発露
「取り敢えず、ここに隠れよう」
僕は大脇を背負いながら、照華が指定した教室に足を踏み入れる。
最初に集められた教室とまったく変わらぬ内装。
真っ白な教室だ。
照華が教室の真ん中付近で、血が張り付いた部分を下にして布団を広げる。
僕はそこに大脇をゆっくりと下ろした。
「さて、照華には聞きたいことが山程あるが」
「――うん」
大脇は運ばれている間に眠ってしまったらしい。
呼吸は安定している。手足を縛られて血流が止まっていたとは言え、僅かな時間だから後遺症もないだろう。目立った外傷としては、教室で窓ガラスを割ろうとして怪我をした手と、頬に殴られたような打撲痕が残っているだけだ。
僕はホッと一息吐いて、大脇を起こさないようにそっと布団の上に腰掛ける。
照華もそれに習う。
「今は照華が必要だと思う情報だけでいい。教えて欲しい」
一つ危機を乗り越えたが、まだ殺し合いが終わった訳ではない。
僕には情報がまったく足りていない。
照華がいなければ大脇を助けることは出来なかったし、僕達は最初の教室であのまま全滅していただろう。
これ以上照華の負担を増やさないためにも、彼女から情報を聞き出さなければならない。
ただ、敵の目的については――なぜ永村や大脇を殺さずに玄関口まで運ぶ必要があったのか、ある程度の予想は付いていた。
そして、この殺し合いの本当の意味も。
これを計画した人間は悪魔のようだ。
いったい人間を何だと思っているのか。ましてや、実行に移すなんてのはまさに悪魔的な所業だ。
いつ敵が入って来てもいいように、僕と照華は互いに教室前後の出入り口を監視しながら、息をひそめる。
何かの役割に従事していないと、余計なことを考えてしまいそうだった。
「私は生まれつき、あまり身体が強い方じゃなかった」
しばらく沈黙が続いた後、照華からもたらされる情報は、唐突な自分語りから始まった。
それを聞いて、僕は自分の予想が外れていないことを悟る。
「二年前、高校入学してすぐに、血液を送り出すポンプがダメになっちゃって。助かるためには心臓移植、しなくちゃいけなくなったんだ」
「照華、分かった。もういい」
照華は自分の胸に手を当てながら、大きく深呼吸する。
照華が始めようとしている昔話は、今回の殺し合いにおいて、きっと必要な情報なんかじゃない。
それどころか、知ってしまったら満足に動けなくなってしまう、そんな呪いだ。
僕は今すぐ照華の口を塞いで、小綺麗な顔を悲痛に歪ませてでも、吐き出そうとしている呪詛を飲み込ませないといけない。
教室の扉から目を離して、僕は照華と対峙する。
敵に果敢に突撃していった頼もしい彼女の面影は、そこにはなかった。
「……全部聞いてほしいの。いや、聞かなければならないと思う。私達が殺した人、そして、これから殺す人達のこと……。ごめんね?」
照華は泣きながら笑いながら怒りながら、その全ての感情が混じったような表情で謝る。
頼もしいと感じていた彼女の中身は、年相応の女の子だった。
一人で抱え込むことが出来ないから、大人である僕に少しでいいから請け負ってくれと。
彼女の目はそう訴えている気がした。
「謝るなよ。こんなの、焚きつけた奴が悪いに決まってる」
僕は諦めたように言う。
今になって、剃髪の男が死の間際に残していった引っ掻き傷が酷く痛み出した。
僕が殺した名前も知らない男の顔を、生きている限りずっと夢に見る気がした。
痛みを我慢しながら、僕は照華の話に耳を傾ける。
「私は心臓を提供してくれるドナーをずっと待ってた。その間にも、どんどん心臓は弱っていって。多分このまま死ぬんだろうなって、漠然とそんな気がしてた。そんな時に、この場所に連れて来られたの。同じような白い部屋で目が覚めて、死んだような目付きをした病人が六人集まった」
敵の正体。
それは臓器提供者から提供される臓器を待つ、移植希望者。
脳死もしくは心停止後に臓器提供するという本人の意思が確認できた場合、または、残された家族の意思決定によって、死者は臓器提供者なる。
しかし、レシピエントの数に対して、ドナーの数が間に合っていないというのが現状だ。
「生きたい」という願いを抱いたまま、ドナーを待っている間に命を落としてしまう人がいる中で、「死にたい」と口にして、実際に自ら命を捨てる人がいる。
その理不尽さを彼らは呪うだろうか?
