ふもとの町(2)
さわやかな朝の陽ざしが、靄に包まれた村の中を照らし出す。神秘的な情景の中、足早に村の中心に向かい歩く人影とそれに続くもう一つの影があった。リュウレイとその後についていくリュウフォンだ。
二人が目指す方向には村の広場があり、そこにはいつも利用している村の共同浴場がある。遠駆けをした後二人揃って、湯船につかるのは朝の習慣だった。
「ふぁぁ……、まだ眠い……」
重たい瞼をこすりながら、リュウフォンがつぶやいた。昨日はリュウレイより先に寝付いたはずがこの有様だ。もっとも彼女は朝が苦手で、いつもリュウレイが起こしているのだから仕方ないのかもしれない。それに今日はいつもより早起きして山頂に向かったのでそれに付き合ってくれた分、大目に見てやらないといけないだろう。
「熱い湯船に浸かれば、眠気なんて吹っ飛ぶさ! 私なんていつも冷たい水を被って目を覚ましてるからな! 今度、フォンも一緒にやってみるか? 結構、気持ちいいぞ」
そういってからかうリュウレイにまだ眠気の抜けきらないフォンは無反応。そればかりか、前を見ていなかったために勢いよく頭からリュウレイの背中にぶつかってしまった。
「痛っ! もう、気をつけてよ、レイ!」
寝ぼけていた時分のことは棚に上げて、さすがに目を覚ましたフォンが起こる。もっとも常に浮かんでいるフォンの方が周囲を確認していないと余程危険だと思うのだが。しかし、リュウレイは指して気にした様子もなく、軽い調子て声をかけた。
「悪い悪い、次からは私がフォンのことを運んでやるから機嫌直せって!」
そういってフォンを抱きかかえるとリュウレイは上機嫌で笑った。どこか怖いくらいの様子にフォンは首をかしげた。
「随分、ご機嫌だね。何かいいことあったの?」
「まあな、ふもとの町に行くのは一月ぶりだし、いい息抜きになるから楽しみなんだよ!」
「ふうん、まあ気持ちはわかるけど」
普段のリュウレイを知るリュウフォンはいまいち釈然としない様子で首をかしげた。ふもとの町にはいろんな店があるし、それを見て回るのもいい退屈しのぎになる。それにリュウレイの場合、仕事で使う道具類を買い入れたりするいい機会だろう。
しかし、それにしては浮かれている気がする。もっともそれはリュウフォンも同じことだ。義父にはしばらく会っていないし、ふもとの町でしか買えないお菓子や飲み物もある。いつもなら、村で商いをしているリュウシュンの旦那に頼むところだが、その分の支払いは密かにリュウ家の、もっと言えばリュウレイにツケてもらっているのであまり人のことは言えない。
これはシュンとフォンだけの秘密だし、その見返りにいろいろと協力することになっている。リュウフォンがリュウレイについて街に行くのもそのためだった。
「ん? どうかしたのか」
気が付けば、不思議そうにこちらを覗き込むリュウレイの顔が近くにあった。フォンは慌てて首を振る。
「な、何でもない! 何でもないよ!! 私は大丈夫だから!!」
何が大丈夫なのかは自分でもよくわからないが、リュウレイの懐から浮かび上がると逃げるように共同浴場の扉の先に飛び込んだ。胸が激しい鼓動を繰り返す、それを抑えるためにリュウフォンは深い呼吸を繰り返した。
「何やってんだかな、まあリュウフォンらしいけどさ」
のんきな声とともに、リュウレイは笑いながらその後を追いかけた。
… … …
「はぁ――……気持ちいいなぁ……」
立ち昇る湯気の中、湯船に身を浸したリュウレイの声が室内に響き渡る。同じくその隣で朝の風呂を楽しんでいたリュウフォンがおかしそうに笑った。
「リュウレイ、なんだかお年寄りみたい」
「あのなぁ……、昨日まで納品の準備に追われていろいろ親方にこき使われてたんだから当たり前だろ?それに大先生に見せる試打ちの仕上げとかもあったんだから、今日くらい息抜いたって、問題ないよ!」
少し怒った様子でリュウレイが答えた。実際、納品の前日にさらに追加の発注が入り大急ぎで品物を作る羽目になった。普通、こういう時には工房は休みになるはずだがその予定が狂い、骨休めする暇もなく、納品の手伝いに駆り出されるのだから下っ端はつらいものだ。おまけに、ふもとの町まで出かける数少ない機会ということもあり、普段からあまり信用のないリュウレイは親方から羽目を外さないようにくどいくらいに注意を受けていた。
刺激の少ない山奥の村のこと。若いリュウレイにとっては遊べるのはこんな時くらいのものだ。自分の用事を済ませつつ、ふもとの市場でお気に入りの酒や肴を買ってこようと密かに画策しているのを察知されたに違いない。
リュウレイが不始末を起こすたびに、親方は元締めであるリュウレイの義母からきついお叱りを受けるらしい。それがどれだけ悲惨なことか、身を持って知るだけに同情の余地はない。
ただその冥福を神に祈るばかりだ。
静かに目を瞑り、うんうんとうなずくリュウレイをフォンが笑っていた。
「また、レイが変なこと考えてる。あんまり親方に迷惑かかるような事したらだめだよ?」
「しようと思ってない! けど、結果的にそうなるのは不可抗力だ」
「都合のいい、言いわけだね……ふふふ」
「いつものことだし、仕方ないだろ?怒られる時はフォンも一緒だからな!」
リュウレイもつられて笑うと、フォンは吹き出してしまう。
「あ、ひどっーい! リュウレイのいじわる」
「……いじわるってのは、こういうことを言うんだぜ?」
背後に回り、リュウレイが脇の下をくすぐるとリュウフォンは激しく体を捩りながら笑い声を上げた。
「ご、ごめんなさい! くすぐったいよ、レイ!! 勘弁して――……!」
「アハハハハッ!」
それからしばらくの間、共同浴場の女湯から二人のにぎやかな声が響いていた。
そのころ、リュウ家の母屋では朝ご飯の支度を済ませた義姉が子供たちと二人の帰りを待ちわびていたそうな。家に戻った二人がどんな運命を辿ったのかは想像するまでもなかった。