第1話~ナビちゃんとの邂逅2~
家に着いてから、毎朝飲んでいる牛乳を飲み切っていたことを思い出した。飲むのが僕だけならまだしも、優衣も朝のコーヒーに使うのだ。学校帰りに買おうと思ってたのに、と後悔しても遅い。
愛する妹のため。リビングでテレビを観ていた優衣に一言行ってから家を出て、近くのスーパーへと走った。
無事に牛乳をゲットして近道である公園を突っ切っていると、電灯の下に人がいるのを見つけた。少し近づいたところで、危うく僕はスーパーの袋を落としてしまいそうになった。
はたしてそこにいたのは、今日生徒会室前で会った、あの美幼女だった。
電灯の光に照らされ、笑顔で佇む少女は、知らない人が見たら軽くホラーだった。
まるで僕が、この時間にここを通るのを知っていたかのようだ。
「こんばんは、須藤真呂太くん」
当然のように僕の名前を呼んでくるナビちゃん。自己紹介をしたのは(あれを自己紹介といえるのかは置いておいて)、ナビちゃんだけのはずだ。
「言ったでしょう? あなたのことをよく、知っているって」
確かにそう言っていた。
妙な説得感、威圧感に押され、ナビちゃんがただの可愛らしい幼女ではないと、本能で悟った。
「どうしたの、ナビちゃん。今日は顔合わせのみって〈規定〉じゃなかったっけ?」
もう何にも考えずに、彼女の話を聞くことにした。とりあえず、この本能に従ってみよう。そう決意した。
「はい、そうなんですけど、そうだったはずだったんですけど……意外と展開が早かったので。では、とりあえず」
そこで、1回言葉を区切って、
「第1話完結です。おめでとうございます」
と、小さな手でパチパチと拍手をしながらそう言った。
第1話完結? どういう意味だかさっぱり分からないんだけど……。とりあえず、突っ込まずに話を聞いてみることにする。あとできちんと説明してくれることを期待して。
「はい、良い判断ですよ、須藤真呂太くん。それでは、一気に話しますね。妹さんが心配してしまいますし」
そうしてくれると助かるな。というか、ナビちゃんは僕の心が読めるのだろうか。言っていないことにまで答えてくれている気がする。
「言ったでしょう。あなたのことはよく、知っているって」
その一言で片づける気らしい。まぁ、いいや。突っ込まないで聞くことにしたんだから。
そう僕の心が決まったのを見計らって(読み取って?)、ナビちゃんはなぜ今ここにいるのかの説明を始めた。
「時間がないので手短に。簡単にいえば、あなたは1話完結方式の物語の主人公なのです」
「その記念すべき第1話が、今日の朝親怜さんの物語。まだ一応後日談がありますが、もう完結と言っていいでしょう」
「そして残り4話です」
「順番は決まっていませんが、1つの話に入ったらその話が完結するまで、次の話にはいけません。1話ごとのエンドは3種類。ハッピーエンド、ノーマルエンド、バッドエンド。今回はノーマルエンドです。まぁ、無難ですね」
「ちなみに、ハッピーエンドにいったら残りのお話は強制的になくなります。一部バッドエンドにいっても、強制的に残りのお話はなくなることもあります。また、5話目の最終話でハッピーエンドまたはバッドエンドにいかなかった場合は、強制的に〈友情エンド〉送りです。一部の女子が喜ぶ展開ですが、あまりお勧めはしません。あなたにとってはバッドエンドに近いと思いますから。そういうことは薄い本でやってもらいましょう」
「ヒロインは、あなたが所属する部活の部員全員です。ヒロイン、という言い方は正しくありませんね。あなたのお話もありますから」
「基本操作は〈人生〉と同じです。セーブもロードもできず、選択肢も表示されない。もちろん、攻略本もありません。よく〈ただのクソゲー〉認定される〈人生〉と同じルールで、あなたには頑張ってもらいます」
