昨日とほぼ同じ時間。今回は弟子ではなく、冬哉が自ら伝えに来た。

 「日本語が通じたから、外で待ってもらっている」

 例え優秀な格闘家でも、生身ではミリガンの改造兵士に全く歯が立たない。そのため冬哉は門下生たちに、再び敵が来ても相手をしないよう言い聞かせた。幸いミリガン側も無駄な騒ぎは起こしたくないらしく、エレーナに取り次ぐから待つよう伝えると、素直に従ってくれたという。

 「こういう時、親父なら『退くな、戦え』とか言うだろうな」

 冬哉が自嘲交じりに呟いた。彼は常識人で経営手腕こそあるが、格闘術に関しては東雲家最弱だった。

 「ううん、兄ちゃんは立派だよ。大事なお弟子さんに怪我させるわけにはいかないからね」

 果央は一家を支える冬哉を本気で尊敬している。東雲家は、拳次郎の莫大なファイトマネーを家計の要としているが、定収入と社会的信用は冬哉の道場経営によって成り立っているのだ。

 「ええ、化け物相手に無理する必要なんてないわ。じゃあ果央、ちょっと早いけどカートリッジの交換を」

 それから間もなく。白衣の女性と黒スーツの男性が冬哉に連れられ、庭へとやって来た。

 「ごきげんよう、エレーナ。先日はウチの部下が世話になったそうで」

 女性が一歩前に出てエレーナに話しかけた。どうやら彼女がDr.ミリガンのようだ。180センチ近い長身に、腰まで届く銀髪。切れ長で知性を感じさせる青い眼。紅いルージュが映える瑞々しい唇。簡素ながら高級感漂うワイシャツからは、果央の3倍はありそうな胸が激しく主張する。スカートも同様で、スリットから見え隠れする足が艶めかしい。申し訳程度に羽織った白衣がなければ、誰もが海外のトップモデルだと思うだろう。

 「うわっ、美人さんだ」

 果央はエレーナとミリガンを交互に見た。それから装甲越しながら自分の胸に両手を当て、世の不条理を嘆いた。

 「落ち込んだ理由はあえて聞かないけど、そいつは50歳越えのオッサンよ」

 「えっ!?」

 果央は改めてミリガンを上から下まで凝視した。性転換手術であれば、骨格や声帯に男性だった頃の面影が多少は残る。またいくらアンチエイジング手術を受けても、手の老化は誤魔化せない。ところがミリガンには、そんな痕跡が欠片も見当たらなかった。どこからどう見ても20代半ばの美女だ。

 「もぉ~、この状況で冗談とか笑えないよ」

 果央は乾いた笑いでエレーナを注意した。

 「いや、嘘ではないよ。私の名前はオリヴァー・ミリガン。女性になった今はオリヴィアと名乗っているがね。先月53歳を迎えたばかりだ」

 ミリガンは真顔で答えた。

 「現代医学すげー!」

 性転換も若返りも手術によるものではなく、開発中の薬を投与した結果だという。しかも自ら望んでこの姿になったわけでもなく、とある実検の副反応とのこと。

 「美女になれる薬とか、世界中で爆売れしそう」

 果央の率直な感想に、横で見ていた冬哉もうなづいた。

 ミリガンは不思議そうな顔で言葉を返した。 

 「美女? まぁそれなりに整っているとは思うが、言うほどではなかろう」

 「美的感覚が異次元レベルで違うのかな。ここまで綺麗な人が言うと嫌味にも聞こえないや」

 「嫌味ではない。ワンダー☆リオと比べたら、私など凡人もいいところだよ」

 「ワンダー、なに?」

 これから戦う者同士とは思えない和やかな雰囲気。その中にあって、命を狙われているエレーナだけがピリピリしていた。

 「無駄話はその辺にして。ギアの装甲は30分しかもたないんだから」

 「あーそうだった。どっからでもかかってこい!」

 果央は左手を気持ち前に出して腰を落とした。救世七星流の基本的な構えである。

 「ギアの強さについては報告を受けている。だからこちらも相応の兵を連れてきた」

 ミリガンが右手を軽く上げると、後ろに控えていた男が彼女の前に出た。

 状況は1対1。昨日の5人がかりと比べたら楽なように思える。しかし果央は楽観視するどころか、むしろ緊張感を強めた。

 「来る!」

 前に出た男は両手を膝に乗せ、前傾姿勢で力んだ。すると全身から力こぶがボコボコと膨れ上がり巨大化。3メートルを超える体躯となった。見た目は両手をカニのハサミに変えたクマだ。

 「前回にも増してバケモノじみてるね。カイゾーニンゲンってヤツ? ニチアサじゃなくて昭和だったか」

 果央は拳二郎が集めている特撮ヒーロー作品を思い出した。

 「昨日の部下たちは注射一本で変身した即席の強化体。お手軽な分、効果も持続時間も微々たるものだ。だがここにいるマークは、人間の素体を丁寧に改造した特別製でね。強さは桁違いだよ」

 「ゴアァァー!」 

 マークと呼ばれた男は巨獣らしい野太い咆哮をあげた。

 「さぁマーク、やりたまえ。自慢のパワーでギアごと粉砕するのだ」

 マークは左右のハサミを振り回した。対する果央、袈裟斬りはバックステップ。横一直線の胴斬りはリフターも使ってジャンプ。突きは避けつつ横から叩いて軸ずらし。それほど速い攻撃ではないため、今のところ回避できている。しかし圧倒的な体格差は埋めようがない。常人の拳なら体を僅かに動かすだけでかわせるが、マークのハサミは横幅だけでも1メートル強。全力で飛びのいてギリギリ避けられるレベルだ。それに体の大きさは破壊力にも直結する。運悪くかすりでもしたら大ダメージ必至である。

 「だぁーもうっ! 身も心も疲れるよ」

 マークのスタミナ切れが先か、それとも果央の集中力切れが先か。

 と、ここで、ミーミルからの音声メッセージが流れた。

 「敵の攻撃パターンを解析しました。ナビゲートを実行しますか?」

 日本女性を模した声だった。

 「え? じゃあお願い」

 回避に集中していた果央は適当に答えた。すると……?

 「それではナビを開始します。およそ3秒後、3時方向より叩きつけ攻撃が来ます。次いで2秒後、11方向からも同様の攻撃が、80パーセントの確率で来るでしょう」

 「へ?」

 ミーミルは装着者の状況などお構いなしに、次から次へとメッセージを垂れ流した。

 「各攻撃の衝撃は1トン。ギアの装甲ならば防御することで3パーセントまでダメージを軽減できますが、7時方向に9センチ移動することで回避も可能です。2秒以内に回避した場合は反撃のチャンスが13パーセント上昇します。しかし失敗した場合は次の攻撃が来るため、逆に危険度が25パーセント増しとなるでしょう」

 まるで得意分野について話し続けるマニアだ。言葉の激流はまだまだ続く。

 「相手との距離は現在200センチ。優位な位置で攻撃を行うには、最低でも135センチまで距離を詰める必要があります。パンチを中心とした攻撃が有効です」

 「敵の弱点は現在のところ不明です。生命体の基本として頭部、特に後頭部への打撃が有効かと思われますが、その場合でも彼岸の体格差を考慮すると、最低でも2発以上の連続攻撃が必要となるでしょう」

