ふもとの町(3)
昼下がりの午後、食料品を主に扱う市場の中心部にある大食堂街にリュウレイたちの姿があった。この町で一番人々が集まるにぎやかな商店街の一つで、大きな石造りの屋根を持つ建物の中に大小数十の酒場や食堂が軒を連ね、通りには多くの食卓が並び好きなところで好きな食べ物を食べるたり飲んだりすることができた。
大陸中原の北方、大きな山塊に隔てられたこの地には古くから多くの産業が興り、領主たちはこぞってその発展に尽力した。その中でも特に鍛冶を中心とする、鉱業や酒やその他の名産品は屈指の生産を誇り、今に続いている。
その中で、鍛冶師の道を選んだリュウレイの心中は穏やかならざるところにあった。
「うーん……、なんだか納得がいかないな……」
渋面で腕組みをした黒髪黒眼、短髪の少女リュウレイは食堂に来てから、同じことを繰り返し呟いていた。その横では薄い布を体に纏っただけの緑髪緑眼の少女、リュウフォンが好きなお菓子や食べ物をありったけ頼み、お好みの甘めの果実酒を楽しみながらリュウレイの愚痴に耳を傾けていた。
「あ、これおいしい! こっちは新作だね、お味の方は……ん! 最高!! 私的にはもう最高傑作ぅっ!!」
頬に手を寄せて年甲斐もなく足をばたつかせるリュウフォンの姿に流石のリュウレイも深いため息をついた。人が悩んでいるそばでこれだ。
この市場の近くにある商人組合の取引所に納品していた時も、知り合いの女性職員たちと楽しくお茶をしていたし、そのままリュウフォンのお父さんこと、リュウ家の先々代にして大先生の元締めリュウゲンのところで品定めをしてもらった時もこうだ。止めに、この北の地の復興と統治を司る領主連合の盟主にして、このふもとの町周辺の治める若き領主にお目通りした時も謁見の挨拶を口上として日頃の篤い援助の礼をリュウ家の女当主である義姉に代わり、日ごろとは打って変わってまじめな口調でリュウレイが話すその横で、普段から親しくしている領主家臣の女性たちと楽しく歓談していた。さすがにリュウレイが爆発しそうになるのを、領主様がお褒めの言葉とともに止めてくれなければ、どうなっていたことか。
しかも、許せないことはまだ他にもある。人一倍率先して体を動かして、納品を終えたリュウレイには商人組合からいつも、お駄賃が支払われる。金貨で支払われるそれはリュウレイにとっては一番の収入源だ。
「どうも、ご苦労様! いつも助かるよ!!」
「いや――、こっちも仕事ですから! 喜んでもらえて光栄です!」
満面の笑みで、差し出された金貨の入った布袋をリュウレイが両手で受け取ろうとすると横から伸びた手がそれをさっと奪い取ってしまった。突然のことに、リュウレイが驚き怒りをあらわすると、上空に逃げ去る影があった。素早く手の届かない高さまで浮かび上がったリュウフォンにリュウレイは舌打ちする。
「おい、どういうつもりだフォン!」
リュウレイが怒鳴ると、右手に布袋を持ったフォンはそれを軽く振りながら笑顔で答えた。
「だってこれが私のお仕事だもん、シュンに代わって毎度あり」
「お前ら、裏でつるんでやがったのか――!」
今朝方、妙に機嫌よく見送りの村人の中にいた実の姉、リュウシュンの笑顔を思い出してリュウレイが頭を抱えて絶叫すると、リュウフォンは布袋を自分の胸の谷間に押し込んでしまった。それを見たリュウレイがさらに大きな声で絶叫する。
「お前、人前でそんなものをそんなところに仕舞うな――!! とりあえず、怒らないから降りて来い、今すぐに!!!」
「……本当に怒らない? いきなり取り返そうとしない??」
「本当だよ……!」
