残存集団
第2師団 仙台若松歩兵29連隊・岸本部隊
早坂中隊の九名
日本兵の集団が進んでいる。
『早坂中隊(仙台若松歩兵第29連隊)』である。
兵士達は、無傷の早坂中隊長の周囲に隠れて居る。
「おい、無駄撃ちするな。敵に位置を知らせるぞ!」
「はい」
高橋竜吉(軍曹)が木陰から中隊長の傍に転がって来る。
「中隊長殿、この方向を進んで良いのでしょうか」
「この方向? ・・・野村、来い」
野村晋介(伍長)が、
「はい!」
葡匐で中隊長の傍に来る。
「今の位置は?」
「は!」
野村は図嚢カバンを開け、地図を中隊長に見せながら、
「多分・・・この辺に居るはずです」
地図を凝視する中隊長。
「・・・飛行場までもう直ぐだな。よし、斥候を二人出せ」
「はッ!」
野村が匍匐で木陰に戻る。
近くの木陰に佐籐 勇(上等兵)と菅井信次郎(上等兵)が伏せている。
野村が小声で、
「佐籐、菅井! 斥候に行け。先を見て来い」
二人は片手を挙げて野村に応える。
ジャングルの奥へと葡匐で前進して行く二人。
岩陰に中隊長と渡辺悟一(二等兵)が隠れて居る。
中隊長が小声で、
「おい。あれから二日目だな」
渡辺は銃を構えながら、
「いえ、三日目です」
「三日?」
中隊長は渡辺をチラッと見て、
「・・・腹が減ったのう」
「いえ」
中隊長が渡辺の尻を蹴る。
渡辺は驚いて、
「はいッ! 減りました」
「キサマ、糧秣は有るのか」
「いえ、失くしました」
中隊長は小声で厳しく、
「バカ者!」
「はいッ! すいません」
「弾とメシと、どちらが大事か!」
渡辺は銃を構えながら、
「はいッ! た、たぶんメシであります!」
中隊長がきつい目で渡辺を睨む。
暫くして斥候の佐籐と菅井が戻って来る。
二人が中隊長の傍に葡匐で近寄り、佐藤が、
「報告します!」
「うん・・」
「ここから一キロ先には飛行場は見えません」
中隊長は怪訝な顔で、
「見えない? 野村、来い」
野村が中隊長の傍に転がって来る。
「おい、もう一度、地図を見せろ」
「はッ!」
図嚢から地図を取り出し中隊長に渡す。
中隊長は地図を開き、方位計を胸ポケットから取り出し地図上にあてる。
「・・・おい」
「はい」
「この方位計は合ってるのか?」
野村も自分の方位計を取り出し地図の上に載せる。
「間違いないと思います」
「地図が間違っているのか?」
野村は答える事が出来ない。
「・・・」
「いったい俺達は何処に居るのだ」
ジャングルに鳥の声が木霊する。
中隊長は佐籐と菅井を見て、
「おい、キサマ等、敵と会わなかったか」
「会いません」
中隊長はボソッと、
「孤立したか」
野村は地図を見ながら、
「戻りましょうか」
「モドル? 何処へ」
「もと来た場所へ」
中隊長は少し考え佐藤と菅井に、
「オマエ等、もう一度戻って友軍を捜して来い」
「はいッ!」
中隊長は宙を睨み少し考え、
「全員集まれ!」
兵士達が中隊長の周りに転がって来る。
「孤立したようだ。斥候が友軍を捜しに行っている。今夜は此処で夜営だ。全員、糧秣を出せ」
「はい!」
兵士達は岩陰で背嚢をといで糧秣を取り出す。
中隊長は周りの兵士達の顔を見回し、溜息まじりで、
「・・・これで何日持つか」
兵士達は俯いてしまう。
二人の斥候兵
私(幽)は斥候兵の「佐籐上等兵」を見守った。
佐籐はジャングルのケモノ道を一目散に西に下って行く。
声が聞こえた。
佐藤は急いで茂みに隠れる。
「・・Rock 7,Rock 7・・・ , I'm going to east.There isn't a Japsoldier・・・」
38銃を構え息を殺す佐藤。
先頭の一人は自動小銃を、次の一人は無線機を背負い、シンガリの一人は軽機銃を構えながら通り過ぎて行く。
