ミロ―美神より―
男は彫刻家である。
しかし、著名な彫刻家に名を連ねているかと言えばそうではないし、R博士の様に有名な像を発掘してもいない。
細々と自分の作りたい物を作る。それがごく稀に商品になることがあり、やっとこさ「彫刻家」を名乗っている。
男の作る像は繊細でとても美しかったが、その作り方故に、一般大衆に容易に受け入れられるものでないことは確実であった。
像を作り上げるまでは、他の彫刻家となんら変わりはないのだが、男は必ず、作り上げた像の腕を粉々に壊してしまうのだ。
壊して初めて男の中でその像は完成品となる。
像の一部を壊すことは、男にとっての信念であり、アイデンティティであった。
満ち足りているものにはどうしても魅力を感じない。
美しい像の一部に荒々しく壊された跡が残るのを見ることが、なにより男の心を満たすのである。
もちろん、それだけでは食い繋げない。
欠けてしまった彫刻の修理や陶器の修理なんかもして、なんとか生活を送っていた。
ある春のこと、男の元に1人の若者が訪れた。
若者は名をミロと言い、どうやら男の像のファンであるようだった。
「先生の作る作品はどれも儚く美しいです。いくらでも眺めていられます」
ミロ自身、ブロンズ彫刻を専攻している学生らしく、その春から男に弟子入りをするために通いつめるようになった。
男は長らくアトリエに人を入れてこなかった。自分の空間に人を入れたくないといういかにも芸術家らしい言い分、を建前にしていたが、それは単に男が人見知りだったからであった。
「僕は今弟子は募集していないのだけれど」
「教えてもらわなくていいんです。私は先生の作る様子を見て勉強するので気にしないでください」
と言われても、気にしないはずもない。
それはミロの風貌があまりにも美しかったからである。
陶器のように白い肌は石膏像そのもので、思わず目が奪われてしまう。
男と話をする時にミロは必ずその目をじっと見つめながら話す。
その度に瞳はビー玉を入れたようにチカチカと光が反射し煌めき、宝石のように眩しかった。
ミロは美しいのはもちろん、その彫刻の腕も非凡なものだった。
男とは対照的に力強く荘厳な造りのブロンズ像は、とてもこのような儚さを帯びた若者から作り出されたものとは思えない。
果たして弟子入りの必要はあるのかと問いたい程にその実力は将来を約束されたものだった。
人懐こく腕もあるミロが男の心を開くのにそう時間はかからず、夏が来る頃には、男とミロは完全に師匠と弟子になっていた。
「ミロ、君は君のままの造り方でいきなさい。私の模倣をしているようでは君の才能を潰してしまうよ。」
ミロは少し残念そうに顔を俯け、
「はい、そうします。」
と言った。
「きっといい彫刻家になる。私が約束しよう」
「ふふ、約束ですよ。」
ミロが微笑む。
男は段々とミロに惹かれていくようになり、ミロもまた男に対して思慕以上の感情を持ち始めていた。
しかし、それから立て続けに修理の依頼が入ってしまい、彫刻指導はしばらく休講という形になった。
その間もミロは男の元に通い続け、男の修理している様子をじっと見つめていた。
修理が終わると二人でコーヒーを入れて本を読んだり、話したり、
狭いアトリエで二人だけの時間が過ぎていくことが男のなによりの幸せになっていた。
修理の依頼を一通り終え、男は久しぶりに像を作ることにした。
粘土で原型を作り、石膏で型を取る。
その型に樹脂を流し込み全体を整えていく。
いつも通りの繊細で儚く美しい像が出来上がった。
しばらくぶりだったので、多少は腕が訛っているかと思われたが、それは思いの外綺麗に完成したのであった。
さて、いつものように腕を壊そうと像の前に立って、ふと、男は思いとどまった。
いや、思いとどまってしまった。
男の頭にはミロの姿が浮かんでいた。完璧で美しい、まるで像の様なミロの姿が。
男は戦慄した。
それから何度も決心し、何度も像の腕を掴み、何度もミロのことを思い出した。
腕を壊そうとする度、まるでミロの腕を壊してしまうのではないかという恐怖が男を襲う。
男は、遂に像の腕を壊すことが出来なかった。
ミロが像の様に美しかったからか、自分が彼に惹かれ、愛しすぎてしまったからなのか、男には考えられなかったし、考えたくもなかった。
「どうしました、先生」
ミロは心配するような声で男に尋ねた。
ミロの真っ直ぐな瞳は、今の男には眩しすぎて、思わず顔を背けてしまう。
その日から、男は自分を失ったかのように茫然自失となり、めっきり像を作ることも無くなってしまった。
その様子を、ミロはいつも彼が男の像を作る様子を見るのと同じようにじっと見ていたが、その目線は哀情に満ちていた。
