プロローグ ~看板娘の回顧録~
数ある小説の中から選んでくださってありがとうございます。
これは、ごくごく普通のごはんを作ったり食べたりするお話です。多少のウンチクはありますが、レシピ本にはなりません。奇抜な料理やアッと驚く展開もさほどありません。
隙間時間の暇つぶしに、のんびりまったりと読んでいただけると嬉しいです!
「おい、知ってるか? 帝都の外れに一風変わった宿屋があるんだ」
傭兵の一言に端を発して、その宿屋の評判は帝国中に広まった。
「『どうせ出稼ぎ連中用のどうしようもない安宿だろう』って?
いーや、違う。外観こそ珍しくないが、一歩足を踏み入れると何とも言えない異国情緒が漂っててな。あー、何だったか、確か“ワフウ”とか言うらしいぞ。
具体的に言うとだな、あー、まずは草を織ってこしらえたタタミ。あの滑らかな手触りと清々しい芳香は、この帝国にはない最っ高の癒しだ。それから、その上に敷かれた純白の寝具たるや、ありゃぁ雲だな。フワフワで、肌に吸い付くような柔さで……うまく形容できねえが、とにかく裸で寝ろ。いいな、裸だぞ!?
ちなみに俺のイチオシは、最近できたばかりの食堂だ。なんと言っても異国の飯が美味い。おまけに、厨房の一切を取り仕切る料理人ってのが実は……ハハハ! この先は見てのお楽しみだ!」
物語は、そんな話題の宿屋【ルーチェリッカ】の食堂から始まる。
◇
――帝都・ヴェルデ旧市街。深夜。
「おーい、カノちゃーん。いるかー?」
ドアの前に『閉店』の看板を出した直後のことだった。
焦げ付いた鍋の底をタワシでゴリゴリ洗っていると、低く太い声が私の名前を呼んだ。私は「はーい?」と相槌を打って、ドアへと走る。
「はいはい、どなたで……あー、ボルトさん。いらっしゃい!」
「よお。もう店仕舞いか?」
「残り物のスープでよければ温めるよ。入って入って」
すっかり常連になったボルトさんをカウンター席に案内し、私は緩めていたエプロンの紐をきゅっと絞め直した。そして、ピカピカに磨きあげたグラスにこぼれる寸前までお冷を注ぐ。
「お冷大盛り、お待ちー!」
「おっと、溢れる溢れる。毎度のことながら、こりゃぁ攻めすぎだ」
カウンターの隣の席に座り、私はへへっと笑って頬杖を突く。
すると、グラスの表面に盛り上がった水をちびちびすすりながら、ボルトさんが申し訳なさそうに頭を掻いた。
「遅い時間に悪いな。流石に迷惑だと思ったんだが、丸三日何も食ってないせいか眩暈がしてな」
「ど、どうして三日も?」
「古都で一仕事してついさっき戻ったんだが、飯が不味くてなぁ。ボソボソしたパンに挽き割り麦の粥、パッサパサのいも、謎のハーブ……ありゃぁとても食えねえ。カノちゃんの異国風の味付けに慣れちまったからなー」
“異国風”……ね。
私の料理はどれもお手軽&手抜きの和洋食で、正直そんな大層なものじゃない。本来なら家族や友達にだって振舞いたくないレベルだ。ここでは仕方ないとは言え、そう絶賛されると気まずいんだよなぁ。
人目に触れないようカーテンで仕切ったキッチンに戻り、私はこめかみをポリポリ掻いた。
「……まあ、気を取り直して。始めるか」
ガスコンロの点火ダイヤルを時計回りに捻り、まずは冷めてしまったスープを温める。しばらくすると鍋のスープがクツクツと音を立て、カツオ出汁と生姜の香りがふわっと漂い始める。
私の賄い用にこっそり確保しておいたおにぎりは、ラップで包んで電子レンジの中へ。600Wで40秒、具のチーズが溶け出す前にとり出す。
「カノちゃん、どうだ。何か手伝うか?」
匂いにつられたボルトさんが、ソワソワした様子でカーテンの隙間から顔を出した。私より一回り以上も年上なのに、その顔は小さな子供みたいだ。
うふふ、可愛い。相手は筋骨隆々たるおじさん、身長約3m(※推測)だけどね。
「ありがとう。もうできたから大丈夫だよ。座って」
「そうか……お? ふおー、今日はまたいい匂いだな!」
「あはは、いつもそう言うでしょ。お待たせしました、すりおろした山芋と鶏ささみのスープだよ」
スープボウルを乗せた木製トレーをテーブルに置くと、ボルトさんは嬉しそうに目を細めた。そして、お寺でお線香の煙でも浴びるように、立ち上る湯気を顔に浴びせる。と言うより、むしろ塗りこんでいる感じだ。
今はもう慣れっこだけど、初めてこれをやられた時は「何かの儀式!?」ってぎょっとしたわ。
「さあ、温かいうちにどうぞ。お腹に溜まるように素麺を足してみたの。あと、長ネギと三つ葉もね。香味野菜は疲れを取ってくれるから」
「ありがてえな。いただきます…………ほふっ……はふ、熱っ」
ボルトさんは軽く掌を合わせてからスープをすすり、ビールのCM並みに豪快に「プハァッ!」と息を吐いた。よほど熱かったのか、はふはふと言う音と湯気が口から漏れている。
「くうーっ、ショウガのピリッと感がたまらん! その辺で出てくる薄ーい塩煮込みとは違うな!」
「料理人の愛情がいーっぱい入ってるしね♪」
すごい勢いで口に吸い込まれていく素麺を眺めながら、私は満面の笑みを浮かべる。
これこそ料理人への最大の賛辞だよね。
「しかし、何だ。ここに通い始めて随分経つが、今でも半信半疑だな。お前さんみたいなのが厨房の責任者なんてよ」
「あー、あはは……」
「古都でも話題になってたぞ? なんたってお前さんは容姿が」
「もうー、私の見た目のことはいいの!」
両手の人差し指を重ねて×を作り、私は「しっ」とボルトさんを睨む。すると、3mの巨体がしゅんと縮こまった。
ありゃ、きつく言いすぎたかな。
「それより、良かったらこれもどうぞ。私の賄いで悪いけど」
「おっ、そりゃぁ何だ?」
「クリームチーズと昆布の佃煮入りのおにぎり。私の大好物なの」
「ツク、ダ、ニ?」
額の汗を拭っていたおしぼりをボトッと落とし、ボルトさんは眉をひそめる。私を見る目が、キチガイを見るそれに近い。
い、一体何があったの?