照華は心臓の鼓動を確かめながら、呪詛を吐き続ける。
「私達の勝利条件は簡単だった。丸腰の自殺志願者達を追い立てて、内臓を傷付けないように手足を切り落とし、強制的にドナーにする。レウコ――まぁ、多分別人なんだろうけど、彼女の説明を聞いてから、他の参加者の目がギラギラしていたわ。その後はもう、生き残るために必死よ。廊下を全力疾走して、こっちが死にかけたりもしたけれど。自分が助かる一縷の希望に賭けたの。だって、敵さんは死にたいって言うのだもの」
照華は無理矢理口角を吊り上げて、不細工な笑顔を見せつける。
彼女を叱る資格も、慰める資格も僕は持っていなかった。
彼女の話を聞いて、吐きそうになるのを我慢して、事実を受け止めるだけだ。
逃げ惑う敵を捕らえて、泣き叫びながら抵抗する彼らの四肢を切断することで手に入れた心臓が、照華の左胸で今も稼動している。
「あの時は全員捕獲するのに、五日間かかった。最終的に味方が二人になっちゃったから、敵を探すのが大変で。この建物、かなり広いのよね。で、最終的に給食室に張り込んで、相手が空腹で動きが鈍くなったところを捕まえたって感じ。という訳で、この後に食事の準備が出来ましたって放送があると思うけど、食料確保に行くなら早めの方がいいわよ」
生き残るために必要な情報が今更ながら、照華からもたらされる。
彼女は毒を吐くのを止めない。
僕は既に受け止めることすら、苦痛だった。
「それと、もう察しているとは思うけど、わざわざ敵を玄関口まで運ぶのは、戦闘不能になったドナーを新鮮なうちに向かいの建物に運んで、大切に保管してもらうため」
何もかもが狂っている。
胸糞悪い偽善者共のしたり顔が眼に浮かぶようだ。
この殺し合いはどちらが勝っても、善い結果となるようになっている。
余命僅かな患者は移植手術によって延命される。自らの死を望む者は手脚を切り落とされ、自殺ができない体にされる。仮に無事に生き延びたとしても、死の恐怖を体感して生に執着するようになるかもしれない。
どのみち、放っておいたら両方死ぬのだ。なら、救える方を救ってやろう、という傲慢な人間のエゴが透けて見える。
きっと、奴らは今もどこかで僕達の様子を見ているのだ。
「こうして、見事勝利した照華ちゃんは、今も元気に生きているのでした」
照華が力こぶを作って見せる。
言葉が出なかった。
何を言っていいのか分からない。
それでも、一つだけ疑問が残る。
「……そうまでして繋いだ命なら、どうして――キミは今こちら側にいるんだよ?」
ドナーを強制するという禁忌を犯してまで延命を望む移植希望者サイド。
死ぬことで誰かを救うか、殺すことで自らを救うかを強制的に選択させられる自殺志願者サイド。
殺したもん勝ちの世界の誕生だ。
そこで勝利して延命を勝ち取ったはずの照華が、なぜ今度は自殺志願者サイドにいるのか。
「人を殺して命を繋ぐなんて、許されることじゃないと思わない?」
彼女の口から発せられた言葉は、そんな益体も無いものだった。
そこで初めて、僕は照華に対して怒りの感情を持っていることを自覚した。
「結果として生き残ったのなら、殺した人の分まで生きる義務が照華にはあるはずだ」
自分でも驚く程に、その声には非難が混じっていた。
生きる義務だなんて、どの口が言うのだろう。僕の言葉は空虚だ。自分を正当化するために、言い訳しているだけ。
僕の命で病気で苦しむ人を救う?
どうせ自分で捨てようとする命なら、もっと必要としている人に渡せと?
冗談ではない。
僕の人生なのだ。
この身体もこの感情もこの意思も、僕本人に選択権があるはずだ。
まだ、僕は何も見つけていない。
見ず知らずの誰かのために死ぬくらいなら、どんなに苦しくても、たとえ相手を殺すことになったとしても、生を諦めたくない――
「いいや、死ぬべきだよ」
照華がバッサリと切り捨てる。
彼女が自分自身に向けて言ったであろう言葉は、僕が生きていていい理由さえ否定した。
「どうして、そうなる? なら、なんで僕に協力した? どうして最初、生き残るために行動したんだっ! 死にたくないからじゃないのか?」
理に適っていない照華の言動にイライラして、思わず怒鳴りつける。
大声を上げてから、しまったと唇を噛み締めた。
まだ敵が近くにいるかもしれないし、何より相手は一回りも年下の高校生だ。
僕がオロオロしていると、照華は遠くを見つめて言う。
「あの場に、永村瑞樹がいたから」
「え?」
突如として示された永村の存在に、僕は困惑を隠しきれなかった。
僕の疑問を汲み取ったようで、照華が答えをくれる。
「中学からの同級生なんだ。永村と新島で出席番号も近くて。私が入院した時なんか、何度もお見舞いに来てくれるような奴だった」
耳に残っていた永村の絶叫と、目に焼き付いて離れない彼女の悲惨な姿が脳内で再生される。
そして、僕の中で照華の行動に合点がいった。
教室が襲撃された時に取り乱していたのも、玄関口で無謀な特攻を仕掛けようとしていたのも、全て永村を思ってのことだったのだ。
「心臓移植した後、大きな病院に通院する関係で引越ししてから、しばらく会ってなかったんだけど、メールでの交流は続いてたの。私が人を殺して心臓を手に入れたことも打ち明けて、一緒に悩んでくれた。生きるのが辛くなったら、一緒に死のうなんて馬鹿な約束なんかしたな」
照華は懐かしそうに目を細める。
そして、一息吐いた。
「でもね……私は瑞樹に死んで欲しくなかった。瑞樹は一緒に死のうなんて言ってくれたけど、何度もやめて欲しいって言いたかった。でも、私は良くて瑞樹はダメなんて、そんなの言えなくて……」
照華は苦しそうに、布団で穏やかな寝息を立てている大脇の髪を撫でる。
「なんで瑞樹が先だったんだろう。この女が先だったら、今この布団で寝ているのは瑞樹のはずだったのに……。そんな酷いこと考えちゃうよ」
照華が生き残ろうとした理由は、さっき無くなってしまった。理由を失った彼女は寄る辺がなく、今にもどこかへ消えてしまいそうだ。
もしかしたら、こうして過去を打ち明けてくれたのは、死ぬ前に全てを清算して終わらせるためではないのか?
