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ローゼンギリア国南部、騎士団の駐屯所は屋根が見える範囲、住宅街からほどよく離れた位置に建てられた認可済みの孤児院――フリージアの家。広い庭には整えられた芝生があり、まっさらで眩しい清潔なシーツや衣服が干され、大きな木の周りでは手製のブランコで遊んでいる子供たちが見える。約束の時間より三十分ほど早く到着したリーゼロッテは、一通り周囲の確認を終えたのちに、にこやかによそゆきの笑みを浮かべて訪問した。出迎える高齢の女性はぴんと背筋を伸ばしている。ダークブラウンの髪をぴっちりと後頭部に団子としてまとめ、動きやすいワンピースにシンプルなエプロン姿だ。
「はじめまして、こんにちは。このたびギルド『クロックムッシュ』より派遣されましたリーゼロッテ・イリスアゲートと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、はじめましてこんにちは。わたくしはここの副責任者であるフィオナ・フリージアです。どうぞよろしくお願いいたしますわ」
院長であり責任者でもある元騎士団員・三番隊隊長のダズ・フリージアは先月膝を痛め、近くの病院にリハビリを兼ねて通院しているのだと無礼を詫びられたリーゼロッテは、構いませんよと猫かぶりの笑みで応答した。ダズが膝を痛め、通院した先で孤児院を増やす計画に経験者として参加しているのは事前に調査済みのことだ。
フリージア夫妻は子供に恵まれず、また三番隊隊長のダズは騎士団で生きるうちに孤児院出身だから、親がいないから、身寄りがいないから、学力が乏しいから――そんな、本人にはどうしようもない理由で貧困に喘ぐ子供たちを見てきたため、退団する際に受け取った資金をもとに孤児院を開いたというのは有名な話だった。外の世界に出ても馬鹿にされない知識、身嗜み、そして礼儀作法。それを持っているかどうかだけでも世間の目はがらりと変わる。
挨拶もそこそこに着席を促され、荷物を置いたリーゼロッテは出されるお茶にお礼を告げる。淡い茶色の髪をした少女が照れたようにはにかんだ。
アルト・アイドクレースが光属性の魔力を有していることは孤児院内にも伏せられているため、身辺調査や誘拐・暗殺対策を兼ねた護衛であることも、院長のダズと副院長であるフィオナにしか知らされていない。やわらかな風が吹き込む窓の向こうからは複数の好奇に満ちた視線があり、揺れるカーテンが木の床に優しい影絵を描いた。
「長旅でお疲れでしょう。ハーブティーですの、よろしかったらどうぞ」
「ありがとうございます。とてもよい香りですね」
「ええ、院内で育てておりまして」
来訪前に観察したが、確かに花壇や畑とは別にこぢんまりとした畑のような庭園があった。おそらくはそこで育てられているのだろう、お茶請けのクッキーもハーブティーに合わせてあるようで、焼き立ての優しい香りがする。こんなに丁寧な歓迎を受ける任務は稀だ。
「しばらく滞在されるとのことでしたから、手狭ですが一部屋用意させました。アルトと近い方がよろしいかと」
「お気遣い痛み入ります。そのお気持ちに応えられますよう、ギルドの名をもとに、ぜひとも尽力させていただきます」
にこやかに微笑み、そっと手を胸元に添えれば頼もしそうに、それでいてほんのわずかに、見逃せないほどに瞳が翳った。心配の色が隠せない――相手が正規のギルドメンバーとはいえまだ子供、そして我が子同然に育てているアルトを案じているのだろう。
本当ならきっと、アルトも他のみんなと一緒に孤児院で一定年齢まで育てられたあとは、一人、また一人と巣立っていくことの繰り返しだったはずだ。それが光の属性を顕現させ、突然王族の血を継いでいるかもしれないとまで言われてしまい、想像以上の出来事が立て続けに起こったことで困惑するのも無理のない話である。騎士団直々の依頼とはいえ、リーゼロッテを歓待できる器の大きさもあるのかもしれない。
「ああ、そうでした。アルトをお呼びしなくてはいけませんね」
「アルトさんには、概要をお伝えしていらっしゃるのですよね?」
「はい。ここはあの子が一番年上ですから、担当されるギルドの方が同世代と聞いて少し安心しているようにも見えました」
