9話 す、数年ぶりに包丁を握ります……!<魅惑のじゃがいも1>
「じゃ、じゃあ、まずはお鍋でお湯を沸かしまーす」
「…………」
「その間にじゃがいもをよく洗って、皮を剥いておきまーす」
「…………」
「あー、日本のより固いし芽も多いな。ピーラーが壊れそう」
「…………あのー」
ブツブツと話し続ける私に対して、困り顔の拓真が「ちょっといいか」と右手を挙げた。
「なあ、もしかして俺に話しかけてる?」
「え? ああ、独り言。手順を口に出してた方が落ち着くから。でも、変なことを言ってたら止めてね」
「……俺に分かるかな。中学の調理実習しか経験ないぞ」
「あはは、私も似たり寄ったりだよ」
丁寧に芽を取り、小さめの一口大に切ったじゃがいもを水にさらす。そして数分後、沸騰したお湯に入れ、角がホロッとしてくるまでじっくり茹でる。じゃがいもの準備はこれでオッケー!
まあ、栄養素のことを考えると、皮付きのまま蒸すか、ラップで包んで電子レンジにかける方がいいんだけど……初心者はそんなの無視!
「次は、冷凍の挽き肉を電子レンジで解凍して、玉ねぎをみじん切りにしまーす」
玉ねぎに包丁を入れると、あっと言う間に鼻がツンとして涙が溢れた。日本の新玉ねぎよりもかなり水分が多いみたいだ。
くうー、これはキツイ。ちょっと刻んだだけで大号泣だよ……。
一旦手を止めて涙を袖で拭うと、拓真がポツリと言った。
「……お前、意外とできるんだな。流石は栄養士の娘」
「いやいや、ほとんど経験がないって言ったでしょ。『将来困らないように』ってお母さんが熱心に教えてくれたのに、嫌々聞くだけでメモも取らなかったし。
でも、意外と覚えてるもんだねぇ……」
――ドスッ
「ひっ」
しみじみと言った途端、手元が狂い、鋭く尖った切っ先が指を掠めた。
「……覚えてはいても、体は追い付かないんだな」
「み、みたいだね。あはは……」
包丁の一撃を喰らいかけた指を擦りながら、私は半笑いで言った。
料理を仕事にするなら、普段からちゃんと自炊しなきゃだめだな。これじゃ危なっかしくて使い物にならないよ、とほほ……。
「さて、気を取り直して、熱したフライパンにバターを一片。半分溶けたところで玉ねぎを投入して、飴色になるまでじっくり炒める。頃合いを見て挽き肉を加え、塩コショウっと。
あ! 手が空いてたらじゃがいもの固さをみてくれる?」
私は拓真に竹串を差し出し、じゃがいもに突き刺すようジェスチャーで促した。
「……こ、こうか? これでいいのか?」
う、うん?
初めての手術でメスを握る医者。切腹に臨み刀を構える武士。今の拓真はズバリそんな感じだ。相手はじゃがいもと竹串なのに。
私は思わず吹き出しそうになるのを堪えて続ける。
「竹串がスルッと刺さったらオッケーだよ。お鍋のお湯を全部捨ててから、強火で30秒くらいじゃがいもをゆすってくれる?」
「何で焼くんだ? 揚げるんじゃないのか?」
ぎこちない手付きでシンクにお湯を捨てようとしていた拓真が、ぎょっとして私を振り返る。
ひいー、頼むから手だけ動かして! 突っ込まないで! ただ単に「お母さんがやってたから」としか言えないんだってーー!