緒方(幽)はもう一人の斥候兵「菅井上等兵」を見守っていた。
菅井はジャングルのケモノ道を南へ下って行った。
地雷で出来たのだろう小さな空き地に、日本兵の骸が四体、転がっている。
骸の腹部からは蛆が湧いている。
地雷を直接踏んでしまったのか、一体の下肢は無い。
千切れた骸は、蠅が小豆を撒いた様にたかっている。
菅井は骸に合掌して、また藪の中を走って行った。
早坂中隊が夜営の支度をしている。
「おい、斥候が戻るまで米は三十粒迄だぞ。梅干しはシャモジ、一切れだ!」
「はい!」
早坂は森 秀雄(二等兵)の飯盒炊飯を見て、
「おい、もっと水を入れろ、バカ者」
「あッ、ハイ」
河野源太郎(上等兵)が、
「中隊長殿!」
「うん?」
「先ほど、バナナの実が菜って居りました」
「そうか。 採って来い」
「はッ!」
「気を付けろ。敵の狙撃兵が居るかも知れんからの」
「大丈夫です。アメ功は五時で仕事は終わりです」
兵士達が大笑いする。
早坂は河野を睨んで、
「良いから早く採って来い」
ジャングルに地獄鳥の啼く声が木霊する。
斥候兵の佐籐が月明かりの下で腰袋から「乾パン」を摘み口にする。
眼を凝らして川辺り(カワべリ)を見ると、「米兵の骸」と「日本兵の骸」が転がっている。
米兵の骸は拳銃を握って、日本兵の骸は銃剣を握っている。
それを見て、
「・・・相討ちか」
佐籐は米兵の装備を見詰めている。
米兵のショルダーバックの中から「缶詰め」が覗いている。
骸に近付きバックを開く。
中からは缶詰め、パン、チョコレート、ガムが出て来た。
佐籐は夢中で缶詰めを手に取り、銃剣の先で蓋を開ける。
バックの中を漁ると、「ナイフ付きホーク」が出て来た。
ホークで缶詰めの中身をむさぼる佐藤。
ふと米兵の肩に掛った薄い皮の図嚢カバンに目をやる。
佐藤は米兵に近づき、骸の肩から図嚢カバンを外す。
カバンを開けると中から地図と方位計が出て来る。
月明かりに照らして地図を広げる。
地図上には『飛行場』が描かれていた。
佐籐は驚いて、
「あッ! 飛行場だ。?・・・この印は敵の配置か。此処が俺のいま居る川だな。俺は・・・ああ、東から来たんだ。と云う事は今の中隊の位置は・・・此処か。俺達の部隊は・・・あれ? これは、まったく逆だ。反対側に進んでいる。俺達は何処へ上陸したんだ?・・・ええッ! 上陸地点が反対側だ。こッ、これは! 早く部隊に知らせなければ」
佐籐は缶詰めをほおり投げて、月夜のジャングルの中を走って消えて行く。
もう一人の斥候兵、菅井も岩陰で「乾パン」を食べている。
それを見守っている緒方(幽)。
菅井は水筒の水を一口飲み月を眺めて、
「綺麗な月だなあ。戦争か・・・。内地じゃ皆どうしてるんだろう。もう田植えは終った頃だろうなあ」
と、突然、枝が折れる音が。
菅井が急いで38銃を取り、音の方向に構える。
人影が見えて来る。
菅井は決められた合言葉を小声で言う。
「ヤ・・・マ!」
人影も小声で、
「タカ」
再度、菅井が、
「ヤマ・・・」
「タカ!」
「タカ? おお? 児玉中隊か」
人影が、
「早坂中隊か?」
二人が立ち上がる。
近寄って月明かりの下で互いを確認する。
菅井が、
「キサマ、一人か?」
「ああ、部隊がはぐれてのう。俺は斥候だ」
「斥候? 何だ、俺もだ。児玉は何人残ってる」
「九名だ。ほとんどやられてしまった。隊長もやられた」
「隊長も!」
「早坂は?」
「俺を入れて九名だ。オマエ等の部隊と同じだ。中隊長は生きとるぞ」
「えッ? 早坂中隊長は生きてる? よし! 俺達は早坂隊に合流しよう。此処に居てくれ。直ぐに皆を呼んで来る」