 「パルスショックを使用しますか? 設定を常時使用に切り換えた場合、継戦時間が5分前後短しゅ――」

 「うるさーい!」

 あまりの騒がしさに果央がキレた。ついでに集中力も切れた。

 「んぎゃ!」

 その隙を狙ってマークのカニパンチが炸裂。鳩尾に直撃を受けた果央は、くの字で5メートル後方の壁まで吹き飛んだ。衝撃で漆喰の壁がガラガラと崩れ落ち、砂煙を巻き上げる。

 「果央!?」

 冬哉とエレーナは同時に叫んだ。

 「はっはっは。いいぞマーク、その調子だ」

 ミリガンはマークの活躍を拍手で称えた。

 「ケホッ! ケホッ!」

 果央が煙の中から出てきた。

 「体の調子は? ギアはちゃんと使える?」

 「た……たぶん大丈夫」

 カニパンチが当たった瞬間、果央は自分から後方に飛んだ。おかげでダメージは半分程度に抑えられたが、勢い余って壁にぶつかり、キッチリ残り半分のダメージも負ってしまった。

 「それよか何さ、このナビ? うるさくて集中できないんだけど」

 「指示に従って動けば、素人でもプロに勝てるかなって」

 「説明長すぎ。聞いてる間にやられちゃうよ」

 開発者と利用者の認識の違いとでも言うべきか。必要と思う内容を詰め込みすぎた結果、実用性が著しく下がってしまったようだ。そもそも果央は気配で相手の動きを察知できるため、下手な情報は逆に足かせにしかならなかった。

 「しょうがないなぁ。ひとまず『ナビゲートオフ』って言いなさい」

 エレーナは不服そうだ。この機能もギアのセールスポイントにするつもりだったのだろう。

 「テスターからの意見ってことで、改良をご検討ください。ナビゲートオフ」

 今の今まで騒がしかった音声がピタリと止んだ。

 「さて、仕切り直しといきますか」

 果央は再び基本の構えでマークと対峙した。

 マークはクマ男らしからぬ気取った笑いを浮かべた。

 「ははっ、強がるなって。膝が震えてるぜ?」

 前のめりで左のハサミを腰に乗せ、右のハサミは果央の膝辺りを指さす。今時モデルでもやらない気障なポーズだ。ミーミルを通して日本語に翻訳された発言も、妙に余裕あり気で腹が立つ。

 「今のは事故っただけ。邪魔さえ入らなかったら負けないよ」

 事実、ナビが入るまでは順調に避けていた。

 マークは両手を広げてお手上げのポーズをとった。リアクションがいちいち鬱陶しい。

 「俺はプロのボディガードだぜ? ジムのインストラクターとは潜り抜けた場数が違う。大怪我する前に下がりな」

 「救世七星流は最強無敵。アンタ程度ならワンパンでヨユーだっての」

 「ほぅ、だったら証明してみせろ!」

 今度もマークから仕掛けた。クマの巨体とハサミの質量に頼った攻撃で、庭の地面や壁を穴だらけにしていく。まるで狂った重機だ。

 「ムダムダ、それはもう見飽きたよ」

 果央は先ほどよりも素早く、よりコンパクトに攻撃を回避し続けた。既にマークの攻撃パターンを読み切っているのだ。

 「頼むから他所でやってくれ。修繕費いくらかかると思ってるんだ……」

 果央よりもむしろ冬哉にダメージが。非力な経営者は、道場の無事をただ祈ることしかできなかった。

 マークの右大振り攻撃が地面を叩いた。周囲が縦揺れを起こすほど強烈な攻撃。それだけに直後の隙も大きい。

 「いまだ」

 果央はマークのハサミに手刀を放った。瓦割りの要領で上から縦に一閃。ハサミはバキバキと乾いた音を立て、脆くも崩れ落ちた。

 「ウギャァァァー!」

 マークは大きな叫び声をあげてその場に転がった。

 「マーク!」

 手塩にかけた傑作の危機に、マリガンも思わず声を荒げた。

 「ちょ、ちょっとかわいそうだけど……これが救世七星流閃襲チョップ(せんしゅうちょっぷ)の威力だよ」

 果央は昨日と似たような惨状に困惑した。このままマークが降参し、例のエリクサーとかいう薬を打ってくれればいいと思った。

 ところがマークはヨロヨロと、痛みを堪えつつ起き上がり、今や左だけとなったハサミを再び果央に向けて構えた。

 「ま、まだだ……まだやれる」

 「もうやめようよ。痛いんでしょ? 早く薬打ちなって」

 マークは黙って首を横に振った。痛みで口を開くのも辛いらしい。

 「果央、とどめを。気絶させれば大人しくなるでしょ」

 戸惑う果央にエレーナからの助け船。確かにひと思いに倒してしまった方が介抱しやすいはず。

 「了解。ソッコーで眠らせる」

 果央は一足飛びでマークに襲いかかった。

 「救世七星流、昇天ハンマー拳! (しょうてんはんまーけん)」

 飛びながら両拳を重ね、ハンマー投げの要領で回転する。狙うはマークの顎先ただひとつ。

 マークがあまりに痛がったせいで、果央も、エレーナも、冬哉も気が付かなかった。ハサミを叩き落した腕からは血が一滴も流れておらず、それどころか傷口部分にうっすらと白い膜が張っていることに。

 「かかった」

 マークは傷ついた右腕を果央に向かって突き出した。すると傷口の膜が破れ、そこから新たなハサミが飛び出した。

 「はぃぃぃー!?」

 カニは手足が欠損しても、脱皮で元通りにできるという。マークのカニ要素は両手だけのようだが、それでも再生能力はしっかりと具わっているらしい。

 新たなハサミは不意打ちに面食らう果央の頭を捕縛。そのまま宙吊りにして動きを封じた。

 「相手の痛みに敏感すぎる。そんなヤワなハートじゃプロには勝てないぜ」

 マークとミリガンは揃ってしたり顔。痛みに悶える姿も、仲間を気遣う叫びも、全て演技だったというわけだ。

 「いいぞマーク、そのまま頭を潰してしまえ」

 3メートルを越えるクマの力は凄まじく、果央のヘルメットは早くもミシミシと音を立て始めている。このままではスクラップにされるのも時間の問題だ。

 「わわわっ、ヤバいかも。ナビ子ちゃん!」

 果央はオフにしたばかりのナビゲートを再び呼び出した。

 「ナビゲート起動。敵データの解析を行いますか? それとも音声案内による攻げ――」

 「その話はまた今度。こういうことできる? できるなら今すぐお願い」

 「了解。アーマーパージ」

 音声が流れると、首から上の装甲が全て気体に変わり、大気の中に溶け込んだ。ギアが気体金属ウルで形成されており、その上システムの中枢を担うミーミルは腕輪に内臓されているからこそ可能な芸当である。

 ヘルメットが消えたことにより、果央の頭部とマークのハサミの間に隙間ができた。果央はこのチャンスを逃さず、すかさず宙吊り状態から地面に着地。急に消えた手応えに驚くマークの腹部めがけ、右拳を振りかぶった。

 「救世七星流・改、電光マグナム突きぃぃーっ! (でんこうまぐなむづき)」

 「ぐおぁぁぁぁー!」

 直撃を受けたマークは先ほどの果央と同じく、くの字で盛大に吹き飛んだ。ただし自ら飛んで打撃の衝撃を殺した果央とは違い、見た目通りのダメージを受けていた。クマの太い体のおかげで貫通こそしなかったが、どのみちエリクサーを打たなければ立ち上がれないだろう。

