ホ猥トクリスマス、肉欲に溺れる。
『事実は小説より奇なり』とはよく言ったもので、臨時収入が入ったのは偶然だった。
声を掛けられたのは六月だった。文化祭で合同誌を出そうと話を持ちかけてきたのは、大学で文学科に籍を置く高校来の友人だ。共に受験したが桜散り、アルバイトをしながらほそぼそと書き続けている私を気遣ってくれたらしい。
ありがたい申し出ではあったが、不安というか問題が一つあった。合同誌として人目にさらす上で重要な問題だ。彼が書くのは、主に高校生同士の恋愛をからりと爽やかに描く話だ。ドラマや映画になれば、甘い恋に飢えた女子高生が見境なく飛びつきそうな。ここまでは問題無い。問題は、私の書くものと彼の書くものが、どう考えても合同誌として並んで掲載されるのは極めて不自然であることだ。私の心配はそれだけではない。そもそも掲載してもよいのかということだ。
結果から言えば、異色の組み合わせだったこの合同誌は飛ぶように売れた。学校から販売停止命令が出ることもなかった。お祭りだからと、見て見ぬ振りをしてもらえたのだろうか。教授らしきおっさん達もそそくさと手にとっていったことだし、これは実質お許しが出たと考えてもいいだろう。
ここまで言えば、勘のいい読者諸賢ならばお気付きになったかもしれない。
そう、私が書いているのは、官能小説だ。
ほくほくの財布を抱えてファミリーレストランのドアを開ける。人数は一人、禁煙席希望と伝えると、窓際の席に案内された。
クリスマスをはさんだ一週間限定、和牛100%プレミアムハンバーグステーキ。
肉好きな私にとって、そのテレビCMは衝撃だった。画面の中の和牛100%(略)が私に呼びかけてきたのだ。
「私を食べて」
湯気を上げ火照った身体を見せ付けながら、彼女は熱い息を吐いた。(これは重要な注記だが、以降も未成年が読める健全な作りになっているので安心されたし)
文化祭からもう一週間も経っているのにまだ頭がお祭り気分なのかと言われそうだが、誘いを無下にはできない。据え膳食わぬは何とやらだ。それに人間は肉への欲に逆らうことなどできないのだから。
今日はクリスマス。今日会わずしていつ会うのか。合同誌の売上金を引っ掴み財布に無造作に突っ込むと、雪降るのも構わずに、彼女のもとへ夜道を一目散に駆け出した。
売れるかどうか分からない、そもそも販売できるかどうかも分からない合同誌のため、やりたくもないアルバイトで身を削りながら懸命に筆を握り、仕事を成し遂げた自分にご褒美を与えるために。(念の為言い添えるが【筆を握る】に他意は無い)
隣の席には若い男女が座っていた。どちらも高校生だろうか。めかしこんではいるが、どことなく田舎の学生臭さを漂わせている。個人経営の小さなコンビニでファッション誌に目を通し、なんとか普段と違う自分に見せようと必死になっているのが可愛らしい。彼は、何を入れる目的で買ったのか分からないほど小さなカバンを横に置いている。詳しくないのでよく分からないが流行りなのだろうか。彼女は、この真冬の中にあって短いスカートだ。可愛さと露出の高さは比例すると聞いたことがある。
席に着いて二秒、店員呼び出しボタンを押すとパンポーンと間抜けな音が店内に響き、程なくしてお冷の入ったコップと共に店員がやって来た。
これは彼女に会うための重要な手続きだ。私はひと文字も間違えないように、慎重に、そして厳かに、
「和牛100%プレミアムハンバーグステーキ、それとライスを」
と伝えた。店員は注文を繰り返してから去っていた。あとは彼女を待つだけだ。
隣の二人組も注文が決まったようで、またあの間抜けな音が鳴った。
