16話 就職初日、色んな意味で疲れました
「ねえ、そんなに気を落とさないで。トカゲ肉は全部お土産にしちゃったけど、煮汁はたっぷり残ってるからさ。豚肉を足せばなんちゃって角煮の出来上がりだよ!
ほら、冷蔵庫に買い置きが……」
ん?
あれ!?
ゴソゴソと冷蔵庫を漁りながら、私は眉をひそめた。
普段なら肉類を入れてあるはずのチルド室に、頼みの綱の豚バラ薄切り肉の姿がない。ウインナーやベーコン、滅多に登場しないはずのボンレスハムだけがドーンと居座っている。
「おかしいな。いつも絶対買い置きしてるのに」
「…………」
「ちょっと! 人ん家の冷蔵庫の中身にケチをつけないでよ」
「何も言ってないだろ?」
口は動いてなくても、冷蔵庫に送る視線がものすっごく忌々しそうなんだってば!
「あー。うー。えーと、絶対何とかするから一旦ここで解散しよう。夕食の時間になったら戻ってきて」
「今日は団体さんの予約が入ってるから、少し遅くなるぞ?」
「え、ラッキー! ……あっ、いや、何でもない。承知しました!」
キリッと敬礼しつつ、脳内では「どうしようどうしよう」がエンドレスリピートしている。でもそれを、この人に悟られちゃいけない。
「市場でトカゲを調達してくるか?」
「トカゲはもうコリゴリだってば。晩酌のお酒だけでいいよ!」
「分かった……」
心底名残惜しそうにロビーへ戻って行く拓真を見送り、私はホッと肩を撫で下ろす。そして、お腹の底から息を吐き切って、腕を組んだ。
はーーーー。
さてさて、どうしようかね。
ざっと見た感じ、冷凍庫にもピンとくるものはない。こうなったら、絶対怒られるけど野菜で誤魔化すか? もしくは、お麩や大豆なら調理法次第ではお肉に似せられるかも……なんて、このド素人には無謀だよね。
……。
…………ああ、そうだ。いいいこと考えた!
◇
――コンコン
食堂の壁掛け時計が、午後8時ちょうどを指した時だった。ロビーと繋がっているドアが小さく二度叩かれた。
私はテーブル磨きの手を止めて、顔を上げる。
「はーい? 拓真ってば律義だね。勝手に入っていいよ」
あれ? 返事がない。
不思議に思った私は雑巾を片手にドアへと駆け寄り、ドアノブを捻る。でも、開けた先に人の姿はない。ただ、ひんやりした空気が流れ込んだだけだ。
「誰? あ、もしかしてサラ……?」
身を乗り出して、ロビーをぐるっと見回してもやっぱり誰もいない。それどころか、団体客が宿泊中だなんて言われなきゃ気付かないくらい静かだ。
「…………あのっ」
人気のないロビーからいきなり声がして、私は「うわっ!!」と声を上げた。
「……あの。ここ、ここです」
「こ、ここってどこ? それより誰ですか!?」
「驚かせてごめんなさい。あの、御門さんから晩ご飯に誘ってもらったんですけど……」
へ? 今日って拓真以外の入居者もいたの?
「こ、こちらこそ大声を出してすみません。どこにいるのか存じませんけど、隠れてないでどうぞ出て来てください」
「えっと、ありがとうございます。よいしょ……」
「!」
私はギョッとした。
フロントの陰からひょっこり顔を出したのが、小柄な女の子だったからだ。あどけなさの残る顔貌に、ツヤツヤの髪をきっちり束ねたツインテールがよく似合っている。
それに、上手く言葉にできないんだけど、とにかくものすんごーーーーく可愛い! 黒目、でかっ! 睫毛、長っ! 肌の色、白っ! きめ細か!
どのパーツをとっても素晴らしすぎて、絶対隣に並びたくない……。ちぇっ、不公平。
「は、初めまして。私、202号室に越してきた、朝比奈と申します」
「私は……えっと、隣の高槻です。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
よろしくと言いかけて、私はハッとした。
この子、もしかしたら私と同じ境遇なんじゃないの?
大家さん曰く、入居者は21歳から65歳までの男女のはずなのに、どこからどう見たって中学生じゃない。
すなわち、この人も好みじゃない厚化粧をしたり、高いヒールの靴を選んだり、並々ならない苦労をしてるってことじゃ……!?
すぐにでも抱きつきたい衝動をなんとか堪えて、私は話を切り出す。
「あの!」
「え?」
「失礼ですけど、もしかしてあなたももう成人っ」
「ハイハイ、盛り上がってるとこ悪いけど違うから」
「た、拓真!」
前のめりになる私の前に、呆れ顔の拓真が立ちはだかった。見慣れない青い瓶を小脇に二本抱えて、面倒くさそうに息を吐く。
「この子は、201号室の高槻すずこちゃん。ごくごく普通の13歳だよ」
「でも、大家さんが」
「すずこちゃんはアパートの入居者じゃないんだ。家庭の事情で自宅とアパートを行き来してて、たまに臨時バイトに入ってくれるんだよ。要するに、正規の従業員じゃないからノーカウント」
臨時バイト? 異世界で? そんなのアリなの?
「や、やっと同志を見つけたと思ったのにーー……」
「えっと……何だかガッカリさせたみたいでごめんなさい。あの、ここで働いてるのは私のお父さんなんですけど、私もたまに客室の清掃やリネンのセットを手伝ってるんです。よ、良かったら仲良くし」
――きゅうぅぅ
会話の途中で「きゅっ」と小動物が鳴くような音がした。拓真と私は思わず顔を見合わせる。
「きゅ?」
「何だ、今の。ネズミ?」
「…………あ、あは。私、です。忙しかったからお腹すいちゃって」
すずこちゃんは引っ込み思案そうにそう言うと、シミ一つない頬をぽっと赤らめた。
「あはは。今日はベッドメイクが立て込んでたもんな、お疲れ様」
「えへへ、恥ずかしいですー」
お、お腹の音まで可愛いとかーーっ!! この美少女は人間国宝になるべき!
と言うか、拓真と並ぶとより絵になるな。年が一回り離れてるから兄妹みたいで……いや、美形兄妹と見せかけて年の差カップリングかな? どっちにしても眼福だわ~~!
……おっと、マズイ。顔がにやける。心の声がダダ洩れだわ。
「お、お腹すいたよね。すぐ用意するねっ」
煩悩を読み取られる前に慌ててキッチンに避難した私は、髪をポニーテールに結い上げ、エプロンの紐をきつく結び直した。
「今いるのは俺達だけだから3人分頼む」
「了解。今日の賄はちょっと温めるだけだから、あっと言う間にできるよー」
角煮のタレが入った小鍋を火にかけると、すぐに縁の辺りがぷくぷく泡立ち始めた。同時にこってりと甘い香りが広がり、私の腹の虫も騒ぎ始める。
もちろん、可愛げの欠片もない下品な音でね。ちぇっ、不公平(本日二度目)。
あとは丼にご飯をよそって、盛り付けっと……。
「なあ、何か手伝えることはあるか? 味付け担当はクビになったから、配膳くらいしかできないけど」
「あはは、疲れてるところ悪いね」
大急ぎで盛り付けですませると、「待ってました」とばかりに拓真が立ち上がった。そして、重たいはずの木製トレーを軽々と持ち上げる。
「ひゃー、力持ちだね」
「これくらい、別になんてこと……」
そう言って丼の中身をチラ見するなり、拓真は満足げに目を細めた。
「ああ、なるほどね。こう来たか」
「んふふ、記念すべき一食目の賄だよ。いいでしょ♪」




