木霊(コダマ)する声
木霊する声
痩せ細った森が、樹の株にもたれかかって座っている。
ジャングルに奇妙な声が木霊する。
『オ~イ・・・ノブコー・・・タスケテクレ~・・・』
森が、
「・・・? おい・・・、誰か呼んでるぞ」
渡辺は夕飯の支度をしながら、
「鳥の声だろう」
『オ~イ・・・タスケテクレー・・・』
「?・・・いや、ヒトの声だ」
渡辺が、
「南方の島には人の声を真似する鳥が居るそうだ。それにしても・・・。あの声を一晩中聞かされたら気が変になるな」
渡辺が飯ごうの蓋を持って森の傍に座る。
「さあ、メシだ。喰え」
森は蓋の中身を見て、
「・・・何だコレは?」
「ネズミだ」
「ネズミ~?」
「粥と煮てあるから大丈夫だ」
「カユ・・・米が見えんぞ」
「一日十五粒! 中隊長の命令だ。だから十五粒入れてある」
「十五粒か・・・。この白い蕎麦はオマエが打ったのか?」
「それはミミズだ」
「ミミズ?・・・」
森は気持悪そうに、さ湯の様な「夕飯」を啜る。
渡辺は森の顔を見て、
「・・・旨いか?」
「分からない。オマエも食え」
「俺はいい」
「いい? ・・・俺に食わせといてオマエは食わんのか。死ぬぞ」
また声が木霊する。
『オ~イ・・・コロシテクレ~・・・』
森が、
「もし俺があの鳥の様に成ったら殺してくれよな。どうせ国には帰れねーんだ。幽霊に成ってこの島で永遠に戦ってやる」
「俺も頼む。どうせ、国に帰っても家族なんて居やしねえし。ずっと此処で皆なと暮らした方が楽しいや」
「佐々木准尉達の夜はどうして居るんだろうな」
「あの人達は別の世界に居るんだ。腹も空かずに俺達の事を見てるんじゃなか。何しろ一度死んだ人だからな・・・」
「仏様は腹が減らねえのか・・・。俺も突撃して一度、死んだ方がましだったな。此処は生き地獄だ」
ため息を吐く森。
渡辺が俯いて、
「焦らなくても明日は死ぬよ・・・」
夜が明けて渡辺が森を起こす。
「おい、森・・・。生きてるか」
片目を開ける森 。
「・・・生きてるよ」
「餌でも探しに行くか」
「エサ? ああ、餌ね。・・・うん」
二人が銃を杖代わりに起き上る。
すると、野豚が獣道を歩いて来る。
森が、
「?・・・ブタだ」
渡辺が驚いて、
「捕まえろ!」
「待て。俺が先に廻る」
森がジャングルの中を急ぐ。
樹の根元にボロボロの兵衣を纏った骨と皮の兵士が俯いて座っている。
森は兵士に近付いて声を掛ける。
「おい!」
兵士はゆっくりと顔を上げる。
下半身から小便が流れている。
兵士は森を見詰めて掠れた声で、
「タ・・・ス・ケ・テ・クレ」
昨晩からの声の主であった。
森は兵士に、
「何処の部隊だ?」
「ス・ミ・ヨ・シ・・・」
「スミヨシ?・・・住吉の戦車兵か。此処まで来ていたのか。他の兵は?」
「ワカ・ラ・ナ・イ」
「申し訳ない。俺はオマエを助ける事が出来ない。勘弁してくれ」
「・・・ツ・レ・テ・ッテ・クレ」
森は兵士に向かって手を合わせ、
「すまん。・・・スマン」
兵士の窪んだ片眼から大粒の涙がこぼれる。
森の目からも泪が溢れ出て来る。
兵士が握り拳を 森 に見せる。
その手を握る森。
兵士の拳の中から紙が覗く。
森は兵士の拳を開くと、クシャクシャに成った紙が手の中から出て来る。
その紙を取り、開く森 。
「写真」であった。
その写真は『出征時の写真』である。
写真には女と乳飲み子が映っていた。
「・・・ヨメさんか?」
兵士は首を縦に振る。
森は兵士を見詰め、
「分った・・・分かったぞ。・・・そうか。そうか・・・」
森の目から泪が溢れて止まらない。
兵士は、か細い声で、
「ジュウショ・・・ウ・シ・ロ・ニ・・・」
兵士は力無く俯く。
森は突然立って、兵士に向かって『不動の敬礼』をする。
そして唇を噛み締め、
「もし、俺が生きて帰れたら・・・この写真のヨメさんにキサマの最期を伝えてやるからな!」
と叫ぶ。
堰を切った様に涙が溢れる森。
そして、
「頼むから、俺を恨まないでくれよ。恨むなよ」
の言葉を残して、森が淋しく急いで立ち去って行く。
野 豚
「ターン・・・」
一発の銃声がジャングルに響く。
森は驚いて伏せる。
匍匐で音の方向に向かう森 。
森が藪の中からそっと顔を出す。
渡辺が野豚の上に腰かけている。
森は安心したかのように周囲を見回し立ち上がる。
豚を見て、
「おお! 仕留めたな」
「うん。オマエは何処に行ってた?」
