恋というものが分からない 下
ノエルが服を掴んだままわんわん泣くのだから、カウフマンはとても困った顔をしていた。
この状況は一体どうしたら。彼の顔にはそんな言葉が書かれていた。
「ノ、ノエルさん。ええと……あー……撫でても?」
困りきった声でカウフマンはノエルにそう尋ねる。
泣いているせいで言葉は出なかったが、ノエルは何度も頷いた。
カウフマンは少し表情を和らげて、手でそっとノエルの頭を撫でる。
「……どうしました? 珍しいですね、あなたが泣くなんて」
ぐすぐすと鼻を鳴らすノエルに、カウフマンはそう優しく語り掛ける。
誓言の聖女になってからノエルは人前で泣いた事はない。
幼少の頃に両親と離れて過ごす事になってしまった時は、隠れてこっそり泣いたりはしたが、それでも誰かの前で泣いた事はなかった。
数年前にカウフマンが騎士団長に就任してからだって一度もない。
それを知っているカウフマンは少し眉尻を下げた。
「泣かせてしまうくらい、嫌な事を言ってしまいましたね。申し訳ありません。もう、言いませんから」
「うええ……」
「いえ、ええと、どうして泣き方が酷くなるんです……?」
本当に意味が分からないという様子でカウフマンが言う。
急に理由も分からず泣き出したのだ。恐らく自分の発言が原因だろうと思ったので、そう言ったのにどうやら違うらしい。
「本当にどうしたら……」
泣かせたくないし、泣き止んで欲しい。そんなカウフマンの心情が表情から読み取れるようだった。
けれども何を言われてもノエルは自分が泣くのを止められない。
その時ふと、カウフマンは何かを思い出したように「そう言えば」と呟いた。
「あの、ノエルさん。責任を取ってとはどういう……?」
「…………恋が、分からなくて」
「はい」
「最近の、カウフマン様との事、思い出して」
「はい」
「訳が、分からなくなった、ので」
ひっく、とノエルはしゃくりを上げ。
「だからカウフマン様が、責任取って……教えてくださいよぉ……」
なんて事を言った。まだまだ八つ当たり混じりだ。
そんなノエルの言葉を聞いたカウフマンがぴしりと固まる。
思考が見事にフリーズしている。彼はそのまましばし硬直した後、
「――――は」
顔がみるみる真っ赤になった。
カウフマンはその状態のまま、相変わらずカチコチした様子で、
「あー……えっと、あの、えー……そういう事だと思っても?」
とノエルに聞く。ノエルはひっく、とまだしゃくりを上げつつ、
「惚れたかもしれないので恨みます」
「恨まないでと言ったでしょう」
少し落ち着いてきたので冗談交じりにそう言うと、カウフマンは小さく笑った。
それから彼はノエルと視線を合わせ、少し躊躇いがちに、
「……少しだけ、抱きしめても?」
「……お母さん以来なのでどんな感じなんでしょうね。どうぞ」
「比較対象が偉大過ぎて、こちらがだいぶ劣りそうですが、失礼します」
そう言うと、カウフマンはそっとノエルを抱きしめた。
背中に添えられたカウフマンの手に僅かに力が入る。抱きしめられると、頬に、身体に、カウフマンの熱を感じた。
久々に泣いてぼうっとする頭と、泣き疲れてだるくなった体に人の体温が心地良い。
そうしているとだんだん気持ちも落ち着いて来た。
すると思考もまともになってきて、急に今までと今の状況が気恥しくなってくる。
「……カウフマン様、冷静になると何で私は泣いたんだろうって思いました。申し訳ありません」
「構いませんよ。可愛らしかったですから」
「かわ」
「はい、可愛らしかったですよ」
カウフマンはそんな事を言ってにこりと微笑む。
とたんにノエルの顔に再び熱が戻って来る。
「か、カウフマン様、そんな感じでしたっけ!?」
「おや、私はいつもこんな感じですが? まぁ、今はだいぶ浮かれておりますけれど」
「いつもと言うか、演技の時はそうでしたけども!」
「ああ、あれ、演技でありませんでしたので。本音です」
「ほんね」
今度はノエルがぴしりと固まった。
するとカウフマンはイタズラが成功したような顔で、
「普段、ぜったいに、言えませんでしたから。だからせっかくの機会なので気合を入れてがんばりました」
なんてとんでもない事を言った。
ノエルの頭の中で恋仲作戦に絡んだ諸々が次から次へ流れて来る。
つまり。つまり、あれは。
「~~~~~~」
ノエルが真っ赤な顔で声にならない悲鳴をあげていると、カウフマンが楽しそうにくつくつ笑う。
それから彼は少しだけ目を伏せた。
「……言わないつもりでいましたし、言えないものだと思っていました。だからせめて演技と思われても、少しの間だけだとしても、ちゃんと言葉にしたかったのです」
「…………」
「怒らせてしまいましたか?」
「いえ」
からかう調子ではなく、真面目な雰囲気でそう言われ。ノエルは首を軽く横に振る。
そんなカウフマンを見上げながら、
「……カウフマン様に想われるのは幸せな事ですね」
と、いつかと同じ台詞を言うと。
カウフマンは虚をつかれたように目を大きく見開いて、
「……ありがとうございます。とても嬉しいです」
あの時と同じ――あの時以上に嬉しそうな顔でそう微笑んだのだった。




