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MI×MI

作者: ひろたけい

平成20年くらいに書いて放置していた作品です。


「いらっしゃいませー」

「ありがとうございまーす」

 店内には元気な声が飛び交っている。

 私も負けじ魂を発揮して、張り切って声を出す。

「いらっしゃいませこんにちはー!」

 ううむ。

 なんだかこの挨拶、違和感があるんだよなあ。

 丁寧は丁寧なんだけど、ふたつの挨拶がひとつになってしまっている気がする。

 ていうか、決まり文句みたいな感じ? 感情がこもってないよ。

 かくいう私も、先輩の見よう見まねで覚えたことだから癖になってしまった。

 だってね、初めてなんだもん、こういうバイトするのって。

「宮月君、食器が溜まってるぞ。早く洗ってくれー」

「はーい」

 私はテーブルを拭いていた布巾を流し台に放り投げて、とりあえず山積みされている食器を洗うことにした。

 やっぱりまだ見習いってことで、まわってくる仕事は雑用ばっかり。

 もうちょっとやりがいのある仕事をしたいなって思うときもあるけど、働いて給料をもらうことってこんなに大変なんだっていい勉強になってる。

 それでも私は思う。

 食器洗い乾燥機くらい買えばいいのに……。

「おい、宮月君。食器洗い終わったらでいいから、溜まったゴミを裏手に出しておいて」

「はぁい」

 早くも次の仕事がまわってきた! 大変、大変。

 私は急いで食器洗いを済ませて、巨大なゴミ袋をいくつも店の裏手に運んだ。

 まだ涼しい季節だというのに、さっきからバタバタしてて汗ばんできた。

 一息ついて袖をまくろうとしていると、副店長が私のところへ歩み寄ってきた。

「悪いけど、表に出て、通行人にこのビラを配ってくれないか」

「ああ、ビラを……。わかりました」

 ビラの束をどさっと受け取る。重たくないんだけど、違う意味で重たい気がした。

 よーし、張り切って配っちゃおう。一枚でも多く渡そう。あとで褒めてもらえるかもしれない。

 成功のことばっかり考えてうきうきしている私は、大量のビラを胸で抱えながら表に出た。

 店の表は陽が当たってまぶしくて、私は思わず目を細めた――。

 あ、自己紹介が遅れました。

 私の名前は宮月水結。高校二年生。明るく前向きにが私のモットー。こう見えてもバレー部の部長だったりするんだけど、最近はバイトも始めてみた。部活が忙しいから週に二、三日しかできないけど、街角の飲食店で元気に働かせてもらってます。

 人と関わることが好きだから、けっこう楽しくやってます!

 とはいうものの……。

 やっぱりビラ配りは緊張する。

 実際、通行人を目の前にすると、緊張して手が動かない。足が進まない。

 放り出したい気分って、まさにこんな感じ!

 ……だめだめ。これは仕事なんだから。

 ちゃんと店員の格好をしてるんだから、もっと自信を持たなきゃ。

 まずは、受け取ってくれそうな人から渡してみよう。ゲームじゃないんだから、スコアが足りなかったりタイムアップになったりしてゲームオーバーになることはない。リラックス、リラックス。

「割引券です。どうぞー」

 目の前を通りがかった人に、思い切って差し出してみた。

 けど。

 がーん。……スルーされた。ショック。記念すべき最初の一発目だったのに。

 しょうがない。じゃあ、記念すべき最初にもらってくれる人を探そう。

 ――私はビラ配りをかなり一生懸命やった。他のことを考えていられないくらいに。

 すぐに受け取り第一号様と出会えたのだけど、そんなこともすぐに忘れてしまったくらいに。

 なかには受け取りながらすぐに捨ててしまう人がいてすごく腹が立った。ああいう人にはもう絶対渡してあげない! っていっても、いちいち顔を覚えていられないから、もしまた通りがかったら渡しちゃうんだろうね……。

 ビラ配りはすぐに慣れることができた。もちろん、緊張しなくなったってわけじゃないんだけど。

 やっぱり、受け取ってくれると嬉しいんだもの! 後姿に、もう一度ありがとうっていいたくなる。

 そんなこんなでしばらくして。

 通行人の中にいたある人物を見つけて、私はぎょっとしてしまった。

 その人物も私に気づくと、何が面白いのか微笑みながら近寄ってくる。

「何してるの、こんなところで?」

「み、深雪ちゃん……」

 彼女は新庄深雪。同じ高校の同級生で、クラスメイトの女の子だ。いつもクールでナニ考えてるんだかわからないときもあるけど、なぜか私とはとても気が合う。大の仲良し。

「バイト始めてたのね?」

 静かな声。透き通るような白い肌。癒されちゃう。

 ……ってまあ、それはさておき、もしかしたら対照的だからこそ歯車が噛み合って気が合うのかもしれないね。

 私は深雪ちゃんの問いかけにギクシャクしながらうなずいた。だって、恥ずかしいからバイトのことは誰にも話してないのに。

「でも、ここ、深雪ちゃんが通るとこだっけ?」

 私は驚きながら尋ねた。ちょっと失礼な言い方だけど、ここは都会の繁華街って感じで、清楚な深雪ちゃんが通りがかるとは思ってもいなかったんだ。

 …………ま、まさか。

 そのとき私の脳裏に、深雪ちゃんという雪が降って固まった。

「私に隠し事しても、すぐにバレちゃうよ」

 深雪ちゃんは愉快そうにくすくす笑っている。私は呆然としていた。

「な、なんでわかったの?」

 恥ずかしいから隠していたのに……。

「耳よ」

「耳?」

 意味不明なことをいうので、思わず変な声で聞き返してしまった。

「この前クラスメイトにピアスを勧められたとき、つけたいけど無理だって断っていたでしょう? それに、なんだか最近急に料理の話をするようになったよ。だからわかったんだ。衛生上、ピアスは禁止されてる飲食店でバイトしているのかなぁって。予想が、当たっていたね」

「……」

 この子は、ほんとにもう……。必要以上に賢いんだから。勘もいい。黙っていても気づいてくれちゃうんだ、こいつは。こいつって呼んじゃってもいいくらいなんだ、こいつは。

「勝手に探ってごめんね? でも、たまに部活を休んでまで何してるんだろうなって気になっててさ」

 要するに、心配してくれてたってことか。本当にいいやつだ、深雪ちゃん。

「バレーは趣味でやってるようなものだから。部員もみんなしっかりしてて、私が抜けててもまじめに練習してるよ」

「お互い信頼が厚いのね」

「私と深雪ちゃんのようにね」

 いっておきながら、なんだかおかしくなって私たちはひとしきり笑った。

 お互いに依存しているともいえるかもしれないけど、私にとってはなくてはならない大切な友人だ。親友なのだ。

 親友は、いきなりクールな顔に戻って手を差し出した。

「十枚くらい頂くわ。仕事の邪魔しちゃったお詫びに、友達に配ってあげるよ。あ、でも隠しているんだっけ?」

「う……。微妙だなぁ。大勢で来られても、嬉しいけどやっぱり困るし」

「わかった。じゃあ、来ても水結ちゃんが困らないような人に配るよ」

 どうやってその区別をつけるんだと私はふと疑問に思ったが、その申し出はありがたかったので深雪ちゃんに任せることにした。

 と、背後から私を呼ぶ声がした。

「おーい、宮月君。また混んできたからビラ配りを中断して中を手伝ってくれー」

「はあーい」

 返事しておいて、深雪ちゃんを見る。

「そういうことだから、またね」

「うん、がんばってね」

 私は深雪ちゃんに手を振ってから、また営業スマイルを振りまいて店内に戻った。





 それから数日後、私はいつものようにバイトをしていた。

 テーブルを拭いていると、カラランとドアの鈴が鳴る。

 私は反射的に声を上げた。

「いらっしゃいま――……」

 一瞬、固まる。お客様が、面識のある人たちだったからだ。

 面識があるというより、むしろクラスメイト!

「水結ちゃん、かわいい! その格好、すごく似合ってる」

「あ、適当に座ってて。すぐに水運んでくるから」

「友達?」なんて同じバイトの子に聞かれながら、私はせっせと人数分の水を盆に乗せて運んだ。もちろん、その中には深雪ちゃんも混ざってる。

「ありがとね、みんな来てくれて。深雪ちゃんも」

 深雪ちゃんと目を合わせると、彼女は素っ気なく答えた。

「私はただ誘われただけ」

「あんたが誘ったんでしょッ!」

 すかさず隣の子に突っ込まれて、愉快そうにクスクス笑う。

 ああ、もう。いつもと一緒だ。お盆を抱えて突っ立ったまま、私は半ば呆れていた。

 でも、本当に誘ってくれたんだなぁと思うと感激だ。

「迷惑にならない程度にくつろいでいくよ。何か食べていくし」

 夕食にするにはまだ早く、彼女たちは軽食で済ませることにした。

 ときおり店内に響くような大きな笑い声が聞こえ、私は周りのお客様から苦情が出ないか最後までドキドキしっぱなしだった。

 会計ももちろん私が受け付ける。この時なぜか、友達が来てくれたことに改めて嬉しくなった。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 心からの謝礼を伝えたくて、私はドアの外まで見送った。

「また来るよー」

「がんばってね」

 手を振って、みんなの姿が見えなくなるまで見届ける。

 しばらくその場で余韻に浸っていると。

「こら。ボーっとしてないで仕事仕事」

「すいませーん」

 先輩に怒られてしまった。

 私は苦笑しながら、思った。

 すべてが楽しいこととは限らない。学校だってバイトだって、いろいろと大変なこともつらいこともある。でも、生きてるからには楽しいことを見つけて、目標を持って過ごしていかなきゃ。

 大きな夢、小さな夢。将来の夢、目先の夢。みんなそれぞれだ。私はまだはっきりとした夢を持っていないけれど、ゆっくり考えていけばいいと思う。

 私は充実した高校生活を送っている……。





 それは、突然にやってきた。

 前触れはあった。

 でも、実際その予兆に気づいていたのは、洞察力のあるあの子だけだったみたい。それは事後にわかったのだけど。

 放課後のこと。

 今日はバイトがないので、私はバレー部の部室へ向かった。

 月曜日だからか、なんとなく気だるいけど、やりたくてやってるんだからがんばらなくっちゃ。そう思って更衣室に入った。

「あ、部長」

 後輩が挨拶してくる。

 私は二年生だけど部長に抜擢された。

 というのも、部長はなるべく二年生から選ぶようにしているらしい。三年生は進学や就職で何かと忙しくなるからだ。

 もちろん、その代わり副部長は三年生から選ぶようにしている。

 部長のくせしてバイトやってていいのかと思われそうなものだが、普段は三年生が率先して部員をまとめてくれるし、顧問の先生も許可してくれている。

 部長がいないからまとまれないってことはない。いざというときに決断をしたり、まとめ上げたりするのが部長の役割だと思う。

「部長。部活のバイトの両立って大変じゃないですか?」

 いきなり本質的な質問をされて、ちょっとびびった。けど、かしこまって話しかけてくれない方が嫌だもんね。

「大変といえば大変だけど、やりがいはあるよ。部長らしい重荷もみんなのおかげでないから、安心してバイトできるし。……君もバイトしたいの?」

「いえっ、私はもう勉強との両立でいっぱいいっぱいです」

「私は別に勉強を捨ててるわけじゃないんだけどね」

 笑いながらいうと、後輩もつい「すいません、そんなつもりじゃ」と平謝り。いや、相手も笑っているから平謝りとはいわないか。

 更衣室は、こんな感じでいつものように気楽なムードだった。

 だけど、このあとはさすがにそうはいかなくなった。この直後に状況が暗転したのだ。

「……あれ?」

 自分のロッカーにカバンを詰め込もうとして、私は首をかしげた。

 置いた覚えのないものがそこにあるのだ。それは、一枚の紙きれだった。

 ふと、ラブレターか! なんて妄想に突っ走りそうになったけど、女子バレー部の更衣室でそんなことがあるわけがない。ラブレターだとしたら、靴箱などに普通は入れるはずだ。

 そう冷静に分析すると、逆に疑問が湧いてくる。

 では、この紙はいったい何なのだ?