怯える私の手を慎重につかむと、ボルトさんは声のトーンを下げて言った。
「あのな、お前さんの飯は美味い。宮殿にいる皇帝の料理番だってきっと敵わんさ。だが、客にダニを食わせるってのはいただけねえよ。分かるだろ? な?」
ダニ?
ダニって虫の?
足がいっぱいの……あああ、想像するのも嫌だ。
謂れのないクレームに驚いた私は、瞬きも忘れて硬直してしまった。そして、数秒後にやっとパズルのピースがはまり、ハッとした。
「ダ、うあっ……いやいやいや、違う! 虫じゃない、昆布を甘じょっぱく煮た食べ物!」
「し、しかし」
「害虫なんか出さんってば!! ほら、口開けて。あーん!」
私は「あ・あ・ん!」と凄みながら、ボルトさんの食いしばった前歯におにぎりを押し当てる。
「美味しいから食べて! これは大事なことだよ、こっちの信用にも関わってくるんだから……!」
「ぐ、ぐがあぁ」
「おい、花野!」
え?
慌てて振り返ると、背後には仏頂面の拓真が立っていた。そして拓真は、少しも躊躇うことなく私の脳天にゲンコツを落とす。
――ゴンッ
鈍い音がした。自分で言うのもなんだけど、中身が詰まったいい音だ。
「痛っ」
「お前な、お客様相手になんて態度だ! 接客業舐めんな!」
「叩くことないじゃない、しかもグーで!?」
恨めしそうな私の視線を無視して、拓真はボルトさんに頭を下げる。
「うちのがいつもすみません、ボルトの旦那。常連さん相手だとすぐ調子に乗って」
「なんのなんの。それより、景気はどうだ。タクマ」
「お陰様で上々です。いつもご贔屓にしていただいてありがとうございます」
「その口ぶり、すっかりオーナー代理が板に付いたなぁ」
「恐縮です」
人のこと殴っといて、なーにが『恐縮です』だよ。
「急に猫かぶっちゃって気持ち悪いったら」
「はあ? お前こそ接客中くらいは敬語を使え! 社会人だろうが!」
「普段はちゃんとしてますーう!」
「へえ、そうですか。最近とんと聞かなくなった気がするけど?」
「あっそ、ボーっと仕事してるからじゃないの?」
「……ぶっ、ハハハ! 相変わらず仲がいいな。お前さん達、いっそくっ付いたらどうだ」
「じょ、冗談じゃない!」
「じょ、冗談でしょう?」
私達二人の声は、少しのズレもなく綺麗にシンクロした。それを聞いたボルトさんは、「ほら、そう言うところだ」と豪快に笑い飛ばす。
「変なこと言わないで。私達はただ同じアパートに住んでるってだけなんだから……あっ」
うっかり口を滑らせた私に、「喋りすぎだ!」と拓真が怒鳴る。
あちゃー、そうだった。私達の素姓は秘密なのに……。
「アパ? アパ何だって?」
「うー、あー、いやー……あはは……」
さて、お気付きの方もいらっしゃるでしょうか?
何を隠そう、私達はこの世界の人間ではありません。
ごくごく普通の日本人です。
私はこの宿屋の食堂を一人で切り盛りしていますが、料理人でもありません。
「労働基準法? 何ソレ、美味しいの?」状態のブラック企業の、元社畜OLです。
じゃあ、なぜ異世界の宿屋で仕事をしているか?
それについては、是非とも私の話を聞いてください。
ズバリお答えすると、私達が住んでいるアパート【ルーチェリッカ・武蔵野】の大家さんのせいなんですが、この状況に至るまでに色々なことがあったんです。ちょっとした「ざまぁ!」があったり、ほっこりするエピソードがあったり、本当に色々な……。
それじゃ、まずはここに来る前のことから振り返りましょう。
始まりは、小雪がちらつく、2月の寒い晩のことでした。
読んでくださってありがとうございました!
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※次回の更新は、4/7(水)のお昼頃(もしくは夜)を予定しています。