「傍に居るのか?」
「うん」
「戻る道は分かるだろうな」
「枝に手拭いを裂いて目印を付けて来た」
「ハハハ。ジブンと同じだな。気を付けて戻れよ」
「分った。キサマの名前は?」
「菅井上等兵だ。オマエは?」
「大宮 滋上等兵だ」
大宮が月明かりのジャングルに消えて行く。
報 告
佐籐が藪の枝をかき分けながら「隊」に戻って来る。
兵士達はその音を聞いて、静かに木陰に隠れる。
小声で合言葉を掛ける早坂。
「ヤ・マ」
「カワッ!」
佐藤が藪の中から顔を出す。
「何だ、佐籐か。 怪我は無いか」
中隊長が木陰から出て来る。
兵士達も藪陰から顔を出す。
佐籐は中隊長に挙手の敬礼をして、
「佐籐上等兵、只今戻りました!」
「よし、ご苦労。どうだった」
「はい。 地図を手に入れました」
「何、チズを?」
月明かりの下で佐籐の周りに集まって来る兵士達。
佐籐は肩に掛けた米軍の「図嚢カバン」を外し、中から地図を取り出す。
「・・・これです」
「見せろ」
佐籐の手から地図を取り上げ、倒木の上に広げる中隊長。
野村が近寄って来て、広げた地図を覗く。
「佐籐、説明しろ」
「は!」
佐藤は枝を拾い現在地と飛行場、米軍の位置を説明する。
「此処が現在地です。これがルンガ飛行場。此処が上陸地点の西海岸。と云う事は、我々は飛行場から離れて進んでいます」
中隊長は驚いて、
「何? 南と北を間違って進んでいたと言うのか?」
「はい・・・」
中隊長は佐籐を見て、
「ヨシ、良くやった。休め! 夜が開けたら戻る」
残兵達は納得出来ない顔で中隊長を見る。
「戻る? ・・・分かりました」
夜明け近く、菅井が戻って来る。
歩哨の河野が小声で、
「ヤマ」
「カワ」
菅井が小枝を掻きわけ、顔を出す。
河野は菅井を見て、
「おお、菅井! 生きてたか」
菅井はニンマリと笑い、
「実はな、児玉中隊と一緒なんだ」
河野は驚き、
「何ッ! コッ、コダマと? 中隊長も一緒か」
「児玉中尉殿はやられたらしい。残兵の九名とだ」
「九名? よし、分った。今、中隊長を起こす」
再編成
早坂中隊長、高橋軍曹、野村伍長、河野上等兵、菅井上等兵が岩陰に集まり話をしている。
中隊長は溜息まじりに、
「・・・児玉中尉はやられたか」
「はい・・・」
「仕方が無い。全部で十八名・・・。よし、児玉隊を早坂中隊に入れて部隊を再編しよう」
そこに一人の『将校』が中隊長の前に歩み寄る。
挙手の敬礼の将校。
「失礼します!」
中隊長は将校を見て、
「うん? キサマは」
「児玉中隊・佐々木 誠准尉です!」
「ジュンイ? キサマが指揮を取って来たのか」
「はいッ! 報告します。 児玉中隊は西海岸に上陸、東方向に突進、途中、相当数の敵と遭遇、中隊の四十は、児玉中隊長以下三一が戦死、佐々木他九名が戦闘中ジャングルに迷い、斥候を出し道を探りつつ此処に辿り着きました!」
「・・・大変だったのう」
「いえ。・・・はい」
「よし。キサマ等の部隊を本日より早坂中隊に再編する。下に付け!」
「はい!」
「・・・実は俺達も迷ってしまったのだ。どうやら反対方向に突進していたらしい」
佐々木は驚き、
「は?」
「あの見えた砂浜は東の様だ。俺達の上陸した西海岸は逆だ」
「何ですって? こんなに兵を消耗して・・・、飛行場とは逆の方向に進んでいたと言うのですか?」
中隊長は髭を擦りながら、
「うん?・・・うん。仕方が無い。もう一度、出直しだ」
ニンマリと笑う中隊長。
佐々木は怒り、
「そんな・・・。死んだ兵士達は、犬死にだったと云うのですか!」
中隊長も怒り、
「うるさい! 俺達の部隊もこれだけに成ってしまったんだ。もうこれ以上、犠牲はだ出さない!」
佐々木は諦めた様に、
