鍛冶師の村(1)
窓辺から差し込む朝日がいつもより眩しく感じられる。小鳥の鳴き声に釣られて目を覚ますと頭が重く、体を起こすのにいつもより時間がかかった。生まれたままの姿のリュウフォンが隣にいるのはいつものこととして、部屋の中を見回すと普段寝起きしている離れではなくリュウ家母屋の客間であることに気が付いた。それしても、日が昇り切ってもういい時間のはずだ。この五年間ずっと途切れることなく、続けた来た遠駆けも今日は休まねばならないだろうか。それ以前に、なぜ自分がここに寝ていたのかはっきりと思い出せない。
昨日は確かふもとの町に出かけていたはずだが……。
寝すぎたせいか、まだぼんやりとした頭の中を整理しようとしたが考えがうまくまとまらない。外に出て、水で顔を洗おうと寝床の端に足を下ろした。その時、リュウレイの背後でリュウフォンがかわいい欠伸をしながら、目を覚ました。そのままの姿勢でゆっくり背伸びした彼女は、リュウレイの方を見ると安心した様子で声をかけてきた。
「おはよう、昨日は大変だったね。私、リュウレイの看病してたらそのまま寝ちゃったみたい。体の方は大丈夫?」
「いや、寝すぎで頭がぼーっとしてる以外は大丈夫だと思うけど。昨日何があったんだ? 私たち、確かふもとの町で買い物とかしてたはずだよな?」
「何があったか、覚えてないの?」
驚いた様子のフォンはしきりに大丈夫かなと繰り返している。そんな彼女を見ているこっちの方が不安になる。これはまた、あの義母が絡んでいるような気がしてきた。それなら、何も覚えていないのもうなずける気がする。
「また義母さんに負けたのか、私?」
「うん、すごい頭突きを食らって、のびちゃった。私がいくら声をかけても起きないし、レイが死んじゃうってあの時はすごく不安だった」
「……いつか地獄に落ちるぞ、あのクソババア」
決してあり得ないことを願望を込めて言い放つ。それほど、義母のリュウメイには痛い目に遭わされてきた。考えてみれば、リュウレイが彼女から教えられたのは人の殴り方とケンカの仕方くらいなものだ。それが鍛冶師にとって何の役に立つんだと問い詰めてやりたい気分だった。
「ちょっと、見せてみて」
フォンが起き上がり、リュウレイの頭にそっと触れた。触られた部分が鈍く痛み、リュウレイは顔をしかめる。それほど腫れてはいないようだが、まだ微熱はあるようだ。リュウフォンは近くの台に置かれた盥の水に、布を浸してリュウレイの額に当ててくれた。
ひんやりとした感覚とともに少しはましになった気がする。
気が付けば、二人とも何も身に着けていない。フォンの方を見ると仕方ないよとばかりに微笑んだ。
「なんだか、安心したらお腹が空いてきたな。義姉さんは農園の方に行ってるのかな」
「うん、多分そうだと思うよ。リュウオウたちも一緒に行くって言っていたから。台所に行けば何かあると思うけど……」
あの貪欲で食べることが何より大好きな義姉とその子供たちのこと、そこに義母が加われば、リュウレイの分など残っていそうもないが。実姉のリュウシュンと食材を確保するために奔走した幼い頃のことが思い出されて、なぜかとても懐かしかった。もうかれこれ5年以上前のことになる。懐かしくなるのも当然だった。
するとフォンがこちらの顔を覗き込んできた。
「どうかしたの、レイなんだかうれしそう」
「ん、そうか? 顔に出てたかな。チビたち、リュウオウが生まれる前のことを思い出してたんだ。あの頃は大変だったからな――」
「それって……私がこの村に来る前のこと?」
フォンにしては珍しくためらいがちに質問してくるのが気になったが、そうだと答えた。
「そうなんだ、私がまだ王都にいた頃だもんね……」
「ああ、そうだな。フォンがこっちに来たのはその少し後だったもんな。あの頃のフォンはシュンになついてたな」
あまり好きではない、シュンに関する余分な記憶まで掘り起こしてしまい、少し落ち込む。当時から、食堂で手伝いをしていた姉のリュウシュンは余りものを持ってきては義姉やリュウフォンに振舞っていた。一方のリュウレイといえば、鍛冶師としては駆け出しもいいところで母に鍛冶師は体が資本だとか何とか言われて、ひたすら体を鍛えていた。工房の手伝いも下働きばかりで密かに涙を流すことも多かったと記憶している。もっとも、そのころの出鱈目な修行の成果もあって今では人一倍頑丈な肉体を持つに至った。その分、人として女として失ったものの方が多かった気もするが、それは隣のリュウフォンを愛でることで補っているので問題ないと自分では思っている。
……そっちの方が人として終わってないか?