 隣の後輩が、興味を示してもいいのかどうか困っている様子だったので、あえて私は紙を掲げてみせた。

「身に覚えのないものが入れられていたよ」

 後輩がすっと近寄る。

「誰か、部長への伝言ですかね。それとも……」

 いいさして、この先の言葉は出なかった。気遣ってくれていえなかったんだろう。私には察しがついた。きっと「退部届けかも」といいたかったんだ。

「ちょっと見てみるか」

 かさかさと折りたたまれた紙を開いてみる。

 思わず、声を上げた。

「ちょっと、これっ!?」

 私も後輩も愕然とした。

 一見、何の変哲もない紙、何の特徴もないペン字。

 だけど、そこに書かれていた内容は、尋常ではなかった。

 脅迫状だったのだ。



『バレー部部長殿。

 今度の大会は出場を辞退したまえ。さもなければ大変なことになるぞ。

 警察にいったらもっと悪いことが起こる。これは人の命がかかっているのだ。』

 私と後輩の周りには、いつの間にか部員のみんなが集まってきていた。

 脅迫状らしき手紙のことは瞬く間に知れ渡り、「イタズラだ」「本物だ」などと騒いでいる。

「みんな落ち着いて。練習を始める前に、みんなミーティングルームへ集まって」

 本当の脅迫だとしても、タチの悪いイタズラだとしても、まずはみんなの気持ちを落ち着かせることが先決だ。動揺したまま練習を始めて、ケガでもしたら大変だからね。

 私は先輩に尋ねた。

「今日、監督は?」

「進路指導の打ち合わせで遅れるらしいよ」

 都合のいい答えが返ってきた。

「自分たちで結論を出すなら、今のうちってこと」

 先輩の言葉に、私は口を結んでうなずいた。



「私のロッカーに、こんなものが入っていた。誰か心当たりのある人いない?」

 手紙の内容を先に読み上げた後で、私は部員たちに尋ねた。

 とりあえず聞いてみたけど、やはり応じる者は誰もいない。「誰がやったの?」と聞いているように取られても気まずくなるから、速やかに次へ進むことにした。

「問題は、これが単なる嫌がらせか本物かってことなんだけど」

 自分はどう思うか。判断材料が少ないから難しいところだ。

 学校に対してではなく、バレー部に対して宛てたもの。でも、そこで何かが引っ掛かってるんだよね。

「水結ちゃん、いつごろ入れられたかはわかる?」

 腕組みをしている先輩に問われて、私は前回部活に出てきた日を思い起こした。

 思い出そうとして思い出さないと思い出せない。だって、バイトしてるから週に三回くらいしか部活に出てないんだもの。確か前回は、三日前だ。

 そのときには入っていなかったのだから、それから今日までの間に入れられたってことだ。

「先週の金曜日の、帰るときにはまだ入っていませんでした」

「じゃあ、それから今日、月曜日の放課後までの間ってことか。……ねえ、先週の金曜日、最後に戸締りしたのは誰?」

 先輩は部員たちを見まわす。応答がなかったので、あれっと思ったが、やがて先輩が身じろぎして座りなおした。

「ごめん、思い出した。最後に部室を戸締りしたのは私だった……」

 と、うつむき加減にいう先輩がかわいく見えて仕方がなかった。

「そのときは別に怪しい人は見かけなかった。戸締りもきちんとしたし」

 そして、土日はバレー部はお休み。きっと野球部あたりは学校に出てきて練習していただろうから、学校自体は開いていたんだろうけど。休日の学校に忍び込んで、奥まったところにあるバレー部の女子更衣室のロッカーの中に手紙を入れるなんて、そう簡単にはできないと思う。

 でも、なんか……。

 そう、さっきから何かが頭の中で引っ掛かってるんだよなぁ。ああ、もどかしい。

「いったい誰の仕業なんだろうね」

 腕組みから頬杖にポーズを変えていた先輩。その答えは、私もさっぱり見当がつかなかった。犯人が学校関係者なのかどうかも。

「きっと、ライバル校の仕業だよ!」

 そんな意見が飛んできた。

「もしかして、あの学校……!」

「あり得る!」

 室内がざわつく。私も、まさかと思った。

 部員たちが予想した学校は私の頭にも思い浮かんだ。

 私たちの学校は、市立の大会では常に上位の成績を残している。準優勝や三位くらいのね。ただ、ライバル校というのが存在するのだ。いや、周囲がライバルといっているだけで、私たちはあまり意識しないようにしているのだけど。

 優勝候補の学校は本当に強くて、いつも優勝旗を持っていかれている。決勝でその優勝候補への挑戦権を得るのはどちらか、準決勝でライバル校と当たることがときどきあるってわけ。

 だからみんな、犯人はライバル校じゃないかと思っている……。

「みんな、ちょっと待って。そいつらの仕業だーっていいたいんだろうけど、たいした根拠もなしに疑うのもよくないと思う」

「可能性としてないわけじゃない。頭の片隅に置いておく必要があるかもしれないわね」

 先輩がそういうなら仕方がないか。

 でも、確かめる術はない。確かめたところで、真偽はさておき、バレー部どころか学校そのものの関係が悪化してしまう。よく考えたら、脅迫状を出したのが個人なのかグループなのかもわからないしね。

 部員たちが考え込むように黙りかけたとき、後輩のひとりが遠慮がちに片手を挙げた。

「……そういえば、その学校のことで最近噂を聞いたことがあります」

「なになに? どんな噂?」

 部員たちはそろって後輩に注目する。

「女子バレー部のスパイカーのひとりが、事故で左腕を骨折したとか。ごく最近。全治三ヶ月くらいかかるらしく、今度の大会出場は絶望的って話」

「その子の名前は?」

「ちょっと、わかりません」

「なるほど。選手のひとりが骨折で登録抹消されてるのか。関係あるかな?」

「骨折と命がかかるっていうのは、つながりとしては少し遠いよね」

「命がかかっているとは思えないよ」

 犯人が何を望んでいるのか、見えてこない。私たちに出場してほしくないのは、人の命がかかっているからなのか、それともバレー部の利害のためなのか。

 抽象的な表現に惑わされて、頭の中がごっちゃになりそうになる。

「警察にいったらもっと悪いことが起こる、か……」

「まあ、それはうちらに対してのことなんだろうけどね」

 私のつぶやきに先輩が応じる。それはわかるんだけど……。

 この中途半端でわかりづらい文章。もう、わけわかんない!

「……でも、先生や監督にいってはいけない、とは書いてないね」

 隣の席の子の声に出してくれた疑問は、からまった糸をほぐすきっかけとなった。

「そういえば、どうして書いてないんだろう」

「書き忘れ?」

「警察という言葉だけで十分クギを打ったと思ったとか」

 そして、ある一定の結論に達する。これは、先輩の見解だ。

「たぶん、先生にはバラしても構わない、と思っているんだよ」

「どうして?」

「犯人は、私たちバレー部に大会に参加してほしくない、と思っているんだよね。この脅迫状のことを監督に話したら、どうなると思う? 監督は、絶対に参加してはいけないというに決まっているよね。命がどうのこうのって書いてあるんだから。そういう展開は、犯人にとっては好都合だと思うの」

「な~るほど」

 異論を唱えるものはいなかった。一理ある。納得できる。大いに納得した私は、感動してその場で飛び上がりそうになった。

「でも、それが人の命と関わるってどういうことだろう」

「でまかせじゃないの? 大げさなことをいえばという考えで」

「だったら、私たちに出場を辞退する理由なんてないよ」

「いいけど、もう少し冷静に考えようよ」

 再びミーティングルームがざわつく。賛否両論が飛び交っているから、収拾がつけにくい。

 私も動揺しちゃっておどおどしていると、先輩が一声、「部長」と私を呼びかけた。それだけで室内が水を打ったようになる。

 先輩は目をつむり、そっと開ける。私を強い眼差しで見ていた。

「大会に出場したいという意見も多いみたいだけど、部長、どうする? 大会に出場する?」

 そうだ、私は部長だ。そうは見えないけど。

 そしてさっきから頭の中で引っ掛かっていた疑問が解けた気がした。

 私はバイトで時々しか部活に出ていないし、頼れる先輩のほうがよっぽど部長らしく見える。

 それなのに、どうして。

 どうして、犯人は私が部長だと知っていたの?

 私が部長になって、今度の大会が初めて。知ってる人なんて、まだまだ少ない。学校内でも知らない人は多いと思う。

 脅迫状をもう一度カサカサと開く。迷いのない文字が並ぶ。

 犯人は、私が部長だと確信していた。いや、最初から知っていた。

 私は紙から目を離し、元気よく顔を上げた。

 そして力強く宣言するのだ。

「この脅迫状の訴えは曖昧で、信憑性は低いと思う。そして脅迫を出した人にとって利益になることが見つからなければ、私たちがこれに従う理由は何もない。大会に出場しましょう!」

 拍手と歓声が沸き起こって、私たちはバレーの練習へ繰り出した。





 もちろん、脅迫状のことをそっちのけにすることはない。

 各自、少しでも気になる情報が入ったら、ひとりで抱え込まずにみんなで共有して相談しようということになった。

 それ以外は、普段どおり。大会へ向けて練習をする。

 それで犯人が次の行動に出てくるかもしれないし、もしただのイタズラだったら何もなかったこととしてこのまま終わってくれる。

 それでも、何が起こるか予断を許さない。大会が始まるまでは、神経を使う日が続きそうだ……。

 いざというとき、頼りになる親友が私にいる。深雪ちゃんだ。

 でも、さすがに今回の件は知られたくないなと思った。心配かけるし、迷惑かけたくないからさ。

 鋭い深雪ちゃんのことだ、いつかバレるんじゃないかビクビクだけどね。

 ちなみにバイト先は、大会中は休暇を取ってもいいことにしてもらった。嫌な顔されるかな~って思ってたけど、応援しに行くよ! っていってもらったときは本当に嬉しかった。