「・・・分かりました」
中隊長は佐々木を睨み、気合いの入った声で、
「佐々木准尉、兵を整え出発の準備をしろ」
「はい」
十六名の残兵達が早坂中隊長と佐々木准尉の前に整列している。
第2師団仙台若松歩兵29連隊・岸本部隊(早坂中隊)
○早坂崇雄(大尉)
高橋竜吉(軍曹)
野村晋介(伍長)
菅井信次郎(上等兵)
佐籐 勇(上等兵)
河野源太郎(上等兵)
岡田卓巳(一等兵)
森 秀雄(二等兵)
渡辺悟一(二等兵)
第2師団新発田歩兵16連隊・松岡部隊(児玉中隊)
○佐々木誠(准尉)
関元雄三(曹長)
福原源次(軍曹)
斎藤順次郎(上等兵)
大宮 滋(上等兵)
濱田健作(上等兵)
浅田菊雄(一等兵)
鈴木平蔵(一等兵)
井上博道(二等兵)
私(幽)は早坂中隊長の「影」に、緒方(幽)は佐々木准尉の「影」に憑いた。
他の『幽』達も鉄帽を脱いで、再編された混成部隊の兵士達の『影』に憑いている。
兵士達は散開しながら、もと来たジャングルを引き返して行く。
空中に米軍の「偵察機」が淋しげな音を立て飛んで来る。
兵士達は急いで木陰に身を潜める。
所々に日本兵と米兵の死体(骸)が転がっている。
藪の奥の樹の根元に、米兵と日本兵が刺し違えたまま跪いて死んでいる。
その近くの樹の株に米軍の鉄帽を被って座っている兵士が見える。
佐々木は敵兵かと思い38銃を構えそっと近づき、
「おい・・・」
俯いた無言の兵士。
佐々木は銃先で兵士の鉄帽を上げ、顔を覗く。
「日本兵か・・・。死んでいる」
佐々木は兵士の瞼を親指でそっと瞑らせる。
と突然、『その死体?』は眼を見開き不気味な笑いを浮かべる。
「あッ! キサマ、生きているのか! おい、しっかりしろッ!」
その兵士は佐々木を見詰めて笑い始める。
「フフフ、ハハハハハハハハ。へへへ、ハハハハハハ・・・」
佐々木は驚いて後退りをする。
「コ、コイツ、気が触れてる」
遠くで軽機銃の音がする。
友軍の機銃音である。
木陰に潜む兵士達が全員が銃声の方角を見る。
一人の兵士が叫ぶ。
「急げ、残兵が居るぞ」
ジャングルの中を走る兵士達。
暫くすると上空に米軍の「偵察機」が弧を描く。
数分して、凄まじい砲音が聞こえて来る。
畳、一畳に数発の砲弾が着弾、炸裂する。
機銃音はたちまちにして途絶えてしまう。
早坂中隊長は木陰に潜む佐々木達に指を四本開いて、人差し指でジャングルの奥を指す。
佐々木は右手を上げて了解し、兵士達に指で合図を送る。
佐々木以下八名が走ってジャングルの奥に先行して行く。
佐々木の周りに集まった元児玉中隊の残兵八名(関元曹長・福原軍曹・斎藤上等兵・大宮上等兵・濱田上等兵・浅田一等兵・鈴木一等兵・井上二等兵)。
佐々木が関元に、
「昨日の倍は進んでる筈だが、波の音は聞こえるか?」
「・・・聞こえません」
「おかしいなあ・・・。あの日、中隊が進んだ時は波の音が聞こえていた。この道で間違いないか?」
大宮が、
「准尉殿、山が見えませんねえ」
佐々木は写し取った地図を開く。
兵士八名が地図を覗く。
佐々木が、
「今、この辺に居るのかな?」
井上が、
「いや、この辺なら山が見える筈です」
濱田が、
「この写した地図が間違っているんでしょうか。また迷ったか?」
佐々木が、
「おい。大宮と濱田! 部隊に戻ってもう一度、地図を確認して来い」
「はい!」
「結んだ手拭テヌグイの切れ端を辿って行け。絶対やられるなよ」
「はい!」
大宮と濱田がジャングルの中に消えて行く。
佐々木はため息を吐き、もう一度、方位計コンパスを地図に当てる。
「・・・いったい、どうなってるんだ」
関元が、
「そうですねえ」
「飛行場に辿り着けるんでしょうか」
と井上。
つづく