厳密的には同世代ではないのだが、四つ、五つ程度の年齢差は誤差の範囲だろうか。童顔なのを若干気にしているリーゼロッテに対する遊びと思うとカイナのにやけた笑いが過ぎり、いやいや考えすぎだと微笑の下で拳を固めた。たぶん、きっと、否、高確率でわざとだが。
アルトを呼んでくるというフィオナを見送ったリーゼロッテは、腰かけた椅子のまま目視で応接室の確認を始める。多くの孤児院を見てきたがここは造りも立派で日当りもよく、窓の向こうで遊んでいる子供たちものびのびとしているようだ。よほど退団時に受け取った資金に恵まれていたのか、それとも大きな後ろ盾があるのか。金策に困っているようには見えないが、アルトを手放すことで――悪い言い方をすれば騎士団に渡す条件をもとに資金援助の融通も考慮の予知がある。
まだ湯気の立つハーブティーに視線を落とすと、古い木のドアがノックされた。戻ってきたフィオナが連れている少年がくだんのアルト・アイドクレースだろう。やわらかな白金髪に翠が溶けた蒼い瞳、白い肌で華奢な身体。誰もが認める紅顔の美少年。思わず「おぅふ……」と声が出そうになるくらいの美少年だった。
「はじめまして、こんにちは。アルト・アイドクレースです」
微笑一つの破壊力が凄まじい。礼儀正しく、所作も丁寧のためかまさしく光属性正統派王子様だ。事前情報によれば、駆け落ちした元王女もまばゆい白金髪の美少女だったと聞いている。
「あ……、はじめまして、こんにちは。リーゼロッテ・イリスアゲートです。この度は多々ご不便をおかけするかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
背丈は、リーゼロッテとあまり変わらない。声変わりは済んでいるだろうが、見た目が見た目なので服装を変えても美少女になってしまうというか、違和感が職務放棄をするレベルだ。畑違いとはいえカイナという圧倒的美貌を見慣れているリーゼロッテでも、光属性の美少年はジャンル違いで一瞬挨拶の言葉が詰まった。この先騎士団に入ればエリートコースまっしぐら、さぞ世の貴族令嬢たちが放っておかないことだろう。
部屋に通すついでに建物の位置関係も把握するということで、道案内を頼まれたアルトは嫌な顔一つ見せず二つ返事で引き受けると、さりげなくリーゼロッテの荷物を持った。王子様かよ。
ギルドメンバーの荷物といえば暗器や毒物などが紛れ込んでいる危険性を認識していないのか、あるいはそういったトラップを想定していないのか。任務内容にはあまり関係はないが、今後の彼を思うと少しくらいは教えたほうがいいのかもしれない。
「院長先生、副院長からお話はお伺いしています。部屋は僕の斜向かいなので、なにかあったら遠慮なくお願いしますね」
「ご丁寧にありがとうございます。そうですね、ではわたしの認識と齟齬があるといけませんので、施設内を拝見しても?」
孤児院は木造二階建て、一階には共同スペースと院長夫妻の部屋や来客室、子供たちの部屋は主に二階に集中している。今回の任務が任務のためリーゼロッテの部屋も二階にしてもらったが、概ね二人一部屋、幼ければ三人一部屋が基本のようだ。アルトと同室だった少年は前年に就職するため院を出ている。
一度宛がわれた部屋に荷物を置きに向かった際、目視でささっと確認したところ、ベッドや棚など最低限の調度品が置かれている以外には、小さいながらも清潔さが保たれた部屋だった。孤児院全体が南向きのため、窓枠からドアに向けて風通しのよさまでも配慮されている。
事情がない限り全員が揃う食堂、小さいながらも種類のある図書室、それから計算や読み書きなどの基礎を学ぶ勉強部屋。お風呂は大人数で入ることを前提にされていて、談話室には『今週の当番表』と書かれた紙が貼ってあった。掃除、家事、洗濯、自由時間など、一人一人の自立や責任感を与えるため偏らないように考えられている。
リーゼロッテは、そこからアルトの居場所を奪うのだ。ギルドの一員として、任務を受けた者として。
それを感傷と呼ぶのは、いささか自己中心的で、なんら意味のない、欺瞞のように感じていた。
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