彼はA4サイズ一枚でラミネートされたメニューを指差しながら「この、期間限定のハンバーグとライスで」と注文した。彼女は彼から受け取ったメニューを裏返してから、「これと、ホットコーヒーをお願いします」と注文した。
二人が持ったメニューは期間限定のものだ。和牛100%(略)の注文を家で何度もシミュレーションしてきた私にとっては不要だったので、裏面があるとは知らなかった。店員が「クリスマスマウンテンハニーパンケーキですね」と復唱したのを聞き、彼女がそれを注文したと分かった。
クリスマスマウンテンハニーパンケーキ。流行りのパンケーキを山盛りにして、頭にクリスマスをくっつけただけの、商品開発部のやる気がまるで感じられないメニューだ。マウンテンなパンケーキなのだから、二人で仲良く一つの山をつっつきながら食べるのだろう。チクショウ。
愛しの彼女を待つ間、原稿を進めることにした。官能小説の公募として一般的なのは、フランス書院文庫官能大賞だ。次回の締め切りは五月末、受賞すれば賞金がもらえるし、作品がフランス書院から刊行される。応募数は千通を超え、私はもちろん受賞歴無しだ。
日常で見かける人々や出来事を小説のネタにできないかと、身の回りをよく観察するよう心がけている。例えばそう、隣に座っているカップルに見える若い男女、こういうのがネタになる。ペンを進めながら、二人の様子を観察する。
二人はお互いだけに分かる秘密をささやき合うように、二言三言話しては幸せそうにクツクツと笑い合っている。チクショウ。
なるべく私情を排して観察を続けながら、原稿を進めることにする。
『赤熱して脈打つ朋弘の◯◯茎は、キラウエア火山大噴火のごとく白濁したマグマを吐き出す。間欠的に射出されるマグマが、礼華の秘められた肥沃な大地を満遍なく覆い灼いていく』
自室以外で原稿を書くとき、特定の用語に、文字数に関わりなく「◯◯」の伏せ字を使うようにしている。原稿を置き忘れたり、紛失したりしたときに、誰かの目に留まる可能性があるからだ。じっくりと目を通されては意味が無いかもしれないが、気休めだ。
重要な一文を書き終え、ふと、隣の二人のこの後を想像する。
――今日はクリスマス。どんなカップルでも特別な何かを期待せずにはいられなくなる夜。雪がちらつき、冬の温度と静寂が徐々に外気を満たしていく。外の空気に無音と孤独が凝縮されていくと、二人はますます距離を縮めて、期待も安堵も膨張していく。
やがて二人は来るべきその時を意識する。理性を繋ぎ止めるための綱がちぎれそうになるのを、何度も堪えながら待ちわびたその時を。
甘やかで、幸福で満ち足りた時間に二人は突入する。
彼女の持つその◯◯器からは◯◯蜜がとめどなく溢れ出し、堂々とそそり立っている大山の頂をねっとりと湿らせる。彼は息を荒くしながら、彼女がその山を◯◯内に収めてくれるのを今か今かと待ちわびる。
ついに彼女は山頂を◯◯で咥え込む。全身を溶かすような感覚が響いて、堪えきれず歓喜の声を上げた。その声が彼を刺激し、限界まで伸長した◯◯棒を執拗に振り乱す。彼女は顔に恍惚を浮かべながら、もう一口もう一口と◯◯を忙しなく上下させて貪欲に味わう。
彼も我慢できずに、目の前のふっくらと豊かに膨らんだ◯◯に手を伸ばした。ぐっと押し込んで柔らかさを確かめたり、元の形に戻ろうとささやかに反発する弾力を楽しんだりしてから、優しく口に含む。口の中で丹念に転がし、舌で突き回し、そっと噛む。微かにミルクのような甘く懐かしい匂いが鼻を抜けたような気がした――
「お待たせ致しました。和牛100%プレミアムハンバーグステーキとライスです」