 そして大会三日前。

 組み合わせ抽選会があった。

 主催者側で決めちゃうので、わくわくとか、はらはらとか、あまりそういう感じはしない。結局は、上位進出を狙えるチームが初めから当たらないように設定されている。

 案の定、私たちのチームは、順当に勝ち進めば準決勝でライバル校と、もしそこで勝てば前回優勝校と決勝で顔を合わせるようになっていた。

 その日の放課後、組み合わせ決定の噂を聞きつけた深雪ちゃんが、さっそく私のところへやってきた。

「組み合わせが決まったみたいね」

「うん。いよいよだって感じ」

「ライバル校とはいつ当たるの?」

 深雪ちゃんまでライバル校というか……。

「ライバル校とはうまくすれば準決勝で当たる」

 かくいう私もつい使っちゃうけどね。

「今回はどう? 勝てそう?」

「んー。前回は負けちゃったからね。今回は勝たないと」

 前回は残念ながら負けてしまった。でも惜敗だよ。惜しいところまでいったんだ。

 過去の対戦成績を見ても、見事に五分五分。先輩たちが作ってきた成績に恥じぬ戦いをしなければと思う。

「やっぱり事前にデータとか集めるの?」

「えっ。データ収集なんてしないよ。正々堂々と戦うよ!」

「でも要注意選手とかいるんじゃない?」

「ううん。わかんない。大会が始まってみないことにはさ」

 このとき、なんだか違和感があった。

「そうよね。いつも当たって砕けろだもんね、水結ちゃんは」

 自分に。

「そうともいうかなー?」

 自分の受け答えに。

「そういえば、バイトはどうするの?」

 話題が変わって、少しだけホッとした。

「バイトはね、大会中は休んでてもいいことにしてもらったよ」

「そうなんだ。よかったね」

「うん、代わりに深雪ちゃんを店番に立てようかと」

「身代わりかよっ」

「あははは、冗談、冗談」

「このあと練習?」

「そう。こう見えても一応部長だしね」

「がんばるね。じゃあ、私も部活行ってくるから」

「ありがとね。バイバイ~」

「バイバイ」

 ふと、深雪ちゃんって何の部活に入っているんだっけ、と思った。確か、推理研究会だか探偵研究会だか、ミステリーの領域に踏み込んだ部活だった気がする……。私も、興味がないわけではないんだけど、深雪ちゃんらしいというか、なんというか……。

 それはさておき。

 今、自分、変だった。何かおかしかった。

 隠し事がバレちゃうんじゃないかって。

 あまりその話題に踏み込ませないようにしてた。

 ちょっとドキッとした。

 賢い深雪ちゃん、気づいちゃったかなぁ。

 まあ、いいか。

 そんなことより。

 練習、練習。

 目指すのは、優勝だけなんだから。

 それが、今もっとも目先にある私の夢。





 またたく間に日が過ぎ去り、いよいよ大会当日までやってきた。

 あれから脅迫状に続きが来ることもないし、監督にバレたりすることもなかった。

「三年生にとっては高校生活最後の県大会になるわけだから、思い出に残ったっていってもらえるようにがんばりましょう!」

 私は初戦の試合直前に、控え室でそうやってメンバーに檄を飛ばした。

 大会は土日の二日間に渡って行われる。

 この体育館は財団法人が管理している広大なスポーツ施設だ。館内にいくつも設置されたコートを使って、マルチで試合が行われる。隣のコートの試合が気になったりしたら大変だね。集中しないと!

 ルールは、二セット先取した方の勝ち。二十一ポイント先取したらセット取得。二十対二十になったらデュースとなり、二ポイント差をつけたらセットを取得できる。

 まず一回戦。

 初戦ということで硬さも見られたけど、なんとか順当に勝ちあがった。

 そこからは、相手の粘りに苦労したり、第三セットまで持ち込まれたりもしたが、私たちは順調にトーナメント表を駆け上がっていった。

 同じように、ライバル校も前回優勝校も危なげなく勝ち上がってくる。上位チームはいつもの顔ぶれになりそうだ。

 そして早くも二日目。

 懸念されていた脅迫状に関する動きも、特に見られない。やはりイタズラだったのか。

 イタズラならイタズラで、それに越したことはない。大会が終わってもこのことは外部に漏らすことはないから、犯人はずっと不明のままにはなってしまうけど。

 準々決勝の四試合が終わり、やがてベスト四がそろった。

 組み合わせは前回優勝校と密かに優勝の座を狙って勝ち上がってきたA校。そして私たちのチームはライバル校と対戦だ。

 ここからは複数のコートは使わない。一試合ずつ行われるのだ。

 まず準決勝第一試合。結果はやる前から見えていた。優勝候補対A校。A校も粘りを見せたが、二セット連取されてあえなく散った。

 準決勝で、ここまで力の差を見せつけられるとは。さすが、全国大会で上位進出の経験があるチームだ。私は感動さえ覚えた。

 さて、いつまでも感慨に浸っている場合じゃない。次はいよいよライバル校との対決だ。今回は前回の雪辱戦でもある。

 試合直前の練習では、みんな気合が入っているのがわかった。さらに、監督から有利な情報を得た。

「相手チームの得点力を前回と比べたところ、やや落ちていることがわかった。どうやらレフトの選手がケガで欠場しているらしく、代役を立てているようだ」

 そういえば、と私は思った。

 選手の誰かがケガをしたという話は後輩から聞いている。相手チームのベンチに、ケガを抱えているらしい人物が見当たらないのですっかり忘れていた。

「勝てるチャンスは十分にある。試合中は同情心を捨てて、戦いに臨みましょう!」

 試合が始まってみれば、やはり互角の戦い。三ポイント連取したと思えば、四ポイント連取されたり、差をつけてもすぐに差を縮められたり。

 急きょ代役を務めてる選手をアタックで狙ってみても、うまくボールを拾われて得点を重ねることができない。

 控えでここまでレベルの高い選手がいるとは!

 互角だけど、意外な試合の流れにチームメイトがやや動揺していた。第一セットは取ったものの、第二セットは相手に取られてしまった。

 泣いても笑っても、このセットを落とせばこの大会が終わる。いや、実際には三位決定戦があるけど、ここで負けたら私たちにとっては終わりも同然だと思っていい。

 第三セット。

 一点ずつ取り合ってゲームが始まったとき、相手チームのベンチから指示が飛んだ。

「Cクイックを使え!」

 Cクイック。

 セッターのすぐ後ろでアタッカーがスパイクを打つ攻撃方法だ。クイック攻撃は四種類あるが、AクイックやCクイックは高校生にとってはかなり難易度が高い。

 それを使ってくるというのか!

 あらかじめ対策を練っていなかった私たちにとっては、すぐ対処できるはずもない。気持ちではわかっていても、今の動きが身にしみ込んでいて臨機応変に対応できない。

 監督がすぐタイムアウトを取ってくれて気持ちの整理はついたが、幅の広い攻撃にやられ続け、瞬く間に点差を広げられてしまった。

 やがて五ポイント差をつけられ、マッチポイントを迎えられてしまう。

「どんまい! ボールを確実に拾って、攻撃につなげましょう!」

 まず、相手のサーブ。

 ここを、確実にレシーブ。

 さらに、攻撃へトス。

 そして、一点を取りにスパイク。

 トスのボールは、私の頭上へ上がった。

 最後はキャプテンに頼む、といったところだろう。

 だけど、その心理は相手に見透かされていた。

 ブロックが三枚もついたのだ。

 焦った私は跳ね返されることを恐れ、空中でバランスを崩して強打することができなかった。

 ボールは相手の手に当たったが、ややタイミングがずれた分相手のコートへ。

 でも弱まった分、きっちりと拾われ、最後の一点を取るための攻撃を仕掛けられた。

 この一点は何が何でもやれない。私たちもブロックを思い切って三人つけ、私を含めたあとの三人はやや背後へ下がった。

 スパイクが来る、と思った、そのときだった。

 相手はフェイントを仕掛けてきたのだ。強打せず、ブロッカーの背後にボールが落ちるように。

 私は前に飛び込んだ。思い切り腕を伸ばして。ケガすることなんて恐れない。ボールめがけて飛びついた。届け。

 届……。

 ……いた。

 でも。

 ボールは上ではなく。

 前へ飛んでいく。

 そのままボールはネットの下をくぐり。

 相手のコート内で、転がった……。

 歓声と悲鳴が同時に上がった。

 抱き合って喜ぶ相手チームの選手たち。

 ……私は、うつ伏せで倒れたまま起き上がれなかった。

 チームメイトに支えられて立ち上がってから、ベンチに戻るまで、私はずっと顔を上げることができなかった。





 よくがんばったよ、私たち。

 来年は必ず、リベンジするから。

 まだ、このあとすぐに三位決定戦がある。負けた悔しさは、次の試合でぶつけてやればいい。

 気持ちを仕切りなおして、私たちは再びコートへ。

 チームメイトとハイタッチして身構えたが、どこか妙な雰囲気を感じた。

 会場のざわつき方が異常なのだ。

 見てみれば、審判員や主催関係者が集まって話をしている。

 何かあったのだろうか?

 監督が審判員のひとりから話を聞き、私たちへ伝達してくれた。

 それは、驚愕としかいえない事実だった。

「失格だそうだ」

「えっ」

 耳を疑った。

 でもそれは私たちのことではなかった。

「さっき準決勝で戦ったチームが、失格となった」

「ど、どういうことですか?」

「正式に選手登録されていない生徒が出てプレーしていたらしい」

 それってまさか。

 ケガして欠場した子の代役……。

「じゃあ、この後の試合は?」

「四位以下のチームがひとつずつ順位を上げる。先ほどの試合は我々の不戦勝扱いとなり、決勝へ進むことができるぞ」

「そんな。私たちは負けたのに……」

 それが正直な感想だった。負けたのに、失格だからって私たちが決勝へ上がるなんて。

 つまり、三位決定戦は行われず、A校が三位で決定し、私たちと前回優勝校が一位と二位になるというわけだ。

 それは、嬉しいといえば嬉しいけど。でも……。

「せっかく得たチャンスだ。ダメもとで決勝を戦ってこい」

 と監督はいうのだけど。

 相手が違うじゃない。私たちは三位を勝ち取るため、今さっき作戦を練ってきたのに。

 チームメイトの顔を見渡してみたら、誰も乗り気じゃないことがすぐわかった。誰もコートへ出ようとしないのだ。

 それを見た私は、意を決して、部長として、キャプテンとして監督に告げた。

「私たちは決勝に出ません。辞退します。いくら準決勝の相手が失格だからといっても、準決勝で敗れた私たちに決勝で戦う権利はありません」

「な、なんだと?」

 困ったような怒ったようなびっくりしたような顔を見せる監督。

 すると、チームメイトが次々と同調を始めた。

「私もキャプテンと同じ意見です」

「あたしも」

「私もです。戦ってもどうせ勝てない、とかそういう意味ではなく」

 監督は沈黙した。

「……」

「……監督、お願いします」

「……」

「監督」

「……わかった。相手チームと主催者側にはそのように伝えておこう」

 監督は理解を示してくれて、私たちは心底ホッとした。

 こうして、決勝が行われず順位が決定し、そのまま表彰式の運びとなった。

 準決勝一試合と決勝が不戦勝と、大会は異例の結末だった。



 表彰式が済み、控え室へと戻った私たち。

 準優勝という結果に素直に喜べず、複雑な心境で私たちは口数が減っていた。

「まさかこんなことになっちゃうなんてね」

「このメダルに、あんまり重みを感じない」

 表彰式で首にかけてもらったメダルも、自分たちでがんばって得たものじゃない。

 三年生に思い出に残るようにと宣言したのに、こうなるなんて最悪だよ。

「みんなお疲れ様。ここまで成果を伸ばせて満足してるよ」

 私の心を見透かして、先輩が笑顔でメンバーを称えてくれた。

「相手がルール違反をしたことは確かなんだから、私たちは今の結果に納得すればいいんだよ。なんでそんなにしらけた顔してんの、みんな」

「しらけているわけじゃないんですよ。ただ……」

「ただ?」

「やっぱり、ライバル校に負けた悔しさが」

「なんだ、そんなことか。やられた分は、また今度返してやればいいのよ。ていうか、あんたそんな意識持ってたの?」

「あ、いや、そういうわけじゃ……」

「あっはは。まあ気にするなって方が無理だよね。けど、ライバルって漢字だと好敵手って書くよね。そう、敵じゃないんだから。お互い励みになればいいのよ。相手だって今回は悪気があったわけじゃないんだからさ」