い、いや、まだ嫁にも行ってない義母もいるし、私はまだ17だ。まだ大丈夫、そのうち嫁の貰い手もいるはずだ。そう自分を無理やり納得させていると、隣のフォンが静かにしているのに気が付いた。
どこか、ぼんやりとしている彼女のことが気になり、声をかける。
「おい、フォン! どうかしたのか!!」
「あ、な、何でもないよ! ちょっと私も昔のことを思い出しただけ!」
慌てて、顔を上げるリュウフォンだったがいつもの元気がないように思えた。また余計なことを言ったかな。そうしたところに配慮が欠けると自分でも反省することが多いリュウレイがフォンを元気づけるにはどうしたらいいか、考え始めたとき部屋の戸が勢いよく開かれた。入ってきたのは、二人のまだ幼い子供たちだった。
「レイ! フォン! もう起きた――!?」
「起きた――……?」
元気でやんちゃな上のリュウオウとまだ少し舌足らずな妹のリュウサン。リュウゲンの孫で義母リュウメイの自慢の甥っ子たちだ。無論、リュウレイとリュウフォンも二人のことをよくかわいがっている。何より、素直でとてもいい子たちだった。傲慢で気の強い義姉のことはとても思えないくらいにかわいい。リュウレイが抱き着いてきたリュウオウを膝の上にのせて、その頭を撫でてやるとくすぐったそうにしていた。
「お――、二人とも来たか――! 昨日は、留守にしてごめんな。大先生も二人のことを気にしてたからな。また今度村に来たときは遊んでもらおうな」
「うん、僕じいちゃんのこと大好き! ねえ、レイ! 約束のこと覚えてる?」
リュウオウが言う約束とは、裏の森で暇なときに魚釣りを教えるといったことだ。密かに釣りに使う釣竿もフォンと一緒に用意してある。
「サンも一緒に行きたい――!」
フォンに抱かれたリュウサンもリュウレイの方に声を上げた。もちろん最初から二人を連れていくつもりだ。サンの頭を撫でながら、笑いかける。
「ハハハ、わかったわかった。それじゃ、着替えてから出かけるとするか」
リュウオウが膝の上から飛び降りた後、リュウレイは立ち上がって近くの机に折りたたまれていた自分の服に袖を通す。リュウフォンも、風を使い自分用の長い布を器用にシュルシュルと身体に巻き付けていく。何度見ても便利なものだと思いながら、子供たちを連れて外に出ようとしたその時、リュウレイのお腹が大きな音を立てた。
「……ふふ、レイお腹空いてるんだね」
「……まあな」
恐らく、昨日の昼から何も食べていないのだから当たり前なのだが、それをフォンやチビたちの前で披露することになろうとは。我ながら情けなくなる。
「ふふ、昨日私が買ったお菓子があるからそれをお弁当代わりにしようか」
「ああ、頼む。とりあえずに何か腹に入れたい」
懇願する様子のリュウレイにフォンはいいよと笑う。それからリュウサンを抱っこしたリュウフォンを先頭に部屋を出たリュウレイたちは二階建ての母屋の一階にある居間で準備を整えてから外に出た。
義姉は村人と何か話があるらしく、リュウオウたちを連れて出かけることだけ伝えておいた。
天気は今日も快晴で、いい釣り日和になりそうだ。はしゃぐ子供たちに手をひかれながら、リュウレイはリュウフォンと一緒にその後を追いかけた。