ペンを持ったまま、背を伸ばして、真っ直ぐ虚空の一点を見つめて妄想に耽っていた私の思考は、そこで中断した。お待ちかねの対面である。
熱せられた鉄板の上で全身から肉汁を滴らせ、ジュワジュワと声を上げる彼女の名は和牛100%プレミアムハンバーグステーキ。私と彼女の、燃えるように熱い一夜限りの関係が今始まった。
その肉体にいきなりかぶりつくような真似は無粋だ。まず一口の水を含み、喉と唇を湿らせる。
次に、これから肌を寄せ合うその裸体を隅々まで眺める。突けばすぐに内側からツユが吹き出しそうなほど豊満な肉付きをしている。彼女の下には、隠れ切れない汁溜まりができている。もう我慢ならないといった具合だ。
ナイフを持ち、彼女の表面をそっと愛撫する。軽く触れただけにも関わらず、触れた場所から肉汁が浮き出て、ジュウジュウと鳴き声が大きくなった。その嬌声は私の興奮を高めるのに十分過ぎた。フォークを乱暴に掴むと、その勢いのまま強く押し当てた。大量の液体が滲み出て、広い範囲を濡らしていく。彼女の艶やかな声も一層高くなり、私の忍耐も限界を超えた。
ゆっくりと呼吸を整える。はちきれそうな体躯にフォークとナイフをあてがって力を加える。1センチほど押し込んだところで、突如、信じられない量の液体が割れ目からほとばしり出て、その飛沫は私の手と顔をぐっしょりと濡らした。ナイフを更に奥深くへ沈め、刃が鉄板に到達したところで割れ目を左右に大きく開帳すると、秘められていた部分が完全に露出した。そこから漂い出る扇情的な匂いが鼻をかすめる。
全てが露わになり、両側に垂直に切り立つ肉の壁からは、絶え間なく肉汁の滝が吹き出している。その姿に思わず息を呑む。今すぐ無茶苦茶にしゃぶり倒したい衝動に駆られるほど、ありのままをさらけ出したその姿に。
「なんと卑猥な……!」
私は卑猥という言葉をかなり上位の褒め言葉として使うことがあるのだが、どうやら一般的ではないらしい。クリスマスの夜に、独りでファミレスのハンバーグに向かって耳を疑う独り言を漏らす哀れな男を、憐憫の目で見つめる男女の姿が視界の端に入った。言葉の選び方で私にも落ち度があったとは言え、お楽しみの時間を哀れんで見られるのは心外だ。誰にだって、心躍る時間に無意識に反応してしまうことはあるのではないか。例えば、そこの彼の棒が布を突いて持ち上げ、準備は万全であると告げているように。
私がハンバーグを口にする前に、隣の男女のテーブルに料理が運ばれてきた。
クリスマスマウンテンハニーパンケーキは、その名に違わず山のような高さで現れた。座った状態では向かいの席に座る人が隠れるほどだ。商品開発部は、やる気が無いだけではなく、常識のネジがどこかにとんでしまっているようだ。
そんな規格外のパンケーキを前にしても、彼女は驚きよりも嬉しさが勝っているように見えた。スマートフォンを取り出して、カシャカシャーと写真を撮りまくっている。おそらく「見て見て! マウンテンなパンケーキだよ~★(キラキラした絵文字)」とSNSにでも載せるのだろう。ようやく食べる気になったのか、彼女は蜂蜜がたっぷり入った容器を手に取った。
彼女の持つ大ジョッキサイズの容器からは蜂蜜がとめどなく溢れ出し、堂々とそそり立っているマウンテンなパンケーキの頂から麓までをねっとりと伝った。彼は息を荒くしながら、彼女がその山を口内に収めてくれるのを今か今かと待ちわびている。
ついに彼女は、山頂を大口で咥え込んだ。全身を溶かすような感覚が響いて、堪えきれず歓喜の声を上げている。
「ああ……柔らかい! そして暴力的に甘い! このパンケーキ全部ミキサーにかけてドロドロにして二十四時間三百六十五日ずっと点滴で摂取していたいほど美味しい!」
