42話 ビビりでチキンで涙脆い料理人のデビュー戦
「ん、バッチリだよ。美味しい!」
スプーンでメインディッシュの味見をした穂積さんが、にっこりと笑った。
その顔を見るなり、私はヘナヘナと床にしゃがみ込む。緊張の糸が解けたせいか、足に力が入らなくなってしまったのだ。
「よ、良かったー……」
「あーあー、本当に心配性だねー。この子は」
呆れた調子でそう言うと、穂積さんは小刻みに震える私の手を握り、ゴシゴシ擦って温めてくれた。
その手の温かさと力強さにホッとして、私は「へへっ」と口元を緩める。
「ビビりでチキンなんですもん、私」
「花野ちゃんなら大丈夫。それに、今日のお客は仲良しばっかりって聞いたけど?」
「そうです。オズレムさんとエブラールちゃん、あとボルトさんの三人だけ。まあ、ボルトさんは、『ご祝儀代わりに』って一人で五人前も注文してくれてるんですけど」
「たった五人前? あの図体で? しけてるねー、今朝のお礼も兼ねて十人前くらい頼めばいいのに!」
「あはは、まさか! それに、手当てはほとんど穂積さんがしてくれたでしょ」
むしろ私は、救急箱を抱えてボルトさんの周りを徘徊してただけ。
おまけに、「出血の割に傷は深くない」の一言を聞いた途端、メソメソ泣き出す始末で……多分、いない方がましだったと思う。とほほ。
「それにしても、悪いね」
「え?」
「最初だってのに側にいてあげられなくてさ。工房の方で大口の依頼が重なってなきゃ、あたしもここに残るんだけど」
「そんなっ、陣中見舞いだけで十分ですよ!」
私は狼狽えて、ブンブン首を振った。
現実での穂積さんは、業界では名の知れたハンドメイド作家らしい。言わば、裁縫のプロだ。宿に置いてある穂積さんお手製のタペストリーや布小物も、購入希望者が後を絶たないし、実はすごい人だったりするのだ。
それなのに、異世界の技術を学ぶため、洋服や雑貨のリフォーム工房でもアルバイトをしている。しかも、「親方より腕がいい」なんて噂がチラホラ……。
そんな偉大な人を、納期ギリギリの今引き留めたりしたら大変だ。
「私が親方さんに恨まれちゃう」
「あの親父、粘着質で煩いからねー……うわっ、もう行かないと。ごめんね!」
食堂の壁掛け時計をチラ見した穂積さんが、ぎくりとした表情で言った。そして、バタバタと走り出す。
あー……あの様子から察するに、親方の小言は相当ヤバいんだろうなぁ。
時計の針は、午後6時45分。
「3人の予約の時間まで、あと15分だ……」
「来ーーたーーよーーおっ!!」
――ドムッ
「うぐっ」
背後から突然お腹を締め上げられ、私は野太い声を上げた。
慌てて振り返ると、何やら大きなリュックを背負ったエブラールちゃんが私のウエストにぶら下がっている。
「み、皆さんお揃いでようこそいらっしゃ……ま、せ、ぐええー……」
「放しなさい、エブラール。苦しんでるじゃないか」
呆れ顔のオズレムさんがエブラールちゃんの腕を引っぺがし、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「躾のなってない孫ですまないね。平気かい?」
「あはは! カノちゃんの今の顔、すっごく面白かったよ」
「こら、反省してるのかい!?」
「むうー。ごめんなさーい、お祝い持ってきてあげたから怒らないでね」
「お、お祝い……?」
そう言って、エブラールちゃんは体のサイズに見合わない大きなリュックを下ろした。そして、薄紫色の包みをいそいそと取り出すと、ほんの少しだけ封を開けてから私の手に握らせた。
「これは……」
ごつごつとして茶色い、ケーキ?
生地の表面には、赤・緑・紫色のおそらくドライフルーツらしきものが沢山埋まっている。色の毒々しさと、何だかよく分からない黒い粒々の存在が少し気になるけど……。
そこで、私はハッとした。
「これってもしかして、お母さんのパウンドケーキ!?」
「えへへっ、そうだよー。弟達が寝てる間に作ったの! いいでしょ!」
「……わあ、良かったね。良かったね!!」
私はサッと屈んで、さっきのお返しとばかりにエブラールちゃんをきつく抱き締めた。「苦しいよ」と抵抗しながらも柔らかく笑うエブラールちゃんの顔が、私にとっては一番のお祝いだ。
「ありがとう、食後に皆で食べようね」
「うん!」
「それじゃ、皆さん。食堂へど」
「どうぞ」と言いかけたところで、突然、ボルトさんが「ゴホンッ」と大きく咳払いをした。
「だっ、大丈夫ですか? 腕の傷のせい?」
「じゃなくてだな……あのー、こいつももらってくれるか」
はにかんだ笑顔で差し出されたのは、チューリップ……じゃなくて、ラーレの花束だった。赤と黄色の花を十数本束ねて、大きなリボンを結んである。
ボルトさんが持っている時は小ぶりに見えたけど、受け取ってみると、ずっしりとして腕におさまらないくらい立派だ。
私は思わず目を丸くした。
「あの、これを私に……?」
「あー、そのー、何だ。嬢ちゃんのケーキと比べるなよ? とても太刀打ちできねえ。これでも随分悩んだんだが、贈り物なんてろくにしたことなくてなぁ」
「そんなことっ……すごく、すごく綺麗です!」
「もっとデカくするように頼んだんだが、花売りのばあちゃんに怒られた。『馬鹿だね、おやめ! あんたのサイズで作ったら相手が窒息するだろうが!』って」
「ふふっ、嬉しい! 二人ともありがとうございます!!」
ああ、私、もっともっと頑張れそう。
大好きなこの人達に、美味しいものを食べさせてあげたい。
今日のこの気持ち、忘れたくないな……。
「カノちゃーん、泣いてないでそろそろご飯にしよう? エブラール、もうお腹ペコペコなの。ねえ、今日のメニューはなに?」
おっと、そうだ!
お客様を放置して浸ってる場合じゃない。
私は、目頭にじんわりと滲んだ涙を大急ぎで拭った。そして、物欲しそうに鼻をヒクヒクさせるエブラールちゃんに向き直り、「ズバリ!」と人差し指を立てる。
「うふふ、よくぞ聞いてくれました。今日のおまかせはカレーとサラダでーす!」
「かれえ?」
「カレ?」
「カレー?」
3人の声がぴったりと重なった。
「カレーライス! 私の国ではみんな大好きなの。さあ、お好きなお席にどうぞ!」
読んでくださってありがとうございました!
次の更新は来週を予定しています。引き続きよろしくお願いします。
◇
私は元々タイピングが得意な方ではなく、特にエブラールちゃんの名前はしょっちゅう打ち間違えています。
今回の42話はタイプミスがすごかったので、一部紹介します。
どうぞ笑ってください(苦笑)
脂―ル
海老らーる
得豚―ル
あぶたーる
酷い、酷すぎる……。
ごめんよ、エブラールちゃん~~(T_T)




