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22話 お客様、当館の客室に“滝”はございません

 

 ――コンコンッ


「お客様、失礼いたします。接客担当の朝比奈です」


 あーあ、ノックの指先だけじゃなくて声まで震えてる。


 これって、初めて一人で外回りに出た時みたいだな。

 確か、全く知らない企業に飛び込み営業して、プルプル震えながら会社概要の資料を読んだんだっけ。そしたら、担当者に「それだけ? うちのためになる提案を持って来たんじゃないの? あんた何しに来たの?」って舌打ちされて、帰りの電車で泣いたよなぁ。百合子には貶され、部長にも叱責され散々だった。




「ぐわっ!!!」




「え!?」


 突然、ドアの向こうから悲鳴のような声がした。

 度を失った私は、慌ててドアに右耳を押し当てる。でも、悲鳴はあの一度きりで、もう何の音もしない。


 どうしよう、中で何か起きて……まさか殺し屋とか? 狙撃? 物騒なこの世界ならあり得る。だとしたら早く助けないと!


「お客様! ム、ムスタファ様、どうしました!?」


 ドアノブを捻ると、幸いなことに鍵は開いていた。返事を待つ時間すらも惜しくて、私は意を決して猛ダッシュで室内に突入する。


「失礼します、ムスタファさっ……」

「き、君は誰!?」


 返事なんてできるはずがなかった。

 何故なら、突入した先に、素っ裸の男が立っていたんだから。




「ぎゃーーーーっ!!」


 な、な、何で裸!?

 こんがり焼けた肌で、筋骨隆々な肉体美が「これぞ漢!」って感じで、ムスタファらしからぬ綺麗な青い目で、腰付きもたいそう立派な、あああああ(以下略)



「イヤ、急に入っちゃだめだよ!」

「すみませんすみません、とりあえずソレを! しまって! しまってください!」

「分かった、待って。今隠すから」


 その場で蹲った私に背を向けて、ムスタファさんは腰にバスタオルを巻いた。衣擦れの音だけでソワソワするとか、どんな痴女だよ……。

 そんなことは気にも留めず、格好を整えたムスタファさんは私と同じ高さまで屈み、にっこり笑った。


「はは、立てる?」

「はあ、取り乱してすみません。そんな立派なモノは見たことが、いえ、突然のことでとんだ粗相を」

「こちらこそすまない。ノックが聞こえなかった」


 良かった。失礼なことをしたのに笑ってくれて、いい人そう……。


「そ、それより殺し屋はどこですか!?」


 ホッとしたのも束の間。私はムスタファさんを庇うように両手を広げて立ち、室内をぐるっと確認した。でも、ザっと見た限り、室内には私達以外誰もいない。


「あれ? いない?」

「殺し屋?」

「う、はい。悲鳴がしたので部屋の中に……」


 と言うか、何、この部屋!?

 外観はただのビルだったのに、中身はまるっきり旅館じゃない!


 微妙に色の違う小さな畳を格子柄に組み合わせた床には、ロータイプのベッド。触れなくても分かるフワッフワな羽毛布団は、もちろんシミ一つない純白だ。窓辺には掘りごたつ。落ち着いたピンクと黄色が可愛い、和柄のクッション。テレビや冷蔵庫はないけど、木の温もりがあふれるインテリアと優しい色彩で和めるお部屋だ。

 今風にお洒落で、いわゆる和モダンってやつ?


「温泉地なら一泊3万円くらいしそう……じゃなくて! すみません、今更ですけど、フロントコールでお伺いしたんですが」


 ばかだな、花野。お客様を放置してあれこれやってる場合か!


「そうだった、ちょっと見てほしいものがあってね」


 「おいで」と手招きされる方に付いていくと、ムスタファさんは玄関脇のドアを開けた。

 するとそこには、洗面台とシャワーブースがあった。壁の一部に木の素材やぬくもりを残しつつも、ブースの大半がガラス張りで、都心のホテルを思わせる近代的なデザインだ。

 更澤さんってば、ガラス張りはなかなか攻めてるなー。ちょっといやらしい感じも……ゴホゴホッ。


「昨日風呂に入りそびれたから、今朝こそはと思ったんだけどね。どう言う訳か、あそこから熱湯の滝が……」

「滝?」


 促された先にあるのは、どう見ても普通のシャワーだ。でも、普通と見せかけて、実は打たせ湯仕様とか?

 私は半信半疑でシャワーヘッドを手に取る。


 うーん、普通……。


「あっ、もしかして滝ってコレのことですか? 水流切替のシャワーヘッドですよ」

「え? しゃわー、へど?」


「!」


 私の胸がぴょんと跳ねた。


 やばい、無骨な男のカタコトの破壊力……!

 すずこちゃんと拓真みたいな正統派のカップリングも惹かれるけど、こう言うのも母性が刺激されるの~! 更澤さんのセンスがじわじわ来る~~!!


「どうかした?」

「いえっ……あの、今は水圧が一番強いジェットモードになってます。モードを替えるには、こうやってスライドレバーを動かせばいいんですよ。ほら、今度はミストモードです」

「うあっ、霧が! と、とめて!!」


 ムスタファさんは両腕で顔をしっかりガードし、後ろに飛び退った。


 この手のシャワーヘッドって、CMなんかだと「ふんわり包み込むような水流」とか「マイクロバブルで優しく毛穴洗い~」とか謳ってるんだけどな。ムスタファさんの反応だけを見ると、毒霧を噴射されてるプロレスラーみたい。


「ただのシャワーですよ、大丈夫です。温度も少し下げましたけど、お湯加減はどうですか?」


 小刻みに震える手を取って霧を当てると、ムスタファさんの表情がふっと緩む。


「はああぁ……星女神様のヴェールで撫でられてるみたいだよ……」

「ふふ、シャワーは初めてですか?」

「もちろん。こんな豪華なものは見たこともない。よほどの金持ちでなきゃ自宅に風呂なんかないしね」

「そうなんですか。じゃあ、普段は……」

「汲み置きの水を浴びるだけだね。公衆浴場もたまに使うけど、蒸気が充満した部屋で熱した石の上に寝そべって体を温めるんだよ。こことはまるで違う」

「へえ? 岩盤浴みたいですね」


 カタコトを期待して言ってみたけど、ムスタファさんはミストシャワーの感触にご満悦でそれどころじゃなかったみたい。ちぇっ、残念。


「それじゃ、私はこれで。お湯を止める時はこの取っ手を捻ってくださいね」


 私が「ごゆっくり」と頭を下げると、ムスタファさんは私の胸元の名札をチラ見して、照れくさそうに言った。


「どうもありがとう。えーと……アサヒナさん?」

「……っ、はい! また何かあったらお声がけくださいね」


 お客様の喜ぶ顔を目の前で見られるのっていいな。企業相手の仕事なんか、担当者の怖い顔しか思い浮かばないもんね。


 よーし、この調子で拓真の手伝いに行こうか。


 すっかり気をよくした私は足取り軽く、団体さんとやらがいる下の階へ降りて行った。


閲読ありがとうございます!

今回のお話はお楽しみいただけたでしょうか?

もし宜しければ、感想などをいただけるととても嬉しいです。

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