その声と、狂気に満ちた感想が彼を刺激した。彼は小さなカバンから布を突き上げるほど窮屈にしまわれていた自撮り棒を取り出した。限界まで伸長して、彼女の姿を収めようと執拗に振り乱している。おそらく「彼女とパンケーキ(キラキラした絵文字)」とSNSにでも載せるのだろう。
彼女は顔に恍惚を浮かべながら、もう一口もう一口と、外れてしまわないかと心配になるほど忙しなく大きく顎を上下させて貪欲に味わっている。
彼も我慢できずに、目の前のふっくらと豊かに膨らんだパンケーキに手を伸ばした。フォークの背でぐっと押し込んで柔らかさを確かめたり、元の形に戻ろうとささやかに反発する弾力を楽しんだりしてから、山頂から丁寧に切り分けた一切れを口に含んだ。口の中で丹念に転がし、舌で突き回し、そっと噛む。
「卵と牛乳の匂いがすごい! ホント柔らかくてすごい!」
残念な語彙の彼は、一口食べるごとにご自慢の自撮り棒を使ってパシャーパシャーとやっている。どうでもいいことだが、自撮り棒はセルフタイマーでしか撮影できないと思っていたが、彼のように無線リモコン式でシャッターを押す種類もあるのだと知った。ブンブンと自撮り棒を振り回して撮りまくる彼に、彼女は恥ずかしそうなにやけ顔だ。
「もう。目立っちゃうからそのくらいにしてよ、お兄ちゃん」
私の持っていたフォークがテーブルに落ちてガチャンと大きな音を立てた。また彼らの視線を浴びてしまったが、それどころではなかった。
お兄ちゃん。今、お兄ちゃんと言ったのか。聞き間違いではないだろう、確かに彼女は向かいの彼に向かって「お兄ちゃん」と言ったのだ。兄妹だったのか、あんなにイチャついていながら……!
あまりの衝撃に味覚が鈍ったか、和牛100%プレミアムハンバーグステーキの味はぼやけてしまって、よく分からないままに鉄板は空になった。
彼らとほぼ同時に店を出た。
外はまだ雪が降っていた。この様子だと朝まで降り続いて、雪かきの手間をかけさせられるだろう。
家を出たときのあの興奮は、もうどこかへ行ってしまっていた。積もる雪に吸い尽くされてしまったのかもしれない。おうちに帰ろう。
今日はクリスマス。良い子にはプレゼントが届く日だ。
クリスマスプレゼントの送り主を知ってから随分と年月が経ってしまったし、本当に欲しいと思うものは形を持たないものばかりだと分かっているが、それでも子供みたいにねだることが許されるのなら、欲しいものは数え切れないほどある。
例えば――私が和牛(略)と対面する前に、あの兄妹の『この後』、すなわちパンケーキを食べる様を想像していたとき、読者諸賢が発揮したような豊かな妄想力。作家として生きていくにはどうしても欲しいものの一つだ。
読者諸賢がどんな『この後』を想像したのかは追及しないでおこう。
外に出た兄妹は、腕を組んで、一本の長いマフラーを二人で首に巻いていた。兄妹というのはあんなにも仲の良いものだろうか。誰がどう見ても恋人同士に見えるだろう。
兄は妹に顔を寄せる。
「お前も父さん母さんと一緒にハワイ行けばよかったのに」
「せっかく看病してあげたのに。病み上がりが、生意気に何言ってるのかなー」
彼女はにんまり笑った。そして、兄にもっと顔を近付けて、はにかみながらささやく。
「でも、おかげで二人っきりになれたし。……帰ったら、またシようか」
兄は周りに素早く視線を走らせ、私と目が合う。
「おい、聞こえるだろ!」
小声で妹をたしなめるところまで、私の耳にしっかり届いた。
ああ。なるほど。そうか。
『事実は小説より猥なり』なのかもしれない。
私は空を仰いで白い息を吐いた。また一つ話が書けそうだ。