 「馬鹿な。ギアでパワーが増しているとはいえ、まさかマークがパンチ1発で倒されるとは……」

 ミリガンは自信作の敗北に呆然とした。

 果央はドヤ顔でダブルピース。

 「ふふん、実戦拳法とギアを組み合わせた、全く新しい必殺技だよ」

 「新しい必殺技?」

 冬哉はオウム返しで尋ねた。

 「兄ちゃんなら救世七星流マグナム突きを知ってるよね?」

 「ああ、父さんの得意技だからな。踏み込みと拳の捻りを強化した、変形の正拳突きだ」

 「そう、普通のより1.5倍強いヤツ。あれにギアの機能で、いつもの2倍のスピード、いつもの3倍のパワー、そしていつもの1.25倍の捻りを加えれば、えっと……?」

 暗算できない果央に代わってエレーナが答える。

 「11.25倍」

 「そう! ついでにインパクトの瞬間にパルス何とかも出して、1200万パワーぐらい強い技にした」

 実際の威力はわからぬが、とにかく凄い技だ。

 エレーナは果央の活躍を称賛するも、なぜか頬を赤らめて目を逸らした。

 「やっぱりアンタにギアを託して正解だったわ。その……電マ突きって技名はともかく」

 「へ?」

 果央は言葉の意味が理解できなかった。

 「変な風に略さないでくれ……」

 冬哉は気まずそうな顔でエレーナを叱った。

 「それよか果央、そろそろ5分前になるわ。部屋に戻って着替えを」

 「おっと。んじゃ~ミリガンさん、もう悪いことしちゃダメッスよ」

 敵にも律儀に挨拶し、この場から離れようとする果央。ところがミリガンの様子が少しおかしい。何をしたわけでも、されたわけでもないのにブルブルと全身を震わせ、立っているのもやっと。そんな状態でありながら右手の人差し指を果央に向け、大きな声を張り上げたのだ。

 「ワンダー☆リオ! ワンダー☆リオだ!」

 「ほへ?」

 それから果央の目の前に瞬間移動。彼女の両肩を掴んで離さなかった。

 「リオが実在するなんて。ああ、私は夢でも見ているのだろうか」

 「あ、あのぉ……」

 「いやいや、よく考えてみればアレは日米合作。キャラデザがこの少女をモデルにした可能性も考えられる。とはいえそんな話は公式サイトでもSNSでも見た覚えがないぞ。だが、だがしかし、偶然にしては出来すぎではなかろうか」

 ミリガンはブツブツと超高速の独り言を始めた。顔は一応果央に向けているが視点が定まっておらず、どうやら自分の世界にトリップしている様子だった。

 「手を放してくれないッスかねぇ?」

 「えーい、マイナー作品は情報収集に苦労する。私はまだ2期を諦めてはいないぞ。円盤の売上が足りないのなら、追加で5000枚は買おう。もしくはクラファンをしてくれ。いっそ石油王のように自分から出資を……ああいや、いま重要なのはそこではない。我が前にリオ本人が降臨したというこの僥倖、一分一秒も無駄にはできん。まずはそう、アレを……」

 日本人以上に流暢な日本語だが、果央には話の内容が全く理解できなかった。早く部屋に戻りたくて聞く余裕がないというのもある。

 「お願いだから放して!」

 「急いで果央、もう時間がない」

 マッパまであと30秒。

 「うにゃー! 救世七星流、薙監堕滅是津耐!! (ちかんだめぜったい)」

 果央はミリガンの腕を強引に振りほどき、逆に彼女の肩を押して転倒させた。それから回れ右をして一目散に家の中へ。

 「待ってくれ! どこへ行くんだ、リオ!?」

 ミリガン、心の叫び。果央を追いかけようと起き上がる。

 「すぐ戻るッス! 兄ちゃん、そのヒト捕まえといて!」

 いきなり仕事を振られた冬哉。元は初老の男性と言われても今は絶世の美女であるミリガンに気後れし、申し訳程度に手首を掴んだ。

 「まぁ妹の着替えを覗かれても困るんで」

 「放したまえ。リオが待てと言うのなら待つよ」

 ミリガンは意外と冷静だった。

 エレーナは疲れと呆れのこもった溜め息を漏らしつつ一言。

 「ならその間にクマ男を治しなさいな」


【5分後】

 「お待たせ」

 果央がジャージ姿で庭に戻ってきた。

 「そ、その姿は、第4話『決めろ必殺シャイニースマッシュ!』のAパート4分52秒からBパート17分31秒まで着ていたジャージではないかね!」

 ミリガンは大興奮で果央に飛びつこうとしたが、冬哉と回復したマークに肩を掴まれた。

 「何の話かわかんないけど、これは昨日エレーナに買ってもらった服ッス」

 「ではエレーナが私のことを思って!? すまん、君とは犬猿の仲だとばかり」

 「アンタの趣味なんて知らないわよ」

 エレーナの命を奪いに来た悪の組織の親玉、そんなミリガンのイメージはもはや欠片も残っていなかった。今の彼女は推し作品への愛が抑えきれないただのマニアだ。

 「そもそもワンダー☆リオってなんスか?」

 果央からすれば当然の質問だが、果央=リオと信じて疑わないミリガンは、悲しみに怒りと失望感を混ぜた複雑な表情をした。

 「モデルの君が知らぬはずなかろう」

 「モデル!?」

 「まぁいい、説明しよう。ワンダー☆リオは5年前に誕生した日米合作アニメだ」

 日本の萌え文化に感銘を受けたハリウッドの映画監督が、私財を投げ売って日米のトップアニメーターを招集。約3年もの歳月をかけて作り上げたアクション作品である。

 その内容は小柄で元気な少女『リオ』が、謎のマスコット『ロクベエ』の導きでスーパーヒロインに変身し、巨大な悪に立ち向かうというというもの。コテコテの王道シナリオながら、ちょっと叡智で個性的なヒロインたちが、既存の米国作品にはない魅力だった。放送当時は世界中の大きなお友達から注目を浴びたという。

 ところが時を同じくして、女性の地位向上を掲げる市民団体が全米で台頭。本作を『性を売り物にした下劣極まりない作品である』と吹聴し、グッズや円盤の不買運動を徹底的に行ったそうだ。

 「奴らのせいで3クール39話の予定が、わずか1クール12話で打ち切りになってしまったのだ。これは芸術を汚す愚行に他ならない。美を知らぬ豚どもめ、断じて許すまじ!」

 熱く語る姿はまるで、国民を困窮から救わんとする指導者のよう。

 「はぁ、苦労してるんスね、よくわかんないけど」

 「おぉ、私の苦悩を理解してくれるか! さすがはリオ」

 「ラオッス」

 ミリガンは果央の手を取り、瞳を爛々と輝かせた。見た目は同性だからか、それとも彼女の作品愛が純粋すぎるせいか、そこに卑猥な空気は一切なかった。

 「頼む、私の同志になってくれ。その溢れんばかりの美貌と活力でもって、市民団体の撲滅に力を潰してほしい。そしてアニメの続きを作るんだ」

 ミリガンは手も声も熱く滾っていた。

 「あ、あはは……えっと、困ったなぁ」

 果央はミリガンの勢いに呑み込まれそうだった。拳の圧力なら容易く押し返せるが、存在感の圧力に救世七星流は無力。この世にマニアの布教活動ほど厄介なものはないのだ。

 「ちょっと待ちなさいよ。アンタは私を始末しに来たんじゃなかったの?」

 エレーナから抗議の声。ここまで生きるか死ぬかの逃走劇を続けてきたのに、急に蚊帳の外にされては文句のひとつも言いたくなって当然である。

 「もちろん最初はそのつもりだったさ。組織の存在を公にされては困るし、何より君の研究が脅威だったからね。卑怯な手を使ってでも潰したいというか、先日のコンペでは実際にそうさせてもらった」

