カフェの店員は
「ホットコーヒーを一つ」
仕事先のカフェ。カウンターでオーダーしたホットコーヒーを不機嫌を隠さずに啜る人。
いつも仏頂面で、本を捲る人。
大体三十分くらい滞在して、足早に出て行く。
数いる常連の中でも彼ほど愛想が無い人も少ない。
でも、いつも目で追っていた。
自分が淹れたコーヒーを飲む彼。
最初の一口目だけ、そっと和らぐ目元。
一瞬で心を奪われた。
唯、それだけだった。
伝える気持ちの無い淡い恋情を抱える心地良さに、酔っていただけかもしれない。
その内、秋が来て、店の前の街路樹がはらはらと葉を落とす。
店先を箒で掃いていると、不機嫌な彼が通りを歩いているのが見えた。
車道一本挟んだ向かい側。
冷たくなってきた風が強く吹いた時に、トレンチコートの立てた襟に首を竦めていた。
そんな彼が何かに気付いたように視線をこちらに向けた。
最初の一口目。
彼が緩める目元。
その視線が自分の視線と重なって、大きく胸が高鳴った。
もう堪えられない気持ちに、次に会ったら伝えてしまおうと、店先に呆然と立ち尽くした。
その次の日から二連休で、店に出勤すると、店長に言われた。
「あの、仏頂面の常連さん、転勤なさるんですって。あなた気にしてたでしょう?残念ね。いつもは全然喋らないのに、彼、あなたは居ないのかってがっかりしてたわよ」
そうか、転勤。
もう会えないのか。伝えられないのか。
いつまでも、いつまでも。
抱えて生きて行かなければいけないのか。
彼は唯、馴染みの店の店員に最後に挨拶出来なかったな、くらいしか思っていないだろう。
でも、ずっと探し続けてしまうのだ。
あの仏頂面を。
あの緩んだ目元を。
次に彼が訪れたら必ず伝えよう。
胸に秘めた想いを。