悪魔という存在
「違うわ。貴方はメノレマ、貴方の真名はラスポメノレマサーチ」
片手に本を持ちながら、シアが船の中から現れる。
その声と同時に身体の自由が利くようになる。
「長いからこの際メノレマと呼ぶけど」
シアは何時になく冷たい目線でメノレマと呼んだ相手を見る。
「これはどういう了見かしら?」
シアの手の平から白い粉らしきものが零れ落ちる。
途端にメノレマの表情が歪み、怒りに満ちたようにシアを睨みつける。
『――――――――――、――――――!』
「そう、それが貴方の悪魔としての答えね」
全くメノレマの怒りを解した様子もなく、ただ淡々と語るシア。
と、そこで古代語が理解できなくなっていることに気づく。
「遅くなってごめんね、アズ。怖かったよね、もう大丈夫」
窓に捕まったまま固まっていた私にシアは微笑みながら連れ添うように近づく。
『――――――!――――!―――――――!』
「……!シア!」
メノレマが何事か叫んだ後、濁った複数の水の塊と、持ち上げてあった太い腕がシアに迫る。
水の塊はそれぞれ甲板はあろうかというほどの大きさでかなりの速度で迫ってくる。
私の叫びでか否か、シアは私から視線を一瞬だけそらし。
「ああ、もう煩い!アズと話してるの!静かにしててくれる!?」
もう片方の手で杖を持ち、水の塊が軽く杖先に当たったところで軽く杖の方向を変え水の塊を次々と船の外に弾き飛ばしていく。
次いで迫る拳にそのまま杖を突きさすシア。
サイズ比では針よりも細いものが指に刺さる程度だろうに、メノレマの表情は苦痛に歪んでいるようだった。
メノレマは即座に手を引っ込めようとしたようだが、シアの掴んだままの杖が彼の手から抜けることはなかった。
「イズク、あとは任せたから」
「はーい!さっきはよくもやってくれたね!」
シアの言葉に船内からイズクが勢いよく飛び出し、メノレマの腕を駆け上り眼前まで迫る。
「必殺、大、切断!」
さらにイズクはそこから加速し、目のラインでメノレマの頭を一刀両断する。
「うへぇ、やっぱりデカブツの中通過するの気持ち悪っ!」
後頭部の上空に飛び出たイズクは直ぐに船まで戻ってくる。
『おおおおぉおぉぉおおぉぉお!?―――!?―――――――!』
「さてね?」
『―――――――――!』
重厚な断末魔と共にメノレマは精霊に包まれて、光り輝き。
光が収まったときには既にその姿の片鱗さえ残っていなかった。
「助かったのか……?」
サピスが棒立ちのままぽつりと呟く。
サピスにしがみついていたマルノはへなへなと武器を手から零れ落としながらへたり込む。
「もう、生きた心地しませんでしたよ~……ね、サピス船長」
そのマルノの鉄仮面をむんずとサピスが剥がし、小手をしたまま拳骨を食らわす。
「いったぁ!!!??何するんですか!?」
「何するかもあるか、この馬鹿たれが!そうそうに諦めやがって!ウェパルだなんだとほざいて士気を下げるなんて言語道断だ!毎日何のために身を守る術を教えたと思っている!」
「でも、思ったものは仕方ないじゃないですか!あんな奴に勝てるなんて思いませんもん!」
「逃げれればいいんだから、まだ如何様にも考えられるだろう!後でもう一度特別に訓練する!」
「えええぇそんなぁ……!」
そんな会話をし始める二人を見て、周りの船員たちも甲板で崩れ落ちながら乾いた笑いを上げる。
私も気が抜けたのか、マルノさんって女性だったんだ、なんて考えながら、足から力が抜けてしまう。
「くしゅん!」
そういや、濡れてて寒いことを今の今まで忘れていた。
多少は寒さに強くても、やっぱり冬の水はダメみたい。
「大丈夫?」
「あ、はい……」
シアに厚手の布をかけられ、それに包まる。
「うえぇぇ、寒い!シア、シア、あたしにもそれ頂戴!」
イズクは髪までびしょ濡れでシアに近づき、シアは無言でイズクに布を渡す。
