15話 トッピングに“お節介”はいかが?<執念のトカゲ2>
「ハリルさん、ご自宅はどちらですか? すごく遠い?」
「いや、隣町だよ」
「それじゃ、残りの角煮は持って帰ってください。常温じゃそう長くもたないけど、隣町なら間に合うと思う。今、容器に詰めますから」
「ちょ、あ、朝比奈さん!」
珍しく慌てた様子で拓真が会話を遮り、必死の形相で口をパクパクさせている。
えーと、なになに? ……『ば・ん・め・し』
「あっ……」
わ、忘れてた……。
でも、ごめん。却下。私達の晩酌の肴より、今はこっちの方が大事なんだから。
私は『晩飯』のサインを無視してキッチンに戻り、鍋に残っていた角煮をトングで次々とタッパーに移していく。それを見守る拓真の目は、哀愁を帯びて悲しげだ。
「電子レンジなんかないだろうから、お鍋で少しだけ温めてください。もしくは、タッパーごと湯煎してもいいから」
「タ、タッパ……?」
さっきの言葉は、紛れもなく愛情だ。
ふと気が緩んだ瞬間に、真っ先に奥さんのことが浮かぶなら。何の思惑もなしに、あんな優しい顔ができるなら、きっとまだやり直せる。
普段はチャラチャラしておふざけが過ぎるし、口では『別居して清々した』なんて言ってたけど、そんな風には聞こえなかった。
「私も、ただの“独り言”なんですけど」
「?」
「一攫千金より地道に仕事をしてみたらどうですか。お酒と風俗を控えて、奥さんに舵取りしてもらいながらコツコツと。しっかり者の奥さんなら、きっと家計簿をつけて遣り繰りしてくれます」
「……でも」
「産後の体って、交通事故に例えると全治1か月の怪我らしいです。肥立ちが悪かったりすると、3ヶ月とも8ヶ月とも言いますね。お母さんはそんな状態でも休みなくオムツや肌着を替え、2~3時間おきに母乳を飲ませるんです。母乳の材料は血液なんですよ、知ってました?」
「い、いや」
「体は瀕死の重体。貧血。寝不足。泣き声でノイローゼになったり、拒食や過食になる人も多いらしいですよ。一人じゃとても乗り切れません。あなたはこんなに近くにいるのに、ワンオペ育児なんてさせないで」
これは全部経産婦の先輩の受け売りだけど、赤ちゃんがいるお母さんは毎日が戦争だ。飲んだくれてる暇なんか、本来旦那にはないはずなんだよ。
「でしゃばってごめんなさい。よく注意されるんです、私。
でも、離婚じゃなくて別居なのは、お互いに思い留まる理由があるからじゃないんですか?」
「…………」
「奥様が実家に帰らないのは、あなたを諦めてないからじゃないんですか?」
何重にも袋で包んだタッパーを、私はそっと手渡した。
すると、
「…………ウサギ一匹捕れなきゃなおさらだな」
フッと柔らく微笑んで、ハリルさんはタッパーを握りしめた。
トカゲ肉はずっしりと重たくて、二人で食べるなら三食分くらいはゆうにある。育児も食事の支度も全部やめてゆっくり眠ったら、きっと話くらいはできるんじゃないかな。
「これは妻と一緒に食べるよ。娘にも……あ、娘はまだ歯がなかった。可哀相だなぁ、こんな美味しい物を食べられないなんて」
「ふふ、今度はご家族そろって食事に来てください。待ってますから」
「ありがとう、きっとそうする」
「ただし、お酒は一切出しませんからね?」
元の上司や百合子からよく叱責された、私のお節介。
「顧客相手に世話を焼きすぎるな!」とか「どんなクソシステムであろうと、顧客の希望通り作ってやればいいんだ!」って毎日叱られた。仕事においてはそれももっともで、私はあれもこれも気を回しすぎるきらいがあった。だから、基本の衣食住を疎かにするくらい時間がなかった訳で……鼻血ブー事件は私のせいでもあった。そこは反省しなきゃ。
だけど今日は、ちょっとだけ気分がいいの。
「それじゃ、行ってきま」
「ハリルさん? ちょっとちょっと」
ヒラヒラと手を振って食堂を飛び出そうとしたハリルさんを、拓真が制止した。そして、二人で肩を組み、何やら耳元でボソボソと話し始める。
「いいですか。まず、帰宅直後の謝罪は簡潔にしてください。長ったらしい詫びの文句も土下座も、ささくれ立ってる女性には逆効果ですからね?」
「そ、そうなのか。誠心誠意想いを伝えて、妻の気がすむまでなじられようと思っていたんだけれど……」
「絶対やめてください。それよりも、『授乳以外は全部俺がやるから、何日でも自由に過ごせ』って言うんです。きっと烈火のごとく怒りますけど、完全無視です。冷静になるまでは奥さんを寝室に押し込むか、希望があれば外出させてください。
重要なのはその次で、奥さんを封じてる間は絶対に怠けず、身を粉にして働いてください。馬車馬のようにね」
「す、するとどうなる?」
「女性は優しい生き物ですから、真摯に奮励努力する相手を無碍にし続けることはできない。時間はかかるかもしれませんが、そのうち多少なりとも情が湧いてくるはず。大事な話はそれからです」
「詳しいんだね。随分女慣れしてる感じで……」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。
とにかく、言う通りにしてください。“誠意は態度で示す”、クレーム対応ではこれが鉄則ですから」
「……肝に銘じるよ。殴られないように祈っていて」
ポンと背中を叩いたかと思うと、拓真はガッツポーズでハリルさんを見送った。
話の内容が分からない私は、正直「???」なんですけど……。
「ねえ、何を耳打ちしたの?」
「…………」
「ねえってば。聞いてる?」
「そんなことより、俺に何か言うことがあるだろ……?」
「ヒッ」
クールに見えて食にうるさいこの男のこと、すっかり忘れてた!
「ハリル夫妻への気遣いを、ちょっとでもこっちに回せなかったのか。もう角煮の腹になってるのに、どうしてくれるんだよ……あーあ、くそー」
「ごめんね。でも、お惣菜の差し入れなら奥さんも喜ぶかなって。産後は栄養をとらなきゃいけないし」
「そうだな、あれが正しい……間違ってない……」
そう肯定しながらも、彼特有の余裕の笑みは影を潜め、なんとももの憂げな顔をしている。目線に至っては一切合わせてくれない。
あああ、罪悪感で押し潰されそうだ。
「だ、大丈夫! 美味しい賄を作るから! ね!?」
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