「けれど、さすがにノーヒントだと可愛そうなので、案内役(私)がいます」
「あなたにヒントを与えることが私の使命。あまり多くは語れませんが……。今お話ししている事前情報もヒントの1つです。そして、今日はヒントをもう1つご用意しています」
ここでナビちゃんは、楽しそうにニッコリと笑った。
「この物語では、あなたの〈過去(トラウマ〉を掘り返すものです」
「第1話ではその要素は少ないかもしれませんが、後半の話になるにつれて、あなたの〈過去〉に深く関わっている話になります。もう決定事項なので変更不可です。この物語が始まったのは、偶然ではなく必然ですので」
一息ついてから、また微笑むナビちゃん。
「私が今日言えるのはここまでです。さぁ、早く妹さんのところへ帰ってあげてください。きっと心配していますよ?」
そう言って長かった言葉を締めくくった。
僕の〈過去〉。
そのことを知っているということは、本当にナビちゃんは僕のことをよく、知っているんだな。
当人のナビちゃんは、僕が少し目を離したすきに姿を消していた。
夜の暗い公園をぼんやりと照らす街灯の下。僕はナビちゃんの言葉を少し考察したあと、妹のために早く帰ることにした。
考えることを諦めたとも言えるかもしれないけれど、それでもいいのだと直感的に感じる。
この物語が始まったのは『偶然』ではなく『必然』。
僕が何をしても、何を思っても、この物語は終わらない。進むしかない。
コントローラーが存在しない、すべてがオートで進む〈ゲーム〉のようなもの。
簡単にいえばこれは〈ギャルゲー〉というものに似ているのだろう。僕はあまりそういうものはやらないけれど、男だし、知識として知っている。
〈恋愛シュミレーションゲーム〉。そう考えると、ハッピーエンドは〈そのお話のヒロインと結ばれるエンド〉ということになるのかな。
なら、妹のルートでハッピーエンドにいきたいなぁ、と兄馬鹿全開なことを考えながら、妹が待つ我が家へと急ぐのだった。
案の定、帰りが遅くなった僕に、優衣はリビングでドラマを観ながら
「遅かったね」
と一言だけ言ってきた。
僕が家の門を開けたとき、バタバタという音が玄関からしてきて、優衣が今持っているリモコンが逆なことには、突っ込まないであげた。
妹にはできるだけ嘘はつきたくないけれど、しょうがないと諦める。
1番近くのスーパーが品切れだったとか適当な嘘をついて自室へ。
自室に入るなりベッドにダイブ。
朝とは打って変わった冷たさと、変わらないふかふかで僕を包んだ。
今日はいろいろあって疲れた。
とくに2度のナビちゃんとの会話。彼女との会話は精神的にとても疲れる。
僕の〈過去〉。
触れられるだけで脳が揺れるように痛くなる。はっきり言って不快だ。ましてやそれを、初対面の少女に言われるなど。
しかも、それをただの物語の、〈ゲーム〉の一部として扱っているところも。
ゴロゴロとベッドの上で転がっていると、少し心が安らぐけれど……。
「おにぃ」
そんなとき、突如として聞こえた優衣の声。僕が返事をすると、ドアを開けて部屋へと入ってくる。
正直、今は誰とも話したくない、話せない精神状態だけど、優衣だけは例外だ。
僕の表情を見て、心配そうな顔をする優衣はさすが我が妹だ。
僕がベッドに腰かけると、優衣も隣に座って来た。
「怜さんの話を聞いただけじゃない。何があったの」
僕の顔を覗き込むようにして目を合わせながら、そう聞いてくる。
先ほどのように嘘をつくかどうか悩んだ。しかし、優衣は僕が秘密を作ることをとても嫌う。だから素直に話すことにした。優衣なら大丈夫だ。僕の〈過去〉には彼女も関わっているのだから。