 「まさか、あの時ギアの調子が急に悪くなったのって?」

 「ああ、事前に君の部下を買収しておいた。おかげで私は支部の実権を握り、潤沢な予算も手に入れることができたよ」

 ミリガンが自らの悪事を暴露した。特に悪びれもせず、部下に裏切られたエレーナをあざ笑うでもなく、かと言って犯した過ちを悔いるでもなく。ただ淡々と、行為とその結果のみを語る姿はある意味、興味がないことには無関心な学者らしいと言える。その被害者であるエレーナは怒髪天どころではなかったが。

 「……果央、こいつ殺して」

 「ムチャ言うない」

 ミリガンの空気が読めない発言はさらに続く。

 「しかしよくよく考えてみれば、わざわざ命を奪いに日本まで来る必要はなかった。未完成のギアなど、もうじき完成する我が研究の前では玩具も同然だからね」

 「その玩具に2度もボロ負けしたクセに」

 「というわけで、私はもう君にもギアにも興味がないのだよ。いま夢中なのは……」

 ミリガンは改めて果央の顔を見つめた。

 「リオ、私と共にOTAKU世界を救おう」

 「ラオッス」

 ミリガンの勧誘は尋常な熱量ではなかった。好条件を出す→断られる→さらに良い条件を出すの無限ループ。しかし興味が1ミリもない果央には全く響かず、無駄な時間だけが過ぎていった。

 「いい加減しつこい。それよか私の研究を駄目にした責任を取りなさいよ。早い話が慰謝料と今後の研究費をよこせ」

 「経緯はどうであれ負けは負けだ。金で裏切る仲間を持った君が悪い」

 加害者側の暴論ながら、エレーナは反論できなかった。彼女も主任の座に就くため、それなりに他人を踏み台にしてきたからだ。そして言葉に詰まった挙句、拳が出た。

 「フンッ!」

 素人にしてはなかなかに鋭いパンチだった。

 「アフン」

 左頬に直撃を受けたミリガンは、その場で半回転しながら地面に突っ伏した。

 「なっ!?」

 まさかの行動すぎて、見ていた仲間たちは止めに入れなかった。

 「に、肉体言語とは、科学者の風上にも置けん」

 妖艶な顔から鼻血がタラリ。

 「最初からこうすれば良かった。アンタも研究もぶっ潰してやる」

 エレーナはミリガンを踏みつけようと右足を上げた。

 「ストーップ!」

 今度こそ飛び出す仲間たち。東雲兄妹はエレーナを拘束し、その間にマークはミリガンを抱え上げた。

 「放しなさいよ! 変態ジジイを倒すチャンスなんだから」

 「落ち着きなって。暴力はんたーい」

 格闘家が言っても説得力皆無である。

 「やれやれ失望したよ。君をライバルだと思っていた自分が情けなくなる」

 見た目に反して武闘派なエレーナも大概だが、ミリガンはミリガンで負けん気が強かった。

 「(挑発はいいから鼻血を拭いてください)」

 マークはミリガンを押さえつけながら、果央たちに申し訳なさそうに頭を下げた。意外といい人なのかもしれない。 

 「まぁいい、今日のところは帰るとしよう。リオ、次こそはいい返事を期待しているよ」

 「ラオッス」

 ミリガンとマークは静かに退散した。

 「逃げんなー! 決着つけ――」

 「せい!」

 「ぐえっ……」

 暴れるエレーナの説得に、果央は今日も胴締めスリーパーを使わざるを得なかった。


【1週間後 正午 東雲家ダイニング】

 「いた~だきます」

 いつもの土曜日。午前のキッズ教室を終えた果央は、エレーナと共に昼食を楽しんていた。献立は一晩寝かしたカレーとフルーツサラダ。ちなみに午後は一般教室の指導を行う予定である。

 「エレーナ、午後の予定は?」

 ミリガンの襲撃対象から外れた後も、エレーナは東雲家に居候していた。再び来るであろう改造兵士に備え、果央にギアを預けているからだ。

 「引き続き商談先の下調べね。来週から外回りに出るわ」

 この1週間はミリガンのミの字も現れず、みんな普段通りの生活に戻っていた。エレーナはギアと自分の技術を売り込むべく、ただいま大手機械メーカーとのアポイント取り付けに東奔西走中だ。

 「興味を持ってくれる会社がいたら直に実物を見せるつもり。その時は協力よろしくね」

 「学校と被らないようにスケジュール調整してくれるなら。あと5分前――」

 「報告だけは忘れるな、でしょ。わかってる、恩人を裏切るような真似はしないわ」

 2人は生まれも育ちも全く違うにもかかわらず、不思議と馬が合った。出会って数日で、早くも数年来のコンビのような間柄になっていた。恐らく今回の騒動が終わった後も同居、あるいは近所付き合いを続けることだろう。

 「しっかし平和だねぇ。もうミリガンさんも来ないんじゃない? 仕事が忙しくなったとかで」

 「私のことはともかく……」

 ミリガンだけでなくエレーナも、相手への関心は既になかった。せいぜい『ギア完成の暁には再起不能になるまでシバき倒す』と思っている程度だ。

 「あいつは今アンタに夢中だから、近日中に嫌でも来るはず」

 「ぬぅぅ……」

 果央は先週ミリガンたちが帰ってから、件のワンダー☆リオについて検索してみた。すると主人公のリオは似顔絵レベルで自分とソックリだった。

 「あたしは父ちゃんと違って有名人じゃないし、アニメ関係の知り合いもいないのに、なんで似てるんだろ」

 「さあ? 近所に制作スタジオでもあるんじゃない?」

 エレーナは右手でスプーン、左手でノートPCのキーボードを扱い、さらに左耳のイヤホンでニュース動画の音声を聞いていた。天才少女は普段からこのようなマルチタスクで仕事をしているそうだ。

 「作品信者のあいつが知らないんだから、私たちが調べたってわかりゃしないわよ」

 「まぁねぇ」

 果央も軽い気持ちで口に出してみただけで、この問題が特に重要ではないことを承知していた。

 その後も2、3取り留めのない会話を交わし、昼食終了。2人で手分けして後片付けを行い、それぞれの仕事に戻ろうとした……ところで玄関のチャイムが鳴った。

 「ごきげんよう。今日もいい天気だね」

 まるで隣人のような挨拶。いまさら語るまでもなくDr.ミリガンとその仲間たちだ。今回はマークの他にもう1人いる。

 「こんちは。1週間ぶりッスね」

 「招かれざる客に挨拶なんかしなくていいわよ」

 ミリガンはエレーナの敵意を軽く流した。

 「まぁそう固いこと言わず。それに今日は君ではなくリオに会いに来たのだ」

 「ラオッス」

 早くも天丼になりかけているやり取りを交わすと、マークが果央に紙袋を差し出した。いまどき秋葉原でも見かけない美少女イラスト入りの派手な紙袋だ。

 「ぜひとも君に受け取ってもらいたい」

 中身はワンダー☆リオのブルーレイボックス(全4巻、未開封)だった。ちゃんと全巻購入特典のB2タペストリー、アクリルスタンド5点セット、さらには数量限定盤特典のリオ7分の1スケールフィギュア(衣装着脱可能)まで入っていた。

 「な、なんかスゲーッスね……」

 果央、ちょっと引き気味。

 「フフッ、布教用に1000セット買ったからね。もちろん転売などという愚行は犯していないから安心したまえ」

 フィギュア付きは安く見積もっても4万円はするわけで、それが1000セットなら4000万円は確実。見よ、これが信者だ!

