18話 就業規則が難解すぎて泣きたい!!
今回は、拓真が延々と就業規則の説明をします。ややこしくて申し訳ありません。
ただ、主人公自身も理解できていないので大丈夫です。流し読みでも問題ありませんし、次の話では通常モードに戻りますのでご安心ください。
是非、この先も引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
「……うーん、微妙な味」
ビールを口に含み、私は低く唸った。温くて、薄くて、泡の滑らかさも炭酸もなくて……確かにこれは拓真の言う通り、劣化版ビールって表現が相応しい。
なんかもう、こっちの人達が心底可哀相になるよ。汗水垂らしてせっせと働いた後の楽しみがコレって……泣ける。早くこの世界に慣れて、ご飯くらいはマシなものを食べさせてあげたい。
「そんな訳で、先生。よろしくお願いします!」
「じゃ、この世界の説明と就業規則をざっくりとな。それでもややこしいからよく聞けよ?」
私はイスに深く座り直し、「は、はいっ」と上擦った返事をする。
これまでの言動から察するに、拓真は割とポジティブで楽天的な方だ。なのに、こんな風に入念に前置きをするなんて、ちょっと身構えちゃうよ……。
「大前提として、細かいことは気にするな」
へ?
この第一声は全く予想してなかったぞ。
「設定は、更澤さんの気分次第でコロコロ変わる。何しろインスピレーションの人だし、思い立ったらエイッとやっちゃうんだ。実際、詳しいことは誰も分かってない」
「うわー……」
「まあ、一つ言えるのは、現実世界が優先される超ご都合設定だってこと。俺は去年の10月から半年ちょっとここに通ってるけど、日常が脅かされることはなかったから」
ビールを勢いよくあおって、拓真は「とりあえず安心しろ」と苦笑した。
無責任な神様が治める世界で半年間も生き延びただけあって、どこか達観してるな。私がその境地に達するにはまだまだ時間がかかりそう……。
「基本ルールその1、就業規則はアパートの入居者全員共通である。平等と言えば聞こえはいいけど、単純に設定を分けるのが面倒だったんだろうな。
その2、異世界暮らしは原則夜限定だ」
「夜だけ?」
「そう。入院患者が唯一自由になれる時間帯」
なるほど。回診や検査の度に中断させられたら気が散るもんね。
「だから、入居審査の時、更澤さんは夜勤中心の職種の人間を弾くんだ。ある程度の人数が揃って参加してくれないと困るって言うんでね」
そんな私情を挟みまくりの入居審査、聞いたこともないよ……。
でも、言われてみれば、あの入居書類は異色だった。勤務先や年収を記入するのは当然だけど、勤務形態やら就業時間の欄の方が大きかったもんね。
「ははは……」
拓真は、失笑した私の肩を叩き、「そのうち慣れるから」と一言。そして、声を改めて続けた。
「その3、現実で就寝して異世界に来ることをログイン、現実で起床して異世界を去ることをログアウトと呼ぶ。仕事で言えば、出勤・退勤のことだな。
その4、ログインの時間は自由に選択できる。ただし、午前0時以降可能になる」
「0時より前に寝たらどうなるの?」
「その場合は、スタートの0時まで普通に寝て待機する」
「なるほど」
「その5、ログアウトの時間も自由だ。ただし、午前6時になると全員強制的にログアウトする。つまり、異世界にいられるのは、どんなに長くても0時~6時までの6時間ってこと。
日中は仕事なり学校に行って、異世界暮らしは寝ながらするんだ。ここまでは分かるな?」
“異世界旅行の夢を見る感覚”と言われたのを思い出して、私は頷いた。
寝ている間だけ、ね。だから、日常が脅かされることがないんだ。
「で、気になるログイン・ログアウトの方法だけど……これは自分自身で確認してみな。ヒントは、さっきのすずこちゃんだ」
はあ?
全然ヒントになってないよ。ったくもう、他人事だと思って面白がってるな。
「その6は?」
「ログイン後は各自仕事をするわけだけど、あくまで日常生活が優先だ。遅刻早退はもちろん、業務に支障がなければ休暇も好きに取っていい。勤務中の休憩や仮眠、外出も各々の自由だ。勤怠管理がきっちりしているから、その分給料は減るけどな」
「うちの会社より待遇が良くて安心した」
私の一言に若干表情を曇らせたように見えたけど、拓真は「そりゃ良かった」とグラスを傾ける。
「その7は就業時間についてだ。さっきも話した通り時差があるから、現実の午前0時にログインした場合、異世界では午前6時になる訳だ」
「うん、昼夜逆転してるんだもんね」
「そうだ。で、勤務終了は異世界の午前0時。きっかり18時間働く計算だ」
ん?
「えええ!? な、長っ」
前言撤回! ブラック企業勤めの私が言うのもなんだけど、早朝から深夜まで18時間って労働基準法違反じゃないの!?
ログアウトの時間が自由に選べるからって、現実の会社と両立なんて無理だよ!
「と言うか、そもそも計算がおかしい! 『異世界にいられるのは最長6時間』って、拓真が言ったんじゃない。朝の6時から働くなら、終わりはお昼の12時でしょ?」
「まあ、待て。続きがある。ログイン中は時間の速さが変わるんだ」
「速さ?」
「そうだ。チュートリアルなら映像付きだから分かりやすいんだけど……よし、あそこの時計を見ろ」
拓真はアナログの壁掛け時計を指さして、頭を掻いた。その表情は、子供に時計の見方を教える母親のように苦悶に満ちている。
「ログイン中の時間の経過は1/3倍速だ。現実よりもゆっくりと進んでいく。つまり、異世界で18時間働いたとしても、現実では就寝から起床までの6時間しか経ってないんだ」
「う、うう?」
「だから、異世界の午前0時に勤務終了=現実の午前6時の強制ログアウトってこと」
現実の6時間が、異世界では18時間?
要は、現実の1時間が異世界での3時間になるってことだよね?
じゃあ、例えば……寝るのが午前1時になったら、異世界に来るのは9時ってことか。
うう、あってるのかどうかもよく分からん。
「でな」
ひいいぃ、もうやめてえええぇ……!
「バランスをとるために、異世界では逆のことが起きるんだ」
「逆?」
「俺達が現実で生活してる午前6時から午前0時までの18時間、異世界では3倍速で夜が過ぎるんだ。すなわち、俺達の感覚では18時間だけど、異世界では6時間しかたってないってこと」
………。
…………えーと。うーんと。
ねえ、どうしよう。分からないのは私だけ……?
情けなくて、アナログ時計が涙で霞んで見えない。