「! すまん。・・・兵隊と会ってな」
「ヘイタイ?」
森は渡辺の傍に来て
「うん。・・・住吉部隊の戦車兵だ」
「スミヨシのセンシャヘイ?」
力無く驚く渡辺。
「お別れをして来た」
「オワカレ? ああ、そうか。昨夜の声の主だな・・・」
「そうだ。さっきの銃声はオマエか」
「うん?・・・そうだ」
「敵に見つかるぞ」
「敵なんか怖くねえ。餓死の方がよッぽど切ねえや」
渡辺の足元に蟻の行列が通る。
先頭の蟻が地面に出て来たミミズに噛み付く。
ミミズは暴れている。
蟻達は見る見るうちにミミズに喰らいつく。
森はその蟻を見ながら
「餓死か・・・」
渡辺は仕留めた豚の尻を叩き立ち上がる。
「よしッ! 運ぼう。これで三日ぐれえは生き延びられる」
森と渡辺はブタの両手足を棒に通しヨタヨタとジャングルの中に消えて行く。
痩せた残兵達が俯きながら樹の根元に座って居る。
すると藪を掻く音がする。
西山が、
「誰か来るぞ、伏せろ!」
残兵達が38銃の槓桿(遊底)を下げて照準を合わせる。
市村が小声で、
「ヤマ・・・」
「カワ!」
藪の中から森と渡辺が出て来る。
二人は棒の間にブタの足を通し、担いでいる。
「何だオマエ等か」
市村はブタを見て眼の色が変わる。
「おおッ! ぶ、 ブタだ」
その声を聞いた西山が唾を飲みながら木陰から出て来る。
「ブタと聞こえたぞ?」
痩せ細った木村もブタと聞いて岩の後ろから顔を出し、
「さっきの銃声はオマエ等か」
「すまん。ブタが居たので」
西山と元相澤中隊の残兵四名がノソノソとブタの周りに集まって来る。
全員ブタに視線が集中する。
唾を飲み込む兵士達。
西山が、
「おい、野々宮。中隊長に知らせて来い」
「ハイ!」
早坂と木原と野々宮がホラ穴営舎の中から出て来る。
早坂の顔は青白く眼が窪み、まるで『幽鬼』の様である。
早坂は焦って、
「豚は何処だ!」
野々宮が、
「あそこです」
木原は横たわるブタを見て、
「おおッ! ブタだ。 勲章もんだな」
野々宮が、
「まことに、そうであります!」
早坂はブタの周りに集まる痩せた兵士達を見て、
「おい、 急いでメシの支度をしろ」
どよめく兵士達。
早坂が、
「おお、そうだ。佐籐! 営舎の隅に俺の集めたイモがる。あれを全部持って来い。それでブタ汁を作れ。これが喰い収めに成るかも知れんからのお。ハハハ」
「はい!」
佐籐が急いでホラ穴営舎に入って行く。
銃声に合掌する
早坂の傍で関元が指揮を取り、ブタを解体している。
佐籐がイモ袋を担いでホラ穴(営舎)から出て来る。
兵士達は久しぶりの「贅沢」に眼の色が変わっている。
佐籐が元気よく、
「イモを持って来ましたッ!」
「おお、豚汁、豚汁。 ハハハハ」
嬉しそうな兵士達。
イモを切る兵士。
肉を刻む兵士。
飯盒を提げて水を汲みに行く兵士。
森が、
「おい、何処かに塩はねえかなあ」
木原、
「営舎に有るぞ。俺の背嚢の右側だ。持って来い」
「えッ、よろしいんですか」
「構わん。一心同体だ」
森は木原を見詰めて、
「・・・木原少尉殿の部下で光栄で有ります!」
「キサマ、調子が良いぞ」
兵士達が爆笑する。
早坂、
「今日は腹いっぱい食え」
森は泪を浮かべて、
「はいッ!」
森は急いでホラ穴営舎に塩を取りに行く。
早坂、
「関元! 火を熾せ」
「はい!」
「煙は出すなよ」
「勿の論です」
西山、
「あ~あ、コレで酒でも有ったらなあ~」
木原、
「コラ! 調子に乗るな。此処は最前線だぞ」
兵士達が爆笑する。
「ターン・・・」
突然、ジャングルの中に銃声が響く。
河野が急いで銃を取る。
「・・・敵か!」
福原、
「?・・・あれは『短銃』の音だ」
兵士達が顔を見合す。
森が、
「もしかしたらあの兵隊・・・」
木原、
「あの兵隊?」
「住吉部隊の戦車兵です」
西山、
「センシャヘイ?」
「はい。・・・アイツ・・・ヤッタな」
木原、
「自殺か?」
渡辺は森 を見て、
「オマエが会ったと云う兵隊か?」
「多分な。小便を垂れ流していたから、最後の力で引き金を引いたんだろう」
森 は銃声の方向を向いて立ち上がり、深く頭を下げて合掌する。
それを見て早坂、木原、西山、河野、渡辺、その他全員が起立して合掌する。
河野、
「まあ、いずれ俺達もああ成るんだ」
兵士達は何も無かったかの様に朝飯の準備を進める。
あちこちで笑い声が起こる。
久しぶりにタンパク質を摂ったせいか、顔色が桃色に変わっている。
つづく