 「それを観てワンダー☆リオの世界を理解してくれたまえ。そしてその後は……」

 マークは紙袋をもうひとつ果央に渡した。こちらは高級ブランドの洒落たデザインで、中には頑丈に作られた紙箱がひとつ。開けてみると、ゴムとも綿ともナイロンとも違う素材でできた青タイツと真っ赤なマントが入っていた。

 「ワンダー☆リオの衣装だ。これを着てリアルリオになってほしい」

 「お断わりッス」

 果央は一瞬のためらいもなく即答した。

 「くっ……残念ではあるが、その返事は想定済みだ。だからこうしよう。リリィ」

 ミリガンに呼ばれ、彼女の後ろに控えていた仲間が前に出た。果央と似た背丈の少女で、上は頭からフードを被り、下は黒のショートパンツと縞柄のニーソックス、それに厚底の革靴を履いている。また服のいたるところにファンシーな絵柄の缶バッジを付けており、少し歩いただけでカチャカチャと音が鳴ってうるさかった。

 「君がこの子に負けたら私の望みを叶えてくれ。逆に勝ったらエレーナを組織に戻そう」

 前回までとは違い、正式な勝負の申し出だ。だが仮に断ったたとしても、厄介系アニオタのミリガンは大人しく引き下がりはしないだろう。

 「ですってよエレーナさん。職場復帰にご興味おありかしら?」

 「あるはずないでしょ。上から目線でふざけたこと言ってないで、慰謝料と今後の研究費をよこせ」

 「デスヨネー。まぁあたしには何のメリットもないけど、エレーナの要求を呑むんなら相手になるッス」

 「ファイトマネーか。むぅぅ……」

 ミリガンは返答に詰まった。趣味に4000万円出せる彼女ですら渋るということは、要求額は億単位に違いない。

 「いいよ、それで」

 答えたのはミリガンではなく、リリィと呼ばれた少女だった。

 「勝手に何を言うんだ。お前の小遣いとはワケが違うんだぞ?」

 ミリガンにしては珍しく常識的な台詞だった。

 リリィはフードを脱ぎながら言った。

 「うっさい。ドクは黙ってて」

 露になったリリィの顔は、ピュアな美しさで輝いていた。見た目は10歳ぐらい。大きな碧眼に長い金色のまつ毛で、まるでおとぎ話の世界から飛び出してきたかのよう。服装も今のパンク風ではなく、ロリータファッションの方が似合いそうだ。だが機嫌が悪いのか、口調も目つきも妙に刺々しい。

 「かっ!」

 リリィを見た途端、果央の様子が一変した。ブルブルと全身を震わせ、何かを掴もうと両手の平を広げる。その姿は初めて果央を見た時のミリガンとそっくりだった。

 「かわいぃぃぃぃぃー!」

 「うぇ!?」

 果央は唐突にリリィを抱きしめた。

 「お人形さん的なかわいさっつか、なんか抱きしめて守りたくなるっつか。やっば! 美少女マジやっば!!」

 名前がリリィだから百合ネタというわけではないらしい。

 「は、離れろ!」

 リリィは全力で果央を突き飛ばした。

 「っとと……。思ったよかパワフルだね」

 果央は明るく笑い返したが、実は体幹と足さばきでギリギリ転倒を防いでいた。押された肩が痛い。危うく脱臼するところだった。もっとも、これが常人なら壁まで飛ばされて内臓が破裂していたはず。当然のことながら、リリィの肉体は改造済みのようだ。

 「アタシは負けない。絶対にアンタを倒す」

 「日本語上手だねぇ。どこで習ったの?」

 敵意むき出しで噛みつくリリィ。それをのらりくらりと避ける果央。

 「はっはっは。この子は日本のアニメを大量に見て育ったからね。おかげで母国語の英語より堪能だよ」

 そしてドヤ顔のミリガン。

 「うっさいアニオタ! アンタが無理やり見せたんでしょうが」

 リリィは全方位に敵意を向けていた。何がそんなに気に食わないのだろうか。

 見かねたマークがなだめに入る。

 「(落ち着け。怒ったところでつけ入る隙を与えるだけだ。堂々と構えて、お前の強さを見せつけてやれ)」

 英語なので果央には内容が理解できなかったが、しゃがんでリリィの目を見ながら話す姿を見て、彼が善人であることを確信した。

 「……わかった」

 リリィは落ち着きを取り戻した。

 「ステージはどこ? 庭でもドージョーでもいいから、サッサと連れてって」

 「オッケー。ん~道場はこれからレッスンで使うから、やっぱり庭にし――」

 果央はふいに背後から肩を掴まれた。

 「外にしよう」

 冬哉だった。肩を掴む手と、作り笑顔の目尻がプルプルと震えていた。

 「兄ちゃん、いつの間に?」

 「これ以上壊されたら大赤字だ。頼むから外に行ってくれ」

 声まで震えだした。家計を担う兄からの切実な願いだった。余談だが、先週壊された庭の修繕費は7桁になる模様。

 「ウ、ウッス」

 そんなこんなで一行は近所の公園へ……。


【午後1時30分 公園】

 果央がエレーナと初めて出会った公園に到着。土曜の昼過ぎであるため、散歩やピクニックといった利用客でそれなりに賑わっていた。

 「本当にやるつもり? 人的被害が出そうなんだけど」

 エレーナは及び腰で尋ねた。命がけだった今までとは違い、今回の戦いはあくまでミリガンの趣味に付き合うものである。まともな人間なら周りへの被害を気にして当然だろう。

 「気になるなら映画のロケだとでも言って人払いすればいい」

 「そんないい加減な。警察沙汰になって困るのはアンタたちでしょうが」

 「ラオを倒す、それだけ」

 自己中心的なミリガンと殺気立つリリィに常識は通用しなかった。このままでは問答無用で暴れだしそうだ。その前に早く利用客を避難させなければ。

 常識人の3人は慌てて利用客の説得に走った。日本語ができないマークは、スマートフォンの翻訳アプリを使って頑張った。

 5分後、どうにかこうにか人払い完了。ある程度の無茶をしても大丈夫な広さを確保した。

 「ふぅ、お待たせッス」

 「ギャラリーが多いようだが?」

 「うん、まぁ……」

 近所でも有名な格闘家が戦うと聞いて、利用客の大半はそのまま野次馬に変わった。邪魔にならないよう離れてはくれたが……

 「あれってシノケンさんの娘さんだろ? すごい勝負になりそうだな」

 「がんばれー、果央ちゃーん!」

 「ねぇあのフードの子、マジかわいくない?」

 早くもちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 「後から割り込んどいて『見るな。帰れ』とは言えなかったんスよ」

 「ふむ、まぁよかろう。我が最高傑作のすばらしさ、その目にとくと焼き付けるがいい」

 クルーシブルの研究は倫理的にアウトなものが大半である。そのため出資者たちはこれまで組織の存在を隠してきたのだが、真逆なことをしてミリガンは大丈夫なのだろうか。下手したら出資者たちに消されるのではないか。エレーナはそんなことを考え、しかし抜けた組織と自分をハメた者を気にする義理はないと、すぐにその考えを捨てた。