 先輩は大人だ。ひとつしか違わないのに、とても遠く感じる。来年は、もし負けてもこうやってみんなを励ませられる先輩になっていたい。

「大会も無事終わったわけだし、このあとみんなで何か食べに行くか。そうだ、宮月のバイト先なんてどうだ?」

「ええ? バイト先の店ですかぁ?」

「部長が働いてる店ですか。ぜひ行ってみたいですー」

 ちょっと困るけど、ここは断れない。あの店でバイトしてるってことが、完全にみんなにバレちゃうのかぁ。

 返答できずに苦笑していると、控え室のドアをノックする音が響いた。

 タイミングがいいのか悪いのか、入室してきたのはなんと、バイト先の仲間だった。それもふたりも。

「やっほー。水結ちゃん、準優勝おめでとう!」

「ちゃんと試合見てたよ。惜しかったねぇ」

「ああっ、なぜこのタイミングで来るか~」

 私はお礼を忘れて大げさに両手で頭を抱えた。

「もしかして宮月のバイト先のお方?」

「そうですよ~」

「ちょうどよかった。今、これから宮月のお世話になってる店に行って食事しようかと相談してたところなんですよ」

「マジっすか。ぜひ来てくださいよ。すぐ店開けますから」

「え、今日休みだったんですか?」

「オーケーオーケー。お祝いと打ち上げを兼ねてのパーティー開いちゃってくださいよ」

「なに仕切ってんのッ。あんた店長じゃないでしょ」

 テンション高ぇ。ていうか、どうして先輩とバイト仲間たちはこんなに早く打ち解けてるの。

「もう好きなようにして! みんなさっさと準備して早く行こうぜ!」

 さっきまでの低いテンションから一気にはじけて、私は口調まで変わってしまっていた。





「みんな、大会お疲れ様ー!」

「お疲れ様でしたー!!」

 店内は部員たちの乾杯の声が綺麗にそろった。それぞれ近くの席の子とグラスを鳴らしあう。もちろんアルコールなんてないよ!

 バイト仲間の祝儀と厚意に甘えて、私たちバレー部は自身がバイトをしている店にやってきた。

「水結ちゃん、エプロン姿に着替えてきなよ」

「えっ。やだあ。私もみんなと一緒にお祝いするの」

「けっ、かわい子ぶっちゃって。酔ってんじゃないの?」

「ていうか、エプロンじゃないし。ちゃんとした制服だよ」

「それでも私は萌える」

「萌えるんかい!」

 半分オタクに足を突っ込んだような話を繰り返しながら、私たちは祝賀会を楽しんだ。応援に駆けつけて、わざわざ店を休みだったのに貸し切りで開けてくれたバイト仲間たちも混ざって。

「甲高い声で、いらっしゃいませー、っていってみてよ」

「ファッション界のカリスマ店員じゃねえよ!」

「どんだけー!」

「あはははははは!」

 盛り上がった。盛り上がりすぎだ。あとの反発が怖いぞ。まあ、このハイテンションも今までの不安や悔しさの反動なんだろうけど。

 バイト仲間とその仲間たちのお祝いってことで、飲食代はちょっと割安にしてもらった。もちろん今日いない店長の許可があってのことだけど。

 そんなことでしばらくして……。

 はしゃぎすぎて真剣に疲れてくると、そろそろお開きにしようかという声が出始めた。「じゃああと一杯だけー」という誰かのおかわりの注文のあと、私は全員で記念撮影をしようと提案した。

「はい、チーズ!」

 この写真は焼き増ししてみんなに渡して、さらに店内にも飾ってくれるということになった。まさかこんな展開になってきちゃうとはね。

 このあと私たちはみんなで後片付けをした。緊急で店を開けたので他に店員がいないからだ。あれだけ散らかっていた店内が、あっという間に綺麗に片付いた。

 最後の点検と戸締りを受け持ってくれたバイト仲間ふたりを残して、私たちバレー部のメンバーは店の外に出た。

「みんな帰る方向違うと思うから、ここで解散でいいかな?」

「……あれ? ちょっと待ってください」

「どうしたの?」

 慌てる後輩が指差す先。

「あら」

 本当にびっくりした。

 私たちに向かって歩いてくる人物がいる。

 とっても見覚えのある格好。

 白い包帯。

 そして何よりも……私たちが負けた相手の。

「……」

 ライバル校のバレー部。もっとも警戒するはずだった強力なアタッカー。

 だが今回は、ケガのために欠場した。

 代わりの選手は、申告漏れで登録されていない生徒だった。

「あの……」

 何を喋ってくるだろうか、この子は。いろいろな思いが交錯した。

「すみませんでした」

「……えっ」

「やってはいけないことをして、迷惑かけて、すみませんでした」

 左手で吊った右腕を支えながら、彼女は深々と頭を下げた。

「いや、まあ……」

 いきなり謝られてこっちが焦ったので、中途半端な返事をしてしまった。

 いけない、いけない。私は部長だ。しっかりしないと。

 気持ちだけ、両手で頬をたたいた。

「謝ることないよ」

「……」

「あなたはケガをして大会に出られなかった。それだけでしょう?」

「はい」

「早くケガ、治るといいね」

「ありがとうございます」

 登録されていない選手が出ていたのは、わざとではなく単なる不手際だったのかもしれない。そう考えると、この子がますます不憫だ。

 ……ん? 何か変だな?

「ねえ、ちょっと待って」

 それでは、と立ち去る包帯の女の子を、私は追いかけて呼びとめた。振り返ったときの驚いた顔が、少し心にちくりと来た。

「君って確か、レフトの選手だったよね?」

「そう、レフトからのスパイクが得意だけど……」

「あ、ごめん。変な詮索してるわけじゃないからさ、ありがと。そのケガ、きっと想像以上につらいと思う。痛み以上にさ。がんばってね」

 私が握りこぶしを作ると。

「ありがとう、宮月さん」

「……」

 心にジンと来るものがあった。

 名指しで呼んでもらっちゃった。名字でだけど。どうしよう、なんか嬉しい。あ、でも彼女の名前を私知らない。どうしよう。今度自分から会いに行こう。彼女とは友達になれるかもしんない。

 別に男の子に名前で呼ばれたわけでもないのに、私は気持ちの中をバタバタさせて顔を紅潮させてしまっていた。

 と、背後から後輩が駆けつけてきた。

「どうしたんですか、部長?」

「ううん。つらそうだったからちょっと励ましただけ。あはは」

「ふーん」

 努めて平静を装って、なんとかこの場をやり過ごした私。

 帰り道、ひとりになってから少し歩く速度を落として、考えをめぐらす。

 バレー部に届いた脅迫状。

 ケガをしたレフトのスパイカー。

 対戦チームの不正。

 これらの謎は、きっとつながりがある。

 ……けど、実際はそうじゃないのかもしれないんだ。

 私は口元を引き締めた。

 まだ、謎はすべて解けていない……。





 次の日の朝、私は登校したあと深雪ちゃんをすぐに窓の外のベランダに呼び出した。

 さわやかな風がやさしく頬をなでる。

 私はためらいなく切り出した。

「深雪ちゃん、ちょっと話があるの」

「私もある」

「バレーの、話なんだけどさ」

「私も、バレーの話」

「……」

「……」

「アレッ?」

「?」

 小鳥のように首をかしげる深雪ちゃん。その顔には何かが見えない文字で描かれているような気がしてならない。

 もしかしてひょっとして……。

「しししし、知ってたの?!」

 にこーっと目を細める深雪ちゃん。私はよれよれと腰が砕けて手すりにつかまる。

「でも、なんで?」

 気を取り直して体勢を立て直す。

「水結ちゃんの後輩から私に話があった。相談を持ちかけられたの。部長が困っているから、手を貸してあげてくださいって」

「ウチの後輩が……」

「あ、でも責めないでやって。彼女は純粋な気持ちで水結ちゃんを助けようとしただけだから。細かいことを追及したのは私のほうなの」

 そうか。だから、だったんだ。

「わかってるよ。かわいい後輩を責めることなんてしない。だから私は、代わりに……深雪ちゃんを責めるっ」

「ちょっ、私かよ」

 深雪ちゃんは逃げるポーズをとる。

「ウソウソ。で、どこまでつかんでるの?」

「ほぼつかんでるつもり。実はね、父親の知り合いに警察官がいて、大会当日に会場を不審者がいないか巡回してもらってた。隠しててごめんね」

「……謝るのはそこじゃないでしょ」

「……え?」

「私に直接探りを入れてたよね」

「バレたか」

「今やっと気づいた。核心に迫られないように避けてたかどうか探ってたよね。あの日、組み合わせが決まった日。なんだか変だと思ったよ」

「本当に失礼なことをしたと思う」

「ったくもう」

「でも、こうやって話に来たっていうことは、例の子がバイト先にでも来たのかな?」

「なんでそこまでわかるの?!」

「きっかけがあったとしたら、それしか考えられないじゃない」

「本当に、何もかも看破されちゃうなぁ、深雪ちゃんには……」

 感嘆のため息を吐いた後、「ねえ、深雪ちゃん」と、私は唐突にマジな顔になった。

「またこういうことが起きたら、今度はふたりで協力するようにしようね」

 冗談のときは冗談として、真剣なときは真剣に、悲しいときは悲しく、深雪ちゃんは話し相手に合わせて受け入れる態勢をしてくれる。

 今回も、急な変化についてきて、「そうだね」と、そっとうなずいてくれた。

「……ところで、私に何か話があるんじゃ?」

 深雪ちゃんの話を聞いていたら、自分の話のことはすっかり忘れていた。

「あ、そうそう。忘れるところだった。脅迫状のことなんだけどさ」

「ケガをしていた子が書いたわけじゃなかった?」

 深雪ちゃんの先読み能力はすごいと思った。というか、すでにこの謎を捉えていたのかな。

「話が早いね。よく考えたら違ったんだよ。腕をケガしてるのに綺麗な手紙は書けないよ。しかも、聞くところによると骨折したのは利き腕みたいだし」

「他の人に書かせるという方法は?」

「もちろん指示して他の人に書かせることもできる。でも私は違うと思うの。大会の後に、その子が直接謝りに来てくれたんだけどね。不正があったことに謝罪してくれたけど、脅迫状のことは一切触れなかった。いや、感知してないことだったんじゃないか。彼女は真剣だったよ。謝るならまず、大問題に発展しかねなかった脅迫状のことをいってたと思う」

 私はだんだん興奮してきて早口でまくしたてた。

 そもそも、脅迫状を書いた人は私が部長だと知っていたのだ。思えば、その疑問をもっと吟味してみる必要があったのかもしれない。

 深雪ちゃんは、少し間を置いてからつぶやいた。

「そうなの。私は初めに見かけたときに怪しんでいたけど、関係なかったんだ」

「見かけたって、いつ?」

 また深雪ちゃんは私の知らないところで情報をつかんでる。

「初めて水結ちゃんのバイト先にお邪魔した日の帰るとき、私たちの、いや、たぶん水結ちゃんの様子をこそこそうかがっていた子がいたからさ。そう、左腕を吊った同年代の子がね」

 それを聞くと、私の心臓は音を立てて打ち出し始めた。

「うん、例の子。ケガして練習できないから偵察とかしてたんじゃないかな。どこかで見たことある顔だなと思ってたのね。そこへ水結ちゃんの後輩から脅迫状の話が飛び込んできたから、もしやと思ってその子のことを探ってみたの。そうしたら……」

「そうしたら?」

「ライバル校の切り込み隊長だってことがわかった。水結ちゃんは脅迫状のこと隠したがってたから、そのことは話さなかったんだけど」

「なるほど」

 でも、この話には続きがあった。深雪ちゃんはさらに行動を起こしていたのだ。

「だから私は、本人に説得したよ」

「彼女と話したの?!」

「大会の二日目にね。観客席で観戦しているのを見つけたから、本当にこのまま戦って、勝ってもあなたは満足なの? って問いかけた。ずいぶん迷って、最終的には不正を打ち明けたみたいだけど。私は脅迫状のことをいったつもりだったけど、相手はそのことを知らず、もうひとつの不正のことだと捉えたみたい。これは大いなる勘違いで、今となったら恥ずかしくて仕方ないわ」

 私が試合をがんばっているところで、深雪ちゃんも同時にがんばっていたんだ。

 あの試合に勝っておけば、私たちも相手チームもそれなりに納得できていたかもしれない。それなのに、負けちゃって本当に申し訳ない。

 こうなったら、絶対に脅迫状の犯人を捕まえてやるんだもんね!