そもそも、僕が玄関口で照華を組み伏せていなかったら、彼女は斧を持った女に自ら殺されに行ったのではないのか?
照華の行動の意味を理解しかけて、身震いする。
しかし、この殺し合いに勝利するためには、どうしても照華の協力が必要だった。
「もし、照華にまだ少しでも生きたいという気持ちがあるのなら、手を貸してほしい」
僕は頭を下げて懇願する。
「潤也さんって、酷い大人だね。まだ、私に戦えっていうの?」
「あぁ、そうだ。諦めるには、まだ早いはずだ。だって、永村はまだ生かされているんだろ? 少なくとも、この殺し合いが終わるまでは」
マスクを被った連中が永村を担架で運んで、向かいの建物へ消えていった光景を思い出す。
殺し合いが終わって、敵への移植手術が始められるのがいつになるのか分からない以上、先に臓器を摘出して保存しておくことは鮮度が失われるリスクを伴う。
照華の時は勝負がつくまでに五日かかったと、彼女自身がさっき口にしていた。
摘出した臓器を保存しておく期間が長ければ、それだけ移植した際に正常に再稼働する確率は低くなる。
これは完全に僕の推測だが、臓器移植における適合度の高いペアが敵サイドと味方サイドで作られているのでは、と踏んでいる。
ここまでして移植手術したのに、拒絶反応が起きて亡くなりましたでは済まされない。
とすれば、たとえ殺し合いに負けたとしても、永村とペアになっている敵を殺していれば、助かるのではないか?
「この戦いに勝ったとして、瑞樹が戻って来る保証なんてあるの?」
保証はない。
全て僕の希望的観測だ。
敵を全滅させたとしても、ドナーを必要とするレシピエントは沢山いる。
その人たちに臓器提供される可能性を否定する材料はなかった。
「保証は出来ないけど、それが諦める理由にはならないと思う」
息をするように綺麗事を吐く。
自分が生き残るために、健気で友達想いな女子高生を唆す汚い大人の戯言。
たとえ僅かな希望しか残されていなかったとしても、やらずに後悔するよりはマシだろう。
僕は教室の天井の隅に設置されたカメラを睨みつける。その奥にいるであろう顔の見えない偽善者達に、永村瑞樹の生死を委ねるしかない歯痒い状況なのだ。
「――そうだ。一つ思ったことで、伝えておかなきゃならないことがあったんだ」
「なんだ?」
回答をうやむやにしたまま、照華が唐突に話題を変える。
「開始から敵に見つかるまでが流石に早過ぎたよ。この建物に六百くらい教室があるんだけど、始まってから三十分も経たずに最初の教室を見つけられちゃって、正直驚いた」
「すまん。それは、ありえないことなのか?」
「うん。敵が私達の居場所を予め知っていたと考える方が自然」
「……まさか、僕が通路脇の窓から顔を出していたのを見られていたとか」
あの時はすぐに照華が僕の頭を引っ込めてくれたはずだが。
僕は顔面の血の気が引いていくのを感じた。
しかし、照華がすぐに否定する。
「ううん、たぶん違うと思う。もっとおかしいのは、開けられた教室がピンポイントにあの部屋だけだったこと」
「どういうことだ?」
「保健室から戻ってくる途中で、戸が開いている教室が一つもなかったってこと。隣の教室でさえね」
「居ないから閉めたんじゃないのか?」
「潤也さんなら、閉める?」
少し考えると、確かに違和感を覚えた。
「見つけやすいように、僕だったら全部開けてそのままにしておくな」
「つまり、そういうことよ。もしかしたら、最悪の展開を考えておく必要があるのかもしれない。と考えれば、つまり敵の部屋は三階ということになる訳ね」
照華が前回の記憶を頼りに推測したようだ。
その時、教室のスピーカーからチャイムが鳴った。
懐かしいな、とピントの外れた感想を抱く。
『食事のご用意が出来ました。希望者の方は、お手数ですが五階給食室までお越しください』
教室の上部に取り付けられたスピーカーから、レウコからの無機質な声が届いた。