 「さぁリリィ、戦闘開始だ」

 「言われなくても……ハッ!」

 リリィは約5メートル離れた果央に向かって跳ねた。飛びながら獲物めがけて右手を振りかぶる。

 果央はその動きを予想して右に飛んだ。

 「ブートアーップ!」

 果央が回避したことを肌で感じたリリィは、先に着地した左足を軸に再び右へジャンプ。よく見ると靴を履いておらず、両手両足が獣の体毛に覆われていた。

 若干離れた場所にいたエレーナは、至近距離で対峙する果央よりも早くリリィの体の変化に気が付いた。

 「今度の子は肉食獣との合成?」

 「ああ、トラの爪を組み込んである。もちろんそれだけではないがね」

 リリィの右手が振り下ろされる。

 「裂けろ!」

 しかし獣の爪から手に伝わった感触は、柔らかくて弾力のある肉の塊ではなく、硬くて傷も付かない鉄の板だった。

 「ふふん、きっちりガードしてるよ」

 果央はギアを装着し、腕を十字に重ねて爪を防いでいた。

 「ムカつく」

 リリィは両手を振り回し、力づくでギアの装甲を剥がしにかかった。

 「くっ! このっ! セイッ!」

 格闘技のセオリーを無視した強引な攻め方ながら、素早い動きと卓越した動体視力で反撃の隙を与えない。

 「あの目はタカの遺伝子だ。合成しても翼は生えなかったが、それが些事に思えるぐらい優秀な能力だよ」

 とはいえ相手は空手道場師範代の果央である。気配だけで攻撃の軌道を察知し、教本に載っていそうな美しい所作で避ける、受ける、捌く。

 「悪いけどラッキーパンチはないから」

 身体能力の差はギアを装着した時点で埋まっている。技術や経験値は果央の方が数段上。つまりリリィに勝ち目はないわけだが、ミリガンは少しも焦らず、むしろ今の攻撃を褒め称えた。

 「その調子だリリィ」

 「……ふふ♪」

 「はへ?」

 奇妙な違和感。果央には殺気立つリリィの顔が一瞬だけ和らいだように見えた。それに気を取られ、果央に1秒にも満たない隙が生まれる。

 リリィはこのチャンスを見逃さなかった。

 「Aaaaaaaahー!!」

 リリィがいきなり叫んだ。それも人の声域から外れた超高音で。

 「わわっ!?」

 果央の体に異変が発生。皮膚が、肉が、血管が、本人の意思とは関係なく全身が波打っている。脳も頭の中でブルブルと微振動しているらしく、酔ったように気分が悪い。

 おかしいのは本人だけではなかった。体を覆うギアもカタカタと音を立て、うるさいぐらいに震えていた。

 「な、なに、急に?」

 混乱する果央の耳に機械音声が鳴り響いた。

 「危険です。緊急退避」

 前回の失敗からオフにしていたナビゲーションシステムが、装着者の危険を察知して自動的に起動。

 「どわぁぁぁー!」

 次いで安全を確保するため、同じく自動的に約20メートル上空へと舞い上がった。

 「卑怯者! おりてこーい!」

 リリィは腕を振り上げて叫んだ。

 「おぉぉー!」

 観客たちは果央が空に浮くとは思っておらず、異口同音に歓声や拍手を送った。

 「ナ……ナビ子ちゃん、いきなり何したの?」

 立て続けに起こった出来事に、果央の頭は混乱を通り越して真っ白になった。

 「対戦者が危険度の高い超音波を発したため退避しました」

 「ちょーおんぱ?」

 「コウモリやイルカなど、一部の動物は自ら特殊な音波を発し、その反響具合によって障害物の位置を特定します。これをエコーロケーションと言います」

 果央は小学生の頃に読んだ動物図鑑を思い出した。その中にも今と同じような説明が書かれていたはず。

 「対戦者が使ったのは、それを大幅に強化したものです。使い方は単なる位置情報の確認とは違いましたが。詳しく説明する前に、まずは超音波破砕機とそのメカニズムについてお話します」

 無機質な機械音声のはずなのに、どことなく興奮気味の熱気が感じられた。語りたくてウズウズしているのだろう。

 「どうせ聞いてもわかんないから結果だけ教えて」

 「……了解」

 無機質な機械音声のはずなのに、声のトーンが下がった気がした。語れなくてガッカリしたのだろう。

 「あのまま受け続けた場合、ギアも肉体も粉々に破壊されていました」

 「うへぇ、マジで?」

 「銃弾のように即死する心配はありません。また5メートル以上離れると威力が弱まります。ですが対戦者の目の前に3秒以上いられる物体は存在しないでしょう」

 逆にこちらは、声の届かない距離と角度を狙えば勝てる。例えば今この場所からレーザーを打ち込めば楽勝だという。しかし果央は堂々と戦って勝ちたかった。

 「攻撃が見えないのが一番厄介だね。5メートルとか言われてもさ、戦ってる最中に測れるモンじゃないじゃん?」

 「モニター越しの可視化は可能です。ただし距離が近すぎる場合、画面全体が超音波の映像に覆われる恐れがあります」

 「見えない攻撃に振り回されるよりはマシ。やっちゃって」

 「それから可視化作業の都合上、実物よりも0.05秒遅れて表示されます。回避のタイミングにご注意ください」

 作戦タイム終了。観客たちに拍手で迎えられながら、果央は再び地上に降り立った。

 「ごめんお待たせ」

 リリィの殺気は戦闘を中断している間も鎮まらず、むしろ待たされたことによる怒りが混ざって爆発寸前だった。

 「次やったらアンタの仲間を皆殺しにする」

 「わかってる。試合なら普通に反則だもんね」

 果央は左手を前に出して構え直した。

 「勝負再開。反撃の時間だ」

 「フン、やれるモンならやってみろ」

 今回も先に手を出したのはリリィだった。一気に距離を詰め、不規則なリズムで両手の爪を振り回す。しかしこれは次の技への布石であり、当たれば儲けもの程度にしか考えていない。本命はやはり、逃げ場を塞いでからの超音波だった。

 「Aaaaaaaahー!!」

 「来た!」

 モニター越しのリリィは、口から円錐状の光を放っていた。可視化した超音波だ。

 「見えちゃえばどうってことない」

 果央は左右小刻みに避けつつ、リリィとの距離をほぼ密着状態にまで詰めた。

 この距離はリリィにとってもチャンスだった。叫びながら顔をほんの少し果央に向ければ勝ちだ。だが!?