 決意とともに鳴った校舎のチャイムは、いつもより心に強く切なく響いた。

「……とにかく、あの子は八百長の話は知らなかったわけだ」

「つまり、脅迫状を実際に書いた人物は……」

 私たちは意図せず声をそろえた。

『別にいる』





 バレー大会の日は特に大きな事件もなく無事に過ぎ去った。

 しかし、それですべて解決されたとはいえなかった。

 私こと宮月水結と親友の新庄深雪は、脅迫状を送りつけた真犯人を探るべく捜査に乗り出した。

 ……なんて大げさなものじゃないけど。

 一歩間違えれば大事になっていたものを黙って見過ごすわけにはいかない。本人に会って動機など問い詰めたい。

 といっても手がかりは限られている。ちょっと整理してみよう。

 まず、犯人は私をバレー部の部長だと知っていたこと。あまり周知されていないことなのに知っていたということは、割りと近い存在なのかもしれない。

 そして、動機が大会と関わっていたこと。出場辞退を望んでいたということは、私たちが出場したら困ることがあったか、どこかのチームを優位にさせたかったのだろうか。

 私たちがいなくて有利になるチーム……。ライバル校しか思いつかない。

 でも、本当にライバル校の誰かの仕業なの? 確かに相手チームはひとりケガをして、どうしようという気持ちはあったかと思うけど。

 手持ちの手がかりはここまで。これは次の展開がないと見つけられそうにないな……。



 数日後。

 次の展開は、さっそく訪れた。

 それは実習の授業が終わり、教室に戻ってきたときだった。

「次ってなんだっけ?」

「数学だよ」

 席について、机の横にかけたカバンを膝の上に置いたときだ。

 なんだかカバンがさっきより軽くなっていた気がした。

 不審に思って中を開けてみると。

「あれ?」

「どうしたの?」

 私は一瞬、言葉を失った。

「……朝コンビニで買ってきたパンがない!」

「ウッソ!? 盗られたの?」

「わかんない。たぶん……」

 コンビニの袋に入れていたパンのひとつが明らかになくなってる。

 私はだんだん怒りがこみ上げてきた。

「誰よ~! ひどい!」

「先生にいった方がよくない?」

 友達が心配するが、私はためらって返事ができなかった。

 たかがパンのひとつくらい、というわけではなくてさ。

 この学校は今回に限らず、ときどき盗難事件が起きている。

 体育の授業で教室が空になっていた間に、ちょっとした貴重品が盗まれていたり、財布が盗まれていたり。ひどいときには自転車が丸一台盗まれるといったケースもある。

 しかも、犯人は校内の人間なんだ。学校の生徒だってわかりきってるんだ。

 許せないよ、本当に。自分の学校にそんな人がいるなんて信じられない。

 全校集会で生徒指導部の先生が忠告しても、犯人は名乗り出ないし盗った物は返さないし、それどころか犯人は見つからず盗難事件はずっと続いてる。

 体育の授業のときは貴重品袋にまとめて預けるとか工夫して、以前より件数は減ったけど、減ったからいいという問題じゃないよ。

 未だに犯行に及んでいる人がいるんだ。

 報告された分だけじゃなく、誰にもいえずに隠してて悔しい思いをしている子もいるかもしれないんだ。

 やめろよ、もう、こんなことは本当に。盗られた子の気持ちがわからないの?

「水結ちゃん……」

「ああ、大丈夫。いってもどうせ見つかんないから、いいよ。全部盗られたわけじゃなかったし。残った分でなんとかいけるよ」

「私のお弁当、少し分けてあげるからね」

「ありがと……」

 今日に限って、お弁当じゃなかったんだよなぁ。お母さんが寝坊しちゃったから。

 実習のときは、貴重品は持ち歩けるけど、お昼のパンはさすがに持ち歩けないからね。

 ついてないなぁ……。

 怒りが収まってくると、今度はどんどん悲しい気分になってきた。

 背もたれにもたれて、なんとなくぼーっとする。

 一番後ろの席だから、後ろを気にする必要がなかった。

 顔の向きをゆるりと変えて、薄曇りの空を見上げた。

 窓側の席だから、外の景色がよく見えた。

 ふと気になって、窓に視線を移す。

 鍵はちゃんとかかっていた。実習に行く前も、確かに施錠した。

 気になるのは、閉めた窓にカーテンの一部が挟まっていたことだ。実習に行く前、慌ててて閉めたときに挟んじゃったのかな。

 いずれにしても盗難が相次いでいるから、教室を開けるときは戸締りをきちんとするようになった。

 じゃあ、犯人はどうやってパンを盗ったんだろう?

 この謎は、帰りのホームルームの時間で明らかになった……。



 六時限目の終了のチャイムが鳴り、担任の先生が教室に戻ってきた。

 帰りのホームルームの時間だ。

「今日は、特に連絡ありません。では、帰りましょうか」

「あ、先生。ひとつ伝えておきたいことが」

「どうした?」

 手を挙げて立ち上がったのは、室長の二宮さん。そして、さっきパン盗難事件で話をしていた私の隣の席の友達でもある。

「実は今日、実習から帰ってきたとき、あるクラスの子が昼食のパンを盗まれていました」

「それは本当か?」

 私は自分だとバレないようにできるだけ身動きしないようにした。せっかく名前を伏せてもらってるんだから。

「盗られていたのは、その子のパンだけか?」

「みんなは大丈夫だったよね?」

 二宮さんが教室を見回した。

「盗られてないよー」「そんなことがあったんだ」「またかよ」「怖いねー」といった会話で教室がざわつく。

「教室を出るとき、戸締りはちゃんとしたか?」

「しました。ちゃんと確認しました」

「それはおかしいよな……」

 担任が腕組みをすると、廊下側の席の男子が意外な言葉を口にした。

「先生。戸締りしても、入られることはあると思いますよ」

「え、ウソー?」

「それはどうしてだね?」

 一部の女子が驚いたあと、担任が冷静に問いかける。

「この下にある窓なんですけど、ボロくて緩みができてるんで、うまく窓をガタガタ動かしたら開いちゃうんですよ」

 その生徒の足元には、狭い長方形の窓があるのだ。人が通るとしたら、寝そべらないといけないくらいの。なんでそんなところに窓があるのか謎だけど。

「そんなことして開くのか」

「自分は開けたことはないスけど、違う教室でそうやって開けてるのを見たことがあります」

「なるほど」

 そういえば自分もどこかのクラスでやってたのを見たことがある。ガタガタ揺らすと、はめ込んだネジがだんだん緩んではずれちゃうんだ。

「でもさ、廊下で窓をガタガタやってたら、うるさくて隣のクラスとかに気づかれちゃうんじゃない?」

 副室長が疑問を投げかける。

「コツをつかめば、割りとすぐはずれるよ。逃げるときは窓の外のベランダから逃げれるしな」

「ふーん。自分はやったことないとかいってたけど、本当はあるんじゃないかしら」

「ねえよ!」

 そう、窓の外のベランダは、細いが道にもなっていて、校舎の端から端まで続いているのだ。たまに天気のいい日は、昼食はベランダに出て食べることがある。

 廊下からガタガタ窓を鳴らして入ったあとは、廊下から逃げるのは危険だと考え、ベランダの道から逃げるってわけか。

 でも、窓は確かに鍵がかかっていた。

 入ってきた窓は内側から鍵をかけることができるが、脱出したベランダの窓は外から鍵をかけることはできない。

 ミステリー風にいうならば、いわば密室状態。

 ベランダの窓の鍵は、ネジ式ではなく、つまみを引き上げて施錠するタイプだ。

 トリックを使うなんて、犯罪者みたいなことするか?