「ところで、イズクさん、なんで船の中から?、川に落ちたんじゃ?それに動けなくさせられたのでは?」
イズクは私の質問にはきはきと。
「いやーうん、確かに落ちちゃったんだよね!油断しすぎてた!ま、でもシアからもらったダミーのお陰で、誤魔化して反対側まで泳いで、船内から隙を窺おうと思って。ああいう手合いは割と遭ったことあるから。そしたらシアに会って、注意逸らすから全力で一撃お願いってね。ホントに危なかったよ!」
布でガシガシと頭を拭きながらそんなことを言うイズク。
「それはいいんだけどさ、何だったんだいあれは?ラス……なんだっけ、そんな悪魔だとか言っていたけど。シアだったかな?お客人にこういうのは失礼だと承知しているが、今の今まで何処に居たんだ?正直アンタを疑わざるを得ない」
サピスが厳しい表情でシアを見る。
私も幾つか疑問があり、シアの方を同じように見つめる。
「その疑問も御尤も。あの悪魔、ラスポメノレマサーチ。略してメノレマ。まずあれが何だったのか、それに関しては悪魔ということに尽きるわ」
「悪魔ってあの神話とか伝承とかに出てくる想像上の生物かい?」
サピスは訝しげに聞き返すのに対して、シアはこくりと頷き。
「おおむねその認識で正しいわ」
「じゃあなんだ、アンタが召喚したってことでいいのかい?」
「それなんだけど、私ではないの」
は、とサピスは鼻で笑い、大げさに手を振る。
「なら一体どうして出てきたのさ?あんな奴」
「偶然、に近いのかもしれないけど、厳密にはイズク、になるのかしら」
「はひっ!?え!?あたし!?」
うんうんと頷きながら聞いていたイズクが素っ頓狂な声を上げて跳び上がる。
と同時に皆の視線を集めてしまい、おろおろとしだすイズク。
「いや、今回ばかりは特に何もしてない……はず……なんだけど、あたし……」
「もしかして積み荷ですか~……?」
明らかに項垂れていくイズクに、甲板に突っ伏したままマルノが指摘する。
「ええ、偶然にも、その素材や儀式用具が全部揃っていたみたいで、水に落ちた瞬間に発動、それで現れてしまったみたいなの」
シアが手に持っていた本を広げ皆に見せる。
さっきは気づかなかったが、かなり水に濡れている。
そして開いたページには確かにあの悪魔らしき名前が書かれていて、それらしき魔法陣が記されている。
「もしかしてこれが媒体……それで濡れてるのはやっぱり……」
「あ、うん。泳いでた時にあたしの懐に入り込んだ奴……って、これやっぱりあたしが悪いの!?」
「いや……今回の件は水に流してもいいだろう。誰も欠けていないようだしな」
サピスが大きくため息を吐き出し、気にしていないという感じでそう結論付ける。
「大方シアを見かけなかったのも船内で戦っていたかそんなところだろう?割と広いからな、この船は」
「ええ、そんなところね」
「と言うわけだ。各自、休憩を取りつつ持ち場へ戻れ!危険な水域はもう抜けているが万が一に備えろ!」
サピスの号令に従い船員が全員返事をし散っていく。
「この船に乗るものは基本追及をしないことが鉄則だ。だから詳しく聞きはしない。だが……」
サピスは船内に戻りかけたところで頭だけを少しこちらに向け鉄仮面をとり。
「助かった、英雄たち」
それだけ言うとそのまま奥へと戻っていった。
「うーん、こういうのは久しぶりかも。あ、先戻ってるから」
イズクは少し照れたようにそういいながら、部屋へと戻っていく。
私とシアがその場に残る。
「シア、いくつか聞いてもいいですか?」
「いいわ」
直接向き合い、他の人には聞かれないような声で呟くように話す。
「本当は、どうだったんですか」
「シアは結構鋭いよね。教えるから付いてきて」
シアは私を手招きして船の後方へと誘うのだった。
シアに付いていくと、先にシアが船の縁に腰かけた。
「アズはそこの木箱をここら辺に持ってきて座るといいよ」
シアの指さす先に木箱があったので、言われた通りに運び腰掛ける。
