クラナカンの妹 上
はっきり言うと、死ぬかと思った。
クラナカンに担がれた移動したのは王都から出るまでのほんの少しの時間だった。
その後は自動車に乗せられて月が煌々と照らす夜道を進み、やがて空が白む頃にノエルは彼らの町へと到着した。
町は薄らとした光のベールに包まれており、クラナカンは何らかの仕草をしてから中へと入る。
たぶん街を守るために吸血種の力で覆った何かなのだろうとノエルは思った。
ベールの向こうの街は白と黒の二色の煉瓦で出来た建物が並んでおり、まるで異国に来たような印象を受けた。
もっとも異国の話なんて、ノエルは本でしか見た事はないけれど。
吸血種の街の特徴なのだろうか。そういった記述のされた本は読んだ事がないのでノエルには分からないが、綺麗だった。
(それにしても、王都からどれくらい離れたんでしょうね)
夜道を進んでいたので道も覚えていないし、距離の感覚もないのでノエルは分からない。
ただ時間にすればなかなかのものだ。自動車だとどのくらい進むのだろうか。
―――なんて考えていた所、吐き気が喉の奥から競り上がって来てノエルは慌てて手で口を塞いだ。
まぁ、車酔いである。
初めての自動車の乗り心地は最悪だった。
揺れに関しては馬車と大差はないものの、速度が出る自動車に目がついていかなかった。
ノエルは大層グロッキー状態だったが、今までカウフマン達から聖女らしくと言われ続けて、そうしていたので、吐くのだけは堪える事が出来た。
褒めて欲しい。死ぬかと思った。二度と乗りたくない。ノエルの感想はそれである。
「ノエル、だいじょーぶー?」
自動車を止めたクラナカンが心配そうに聞いて来るが、答える気力が無いのでノエルは視線だけ向けておく。
ひと言でも喋れば決壊しそうだからだ。
助手席に座ったまま動けずにいると、クラナカンは「ふむ」と呟いて車を降り、目の前の建物に入って行く。
それから直ぐに手に水の入ったコップを持って戻って来てくれた。
「一応、酔い止めもあるけど、飲む?」
クラナカンは手を開いて薬らしきものを見せてくれる。
ノエルは僅かに頷くと、吐き気で震える手で薬とコップを受け取って飲む。
それから少しの間動かずにいると、吐き気がゆっくりと引いて行った。
「……お世話をおかけしました。もう大丈夫です」
「そりゃ良かった。いやゴメンなー、自動車とか、乗り慣れてたと思ってたからさ」
クラナカンはそう言って済まなそうに謝る。
「実のところ初めてでした」
「そうなん? 聖女様なら、あちこちで引っ張りだこだと思ってたんだけど。そんなに普及はしてねーけど、移動に使うなら早いじゃん?」
「移動は馬車が基本ですね。聖女っぽいイメージだからだそうです」
「イメージ」
「あと、あっちこっちから来て下さる方が多いんですよ。私が出かける事はほとんどありません」
「へー」
そんな話をしていると、クラナカンが腕を組んだ。
「それじゃ、あんまり遊んだ事なさそーね」
「ありませんねぇ」
「ならさ、後で遊びにいこうぜ。街案内するからさ」
「えっ」
ノエルは目を丸くした。まさか遊びに誘われるなんて思わなかったからだ。
誓言の仕事をしている時に「良かったら遊びに来てください」と、社交辞令で言われた事をノエルは思い出す。
たぶんこれもそうかな、なんて考えながら、
「ええ、ありがとうございます」
と、ノエルは笑って、いつも通りお礼だけは言っておいた。
クラナカンは「約束な!」と笑った。そういう約束は諸々の事情で守られた試しがないノエルは、話半分に受け取ったが。
「それでは、治したいという方はどちらに?」
「ああ。ここの三階」
ノエルが聞くと、クラナカンは目の前の建物を指差した。
そこは食堂のようだった。
吐き気で限界が来ていた時は周りを見る余裕はなかったが、白色の煉瓦で出来た綺麗な店だ。
へー、と見上げてから、ノエルはクラナカンと一緒に食堂へ入る。
すると入った途端に美味しそうな香りが食欲をそそった。これは魚介系のスープの香りだろうか。
いいなぁなんて思いながら歩いていると、食事客の視線がこちらに向けられる。
中には腕に赤い宝石を散りばめた吸血種もいる。ただ、そうでない者もいるので、吸血種だけの街、というわけではなさそうだ。
「おー、おかえりークラナカン。どうだったー?」
「はっはっは、ばっちりだ! こちら誓言の聖女様!」
「マジか! 意外と普通!」
発言に遠慮がないなとノエルは半眼になった。
するとクラナカンがこちらを見て「確かに……」なんて呟いている。
こいつら失礼過ぎるとノエルは思った。
その時だ、
「お兄ちゃん達、デリカシーがないわ!」
なんて、少女の声が二階から聞こえて来た。
顔を向けると、赤毛をリボンで結んだ少女が腰に手を当てて、呆れ半分怒り半分の表情でこちらを見ている。
ただ、その顔色は少し悪い。ノエルが何度も見た、病気か怪我で寝込んでいる人の顔だ。
(もしかして、この子が……)
ノエルがそう思ってクラナカンを見ると、
「クロテッド! 今日は起きてて大丈夫なのか?」
と心配そうに言った。
「今日はちょっと調子が良いから平気よ。……じゃなくて、お姉さんに失礼!」
クロテッドと呼ばれた少女は、クラナカンに向かってびしりと指さす。
うっ、とクラナカンが言葉に詰まったのを見て、ノエルは小さく噴き出した。
「ふふ、ええと、クラナカンさん。あちらのお嬢さんは?」
「俺の妹のクロテッドです。かわいいだろ?」
「ものすごく」
「ははは、ありがとうよ! ……で、だ」
クラナカンはそこで一度言葉を区切り、
「あいつが、誓言を頼みたい理由だ」
と少し真面目な顔で言った。




