幕末の人斬り魔女
月明かり一つない深夜。
夜の闇に包まれた京の街に、悲痛な絶叫が迸る。
「ぎゃああああーーーー!」
「やっ、やめてくれ! 助けてくれ!」
「ああ……痛い……痛い……」
「貴様ああああーーーー!!」
悲鳴を上げるのは、青と白の衣を身に纏い、刀を構えた侍達。
見るものが見れば、彼らを新選組と呼ぶだろう。
あるいは幕府の犬と。
集団で一人を潰す戦い方を得意とし、幕府に仇なす者を容赦なく襲い、犯罪者や攘夷志士に鬼の如く恐れられる彼らは今、──たった一人の人斬りを相手に、地獄を見ていた。
腕を斬り落とされた者、脚を斬り落とされた者、喉を貫かれた者、首から上を斬り飛ばされた者。
四肢全てを斬られた者もいれば、必要以上に滅多斬りにされた者もいる。
悲鳴が響き、屍が積み上がり、すぐ近くにまで近づいた『死』の気配に、生者は恐怖に身を震わせる。
──しかし、ただ一人、この地獄を生み出した者だけは、全く別の意味で身を震わせていた。
「ああ……素敵。死を身近に感じるわ。とっても近くにいる。すぐそこにいる。手が届きそうな所にいる。とっても素敵。ねえ、あなたもそう思わない?」
「ぎゃああああーーーー!!」
この地獄を生み出した化物は、恍惚とした表情で、怪しい色気を醸し出しながら、足元に転がったボロ雑巾のような男を刀で斬りつける。
そして、その悲鳴を聞いて、「ゾクゾクしちゃう」と呟き、興奮したように身を震わせた。
その化物は、少女のような姿をしていた。
着飾れば可憐な乙女となるであろう美貌を持ちながら、男物の着物に身を包み、似合わない刀を手に持っている。
胸にはさらしを巻いているのか、女性的な膨らみはなく、本人は男装しているつもりなのだろう。
実際、その言葉使いさえなければ、ギリギリ少年剣士に見えない事もない。
──たが今は、その可憐な身体にいくつもの刀傷を作り、それ以上の夥しい返り血を浴びて微笑んでいる。
その、もののけか何かにしか見えないおぞましさが、せっかくの美しい容姿を台無しにしていた。
「『魔女』……! 化物めぇ……!」
少女の足元に転がった男の一人が、少女をそう呼びながら、殺意と憤怒に満ちた視線を向ける。
男の名は『沖田総司』。
新選組一番組組長にして、新選組最強と名高い天才剣士。
これまで何人もの逆賊を斬り、自信と勢いに満ちた、若き怪物。
そんな天才剣士も、他の隊士達と同じように血に塗れて地面に倒れている。
『魔女』と呼ばれた少女に挑み、歯牙にもかけられず、一撃で斬られたのだ。
彼女に手傷を負わせたのは、連携して数の暴力に訴えた者達であり、自分の力を過信して一人で斬りかかった沖田は、そこらの雑魚のように斬られ、不様に地に転がった。
今だって、『魔女』は沖田になど興味も抱かず、他の隊士相手に殺戮を繰り返していた。
彼には何もできない。
『魔女』を狩るには力が足りない。
力が足りない彼は、ここで死ぬ。
──たが、運は彼に、彼らに味方した。
「総司! 無事か!?」
沖田の名を呼びながら駆けつけてきたのは、彼の上司、新選組副長『土方歳三』。
彼は数多くの援軍を引き連れて来た。
それでも、『魔女』を討ち取るのは容易ではないだろう。
──何故なら、
「ああ、とっても素敵! 『死』が見える! はっきり見える! ああ! あなたはそこに、そこにいるのね!」
これだけの戦力を前にしても、『魔女』は嬉しそうに、楽しそうにはしゃいでいるのだから。
狂っている。
壊れている。
タガが外れて暴走している。
恐ろしい。
おぞましい。
化物。
怪物。
彼女を見た者は、そんな感想を抱く。
彼女に斬られる者も、それを依頼する者も、偶然見てしまっただけの者も、全て。
理解不能の『魔女』は人間ではない。
誰にも理解できない者が人間である筈がない。
「さあ、楽しませてね!」
そうして、『魔女』による殺戮が始まった……。
◆◆◆
「と、そんな事がありました」
「……君はまたそのような勝手な事を。新選組の殲滅など依頼した覚えはないぞ」
「仕方がないのですよ。私は死が近くに居てくれないと、生きていけないのですから。彼らは私の生を支える尊い犠牲であり、礎なのです」
「分かっているとも。君の事が理解できないのはいつもの事だ」
全身血塗れで戻って来た『魔女』と呼ばれる少女、『千』から事情を聞き出した男は、深く溜め息を吐いた。
