表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/52

プロローグ ~看板娘の回顧録~

数ある小説の中から選んでくださってありがとうございます。


これは、ごくごく普通のごはんを作ったり食べたりするお話です。多少のウンチクはありますが、レシピ本にはなりません。奇抜な料理やアッと驚く展開もさほどありません。

隙間時間の暇つぶしに、のんびりまったりと読んでいただけると嬉しいです!


「おい、知ってるか? 帝都の外れに一風変わった宿屋があるんだ」


 傭兵の一言に端を発して、その宿屋の評判は帝国中に広まった。


「『どうせ出稼ぎ連中用のどうしようもない安宿だろう』って?

 いーや、違う。外観こそ珍しくないが、一歩足を踏み入れると何とも言えない異国情緒が漂っててな。あー、何だったか、確か“ワフウ”とか言うらしいぞ。


 具体的に言うとだな、あー、まずは草を織ってこしらえたタタミ。あの滑らかな手触りと清々しい芳香は、この帝国にはない最っ高の癒しだ。それから、その上に敷かれた純白の寝具たるや、ありゃぁ雲だな。フワフワで、肌に吸い付くような柔さで……うまく形容できねえが、とにかく裸で寝ろ。いいな、裸だぞ!?


 ちなみに俺のイチオシは、最近できたばかりの食堂だ。なんと言っても異国の飯が美味い。おまけに、厨房の一切を取り仕切る料理人ってのが実は……ハハハ! この先は見てのお楽しみだ!」



 物語は、そんな話題の宿屋【ルーチェリッカ】の食堂から始まる。



 ◇



 ――帝都・ヴェルデ旧市街。深夜。



「おーい、カノちゃーん。いるかー?」


 ドアの前に『閉店』の看板を出した直後のことだった。

 焦げ付いた鍋の底をタワシでゴリゴリ洗っていると、低く太い声が私の名前を呼んだ。私は「はーい?」と相槌を打って、ドアへと走る。


「はいはい、どなたで……あー、ボルトさん。いらっしゃい!」

「よお。もう店仕舞いか?」

「残り物のスープでよければ温めるよ。入って入って」


 すっかり常連になったボルトさんをカウンター席に案内し、私は緩めていたエプロンの紐をきゅっと絞め直した。そして、ピカピカに磨きあげたグラスにこぼれる寸前までお冷を注ぐ。


「お冷大盛り、お待ちー!」

「おっと、溢れる溢れる。毎度のことながら、こりゃぁ攻めすぎだ」


 カウンターの隣の席に座り、私はへへっと笑って頬杖を突く。

 すると、グラスの表面に盛り上がった水をちびちびすすりながら、ボルトさんが申し訳なさそうに頭を掻いた。


「遅い時間に悪いな。流石に迷惑だと思ったんだが、丸三日何も食ってないせいか眩暈がしてな」

「ど、どうして三日も?」

「古都で一仕事してついさっき戻ったんだが、飯が不味くてなぁ。ボソボソしたパンに挽き割り麦の粥、パッサパサのいも、謎のハーブ……ありゃぁとても食えねえ。カノちゃんの異国風の味付けに慣れちまったからなー」


 “異国風”……ね。

 私の料理はどれもお手軽&手抜きの和洋食で、正直そんな大層なものじゃない。本来なら家族や友達にだって振舞いたくないレベルだ。()()では仕方ないとは言え、そう絶賛されると気まずいんだよなぁ。


 人目に触れないようカーテンで仕切ったキッチンに戻り、私はこめかみをポリポリ掻いた。



「……まあ、気を取り直して。始めるか」


 ガスコンロの点火ダイヤルを時計回りに捻り、まずは冷めてしまったスープを温める。しばらくすると鍋のスープがクツクツと音を立て、カツオ出汁と生姜の香りがふわっと漂い始める。

 私の賄い用にこっそり確保しておいたおにぎりは、ラップで包んで電子レンジの中へ。600Wで40秒、具のチーズが溶け出す前にとり出す。


「カノちゃん、どうだ。何か手伝うか?」


 匂いにつられたボルトさんが、ソワソワした様子でカーテンの隙間から顔を出した。私より一回り以上も年上なのに、その顔は小さな子供みたいだ。

 うふふ、可愛い。相手は筋骨隆々たるおじさん、身長約3m(※推測)だけどね。


「ありがとう。もうできたから大丈夫だよ。座って」

「そうか……お? ふおー、今日はまたいい匂いだな!」

「あはは、いつもそう言うでしょ。お待たせしました、すりおろした山芋と鶏ささみのスープだよ」


 スープボウルを乗せた木製トレーをテーブルに置くと、ボルトさんは嬉しそうに目を細めた。そして、お寺でお線香の煙でも浴びるように、立ち上る湯気を顔に浴びせる。と言うより、むしろ塗りこんでいる感じだ。

 今はもう慣れっこだけど、初めてこれをやられた時は「何かの儀式!?」ってぎょっとしたわ。


「さあ、温かいうちにどうぞ。お腹に溜まるように素麺を足してみたの。あと、長ネギと三つ葉もね。香味野菜は疲れを取ってくれるから」

「ありがてえな。いただきます…………ほふっ……はふ、熱っ」


 ボルトさんは軽く掌を合わせてからスープをすすり、ビールのCM並みに豪快に「プハァッ!」と息を吐いた。よほど熱かったのか、はふはふと言う音と湯気が口から漏れている。


