7話 異世界宿屋の調理担当になりました
「さて、朝比奈さん。快く了承してくれてありがとう」
よくもまあ“快く”なんて言えるよね、この小悪党。
そっちがそう来るなら、もう敬語なんかやーめた。この職場では大先輩かもしれないけど、言いたいこと言ってやるんだからね。
とは言え、結果的にはよかったのか。どうせ異世界暮らしをするなら、アパートの住人と一緒の方が心強い。右も左も分からない場所で、荒っぽい衆に揉まれるよりずっと安全だしね。
でも、こんなことになるなら、もっと真面目に料理を教わっておけばよかったなぁ……うう、お母さーん……。
「不服そうだけど、頑張ろうな。俺もなるべく手伝うから」
「はー……。うん。これから真面目に勉強して普通レベルの腕前に持っていく」
「殊勝な心掛けだな」
御門さんは満足そうに笑いながら、10歳の妹にでもするような手付きでよしよしと髪を撫でた。私はその手をペッと払い除け、「幸い今は時間もあるからね」と薄く笑う。
「ん? まだ学生なのか」
「ううん、IT系のブラック企業の社畜OLだよ」
「そんな容姿で社畜……」
「容姿については心底余計なお世話だから! でも最近、ちょっとマシな部署に異動させてもらったばっかりなの。上司や先輩の風当たりがきつかったから」
「パワハラとか?」
「……うーん、まあ。こんな感じ」
私は髪を掻き分けて、まだ治りきらない十円ハゲをチラッと見せた。それを見た御門さんは小さく唸る。
そして、少し間を置いてから、労わるような口調で言った。
「そうか。大変だったな……。まあ、仕事なんて腐るほどあるんだから、体を壊してまで固執することなんかない。じっくり自分に合う場所を探せばいいんだ」
「……そう……だよね」
まずい、こんな所で労ってもらえると思わなかったから泣きそう。
百合子からは叱責されるし、営業から逃げた負い目を感じてたから、余計に沁みる……。
「俺、何か悪いこと言ったか?」
「違うの。あの……ありがとう……」
営業職に就いてから、ヤバそうな顧客に出会うと鳥肌が立つようになった。私の中のセンサーが敏感に反応するようになった。
でも、この人は大丈夫。
出会ってまだ1時間も経ってないけど、私は知ってるから。“人の痛みに寄り添える人は信じられる”って、ちゃんと知ってる。
……まあ、笑顔で脅迫してくるけど悪党だけどさ。
「おっはよーう、タクマくーん」
「!?」
突然響いた甘ったるい声に驚いて、涙は一瞬で引っ込んだ。
慌てて声の方を見ると、ダイナマイトボディの女性が階段を下りてきたところだった。ステージに立った海外歌手よろしく、妖艶に体をくねらせながら。
はー……乱れ髪に、はだけた薄いピンクのネグリジェが何とも色っぽい。
「おはようございます、よく眠れましたか?」
「んー、ちょっと寝不足かも? あなたが部屋に来てくれるのをずーっと待ってたのよ。昨日の晩、マッサージを頼みたいって言ったでしょ?」
「ははは……当館では、そう言うサービスはちょっと」
「あんっ、つれないのね。でもそんなところも好きよ」
おーおー、唇がぷるっぷるだ。寝起きを装いつつもお化粧はばっちりしてるから、御門さん狙いなんだな。分かりやすい。
すると、私の存在にやっと気づいたらしい女性が、突然激高して声を荒げた。
「……! ちょっと誰なの、その女!?」
な、なんか私、睨まれてる? 顔が怖いんですけど。
「今日から新しく入った調理担当の従業員です。どうぞお見知りおきください」
「あの、初めま」
「冴えない女!!」
私の挨拶を遮って、女性がピシャリと言い放った。
人が話している時に言葉を被せてくるとこ。この貶し方。この媚の売り方。男ウケ狙いのメイク……誰かに似てると思ったら、百合子そっくりなんだ。名前までリリーだし。
「洗練されたこの宿にはふさわしくないわ、タクマくん」
「そうおっしゃらないで、リリーさん」
「嫌よ、女の従業員はもう増やさないでって前から言ってたでしょ!? 子供だからって関係ないわ! タクマくんの側に女がいるなんて我慢できないのよっ」
「お得意様のご要望とは言え、それは」
「それに、こんなチビにはまともな食事なんて作れないでしょ。せいぜいおままごとがお似合いよ」
はあぁ?
そうだよ、料理なんか全然自信ない。「できない」って逃げたいよ。
でも、職場での衝突を恐れて一言も言い返せなかったことが、まだシコリになって残ってる。百合子からのLINE+に、未だに「ハイ、スミマセン!」しか返事できない自分が大嫌いだ。
だから、せめてここでは逃げたくない。奇しくも、相手は百合子そっくりの性悪媚売り女。おまけにボンレスハム体形まで同じときたら、誰かが私の背中を押してくれたに違いない。
異世界でくらい戦ってやる……!
「お言葉ですけど、できますから!」
「あら、そんな口を利いていいの? 店一番の上得意であるこの私に!」
普通、自分で上得意とか言うか? 図々しいな。
「それじゃ、朝食を作ってちょうだい。私の舌を唸らせられなかったら、すぐに辞めて出て行くのよ。いいわね?」
「リリーさん! 食堂は開店前なのでまだ食材がないんです」
「そうなの? だったら、お隣でもらって来ればいいわ。野菜くらいあるでしょ」
「それはそうですが……」
女の従業員ってだけで、こんな風に人を目の敵にできるあんたが怖いわ。これだけ言われたら、我慢してやる義理もないからね。
「キッチンに案内して! 御門さ……ううん、拓真!」
御門さんの名前を呼び捨てにすると、百合子もどき・もといリリーさんは悔しそうに唇を噛んだ。あえて手を繋いでフロントの奥に引っ込んだ時の顔と来たらもう、スカッとしたわー!
……と勝ち誇ったのも束の間。
拓真に案内されたキッチンを見るなり、一気に血の気が引いていった。
「な、何、このキッチン……!」