元々は孤児だった千。
足がつかなくて便利な、使い捨ての駒として拾って来た少女だった。
それがいつの間にか『魔女』と呼ばれる人斬り、死の化身として恐れられる存在になっていた。
その壊れっぷりに、育ての親たる男も恐怖し、始末しようとした事は何度もある。
たが、無駄だった。
刺客を差し向けようとも、その全てを切り刻まれた。
ならばと、高名な剣豪や、強力な護衛に守られた人物などの暗殺を指示し、返り討ちに合う事を期待してみても、その全てを殺害。
そして、何食わぬ顔で帰って来るのだ。
男は気が気ではなかった。
自分の思惑など分かっているだろうに、普通の顔して次の指示を待ち、待ちきれなければ適当な獲物を仕留めて来る。
まるで死神にでもとり憑かれた気分だ。
男に出来る事は、死神の鎌ならぬ、『魔女』の刀の切っ先が自分に向かないように、生け贄を捧げ続ける事しかない。
でなければ、今度は自分が斬られる。
苦しみの果てに、地獄へと落とされるだろう。
「……次の標的は、土佐藩士『坂本龍馬』だ。居場所はここ、京の都のどこか。探して斬れ」
「ふふ。分かりました。ゾクゾクしちゃう」
「もう良い。下がれ」
「はーい」
軽い足取りで部屋を出て行く千を見やり、男は恐怖に身体を震わせた。
それを押し殺すように呼吸を整え、死臭にまみれた『魔女』の事を、頭の片隅に必死で追いやった。
◆◆◆
「龍馬~♪ 龍馬~♪ さっかもっとりょうま~♪」
暗殺対象の名前で鼻歌を歌いながら、千は京の街を歩く。
その身体には、先日、新選組と死闘を繰り広げた証である生傷が大量に生じている筈なのだが、それを気にする様子は一切なく、千はとっても上機嫌だ。
千は殺すのが好きな訳でもなく、闘うのが好きな訳でもない。
『死』だって勿論、怖い。
他人からは、殺戮大好きな鬼のように思われる千だが、実際はそんな事ないのだ。
──しかし、千が狂っている事に変わりはない。
千は幼い頃、母親を辻斬りに斬られて亡くしている。
母一人子一人の家庭で育った幼い千にとって、母は世界の全てであり、絶対の神にも等しい存在だった。
母は、その身に死が訪れる日の朝まで、普通に笑っていた。
自分が今日死ぬなんて、欠片も思っていなかったに違いない。
それは、千も同じ。
優しい母に、何の前触れもなく『死』が襲いかかるとは、夢にも思わなかった。
──そうして、千は『死』を過剰に恐れるようになった。
直前まで何の予兆もなく、感知不能の闇の中から、唐突に襲って来る『死』が、怖くて怖くてたまらなかった。
だから、千は『死』に近づく事を望む。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉がある。
昔、お化けが怖くて、一人で厠に行けなかった千に、母が教えてくれた諺。
恐ろしいお化けも、その正体が分かってしまえば怖くないという意味だ。
見えない『死』は恐ろしい。
だからこそ、目を逸らしてはいけない。
『死』の近くで、『死』を見て、『死』を感じ、『死』の正体を掴む。
そのためには闇の中に落ちなければならない。
平穏という光の中にいるからこそ、闇に潜む『死』が見えないのだ。
『死』を見つける為には、『死』のいる闇の中で、闇を見通す眼と『死』を感じ取る感覚を磨かなければならない。
千にとって『死』とは、大好きな母を殺したお化けだ。
ならば、正体が分かってしまえば怖くない。
『死』の正体を掴み、それを打ち破る事で、千は母の仇を討つ事が出来る。
先日は、千を殺そうとして新選組に取り憑いた、とても強大な『死』を退治する事が出来たので、千はご機嫌なのだ。
千は人を斬り続けた。
『死』に近づく為に、『死』をばらまいて。
そうする内に『魔女』と呼ばれ、
──いつしか『死』そのものとなった。
これからも千は人を斬り続ける。
己を襲う『死』を切り裂き、代わりに他の者達を『死』に至らしめ、屍の山を築きながら。
「~♪ ~♪ ~♪」
これは、決して歴史に残らない、残してはいけない、一人の少女の話。
一人の人斬りの話。
一人の化物の話。
「~♪ ~♪ ~♪」
『魔女』の鼻歌が、京の街に消えてゆく。
何も知らなければ可憐な少女の歌声に、
全てを知る者には『死神』の歌う、呪いの歌に聞こえる事だろう……。