「くうーっ、ショウガのピリッと感がたまらん! その辺で出てくる薄ーい塩煮込みとは違うな!」

「料理人の愛情がいーっぱい入ってるしね♪」


 すごい勢いで口に吸い込まれていく素麺を眺めながら、私は満面の笑みを浮かべる。

 これこそ料理人への最大の賛辞だよね。


「しかし、何だ。ここに通い始めて随分経つが、今でも半信半疑だな。お前さんみたいなのが厨房の責任者なんてよ」

「あー、あはは……」

「古都でも話題になってたぞ? なんたってお前さんは容姿が」

「もうー、私の見た目のことはいいの!」


 両手の人差し指を重ねて×を作り、私は「しっ」とボルトさんを睨む。すると、3mの巨体がしゅんと縮こまった。

 ありゃ、きつく言いすぎたかな。


「それより、良かったらこれもどうぞ。私の賄いで悪いけど」

「おっ、そりゃぁ何だ?」

「クリームチーズと昆布の佃煮入りのおにぎり。私の大好物なの」



「ツク、ダ、ニ?」



 額の汗を拭っていたおしぼりをボトッと落とし、ボルトさんは眉をひそめる。私を見る目が、キチガイを見るそれに近い。

 い、一体何があったの?

 怯える私の手を慎重につかむと、ボルトさんは声のトーンを下げて言った。


「あのな、お前さんの飯は美味い。宮殿にいる皇帝の料理番だってきっと敵わんさ。だが、客にダニを食わせるってのはいただけねえよ。分かるだろ? な?」



 ダニ?



 ダニって虫の?

 足がいっぱいの……あああ、想像するのも嫌だ。


 謂れのないクレームに驚いた私は、瞬きも忘れて硬直してしまった。そして、数秒後にやっとパズルのピースがはまり、ハッとした。


「ダ、うあっ……いやいやいや、違う! 虫じゃない、昆布を甘じょっぱく煮た食べ物!」

「し、しかし」

「害虫なんか出さんってば!! ほら、口開けて。あーん!」


 私は「あ・あ・ん!」と凄みながら、ボルトさんの食いしばった前歯におにぎりを押し当てる。


「美味しいから食べて! これは大事なことだよ、こっちの信用にも関わってくるんだから……!」

「ぐ、ぐがあぁ」




「おい、花野!」



 え?


 慌てて振り返ると、背後には仏頂面の拓真が立っていた。そして拓真は、少しも躊躇うことなく私の脳天にゲンコツを落とす。



 ――ゴンッ


 鈍い音がした。自分で言うのもなんだけど、中身が詰まったいい音だ。



「痛っ」

「お前な、お客様相手になんて態度だ! 接客業舐めんな!」

「叩くことないじゃない、しかもグーで!?」


 恨めしそうな私の視線を無視して、拓真はボルトさんに頭を下げる。


「うちのがいつもすみません、ボルトの旦那。常連さん相手だとすぐ調子に乗って」

「なんのなんの。それより、景気はどうだ。タクマ」

「お陰様で上々です。いつもご贔屓にしていただいてありがとうございます」

「その口ぶり、すっかりオーナー代理が板に付いたなぁ」

「恐縮です」


 人のこと殴っといて、なーにが『恐縮です』だよ。


「急に猫かぶっちゃって気持ち悪いったら」

「はあ? お前こそ接客中くらいは敬語を使え! 社会人だろうが!」

「普段はちゃんとしてますーう!」

「へえ、そうですか。最近とんと聞かなくなった気がするけど?」

「あっそ、ボーっと仕事してるからじゃないの?」


「……ぶっ、ハハハ! 相変わらず仲がいいな。お前さん達、いっそくっ付いたらどうだ」



「じょ、冗談じゃない!」

「じょ、冗談でしょう?」



 私達二人の声は、少しのズレもなく綺麗にシンクロした。それを聞いたボルトさんは、「ほら、そう言うところだ」と豪快に笑い飛ばす。


「変なこと言わないで。私達はただ同じアパートに住んでるってだけなんだから……あっ」


 うっかり口を滑らせた私に、「喋りすぎだ!」と拓真が怒鳴る。

 あちゃー、そうだった。私達の素姓は秘密なのに……。


「アパ? アパ何だって?」

「うー、あー、いやー……あはは……」



 さて、お気付きの方もいらっしゃるでしょうか?


 何を隠そう、私達はこの世界の人間ではありません。

 ごくごく普通の日本人です。


 私はこの宿屋の食堂を一人で切り盛りしていますが、料理人でもありません。

「労働基準法? 何ソレ、美味しいの?」状態のブラック企業の、元社畜OLです。


 じゃあ、なぜ異世界の宿屋で仕事をしているか?


 それについては、是非とも私の話を聞いてください。

 ズバリお答えすると、私達が住んでいるアパート【ルーチェリッカ・武蔵野】の大家さんのせいなんですが、この状況に至るまでに色々なことがあったんです。ちょっとした「ざまぁ!」があったり、ほっこりするエピソードがあったり、本当に色々な……。


 それじゃ、まずはここに来る前のことから振り返りましょう。



 始まりは、小雪がちらつく、2月の寒い晩のことでした。


読んでくださってありがとうございました!

少しでも「続きが気になる」「面白いかも」と思ってくださったら、ブックマークや下の☆マークで評価をいただけると嬉しいです。

感想なども励みになりますので、どうぞよろしくお願いします。


※次回の更新は、4/7(水)のお昼頃(もしくは夜)を予定しています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