 「遅いよ。ぬんっ!」

 果央渾身のボディブローがリリィの左横腹に炸裂。

 「かはっ!」

 他の技への繋ぎだとか、何度も当ててスタミナを奪うだとか、そんな地味な攻撃ではなかった。まさに一撃必殺。小細工なし、誰の目から見ても重くて鋭い、説得力抜群の右拳。直撃を受けたリリィは、体を横に折り曲げながら勢いよく吹き飛んだ。

 「どうよ、今のは効いたっしょ?」

 果央、会心のドヤ顔ダブルピース。

 「リリィ!」

 マークはリリィの名を叫んだ。

 リリィはうつ伏せに倒れて動かなかった。

 「どうやら勝負あったようね」

 エレーナはミリガンの悔しがる顔を見ようと声をかけた。ところがミリガンは不快になるどころか、腕組みをして満足気にうなづいていた。

 「やはりリオは強く美しく、そして何よりかっこいい!」

 「はぁ? 自信作が負けて悔しくないの?」

 「もちろん悔しいさ。だがワンダー☆リオに負けるのなら、それもまた良しだ」

その一言が聞こえたのか、単にタイミングが重なっただけか。リリィは力任せに地面を叩き、ダメージはないと言わんばかりに立ち上がった。

 「ありゃ。割といいの当てたと思ったんだけどなぁ」

 手応えは確かにあった。ミーミルも今の攻撃で戦闘力を2割は削ったと分析している。なのにこの元気な姿は何なのか。今までは手加減をしていた? やせ我慢をしているだけ? 超常現象ばりの回復力を持っている? 理由はともかく、油断大敵であることは間違いなさそうだ。

 「果央、15分経ったわ」

 エレーナからの時間報告。早くケリを付けろと言いたいのだ。

 「わかってる。こっから先はガチでいくよ」

 果央は三たび構え、そしてリリィに向かって飛んだ。

 「ぶっ潰す」

 リリィも果央に向かって飛んだ。

 「おりゃ!」

 「ハーッ!」

 互いの右拳がかち合い、ガツンと鈍い音を立てた。どちらも一歩も引かず、そのまま鍔迫り合いのように拳の押し合いが始まる。

 「くっ、見た目よか重いじゃん」

 パワーは互角。それだけに少しでも均衡が崩れたら、一気に戦況が変化しそうだ。

 「アンタなんかに渡さない」

 「ん?」

 リリィのパワーがさらに増した。

 「うそ!? ヤバ!」

 押し負ける前に果央は慌てて拳を引いた。自ら均衡を崩すことで相手の虚をつくのが狙いだ。しかしリリィは勢い余って転ぶどころか、そのまま左肩での体当たりに切り換えて果央を吹き飛ばした。

 「どっ――」

 果央は5メートルほど吹き飛び、地面に尻もちをついた。

 リリィに好機到来。再び飛んで追撃にかかる。

 「させないっての!」

 果央、カウンターのヘッドスプリング両足蹴り。これは大振りすぎて簡単に避けられるも、追撃の阻止と起き上がりには成功する。

 「イラつく」

 爪と拳を混ぜたリリィのラッシュ。スピードはもちろんのこと、パワーも華奢な体躯に似合わずマーク以上だ。さすが、ミリガンが最高傑作と謳うだけのことはある。しかも今のリリィからは何故か、執念や怨念のような暗い凄みが感じられた。

 「アタシが1番。アンタなんかお呼びじゃない」

 「さっきから何をブツブツ言ってんの?」

 「うっさい。黙ってやられろ」

 リリィの回し蹴りが一閃。彼女の手癖の悪さに気を取られていた果央は、想定外の攻撃にあっさり引っ掛かってしまう。

 「おふっ!」

 さらにリリィは身をかがめて果央の懐に入り込み、顎にアッパーを叩き込んだ。

 「がっ!」

 軽い装甲が裏目に出た。果央は空中で弧を描き、後頭部から地面に激突。ボクシングの試合でも滅多に見られない綺麗なダウンを喫した。

 「おぉぉぉぉー!」

 大迫力の戦いに観客は大興奮。どちらに肩入れするでもなく、両者の健闘を応援で盛り上げた。

 「っくぅぅー、油断した」

 果央は頭を振りながら上半身を起こした。強烈な攻撃を一気に2発ももらってしまったが、ダメージは早くも抜けている。防御面でも優秀なギアと、日ごろの鍛錬の賜物だ。

 「…………」

 勝負はまだ終わっていない。にもかかわらずリリィは対戦相手の果央ではなく、少し離れた所にいるミリガンをじっと見ていた。

 「すごいぞリリィ。実に見事な連携だった」

 気のせいか、果央にはリリィの口角がほんの少しだけ上がったように見えた。

 「さぁ、その調子で無粋な装甲を全て剥いでしまえ。私はオリジナルの衣装を着た、本物のワンダー☆リオが見たいのだ」

 「……チッ」

 リリィの意識が再び果央に向けられる。

 「ひぅえ!?」

 その瞬間、果央はひときわ強烈な殺気を感じて身震いした。

 「今のは? ……あー、そういうことか」

 果央は立ち上がり、手足の関節を回して調子を確認した。痛みや違和感はどこにもなかった。

 「ちょっと、大丈夫なの?」

 ダウンに加えて今の身震い。エレーナは果央が心配になり声をかけた。

 「ぜんぜん平気。フルマラソン行けるぐらい元気だよ」

 「ならいいけど……残り時間10分を切ったわ。そろそろ決めないとマズいわよ?」

 ギアがなければ改造兵士にダメージを与えられない。また、エネルギーカートリッジの交換およびシステムの再起動には3分から5分程度かかる。リリィがそれまで大人しく待ってくれるとは思えない。要するに現在使っているギアのエネルギーが切れたら、たとえ果央が無傷でも負けが確定するというわけだ。

 「大丈夫。必殺技で大逆転するから見てて」

 果央はリフターで空中に浮いた。高さは先ほどとは違い30センチ程度。そこから滑るように移動してリリィの背後に回り込み、レーザーガンをばら撒いた。

 「今さらこんなオモチャ、バカにしてんの?」

 実弾よりも速いレーザーだが、タカの動体視力を持つリリィには舞い散る木の葉も同然だった。1本1本しっかり目で追い、確実に回避していく。紙一重で回避などという危険は冒さない。

 「やっぱり目で追ったね」

 なまじ優れた目を持つせいで、リリィはそれに頼った動きをしてしまう。果央はそのことを見抜いていた。そしてレーザーという撒き餌に釣られて果央から目を離した一瞬を見逃さなかった。

 「もらった」

 着地と同時に地面を踏み込み、後ろに引いた右拳を回転させながら前に放つ。マークを仕留めた電光マグナム突きだ。

 「じぇぇーい!」

 当てやすい腹部を狙う。この技は拳の破壊力もさることながら、同時に放つパルスショックが何よりも脅威である。10億ボルトは雷と同威力。分厚い肉の鎧をまとったマークですら一発でKOしたのだ。小柄なリリィでは殺してしまうかもしれない。

 「させない」

 リリィの口が大きく開いた。超音波を出すつもりだ。

 「Aa――」

 こちらも3秒以上浴びれば体が粉々になる危険な技である。

 相打ちを恐れた果央は、半ば無意識に攻撃を変更。両手を合わせて下から上へと突き出し、リリィの下顎を手のひらで包み込んで押さえた。

 「!?」

 唐突かつ予測外の動きにリリィは驚愕。果央の手を振り払うこともできず、動きが完全に止まってしまう。

 この間に果央はリリィごと上空30メートルまで一気に上昇。頂点で体を仰け反らせ、リリィの頭が下になるよう180度反転。そしてきりもみ回転を加えながら落下した。

 「救世七星流・改、ローリングサンダー!」

 「ん-!? んんーーーーー!!!」

 このままでは頭から地面に叩きつけられる。リリィがそう理解した時にはもう手遅れだった。下顎のみとはいえ果央の拘束は強く、加えて回転の遠心力で手足も満足に動かせない。今できるのは、数秒後に来る衝撃に備えることだけだった。

 「いっけぇぇぇぇぇー!」

 鈍くて重い、ドスンという衝撃音。2人の姿を隠すように舞い上がる砂煙。声をあげることすら忘れ、勝負の結末に注目する観客たち。

 「ど、どうなった……?」

 誰に向けたでもないエレーナの呟きが終わるころ、砂煙が晴れ、2人の姿が露になった。土の地面にすっぽり頭を埋めたリリィと、数ミリ空けて接触を免れている果央。勝敗はここに決した。