周囲を見渡すと、確かにどの船員からも見れる位置ではなさそうな、死角になっている。
「ま、長々は話せないけど、かいつまんで話していくよ」
「はい」
神妙な面持ちで頷く私に、シアは微笑み言葉を続ける。
「まず、私が居なくなっていた理由ね。これは簡単。ピラサを、正確には力を与えられたピラサを狩っていたからね。ついでにスノーラとかガレファリとかの鳥も飛んできてたからキャッチアンドリリースしてたけど、主にそれが理由」
「力を与えられた、ですか?」
「そ。あの悪魔が強化というか、干渉して生態系を狂わせてた原因でね。まあ、ピラサ自体は元々は居なかったはずの種なんだけど。それは置いておいて、全てのピラサを更に凶悪に仕立て上げようとしていたの。それこそこの船の壁くらいなら余裕でくりぬけるほどに」
「え、あれ以上……!?」
シアの言葉にぞっとする。
何せシアの言うことが本当ならこの船を沈めることが容易にできる。
「捕まえたのも一応一匹とらえてるし。見る?」
私が恐る恐る頷くと、シアは袖口から瓶を取り出す。
そのサイズは大体私が座っている木箱と同じくらい。
そして。
「ゴツい……」
さっきまで見ていたピラサが可愛く見えるぐらい顎が強靭そうで、体長も三周りほど大きく見える。
ピラサは私が視界に入ると同時に突っ込んでこようとし、瓶の壁に頭をぶつける。
その勢いは凄まじいようで瓶の中の水が大きく揺れ動く。
「そ、ざっと数千体。もしかしたら万居たのかもしれないけど、どうしようもないやつ以外元に戻してリリースしてきたの」
真偽は見ていないから分からないけど、そうなんだろう。
そうと思えるほど、ピラサはピラサの原型を留めたまま変化していた。
私が納得したのを見てシアは先に話を進める。
「次に。あの悪魔を捕らえる為に私が居るとバレない必要があったから、召喚された時点で船にいてはいけなかったの。まあ、他の人に見られるわけにはいかないから、が主な理由になるんだけど」
「確か、あまり人に干渉しちゃいけない、でしたっけ?」
「そそ。そして悪魔を捕らえるのは現行犯じゃないと問題があってね。ここら辺の説明は長くなるから、いつか機会があれば話すし、もしかしたら他の人から聞くかもしれないけど。まあそういったものがあって、捕まえるためには姿を現してもらう必要があるの。そして、悪魔は召喚されたときに限り、例外はあるけど、周囲の状況を全て把握できるの」
メノレマが全員に語り掛け、なおかつこちらの思考を読んできたことを鑑みるに、その能力があってもおかしくはない。
そして捕まえ……え?
どう見ても両断され切られていたのに、あれで捕まえていたの?
困惑する私にシアは頷き。
「ん、あれ、杖とイズクの刀に術式を仕込んでおいたから。最後精霊が集まって光ったでしょ?その術式が発動したから実際には転移されたの。あと悪魔は頭切られたぐらいじゃ死なないし」
「ええ……じゃああそこまでしたのは……?」
「隠匿の為、になるのかな?だからアズには謝っときたくて。無理すれば本当は全く危険に遭わせることなく済ませられなくもなかったから」
シアはそこまで言うと頭を下げようとする。
「別に私は気にしていません、むしろ色々と新しいことを知れたので良かったです」
シアを止めながら私は本当に心からそう思う。
仮にシアが知らないうちにこういうことを片付けていたのなら確かに安全だったのだろう。
でもそうした場合、何も起こらず、今日会った人と関係を良好に築けていたかは分からない。
それに自分の実力も、この世界には、そういった類のものが居るということも知れた。
命の危険はあったけれど、誰も死んではいない。
ならば、私としては良い経験だったと思う。
「あ、でもそうですね」
あんなことがあったし、少し意地悪をしたくなる。
「次から朝、私が呼んだ段階で起きてくれたら許してあげます」
シアは少し口元を緩め頷くのだった。