「スーパーの帰りに会った子に、少しだけ〈過去〉のことを触れられた」
その一言だけで、いつもの無表情がいっそう強まった。
〈無氷表〉と呼べるほど、氷のような表情。微かに殺気に似たものが感じられる。
それほどまでに、僕の、僕らの過去はトラウマなのである。
そんな優衣を安心させるように微笑むと、とたんに氷が解ける。
「深くまでは言われなかったから大丈夫だよ。まぁ、少し嫌な気持ちになったから、寝て忘れようとしていたところ」
時間が解決することはない、そんなことを知りつつ、優衣の感情を整える。
深く突っ込んでこなかっただけで、彼女は本当にすべてを知っているのだろうけれど。
でも、彼女に出会ったのが僕でよかった。優衣には、妹には、不快な思いをさせたくない。
ナビちゃんから聞いた、到底信じられない、少し頭のおかしい子の妄想のような話を、僕は優衣にすべて話した。
話終わったあと、優衣は少し考えて
「学園にいる、幼い少女。噂で聞いたことがある」
予想していなかった言葉に驚いた。
ナビちゃんは、学園で僕が知らなかっただけで有名人だったのか。確かに、あの見た目で学園にいたら、目立つか。
そう思ったら違ったらしい。さすが、生まれたときからの僕の妹。僕が考えていることを察して、首を横に振った。
「私たちの学園の〈美少女トップ5〉、おにぃ知ってる?」
また予想していなかった言葉。
学園の〈美少女トップ5〉。
今日の朝、上地も言っていた。朝親怜、須藤優衣、白波風香、瀬川綾の4人なら知っている。
「そういえば、最後の1人は誰なの?」
朝、上地に聞けなかったことを聞いてみた。
「学園でときどき見かけられる、幻の美幼女が5人目」
〈美幼女〉。そういうことか。
優衣がこの話をした理由。その幻の美幼女はナビちゃんに違いない。あの子以外に美幼女なんて言葉がしっくりくる女の子、僕は見たこともない。
「その子だ、確実に。『幻の』ということは、学園の生徒ではないってこと?」
僕のその疑問にこくりと頷く。そして、補足説明。
「でも、よく学園長室の近くで見かけられるらしい。明日、行ってみる?」
僕のことに関してのみ、決断も行動も早い優衣。それはとても嬉しいことだけど……。
「この物語の主人公は僕らしいから、僕だけで行くよ」
それに優衣は〈攻略対象〉だ。優衣との行動率を増やして、次の話を優衣にはしたくない。まだ何もわからない状態だ。変に優衣を巻き込みたくない。
反論したそうな優衣の頭に手を置く。僕たちが小さいときから、優衣はこうして頭を撫でてやると落ち着くのだ。
「優衣を変なことに巻き込みたくないんだ。こんな話をして今更かもしれないけど……。でも、優衣には秘密を作りたくなかったから」
撫でながらそう本心を口にすると、優衣は安心したように目を閉じ、
「じゃあ、任せたよおにぃ」
と僕に託してくれた。
そして、ベッドから腰を上げドアのほうへ向かって行く。その途中で、
「さっき嘘ついたの、怒ってないわけじゃないから」
「今度嘘ついたら、本当に〈針千本以上〉」
「忘れないで」
と、少し口を尖らせて呟いた。
僕は、そのいじけたような反応を可愛いと思いながら笑みを返す。
「ごめん。ちゃんと覚えてる。もう、優衣に嘘はつかない
僕のその言葉にニッコリと微笑んだ僕の妹は、やっぱり世界1可愛くて、僕には勿体ないと感じるのだった。
翌日。いつも通りの時間に起床。
昨日は無言で食べた朝ご飯を、今日は和やかな雰囲気の中で食べ、2人で登校。
優衣のクラスの前まで来て別れ際に、
「ふぁいと」
と無表情だけど頬を少し赤らめた妹にエールを送られた。それだけで俄然やる気になるシスコンおにぃ。