8話 新米料理人なので、どうぞお手柔らかに……。
「な、何、このキッチン……!」
拓真に案内されたのは、従業員用の居間兼キッチンと言う感じのスペースだった。とにかく狭くて、現代的な設備が何もない。
石のかまどには泥炭が燃えて、お湯の入った鉄鍋が真っ白な湯気を上げている。その脇には、作業台と思われる古びたテーブル。あとは水桶と、何だかよく分からない棚があるだけだ。
「こ、この建物は大家さんが用意してくれたじゃなかったの?」
「そうだけど、元々は食堂を作る前提じゃなかったし、キッチンには最低限の設備しか……」
「最低限って水道は? 冷蔵庫は?」
「この世界の一般家庭にはない。悪いけど、ひとまずこれで何とかできないか」
「いやいや、かまどの火加減なんか全然分からないし」
辛うじてお鍋や食器はあるみたいだけど、文明の利器を一切頼れないのは想定外だった。ただでさえ料理なんかできないのに、無謀すぎるわ。
しかも、現地調達できた食材はじゃがいもと玉ねぎだけだし、どうしようどうしよう。あああ。
……。
…………あ。
「そうだ、初回ログインボーナス!」
確か、大家さんが「一人に一つ能力をプレゼントしています」って言ってた。
何でもいいって話だし、例えば料理を出現させる魔法をもらったら? いや、流石にそれは味気ないよね。
それなら、料理のスキルがいいか。三ツ星レストランのオーナークラスで……でも、かまどでは絶対活かせない。食材だってないしどうにもならない。
「……それじゃ、とりあえずこの悲惨なキッチンをどうにかしようか」
「どうにかって、どうやって?」
狼狽える拓真を尻目に、私はきょろきょろと周囲を見回した。でも、期待していた監視カメラの類は一切見つからない。
仕方なく私は天井を見上げて、大きく両手を振った。
「大家さーん、聞こえますかー? どこかで見てるんでしょう?
ログインボーナスの使い道を決めました。私にキッチンをください! 一つ我が儘を聞いてもらえるなら、実家のキッチンをそのまま使えるようにしてほしいの!」
「おい、待て。いいのか?」
「え? まあ、実家の調理器具なら勝手も多少分かるし」
もっとも、お母さんが使ってるところを眺めてただけだけど。
「そうじゃなくて、ボーナスは一つだけなんだぞ? 慎重に選んだ方がいい」
「慎重にって言われても……」
何も思い付かないんだもん。
ゲームや何かだと、神様から授かった能力を駆使してモンスターを無双しやがては英雄に!! ……的な流れになるんだろうけど、私なんかただの一般人だもんね。世界より新居を守りたいし、何なら隠居してたいくらいだし。
ただ一つだけ、望みがあるとしたら……
「リリーさんのことは俺に任せろ。上手く言っておくから」
「でも、私はもう逃げたくない」
今、戦うための力が欲しい。
「この勝負に勝てたらまた頑張れる気がするんだ。いい機会だから立ち直りたいの、本当の意味で」
面食らう拓真を真っ直ぐ見つめた、次の瞬間。
――キュ、ポンッ!
突然、瓶のふたを開けたような音が鳴った。
すると、狭い居間兼キッチンに煙が充満して、目の前が真っ白になる。
「吸い込むな、袖で口を覆え!」
「ゴホッゴホッ……」
「煙いな、クソ…………って、何だこれ!?」
煙を払うために両手を大振りしていた拓真が、いきなり驚嘆の声を上げた。私は拓真の平手打ちを回避するのに必死で、状況が一切呑み込めていない。
「おい、見てみろよ」
「え?」
拓真に促されて薄目を開けると、馴染みのある景色がぼんやり浮かび上がり、私はぎょっとした。
しばらくして白い煙が消えると、それはまぎれもなく実家のL型キッチンだった。ちょっと年季の入った冷蔵庫や三口タイプのガスコンロもそのままで、今にもお母さんの声が聞こえてきそう。
「……これ、大家さんが?」
「多分な。朝比奈さんのボーナスなんだし、有難く使わせてもらったら」
うちの実家になんか来たことないだろうに、どう言う仕組み!?
でも、何はともあれ……
「た、助かったー! まともなキッチンさえあればそれなりに美味しく……してくれると思うよ、あの辺の便利な調理家電達が」
「おい」
「も、もちろん私も頑張るけど」
自信なんかこれっぽっちもないけどね。
「そうと決まれば、早くメニューを決めなきゃ。材料はじゃがいもと、玉ねぎが少ししかないから……うーん、肉じゃが。ジャーマンポテト。ポテトサラダ……は面倒くさいな」
「コロッケはどうだ?」
コロッケ?
「じゃがいもと言えば、だろ」
「でも、コロッケって実はものすごく工程が多くて大変なんだよ?」
スーパーやコンビニで安く叩き売ってるから、お手軽料理だって誤解されがちだけど、ところがどっこい。お母さんにリクエストしても、かなりの確率で拒否される料理の代表格なんだから。
「あのな、さっきのキッチンからも分かる通り、異世界の料理は基本的にシンプルだ。焼く・煮るが主流で、じゃがいもに限らず揚げ物なんて見たことないぞ」
「ええっ、嘘!」
「俺はここに来て半年経つけど、一度もだ。絶対に驚くと思う」
「うーー……わ、分かったよ。作ろう!」
万が一味が微妙でも、揚げ物であれば何とかなるかもしれない。そう言われたらもう、やるしかないじゃない!
観念した私は、勝手知ったる実家の食品庫のスライドドアを開ける。
……。
…………あー、ない。
「肝心のパン粉が切れてるよ、お母さーん……」
「ないとだめなのか?」
「フライには必須でしょ。どうしよう、代用できそうなパンもコーンフレークもないし。まあ、バキバキに折った素麺とかお煎餅なんかでもできなくはないんだけど……」
冷蔵庫をごそごそ漁り、まずはバターを発見。続いて、冷凍の合挽き肉もゲット!
よしよし、いいぞ。あとは、揚げ衣の代わりに何か……
「あっ、春巻きの皮があるじゃない! これでやろう!」
救世主は、10枚入りで税抜き198円。ああ、お徳用の春巻きの皮がこんなに愛しかったことってかつてあったかなぁ。
常温に戻すとすぐヨレちゃうから、冷蔵庫で少し寝ててもらおう。
「春巻き? コロッケはどうした」
「まあ、見ててよ。コロッケより格段に楽ちんで、なおかつ美味しいのを作る! よ、よーし。やるぞ……!」
お母さん。
実家を出て以来不摂生をしていた花野は、数年ぶりに料理をします! どうか見守っていてください!
……うう、怖ーーっ!!
読んでくださってありがとうございました!