「一ヶ月ほど休みます」
ミロはそう言って、しばらく男の元へこなかった。
男は像と共にミロまで失ってしまうのかと絶望した。
だが、哀しみに浸っていても生活というものは必ず付きまとってくるので、片手間に修理の依頼を受けながら過ごす。
その間もミロのことを想わない日はなかった。
一ヶ月程立ったある日、
男が街から戻ってくると、家に人の気配がある。
まさか、
男は戸に手をかけ勢いよく開けた
「ミロ」
アトリエの真ん中に置いてある小さな椅子にミロが座っていた。
「先生」
ぽつりと呟いたミロには、
あるはずの両腕が無かった。
肩から伸びたそれは肘の少し上で途切れ、つるりとした断面がそこにあるだけだ。
男はミロから目を離すことができず、戸の前で立ったまま硬直していた。
色々な思いが男の頭を駆け巡った、「何があったんだ」「腕はどうした」「会いたかった」「おかえり」
いくつもの言葉が浮かんでは消えた。
すくっとミロが立ち上がり、
「私、先生のことが好きです。先生の彫刻も大好きです。
先生、どうか、
どうか私の彫刻を作ってください
。」
と頭を下げた。
肩から肘の少し上辺りまでの部位が内側に動く。腕があったなら、きっと手を重ねているのだろう。
男はミロの元へ駆け寄り、彼の身体を抱きしめた。
ミロの顔の横に自らの顔を寄せ
「………裏切ってしまったのか」
と、男は、絞り出した様な声で言った。
ミロは何も言わず少し寂しそうな顔をして顔を逸らした。
「すまない、すまないミロ、本当に…本当にすまなかった」
泣きながら男は何度も何度もそう言った。
ミロは彼自身を裏切ったのだ。
将来を、夢を捨て、男のために。
その腕と引き換えに。
「作ろう、君の彫刻を」
男は覚悟を決めた。
ミロの彫刻を作る。そう決めたのだ。
じっとミロを見つめながら細部を作りこんでいく。
真ん中に座っているミロは堂々とした出で立ちをして、こちらも覚悟を決めているかのようだった。
型に樹脂を入れ固まるまで、
二人は
本を読むことも、コーヒーを飲むこともしなかった。
二人とも何も話さなかったが、ただ決してそばを離れることだけはなかった。
型から樹脂を外し、色を吹き付ける。
そして、最後に「カーーーーン」と音が響く。
金槌を持った男の手に迷いはなく、
ミロの像の両腕は粉々に壊された。
壊された腕から、薄く塗った石膏の白い粉が空気を漂う。
その様子をミロは何も言わず、ただただじっと見つめていた。
ミロの像が出来上がった。
真っ白な陶器のような肌、滑らかな髪の一本一本。
普段は全体を乳白色で統一している男の作品だが、ミロの像は瞳だけが瑠璃色に光っていた。
アトリエの小窓から漏れ出す光がニスの光沢に反射して、深い瑠璃がより一層美しい。
細くしなやかに整ったミロの身体もありありと再現されており、その中で唯一、荒々しく壊され肩からぽつり、ぽつり、と伸びている両腕のかけらだけが像の中で異彩を放っていた。
ミロの像は、男が今まで作ってきたどの像よりも美しい。
男は、像の壊れた両腕のかけらを静かに見据えた。
以前の、欠けたものに感じる魅力が蘇り安堵すると同時に、今まで信じてきた美的感覚がまるで呪いのように思われる。
男は欠けたものに魅力を感じ、そうでなければ作品を作れない自分を恨んだ。
腕のなくなったミロを見て、今までよりも一層美しい。と思ってしまった。
壊すことも出来なかった像の両腕を
、なんの躊躇いもなく壊せてしまった。
ミロの像が、自らの最高傑作となってしまった。
その全てが男の胸に突き刺さり、なんとも後味の悪い悲しみがこみあがる。
「完成しましたね。」
後ろからミロがそっと言う。
ミロは像から目を離し、男の方へ向き直して
「先生、ミロは美しいですか?」
と、男に聞いた。
「ああ。」
男は静かにそう応えた。
その二文字に計り知れない重みが存在していた。
それを聞いたミロは、満足気に微笑んだ。
大きな瞳がすっと細くなり、その端から瑠璃の光がこぼれ落ちた。
ミロは世界で一番美しかった。
それから男は、腕のない像を作り続けた。
しかし、全て作り上げた上で壊すのではなく、まるで最初から腕という部位など無かったかのように肘の少し上から先ががつるりと無くなっている。
そして、作り上げた像一つ一つ全てに
「No.○○ ミロ」
という表題をつけ始めるようになった。
あれからというもの、
ミロは二度と男の前に現れることは無く、まるで最初からミロという人物など存在しなかったかのように、その行方を知る者も誰一人としていなかった。
今から約三十年前の話。
僕は今もたくさんの「ミロ」に囲まれながら腕のない彫刻を作り続けている。