 ……いや、実質犯罪者なんだけど。

「わかった。生徒指導部には先生から伝えておく。その子の昼食はちゃんと足りたんだよな?」

「はい。分けてあげたので大丈夫でした」

「そうか。伝えてくれてありがとな。これは学校の問題だから。みんなで真剣に考えていかなきゃいけない。ウチのクラスにはそんな奴がいないことを信じてるぞ」

 一瞬シンとなった後、先生は号令した。

「よし、じゃあ帰ろうか!」

「起立! さようなら!」

 挨拶の後で、二宮さんは私にウインクしてくれた。





 日は経って週末の土曜日。

 この日はさわやかな晴天に恵まれて、深呼吸するととても心地よかった。

 私は準決勝で戦ったバレー部を見学しに行った。

 ライバルといっても強豪チームだ。土曜日もきっと練習してるんじゃないかなと思ったら、その想像は当たっていた。

 体育館に近づくと、聞き慣れた音が聞こえてくる。

 ボールが弾む音、シューズが床をこする音、そして選手たちの元気なかけ声。

 どこも同じだなあと思った。

 開け放たれた扉におもむろに近づいていくと、ちょうど傍らで練習を見守っていた例の子が私に気づいてくれたのだ。

「こんにちは」

「こんにちは!」

「相変わらず元気いいね」

 そう、ケガをして欠場していた子である。

 元気に挨拶をしたら、褒めてくれちゃった。

 まだ腕の包帯は取れないみたいだけど、表情は穏やかで大会後の暗い表情はすっかり飛んでいったようだ。

「今日はどうしたの?」

「ちょっと様子を見にきたの。ケガの具合はどうかなって」

「そんなわざわざ……? 立ち話もなんだから、入ってきてそこに座ってよ」

 体育館に入るとすぐ横に、壁に沿って椅子が三脚ほど並べてあった。

 さらにその横には選手たちのバッグが乱雑に置かれている。

「ケガの具合は、どうなの?」

 改めて問いかけながら、私はなんだかドキドキしていた。まだ話すのが二回目の子がすぐ真横に座っているからだ。こんなに近づいたことはない。

「もうすぐ治るよ。そしたら、大好きなバレーもできるようになる」

 遠くにある向こう側の壁を見るような目で、静かに答えた。

 私はその横顔を二秒間見つめたあと、少し視線を下ろしてみた。

 彼女はユニフォームに着替えていた。ケガで練習ができないはずなのに。

 洗い立てなのか、汚れていないだけなのか、真っ白だ。

 そして胸元に縫い付けられた文字は、斉藤と読めた。

 どうして着替えてるんだろう。自主的に? ……もしかして、厳しいのかな。

「今日みたいに、土日もよく練習してるの?」

 普通に疑問に思ったことが、すごく遠まわしな質問にもなっていた。

「テスト期間を除いて、ほぼ毎週土曜日は練習してるよ。体育館が使えない日は、外で練習するし」

「すごい大変じゃない? せっかくの休みなのに」

「ウチの学校は少し硬いところがあるみたい。硬すぎて、この間の大会は融通がきかなかったみたいだけど」

「あぁ……」

 曖昧に相槌を打つしかなかった。

「宮月さんのバレー部は、土日の練習はしないの?」

「滅多にしないかな。大会間近の追い込み以外は」

「自由度が広そうでうらやましいな……」

 その視線は、体育館の壁を通り越していた気がした。

 やっぱり、自分の意思もあるかもしれないけど、練習できなくてもユニフォームに着替えるのはこのバレー部の規則なのだろう。

「監督は、ケガが治ったらすぐ練習を再開できるように、しっかりリハビリしとけっていうの。キツくて泣けちゃうよ」

「ケガしてるときくらい、無理せず休みたいよね……」

「うん。でも、今回は本当に優勝してみたかったよ。どうしたら優勝できるのって、親や友達や彼氏に聞いてもしょうがないけど聞いた」

「そうなんだ……」

「あ、でもね。私の彼氏は宮月さんの学校の子なの」

「おお? びっくりだ」

「ライバルだといわれているのに、びっくりだよね」

 びっくりしながらうらやましいなと思っていると、バレーの練習の音に混じって呼びかける声が聞こえた。

「おーい、斉藤! ちょっと手を貸してくれ!」

「はい、今行きます!」

 呼ばれたのは、目の前にいる斉藤さんだった。

「ゴメン。監督に呼ばれたからちょっと行ってくる。退屈だったらいつでも帰っていいからね。別に挨拶とかいらないから」

「あ、うん」という返事も背中にかけるしかなかったくらい、斉藤さんは慌てて走っていった。

 あの人が、監督さんか。

 今の会話があったせいか、恨めしく思えてしまった。

 レシーブの練習だろう。順番に構える選手に向かって、監督が台の上から次々とボールを打ち下ろしている。

 斉藤さんは、テンポよく、だが必死にボールを監督に下から投げ渡している。

 あの監督にはあの監督なりのスタイルというものがあるのだろう。

 私たちのバレー部は監督が進路指導の先生だから滅多に練習には顔を出さない。

 対称的なのだ。

 対称的だからこそ、全然違ったもののように見えるのだ。

 まったく異なるスタイルのチーム同士が、まったく同じような成績を残す。おかしくはないけど、不思議に思えた。

 では、優勝したチームは、どんな練習をしているのだろう? そんな疑問も湧いてきた。

「こらあ! ちゃんと処理せんか!!」

 監督の怒号が飛んだ。

 私はこれ以上ここにいて邪魔しちゃ悪いと思い、早々に引き上げることにした。

 ……と、そのときだ。

 細かい振動音が耳に入った。

 はっとなって、足元を見渡す。

 きっと携帯のバイブレーターの音だ。着信か受信かアラームでブルってるんだ。

 光っているのが見えた。

 乱雑に置かれたバッグの群れの中に、振動しながらサブディスプレイを光らせている携帯があった。

 無造作に携帯が置かれたそのバッグには、斉藤という名前が刺繍されている。

 斉藤さんの携帯か!

 といっても何ができるわけでもなかった。

 サブディスプレイには珍しい名前の男の人と思われる登録名が表示されていた。

 さっきいってた、彼氏さんかな?

 ……まあ、勝手に開くわけにもいかないし、知らせることもできないし、あとですぐ気づくだろう。

 私は扉の前で振り返って、一礼して体育館をあとにした。




十一


 ライバル校を訪ねた帰り道で、すれ違った救急車がその学校に向かっているなんて、私はまったく気づいていなかった。

 次の日の日曜日。

 朝食のパンをかじりながら、何気なくテレビのローカルニュースを見ていたとき。

 ある高校のバレー部の生徒が、体育館の床に頭を強く打って病院に運ばれた、というニュースを見た。

 どうしたんだろ、大丈夫かなぁと思って見ていたら。

 なんとその学校はライバル校だった!