「あー、えーと、多分なんだけど……茹でたばっかりのじゃがいもはビチャビチャでしょ? だから、水分を飛ばすの。それを粉ふきいもって呼ぶの」
「そうか。うわ、熱っ……湯気が熱い!」
「うわぁ、即席のミストサウナだね……」
ぐに、ぐに、ぐに。
蒸気で顔をしっとりさせつつ、私は懸命にマッシャーで粉ふきいもを潰していく。
うう……単純作業だと思って舐めてたな。結構力がいるし、湯気で湿った手が滑るーー。
「……も、もういっか。粗めに潰した方が食感が残って美味しいしね。うん……別に手が痛いからとかそんな理由じゃないんだよ?」
「俺は何も言ってない」
「あはは。じゃあ、次は炒めた具材を加えまーす。追加の味付けは、ケチャップとソース。滑らか食感のために牛乳と……隠し味でマヨネーズも少し入れてみようか」
「ああ。タネはこれで完成?」
「うーん、そうなんだけど……」
この世界には簡素な食事しかないって話だし、これだけでもいい気がするけど……どうせなら、あの高慢ちきな百合子もどきをギャフンと言わせたいよなぁ。
……ああ、そうだ!
「タネを半分に分けて、片方は違う味にしよう」
「違う味って言うと……ああ、クリームコロッケにするのか!」
「いやいや、無理。あれは最強クラスの難易度だから。家で作ろうなんて考えずに、黙って洋食屋さんで食べよう」
拓真は複雑そうな表情で、こくこく頷いた。
ははあ、思い当たる節があるんだな。お母さんにリクエストして拒否された経験アリと見た。
「初心者は身の程を弁えてもっとお手軽にね」
「ああ」
「よし、そうと決まれば急ごう! タネの成形も、皮で包むのも、私の腕だと結構時間がかかると思う。あんまり遅くなるとリリーさんが不機嫌になるでしょ?」
「……もうなってるかもな。あの人はうちのお得意様なんだけど、どうも困った性分で」
「性分とか、そんな可愛いもんじゃないでしょ」と言いかけて、私は口を噤んだ。
決着は料理で付けてやるんだからね!
――ジュアッ……
四苦八苦して包んだ春巻きをフライパンに置くと、ジュッと美味しそうな音がした。
そして、ふちの辺りにじんわりと色が付き始める。
「油が少なくないか? 1cmくらいしか入ってないぞ」
「普通に揚げると『朝から脂っこいわ!』とか『太るじゃないの!』とかケチを付けられそうでしょ? だから、今回はフライパンで揚げ焼きにする。揚げ油の節約にもなるし」
「なるほど」
「それでも油ははねるから、逃げるか、鍋の蓋かなんかでガードしといて?」
「はは、鍋蓋の盾か。それじゃ、俺は皿を探しておく」
「ありがとう」
……ん?
パチパチと音を立てる春巻きを菜箸でひっくり返した時だった。食器棚を物色していた拓真が、小さく息を吐いた。
私はそれを聞き逃さない。「何?」と尋ねると、感心しきった声で拓真は言った。
「知らなかった」
「え?」
「料理ってのはこんなにも大変なんだな。母親には頭が下がるよ」
私は一瞬黙った。
「……うん、本当にね。母親なんだから当たり前だと思ってたけど、きっと陰ですごく頑張ってくれてたんだよね」
テーブルいっぱいの朝ごはん。蓋を開けるのが楽しみだったお弁当。外食なんか滅多にしないで、毎日体にいい食事を作ってくれた。
“あの毎日”は、当たり前なんかじゃなかったんだね。
「私なんかコロッケを作るだけでもこんなに大変で、もう二度とやりたくないと思ってるのになぁ」
「そう言わずにやってくれ、調理担当」
「あはは。それはまあ、冗談だけど」
「帰ったら、母親にLINE+するよ。普段はろくに会話もしないからさ、突然『ありがとう』なんて言ったら泣くかもしれないけど」
「あはは、泣かせちゃえ。滅多にないことなんだろうし、涙腺崩壊させたらいいよ!」
私もそうしよう。
そして、今度実家に帰ったらこのコロッケを作ろう。
きっと喜んでくれるから。
「おっと、そろそろ完成だよー!」
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