終章(164)
「――それで、リュウレイ姐さん今睡眠中というわけですか」
翌朝、朝食も取らずに領主別館のリュウ家専用の一室を訪れたカンショウが寝台の上で死んだように眠るリュウレイを見てそう呟いた。ご丁寧に朝まで無料のご奉仕に明け暮れた彼女は相棒リュウフォンの監視に精神をすり減らした結果、倒れこむようにしてその場で眠りに落ちたという。
「だから、メイシャンも機嫌が悪いんだよ。リュウサンは気合が足りんのじゃ――とか言って怒ってたしね」
なかなか目を覚まさない相棒の横でせせら笑いを浮かべるのはリュウフォンだ。眠りながらとはいえ、リュウレイが余計なことをしでかさないようにお目付け役を務めた彼女もまた本調子とはいいがたい。
いくら原初の種族とはいえ、さすがに寝不足はお肌の大敵だ。おまけにリュウレイの指先に弄ばれたレイアス家姉妹が上げる甘ったるい嬌声に常時さらされていたのだからたまったものではない。
本来ならば、リュウオウ達村の子供やレイアス家の子弟と一緒に祭りの初日を楽しむはずが、姫巫女メイシャンの格別の配慮により今日は体を休めてよいとの許しを得ている。
もっともメイシャンも炎神への祈りをささげる以外は、祭りを楽しむ以外は特に予定を組んではいない。対外的な折衝や政治の実権は領主連合の盟主フェリナとその側近たちの任せており、また貴族たちとの交流などは必要最低限にとどめて人当たりの良い姉姫アルスフェローの方に丸投げしているためだった。
そうした意味において、昨夜の前夜祭は気難しい彼女にしてみればこれ以上にない譲歩だったのは言うまでもない。何より一番祭りを楽しむ権利は自分たちにあるというのがメイシャンや子供たちの認識なのだから。
「――でもね、リュウレイも悪いんだよ。自分の限界も考えずにただ突っ走るだけじゃ鍛冶師なんて務まらないのはわかっているはずなのにね」
何も考えずにただ惰眠を貪るリュウレイを見て深いため息をつくリュウフォン。そんな姉貴分の横顔をカンショウはただ黙ってみているしかなかった。
確かにカンショウから見てもここ最近のリュウレイはよく頑張る半面羽目を外すことも多かった。それは無意識のうちに彼女が自分にないものを少しでも補おうとする焦りの表れであることに気がついてはいたのだ。
しかし、それがリュウレイらしさだしそんな彼女に魅力を感じていたのもまた事実なのである。リュウフォンが昨夜リュウレイの行動に待ったをかけたのは無視されたことへの嫉妬もあるだろうが、本心ではそんな不安定な内心を抱えた相棒を心配してのことなのだろう。
今の自分には及びもつかないほど深い絆で結ばれた彼女たちを正直うらやましく思う。
それを伝えようとしたその矢先、リュウフォンがどこか壊れた感じの笑みを浮かべてこちらを見た。
「でもね、昨日はリュウレイが少しでもおかしなことをしてたら本気で首を落とすところだったんだよ。代わりに部屋にあった像の首を落としたけどね……あれ、一体いくらするんだろうなぁ?」
「――きっちり制裁はしたんですね、さすがですフォン姐さん」
この人だけは敵に回すまいと思う。というかもっとかわいがってもらおうと思いリュウレイと彼女の間に入り込むカンショウ。当然、何かを身に着けているわけではない。
「ふふ、カンショウも甘えん坊だねえ。でも、アルスとかカレオラたちの方はもういいの?」
「……姉姫様もお義母様たちも姉さんのことを気にかけていましたから、私がここに来たんです。だから心配しないでください」
「ふ――ん、なら大丈夫だね」
こうして落ち着いて三人で過ごすのは随分久方ぶりのような気になるのだから、不思議なものだ。ちなみにカンショウがここに来たのにはそれなりに理由がある。フィレナシェリルの人柄を知るカレオラは祭りの最中に、騒ぎを起こされてはたまらないと考えてカンショウにもそのことを言いつけていた。
もっともそんな老練なカレオラをもってしてもレイアスの毒蛇を揉み解してしまったリュウレイの匠の技にまでは考えが及ばなかったというわけだ。
「私も疲れたしもうひと眠りするけど、カンショウは?」
「お付き合いしま――す」
問いかけるリュウフォンに抱き着くカンショウ。そんな彼女をリュウフォンはその大きくて暖かな胸元に優しく抱きしめてくれた。
――……おやすみなさい。
結局彼女たちはリュウレイが目を覚ました昼過ぎまで安らかで心地よい眠りに落ちていた。祭り時は夜遅くまで人々は思い思いに過ごしている、それゆえ特段彼女たちをとがめるものは無い。もっとも時折様子を見に来ていたリュウサンやリホウたちは不満げであったようだが。
そんな子供たちをなだめながら、様々な催し物に引き連れていった姫長メイシャンやリュウレイの姉リュウシュンの思いやりをリュウレイが知るのはあとのことである――。
… … …
「うあ――、よくねた――。というか逆に疲れた……」
少し遅めの夕食を食べながら、肩を回すリュウレイが呟いた。未だに謝罪の一言もない彼女に対して、リュウフォンとカンショウは微妙な距離を置いて抗議の意を露わにしている。
――さて、扱いにくいこいつらをどうやって懐柔したものかな。
運ばれてきた料理を異に押し込みながらリュウレイはこれからのこととともに思案に明け暮れていた。
正直、金貨百枚なんて尋常なやり方では返済のめどが立とうはずもなく、これに関してはあまり長引かせては対外的な信用。主に商人組合との関係にも暗い影を落としかねない。
あくまでも信頼関係あっての取引なのだから、仕事を回してもらわなければ鍛冶師としての先はもう見えたも同然。
そんな暗い未来のために今まで努力してきたわけではない、何よりこれくらいの逆境をはねのけられなければ、義母リュウメイに笑われて終わるだけのことだ。
――まあ、正直借金棒引きなんて虫のいい話が通るなんて本気で思ってたわけではないけどな。
けど妄想とはいえ、一時くらいは夢を見たかっただけではあるのだが。現実問題、金がなければ好きな道具を揃えたり、資材を買い集めたりもできないのだ。そのあたりは仕事がらみの融通が利く工房のようにはいかない。
村の工房はあくまで技師長のシウレゼが管理してくれる、しかしさすがの彼もリュウレイ個人の希望を全部聞いてくれるわけではない。
――となれば、やっぱり個人で仕事を取れるように品評会を頑張るしかないんだよな。
ちなみにこの収穫祭でも各職人組合合同による大品評会が開かれることになってはいるがそちらは北方全体を統治する領主連合主催ということもあり、大会の質としてはやはり普段の品評会の方が断然上なので村からは参加しているものはほんの極僅かであった。
――けど暇つぶしにあちこち見てみるのも悪くはないな。
昨夜、フェルンレアドたちから聞いた話では新たに題材になりそうなレゾニア貴族に伝わるおとぎ話のようなことをいくつか聞かせてもらえた。文字通り、すぐに金に結び付きそうなことは皆無だが、いろいろ考えてみるのも面白そうではあった。
――そこらへんに絡めて、こいつらのご機嫌取りと行くか。
そうと決まれば、あれこれと気になる催し物を頭に思い描くリュウレイ。そんなふうに忙しく頭を働かせる彼女をリュウフォンとカンショウが静かに見守っていた。