 しかも、怪我をした生徒の名前が「斉藤」だったから、私はまさかと思った。

 すぐ学校に問い合わせる。

 病院の場所を教えてもらうと、ダッシュでその病院に向かった。

「あの、失礼します」

 ノックをして病室に入る。

 開け放たれた窓から入り込む風で、薄緑のカーテンがオーロラのように輝きながら揺らいでいた。

 窓際のベッドの端で、白い衣服を着た女の子が座っている。まるで天使のように見えた。

「斉藤さん……」

 私は、初めてその子を名指しで呼んだ。

「あ……。お見舞いに来てくれたの?」

 彼女の姿は痛々しかった。頭にぐるぐると包帯を巻いている。

「うん。怪我は大丈夫なの?」

「たいしたことないよ。一週間もすれば包帯も取れるって、病院の先生がいってた」

 そういって包帯を触る仕草をする。頭以外に怪我をしたところはないようだ。

「でも目が赤いよ? 大丈夫?」

 よく見ると、目が充血している。もしかして泣いてた? そう思うと、胸がきゅっとなって切なくなる。

「ごめんなさい、何でもないから」

 強く否定するほど、そうではないと私は考える。

 この子にとってはもう、踏んだり蹴ったりだ。考えてるだけで私も悲しくなる。

 それにしても、頭を打ったってどうしたんだろう。疑問に思ったことを素直に聞いてみた。

「頭の怪我どうしたの? 床に頭を打ったって……」

「高いところから落ちて、打ちつけた」

「高いところ?」

「うん。ボールが体育館の天井に引っ掛かってね。取ろうと思って、はしごを使って登ってたらバランスを崩して落ちちゃった」

 苦笑いする斉藤さん。私は想像するだけで頭が痛くなりそうだった。

 体育館の天井って、かなりの高さがあるでしょう? あんなところから落ちて、平気なわけがない。きっと体のあちこちにも打撲の跡が残ってるんだよ。かわいそう……。

「そんなに深刻な顔をしなくてもいいから。自分の不手際だし……」

「斉藤さん……」

「お見舞いに来てくれただけですごく嬉しいよ。ありがとう」

「うん。友達だから」

「え?」

 聞き返されて、自分って今なにを口走ってしまったんだろうと後悔した。でも斉藤さんはにこっと笑って、

「そうだね、友達だもんね。宮月さんに何かあったときは、私もすぐに駆けつけるから」

 といってくれた。

 私は笑顔があふれてきた。

 不思議なものだ。つい最近までライバル校の生徒同士で、バレーでしか縁がなかった。それがあれこれあって、こんなにも急接近してしまうのだから。

 心のわだかまりがすっと消えていくようで、もはや脅迫状のことも盗難事件のことも忘れたくなった。




十二


「頭が真っ白になるって、ああいうときをいうんだね」

 週明けの月曜日、昼休みを利用して私は廊下で深雪ちゃんと話をしていた。

 持ちかけた話は、例の盗難事件だ。

 移動教室の授業から教室に戻ってきたとき、カバンに入れてあったお昼のパンが盗まれてなくなっていたのだ。あのときは本当に頭の中が真っ白になった。

「ひどい話だね。他に盗られたものはなかった?」

「うん。パン一個だけだった。隣の席の友達が、弁当少し分けてくれた」

「全然気づかなかった……。水結ちゃんって、いつもお弁当じゃなかった?」

「その日に限ってコンビニだったの」

 軽くため息をつくと同時に、数人の男子生徒がはしゃぎながら私たちの横を疾走していった。いい気なものだ。ついそんな思いがよぎった。

「廊下を走ると危ないのにね」

 深雪ちゃんは別の感想を持ったようだ。

「あ。そうそう、でも不思議なことがあるんだ」

「不思議なこと?」

 私ははっと思い出した。当時、教室は密室状態だったということを。

 入ることはできる。それはクラスメイトの証言によってわかった。

 しかし、鍵を閉めた状態で外へ出ることはまず不可能なのだ。

「なるほど。外へ出てからどうにかして鍵を閉めたとしか考えられないんだ」

 状況を説明してみたが、深雪ちゃんもわからないようだ。

「オカルト染みた現象ね」

「お、オカルト?」

「ほら、幽霊がドアをすり抜けて廊下を横切っていたとか」

「真っ昼間から怖いこといわないでよー」

「ふふ。怖い話は苦手だっけ?」

「想像しちゃうからね」

 怖い話、私は苦手、深雪ちゃんは平気。これも対照的。

「冗談はさておいて。他に変わったことは?」

「ううん。何も。あっ、カーテンが窓に挟まっていたくらい」

「その窓もちゃんと鍵がかかっていた?」

「もちろんだよ」

「……」

「……」

 急に沈黙する深雪ちゃん。やっぱりナニ考えてるのかわからなくなるときがある。

「密室トリックの痕跡ではないよね、それって」

 そして唐突に変なことをいいだす。

「密室トリックぅー? そんなわけないと思うけどなぁ。糸とか使うっていうならわかる気もするけど」

 わずかな隙間に糸を通して外側から鍵をかけるのはドラマやアニメで見たことがある。でも、今回はそんな形跡は見られなかった。

「……その糸の代わりに、カーテンを使ったとしたら?」

「え……」

 このとき私にもなんとなくわかってきた。深雪ちゃんがいわんとしていることを。深雪ちゃんが想像していることを。

「でも、そんなにうまくいくもんなのかな」

「やってられないことはないんじゃない。じゃあ、水結ちゃんは、幽霊と人間のどっちがパンを盗んだと思う?」

「うーん。……人っ」

「オーケー。今度実験してみましょう。密室事件の真相を解き明かすために」

 深雪ちゃんの瞳は、まるで探偵のようだった。



 次の土曜日。

 私は部活用の大きなバッグを持って学校へ出てきた。

 賢い人なら、この時点でふたつのことに「あれっ」て思ったことだと思う。

 そう、普段うちらのバレー部は土日に練習はしないし、私自身も週末はほとんどバイトに精を出している。

 それでも今日、私は部活をしにきた。なぜかというと、また次の大会が近づいてきたからだ。

 今度の大会は市立大会。市内の公立高校だけが参加する割りとローカルな大会だ。

 ローカルといっても、規模は小さくはない。バレーだけではなく、サッカーや卓球や陸上など他の競技もまとめて実施される。そう、市立体育大会だ。

 この大会では、バレー部は私たちの部が優勝候補の筆頭に上がる。実は、先の大会で優勝した学校やライバル校は同じ市内ではないのだ。

 それでも、チーム状況は全然違ってくる。この大会からはもう基本的に三年生は試合に参加しなくなるからだ。

 一年生と二年生だけで戦うので、チームの層の厚さと来年への真価を問われる。

「あ、部長。今日は練習に参加されるんですね」

 体育館に入ってくるや否や、後輩が声をかけてきた。

「うん。大会の前くらいはね。自分もモチベーションを高めていきたいし、チームの状況をしっかり把握しておかないと」

「じゃあ今日のバイトは休み?」

 と、今度は同学年のチームメイト。

「うん。休みにした」

「がんばるねぇ。部活にバイトの両立。しかも飲食店だし。大したもんだよ」

「まあね」

 私はすでに別のことを考え始めていたので、答えが甚だ適当になっていた。

 今日、バイトを休みにして部活の練習に参加した理由がもうひとつあった。というより、学校に出てくる理由、かな。

 昼の休憩時間に、ある人物と待ち合わせの約束をしているのだ……。



 その昼休憩の時間になった。

 持ち込んだお弁当をせっせと平らげて、私は用事と告げて部室を抜け出した。

 携帯を一緒に持ち出して、「今から行くよ」と待ち合わせの相手にメールを送る。

すぐに「了解」と返事が来た。

 校舎の廊下を静かに歩き、階段に差しかかろうとしたところで下から足音が聞こえてきた。

 まもなく、足音の主が姿を見せた。

「深雪ちゃん」

「ああ、水結ちゃんか。びっくりした。誰かと思った」

 そう、待ち合わせていた相手とは、深雪ちゃんのこと。そんなことくらい想像できていたかもしれないけど。

 この相手が恋人だったら学園もののアニメやドラマみたいだね。実際、そうと呼べるような状況でもありそうだけど。

「鍵は借りてこれた?」

「うん。忘れ物を取りに来たといったら貸してくれたよ。怪しまれることもなく」

「よかった。じゃあ早く行こ」

「うん」

 行こうといっても目的地はすぐそこだ。自分たちの教室。

 この間話していた密室トリックの謎。その真相を解き明かそうって魂胆だ。これから検証をおこない、推理に間違いがないか確かめようとしているのだ。

「誰も来ないよね」

「大丈夫。嘘も方便。見つかっても適当に怪しまれない理由を作り上げれば問題ないわ」

 きょろきょろして落ち着かない私とは正反対、深雪ちゃんは至って冷静だった。

 彼女はいついかなるときも冷静に考えて対処できる人だから、ついていて私も安心できるし信頼できる。性格と名前がちゃんと伴っている気がする。

「さあ、検証を始めましょう。カーテンを使って、鍵が閉められるかがわかればいいのよね」

「うん」

 教室の電気はつけない。つけると外部から目立つようになり、何かしていることを目撃されちゃうかもしれないからね。

 私たちは教室の一番後ろの窓際までやってきた。つまり自分の席の場所だ。

「お昼休みもそんなに時間があるわけじゃないから、早く試してみよう」

 手早く、だが慎重に。これは一番難しい組み合わせだ。

「どうやればいいの? 私に手伝えることは?」

 私は焦って聞いた。

 まだ深雪ちゃんの推理を聞いていなかったから、今ここに来て何をすればいいかあたふたしてしまう。

 すると、深雪ちゃんはおもむろに口を開いた。

「クレセント式」

「……くれせんと?」

 深雪ちゃんが何をいっているのかまたわからなかった。

「そう、クレセント。この三日月形の鍵の形状のこと。この締め金具の鍵をクレセント式と呼ぶの」

「へえ、そうなんだ」

「この鍵は取っ手を手前に向かって下から上へ、半円を描くように百八十度回せば締まる仕組みとなっている。でも、実際は百八十度回したら鍵がかかるわけではない。ちょうど九十度くらいの位置から少し引き上げれば、一応鍵はかかるよね」

「アナログだね」

「……」

 私の変わった返答に、深雪ちゃんは苦笑していた。私としては真面目に答えたつもりだったんだけど。間違ってはいないよね?!

「まあ、そんなわけだから、取っ手を九十度に立てた状態にしておいて、カーテンの下の方をその取っ手に引っかけたら仕掛けは完成」

「え、それだけで? あ、そっかぁ。その形を作っておいて、窓を閉めたんだ!」

 ようやく私の脳裏にもピンと来た。

「そう。カーテンの真ん中くらいを、窓の上部にはみ出させた状態で窓を閉める。そうしてカーテンを少し引っ張れば、取っ手は引き上げられるはず」

「すごい! 完璧だよ深雪ちゃん!」

「論より証拠。この同じ状況でできるか、試してみましょう」

「ガッテン!」

 閃きという快感と深雪ちゃんの名推理に感動して、私は妙に興奮してしまった。

「私が外に出てカーテンを引くから、水結ちゃんは中から鍵がかかるか見てて」

「わかった」

 深雪ちゃんが窓の外の通路に出る。

 緊張の一瞬。

「行くよー」という合図とともに、挟まれたカーテンがきつそうに引かれた。

 軽く引っかけた鍵の取っ手からはらりと取れる。カーテンという幕がはがされた取っ手を私は凝視した。

 窓ガラスを通して私の表情をうかがう深雪ちゃん。

「か……かかった!」

 大声を上げそうになり、慌てて声を抑える。

「かかってるよ、ほら、見て、ほら!」

 大喜びで鍵を指し示すが、窓の外からの深雪ちゃんには見えなかった。

 そのまま窓を開けてみようとするが、金具が引っかかっていて開かない。

「ね、ね、ほらね」

「わかったわかった。わかったから早く中に入れて」

 平静さを取り戻して、深雪ちゃんを中に入れたあとですぐにカーテンを元通りに戻しておいた。

「で、どのくらい鍵はかかっていた?」

「えーとね。百二十度くらいかな」

「ふーん。四十五度も動かなかったんだ。実際はどうだったの? あの日は」

「うー。無意識に中途半端にかかっていた鍵をちゃんとしていたかもしれないから、はっきりとはわからない」

「そうか。でも、これで犯人がいるということがはっきりしたでしょ?」

「うんっ。お化けじゃなかったんだっ」

 冗談めかしていって、私たちはすぐ教室を後にして別れた。

 私は再び部活動へ。深雪ちゃんは不審がられないように早々に帰宅するとのこと。

 密室トリックの謎は解けた。あとは、犯人をどう割り出して暴くか。

 だが、このあと急展開で事件の大詰めを迎えるとは、誰も想像していなかった。




十三


 私は部員に怪しまれないように、忍び足で部室まで戻ってきた。

 悪いことしてるわけじゃないけど、見つかると面倒だからやはりはらはらどきどきする。

 更衣室には誰もいなかった。

 ひとまず安心して、持ち出した携帯をバッグに戻そうとすると。

 不審なことに気づいた。

 私ってさっき、ロッカーを開けっぱなしにしたっけ?

 自分のロッカーの戸が、全開になっているのだ。

 急いでいたから、閉めずに出ていったのかもしれない。

 でも……。

 いくらなんでも、全開ってことはないだろう。

 じゃあ、どうして……。

「……」

 嫌な予感がふつふつと湧いてきて、私はすぐにバッグの中身を確かめた。

 ……ない。

 私はふーっと息を吐き出した。

 盗られたものは何も”なかった”。

 でも、まただ。また私が狙われた。

 なんなの、もう! 私に何か恨みでもあるの?

 見えない敵に対して、私は憤りを覚えた。

 ……違う。”私”じゃない。

 よく周りを見てみれば、あっちこっち物色された形跡がある。

 散らかされた掃除道具、横倒しになった椅子。

 更衣室が、何者かに荒らされた……!

 怒りのあとに続いて、蟻走感が襲ってきた。恐怖という冷や汗が背筋をつたう。

 震える手で携帯を操作し、すぐに深雪ちゃんに事の旨を報告した。

「狙われているのは私かもしんない。怖いよ……」

 自分でも気づかぬうちに、私は涙声になっていた。

 相手が見えない不安。何をされるかわからない恐怖。

 周りで立て続けて起きた事件に、私はすっかり弱気になっていた。

 けど、深雪ちゃんは何かにピンと来たようで、冷静に言葉を返してきた。

「大丈夫。落ち着いて。狙っているのはあなたじゃないと思うから」

「……そうなの?」

 数秒おいて。

「バレー部に送られたっていう脅迫状……あれ、まだ持ってる?」

「持ってるけど……」

 心の中に、徐々に深雪ちゃんの推理が浸透していく。

「脅迫状を取り戻そうとしているんじゃないかしら。……証拠隠滅のためにね」

 心の最も奥底に深雪ちゃんの推理が舞い降りたとき、私の思いは戦慄という闇の光に包まれた。



「部長? どこへ行ってたんですか?」

「うん、ちょっとね」

 私は後輩の問いかけに、口をきゅっと結んで答えた。

 あのあと、私は深雪ちゃんに提案を持ちかけられていた。

「あのさ。ちょっと、みんなに相談があるんだ」

 更衣室が荒らされていたんだ、どっち道この件を隠すことはできない。

 だったら、いっそのこと……。

 深雪ちゃんは、携帯越しにこう私に伝えていた――。

「さっき出てくるときは、まだ荒らされてなかったのよね」

「うん」

「それなら、犯人はまだ近くにいるかもしれないね」

「え、でも。怖いよ、返り討ちにあうかもしれないもん」

 耳元に、くすっという息づかいが聞こえた。

「返り討ちってね……心配ないわ。犯人はおそらく、学校関係者。堂々と校舎に入ってきて、更衣室まで忍びこめるんだから、先生か生徒の可能性が高い」

「えー? まさか……」

「で、せっかく犯人が私たちの前に姿を見せようとしているのだから、これを活かさない手はないと思う」

「犯行現場を突き止めて、追及するってわけ?」

「そう。でも、きっと言い訳すると思う。その言い逃れを覆すような証拠がほしいんだけど……」

 私はいい案を思いついた。

「わかったよ、深雪ちゃん。私にいい考えがある」

 ――そして今、これまでにあったことを部員たちに話した。一応、誰か部員が探し物をして荒らしたんじゃないよねと、確認をしてから。

 すると、部員たちはあっさり承諾してくれたのだ。

「わかった。それで犯人が明らかになるなら」

「私も協力する」

「みんなでとっ捕まえて、懲らしめてやりましょう!」

「オー!」

「みんな、ありがとう」

 こうして私たちは、何事もなかったかのように練習を再開した。いつもと違って、緊張感が漂う中で。

 やがて、そのときが来た。

「連絡が来たよ!」

 コートの外で待機していたひとりが、携帯を手にみんなに呼びかける。

「行くよ!」

 私たちは手にしたボールを放り投げ、宙に浮いていたボールをも無視し、一瞬で練習と中断させて一気に駈け出した。

 更衣室のもとへ。

 連絡を送ってくれたのは、更衣室の近くで隠れながら見張っていた先輩だ。不審人物が現れたら、連絡を送るよう打ち合わせてあったのだ。

 ついに現れたか犯人、絶対に捕まえてやるんだ!