 「わぁぁぁぁぁーー!」

 観客たちは興奮の絶頂に達し、プロ興行のメインカードにも負けない大歓声で2人の健闘を称えた。

 「おぉっ! 今の技は第2話Bパート20分ジャストに決めたワンダー☆トルネードではないか」

 ミリガンは果央の必殺技に大喜び。マークも結果はともかく、純粋に良い勝負だったと満足気だ。

 「まずい、時間が」

 唯一エレーナだけが焦りで目つきを鋭くさせていた。勝負が長引いたせいで、果央が着替えをしに家まで戻る時間がもうないのだ。

 「えいっ!」

 エレーナは隣に立つミリガンの膝裏を脛で蹴り飛ばした。

 「あふん」

 いわゆる膝カックンの状態でバランスを崩すミリガン。エレーナはそんな彼女の襟元を掴み、強引に白衣を剥ぎ取った。

 「果央!」

 間髪入れず果央に放り投げる。白衣は空中で広がり、煙に変わる瞬間のギアと入れ替わりで果央の体を覆い隠した。

 「助かったけど、アンタに人の心はないんかい?」

 果央は申し訳なさそうに白衣に袖を通した。

 「緊急事態よ。ご近所さんに裸を見られたくないでしょ」

 「そうだけど……ミリガンさん、ごめんなさい」

 果央はお詫びに1回ぐらいコスプレをしてあげてもいい気になった。だが下手に言うと粘着されそうなので口にしなかった。

 「んじゃ、気を取り直して次は」

 果央はリリィを見た。

 リリィは頭を地面に突き刺したまま仰向けで背中を反らせ、ちょうどレスリングのブリッジのような体勢になっていた。しかもピクピクと全身を微振動させていた。気を失っている上に呼吸困難に陥っているようだ。早く助けないと命が危うい。

 「ぃよいっしょ……っと」

 果央はリリィの胴体を掴んで引っ張り上げた。リリィは軽く、頭も簡単に地面から抜けた。

 「大丈夫? どっか痛いトコない?」

 勝負が終わればノーサイド。果央はリリィの頬をペチペチと軽く叩き、優しく声をかけた。

 「んん……?」

 リリィは30メートル上空から頭を地面に突き刺すというトンデモ攻撃を受けていながら無傷だった。最高傑作の面目躍如といったところか。しかし負けは認めたらしく、先ほどまでの殺気マシマシの不機嫌顔から、悔しさ爆盛り大泣き3秒前の不機嫌顔に変わっていた。

 「アタシは、負け……ア、アンタなんかにぃぃ!」

 果央は辺りを見回し、歓声の大きさを確認した。それからリリィにしか聞こえないよう耳元で囁いた。

 「ミリガンさんのアレは、ただの推し活だと思うよ。家族とは別腹って言うかさ」

 「え?」

 「今は推しに会えたから興奮してるだけ。そのうち落ち着くんじゃないかな」

 「…………」

 「だから心配しなくても――」

 リリィは果央の言葉を怒声で遮った。

 「だだ、誰が心配なんか!」

 耳まで真っ赤にして、声には勢いがなかった。

 「そっか。ごめんごめん」

 果央はリリィを興奮させないよう愛想笑いで返した。

 リリィは下を向き、果央から目を逸らしつつ……

 「でも……」

 「ん?」

 「なんか、スッキリした。もういいかなって」

 「ん♪」

 果央の表情が愛想笑いから本気の笑顔に変わった。

 リリィもかなりぎこちないが、果央の顔を見ながら笑った。そこに敵意は微塵もなかった。

 一段落着いたところで、仲間たちが2人のもとへ。

 「いや~どちらも素晴らしかった。まさにナイスファイトだったよ」

 ミリガンは興奮と感動で感無量だった。彼女の後ろに控えるマークも、後方彼氏のように腕組みして何度もうなづいていた。

 「リリィ、実によくがんばってくれた。残念ながら勝てなかったが、改善すべき点は見えた。次こそ絶対に勝つぞ」

 「う、うっさい。イチイチ言わなくたってわかってる」

 ミリガンに背を向けて強がるリリィ。だが果央からはニヤけた口元が丸見えだった。

 「リオ、やはり君はサイコーだ。ワンダー☆トルネードを生で見られるとは思わなかったよ」

 「ラオッス。あと最後の技は、救世七星流案山子崩し(かかしくずし)をベースにしたローリングサンダーッス」

 相手の喉頭辺りを掴んで抱え上げ、後方に放り投げるのが案山子崩し。掴んだまま空に上がり、きりもみ回転を加えて下に落とすのがローリングサンダー。最初の入り方こそ同じだが、後者はギアがあって初めて使える技だ。

 「どうせならパルスショックも一緒に使えば良かったんじゃない? サンダーとか名前に付けるぐらいなら」

 エレーナからの何気ない提案だった。

 「そだね。じゃあ今回のはローリングサンダーのサンダー抜きで」

 寿司のサビ抜きのようなものである。

 「何はともあれ、悔いのない勝負だった。だが次こそは負けんよ?」

 ミリガンは不敵に笑い、果央に右手を差し出した。

 「ふふん、望むところッス」

 果央はほんの少し痛みを与える力加減で握手を交わし、友好的なライバル心をアピールした。

 「ではまた会おう。マーク、リリィ、帰るぞ」

 ミリガンは果央たちに背を向けた。連れの2人もこれに続く。

 「リリィちゃーん! 次はお茶とか買い物とか、勝負以外のこともしよーねー!」

 リリィは真っ赤な顔で振り返った。

 「か、考えとく」

 それから軽く会釈をし、観客たちの拍手と声援に見送られながら退場。果央は彼らの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

 「ふぅ、面白かった」

 事が終わってほっと一息。今回はエレーナの命がかかっていなかったので、純粋に勝負を楽しむことができた。達成感に満たされ、疲れすらも心地良い。

 「さて、ウチらも帰ろっか」

 絵に描いたような大団円。

 「あぁーっ!」

 感動的なシーンを台無しにするエレーナの叫び声。

 「どどどどうしたの!?」

 突然の態度急変に果央まで狼狽えてしまう。

 「いい感じのムードに流された! 負けたんだからお金払え!」

 「あ~」

 果央が勝ったらミリガンは、エレーナの研究費と慰謝料、しめて推定総額1億円オーバーを支払う約束だったはず。自分から勝負を仕掛けてきたのに去り際が妙に潔かったのは、この支払いを踏み倒すためだったのだ。

 「まぁ簡単に用意できる額じゃないだろうし。そもそも棚ボタみたいな話だしさ、そんなに青筋立てなくてもいいんじゃない?」

 「甘い顔はアイツを付け上がらせるだけよ。見てなさい、今度会ったらお尻の毛までむしり取ってやる!」

 職を追われ、命まで狙われたことはもう気にしていない。しかしエレーナは、一度弱みを見せた相手をとことん追い詰めるタイプだった。

 「あ、あははは……」

 やっぱり助ける相手を間違えた? 果央は乾いた笑いしか出なかった。

 それはともかく……


 Dr.ミリガンの野望はこれで潰えたわけではない。再び新たな改造兵士を引きつれ、嬉々として2人の前に現れるだろう。その前にエレーナは新たなスポンサーを探し出し、ギアを完成させねばならない。果央はさらにギアを使いこなし、救世七星流・改を極めねばならない。

 働けエレーナ!

 戦え、格闘系女子しののめ果央!

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