いまいち信用できない様子のフォンはそれでも素直に下に降りてきた。レイにとって、フォンは弱点そのものだ。あまり強くは出られないし、彼女とケンカをしても大抵はレイの方が折れる形でフォンが機嫌を直す。それだけ、リュウレイにリュウフォンが甘えている形だが、誰よりも彼女を大切に思うレイにとってそれは誇らしくもありまたくすぐったいことでもあった。
先ほどの騒ぎで、衆目を集めたリュウレイは人気のないところまでリュウフォンを引っ張っていくと、咳ばらいを一つした後お説教を始めた。
「お前な、人前であまり目立つことするなって言ってるだろ? ただでさえ、こっちは人が多いんだからな! そ、それにだ……」
言い淀むリュウレイの方を首をかしげながら、見守るリュウフォン。リュウレイの視線は白い布に包まれたその自己主張の強い胸元に注がれていた。それに気が付いたリュウフォンは胸元を両手で隠しながら半身の体制でリュウレイを軽く睨みつけた。
「いくら、レイでもこれは返さないよ? 私にも約束があるんだから」
こちらが言わんとすることがまるきり伝わっていない。リュウレイは気を取り直して、リュウレイの胸を指さして、言った。
「あのなあ! 私が言いたいのはそんなことじゃないんだよ!! 人の手垢に塗れた金をお前の柔肌に触れさせんなって言ってんの! あとで鞄を買ってやるから、それに入れとけ! わかったな?」
「……本当にそれだけ?」
「本当だよ! 全く……」
こちらをうかがうように問いかけるリュウフォンにリュウレイは乱暴に頷いた。どれだけ信用がないんだと、半ば怒りの大半は血を分けた実の姉に向けられていた。
リュウレイがここまで怒るにはそれなりに理由がある。この地に来るまで、特殊な生い立ちを過ごしたリュウフォンは日常的な常識をまるきり持ち合わせていない。それは金銭感覚にも言えることで、リュウレイがついていないともらったお小遣いの全てをその日のうちに使い果たしてしまう、計画性の無さも厄介なことだった。
以来、ふもとの町に来るときはリュウレイのお金で好きなものを買ってやることにしている。リュウフォンは村での風詠みや天候の先読み、動物による農作物への被害を防いだりとそれなりに仕事をこなしているものの、それらが直接収入に結び付くかといえば、微妙なところだ。あくまで村にいるときのリュウフォンはリュウ家の養女。それも村の長を務める義姉のお手伝いといったところだ。
ちなみに、この町の領主は義姉の姪に当たる。年は一つか二つ違うそうだが、義姉の一番上の姉君の末娘が領主様ということになる。年が近い叔母と姪は顔を合わせる度に意地を張り合い、くだらないケンカをするので今では領主にかわいがられているリュウレイがその仲を取り持つ形でふもとの町への使者を担っている過去があった。
話は若干逸れたものの、リュウレイの言わんとするところを理解したリュウフォンは機嫌を直して、リュウレイの左腕に絡みついてきた。
「ふふ、ありがと! やっぱりリュウレイのこと、大好き!!」
「ハイハイ、あまり無茶しないでくれよ。頼むからさ」
「うん、わかった!」
こういった時のリュウフォンは年よりも幼さを発揮する。それがよくもあり、かわいくもあるのだが……。
結局、そのあと領主との謁見の際、褒美として用意されたお金もフォンにより取り立てられたリュウレイは泣く泣く、密かに貯めこんでいた小遣いを総動員する羽目になった。
新調する道具類を厳選しながら、義姉やチビたちへのお土産、リュウフォンのお菓子代、さらに村へ持ち帰る自分用の強い酒や塩っ気のきいた肴などなど――。
持ってきた金の半分が奇麗に吹き飛び、さらに落ち込む結果となった。まあ、それくらいなら酒でも飲んでひと暴れすれば、どこかに消えてしまうだろう。それよりももっと気にかかることは他にあった。
それは他ならぬ大先生、リュウゲンのことだった――。