十四


 練習を放り出して、体育館から更衣室へ雪崩れこんだ私たちバレー部一同。

 そこには、ひとり更衣室を見張っていてくれた先輩が立っていた。

「先輩、怪しい奴は?!」

「ごめんなさい、逃がした。私が出てくる前に、気配を感じたみたいで慌てて出ていったよ」

「追いかける! 犯人の容姿は?」

「ウチの学校の男性生徒だった。知らない子だったけど」

 やっぱり、深雪ちゃんのいったとおりだった。

「アレは?」

「引っかかってくれたよ」

 条件はそろった。あとは、証拠を握っているうちに捕まえることだ。

「手分けして捜しましょう! 一年生は正門と東門を固めて、男子生徒だったら誰一人外に出さないで。二年生はA棟近辺を捜して。三年生はB棟を見てくるから。でも決してひとりでは行動しないこと!」

 先輩がてきぱきと指示を出す。この的確な判断と早さは私の憧れと目標。まだまだ先輩には叶わないと自覚する瞬間であった。

 私は二年生のグループに混ざって移動しながら、携帯で深雪ちゃんに連絡した。

「犯人が、さっき、更衣室に来たよ。今、学校のどこかに、いるはずなの!」

 廊下を走りながら、途切れ途切れに状況を伝える。

 でも深雪ちゃんは、相変わらず落ち着いた様子で事態を先読みしていた。

「わかってる。さっき、体育館のほうからドタドタドタって大勢の人が一気に走る音が聞こえてきたから。今、一階のげた箱を順番にまわってるところ。もしかしたら、スリッパに履き替えないで靴下のままそっちに行ったのかもしれないけどね」

「そう、なんだ。私たちも、手分けして、捜してるとこだから」

「あ、ちょっと待って」

「え、なに?」

 のんびりした口調から一転、急いだ口調。思わず私もその場で立ち止まった。

「二年生のげた箱で、ひとつ開けっ放しのがある。しかも、これ……」

「どうしたの? 何かあったの?」

 急に声が聞こえなくなって、心配になって、深雪ちゃんを何度も呼んだ。

「今、ちらっと後姿を見た。手ぶらの男子生徒を。そりゃそうよね、部活じゃないんだから。荷物なんていらないものね」

「深雪ちゃん、今どこ?」

「私たち二年生のげた箱の近く。そこから東門に向かってる。尾行するから、あなたもすぐに来て」

「ええ? 私、今まったく逆の方向に向かってたよ。どうしよう……」

「だったら、一度正門を出て、外まわりをぐるっとまわってきなさい。ひとりで来るのよ」

「どうしてみんなとじゃダメなの?」

「人が多いと気づかれやすいから。それに、あまり大事にしたくないの。犯人のためにもね」

「……わかった」

 私は一緒に行動していた同級生に事態を説明し、単独で行動させてもらうことにした。

「水結ちゃん、気をつけて」

「うん、じゃあ行ってくる」

 まず私はげた箱で外履きに履き替えたのだが。

 そこでさっきの深雪ちゃんの言葉が気になって、問題のげた箱を探してみた。

 開けっ放しになっていたという。

 それは目立つからすぐに見つかった。

 こっそり中をのぞいてみる。

 当然のようにスリッパが入れてあり、そこには男子の名前が書かれていた。

「鮎川誠之助」

 最近ではあまり見かけない名前。

 はて、どこかで見たか聞いたことがあるような名前だな。

 でも、今は悠長にそんなことを考えてる場合じゃない。私は急いで敷地の外をまわって東門へと向かって走った。

 学校の南側は並木道のように木が立ち並んでいる。木々の葉っぱがざわめく中を私は駆けていく。

 息を切らしながら、やっと東門へ着いた。

 門の外側の壁からそっと敷地内をのぞいてみる。

 そうしたらなんと……!

 深雪ちゃんのいってた、手ぶらの男子生徒がちょうど東門から出てこようとするところだったのだ。

 さらに状況は急展開で進む。

 男子生徒は私の存在に気づいてしまったのだ。

「あっ」と声を出したかと思うと、すごい勢いで振り返って走り出そうとする。

 何かいおうか無言で追いかけようか困ったそのとき。

 はたと男子生徒が立ち止まった。

 彼の目の前に、深雪ちゃんが立ちふさがったのだ。

「ちょっと話を聞かせてくれる?」

 深雪ちゃんは静かに声をかける。

「な、なんだ君たちは」

「”たち”? たちって、誰?」

「え、だって、君たちはいつも……」

「そう、友達。よく知ってたね。でも、私と水結ちゃんが鉢合わせだったとしたら?」

「あ、う……」

 いきなり深雪ちゃんの罠に引っかかった男子生徒は、言葉を詰まらせて口の中でもごもごいっていた。

 とっさの機転を活かした深雪ちゃんに感心していると、ポケットの中が振動した。携帯だ。

 バレー部の仲間からだった。件名なしで、「その人で間違いないよ!」と書かれている。

 すぐにわかった。その子はたぶん、校舎のどこからかここを見ているのだろう。

 私は携帯を打ちながら、深雪ちゃんに声をかけた。

「この人で間違いないってさ」

 そして携帯は、「あとは私たちに任せてみんな戻って」と返信メールを出す。

 犯人はやはり近い存在だった。同じ学校で、なおかつ同じ学年だったら、なるほど、私がバレー部の部長だと知っていてもおかしくない。

 深雪ちゃんは私の言葉をキャッチすると、男子生徒に問いかけた。

「じゃあ、ちょっとその右ポケットに入れてあるものを見せてもらってもいい?」

「なんだよ、急に。何も入ってないよ」

「さっきから何度も、大事なものを入れてあるように触ってたじゃない」

「俺のこと、つけてたのか!」

「最初からね」

 最初からって、なんだ? と思った。深雪ちゃんが発見して尾行したのは、途中からじゃなかったっけ。

 しかし、この嘘は深雪ちゃんの作戦だった。

 最初から、つまり盗むところから見ていた、と錯覚させるためだったのだ。見られていたのなら仕方がない、と相手は思うはずだからね。

 そう、この男子生徒は盗んでいたのだ。私のバッグから、あるものを……。

「確かにポケットには大事なものが入っている。でも、これは人に見せられない大事なものだ。君たちには見せられない」

「確認したいことがあるの。すぐに返す。お願いだから、見せてくれない?」

「いやだ、プライバシーの侵害だ」

 困ったことが起こると、やたらと法律の名前を行使したがる子って、いるものよね。

「最初から見ていたっていうのは、嘘なんだな。そこまでして人のポケットの中を探りたいか。いやらしい奴らだ」

 この言葉にはちょっとムカッと来た。自分のしたことを棚に上げてる。

 怒り心頭に発して吠えだそうとしたが、深雪ちゃんはあくまで冷静に追及していく。

「じゃあ、ポケットの中身を当ててあげましょうか。それはあなたが人のカバンから盗んだもの」

「盗んだって、人聞きの悪い……」

「でも、もしそれが本当なら大変な問題じゃない? あなたが潔白を証明してくれたら、ちゃんと私たち謝るから」

「……しょうがないな」

 男子は渋々といった様子で、ポケットの中身を取り出した。一枚の紙きれを。

「ほら、別に盗んだわけじゃなかっただろ? これは落ちていたものを拾ったものだ。そういうわけだから、じゃあな」

 わざとらしく肩をすくめて、男子は歩き始めて私の横を通り過ぎようとする。

 でも。そうはさせない。

「ちょっと待って。あなたの持っているものが、これだったら問題じゃない?」

 私も同じようにポケットから一枚の紙きれを取り出した。そして相手の目の前に掲げる。

 男子は明らかに動揺した。

 私が手に持っているもの。それはバレー部部長宛てに書かれた、あの脅迫状だ。

「な、なんだいそれは。なんだか危ないことが書かれているようだが」

「残念でした。それはさっき私がとったコピー。本物はこっち。いくら破いても燃やしても意味ないよ?」

 男子は茫然として声が出ない。

 その隙を狙って、背後から深雪ちゃんがコピー用紙を奪い取る。

 これが動かぬ証拠ってやつだ。

「な、なにすんだ!」

「もう観念なさい。先生にもいわずに事を済まそうとしているんだから」

 それを聞くと、ようやく反発する意思をなくしたようだ。男子はがっくりとうなだれる。

「大丈夫。あなたがちゃんと謝って二度とこんなことしないなら、誰にも話したりはしないから。でも、なんでこんなマネを?」

「……」

 男子は黙して答えない。

 そのことについては、私には察しがついていた。

「ケガをした、ライバル校のあの子のためだったんじゃないの?」

「う」

「すごく悩んでいたみたいだからね、あの子。何とかしてあげたかったんだろうね。でも、悪いけどそれは逆効果。そんなことしたって誰も喜ばないよ。むしろ、悲しむでしょうね」

「……」

「知ったら悲しむよ。友達を悲しませることしたら、私だって許さないから」

 語気を強めて、キッと相手を睨む。

「なにをいって……。この学校に友達がいるなんて聞いてないぞ」

「友達になったの。つい最近に」

「でも、それでどうして俺と関わりがあると……?」

「それは秘密。まったく、本当に大事にならなくてよかったよ。感情に流されないで、ちゃんと後先考えて行動してよね。パンを盗んだのもあなたなんじゃないの、誠之助君?」

「……すみませんでした」

 男子はきちんと謝り、そして自分がしたこともすべて白状した。

 パンを盗んだ理由については、空いた教室に侵入して脅迫状を奪い返そうとしたが見つからず、荒らしておいて何も盗らないのも怪しまれると思ったからだそうだ。なんとも軽率な考えだ。

 相手の意思を確認したら、私たち三人は一度学校を出て近くの公園に移動した。

「はい。じゃあ、あなた自身の手で燃やしてしまって」

 脅迫状とそのコピー、そしてマッチを手渡す。

 マッチは深雪ちゃんが偶然にも持っていてくれた。なぜこんなものを持っていたのかは謎だけど。

「俺がやるのか?」

「女の子に火を取り扱わせる気? 自分でしたことなんだから、けじめをつけるためにも自分の手で消してしまったほうがいいよ」

「わかった。それじゃあ……」

 男子はマッチに火をつけ、二枚の脅迫状を灰にしたのだった。




十五


 男子こと鮎川誠之助君はそのまま帰路につき、私と深雪ちゃんは再び学校に戻ってきた。

「でも、よく動機までわかったね」

 深雪ちゃんが聞く。

「この前、ライバル校を訪ねてケガをしたバレー部の子に会ったとき、その子の携帯に男の子の名前でメールが届いたのを偶然見ちゃったんだ」

「それがさっきの子だったの」

「うん。あまり見かけない名前だったからインパクトが強くて。だからその子とつながりがあるんじゃないかなあとわかったんだ」

 そのふたりが付き合っているらしいということは、ここでは明かさないでおこうと思った。

「そっか。さすがにそこまでは調査しきれなかった」

「今回は深雪ちゃんにお世話になりっぱなしだったよ。本当に、密室の謎を解いてくれたこととか。でも今となってはあんまり関係なかったけど」

「水結ちゃんがヒントのトスを上げてくれたから、私が謎解きのスパイクを打てただけよ」

 うまいことをいう。

「でも、いい経験になったよ! 探偵みたいでさ。深雪ちゃんはさすが、そっちの道を目指そうとしてる人だなぁって思った」

「水結ちゃんも一緒に目指す?」

「え……」

 前までなら冗談いわないでって即答で断っていただろう。しかし、NOというのを一瞬ためらった自分がいることに気づいた。

「ごめんごめん。水結ちゃんにはバレーがあるもんね。今度の大会、がんばってね。次はちゃんと応援席に座って観戦するから」

「う、うん。ありがとう」

 バレーとバイトに精を出して突き進みたいのも本当の気持ちだ。

「でも、いるらしいよ、本当に。高校生探偵みたいな人が。そういう噂を聞いたことがある」

「そうなの?」

「私たちよりひとつ年下の男の子。スバ抜けた洞察力と推理力を持ち、いくつかの事件を解決に導いているっていう噂を」

「その子の名前は?」

「江で始まったような……。黄河だったか、長江だったか。ん、忘れた」

「ふうん」

 自分の本当の夢って何だろうって、改めて疑問に思った。

 ま、ゆっくり考えればいいか。

 とりあえず今は脅迫事件が無事に解決されたことを心から喜べた。



「広田けい」検索にて、別シリーズもあります。

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