終章(155)
「おい、見ろよ! あれは……」
ふもとの町の大通り、領主の館に至るその道筋に大勢の人だかりができている。彼らの視線の先にはこの辺りでは見慣れない薄汚れた装束を身に纏った集団がいた。
みすぼらしい姿の集団の先頭に立ち、愛馬とともに先に進む男がいる。周囲の視線は黒髪黒目の精悍だが整った面立ちのその男に集まっているようであった。
領主の館を目指し黙々と歩き続ける集団、その時通りのわき道から鋭い男たちの声が上がり、突然の出来事に困惑する周囲の人並をかき分けて大通りに歩み出た。
「おい、そこをどけ! チョウモウ様のお通りだ!!」
「痛い目を見たくなければ、さっさと俺たちに道を開けろ!!」
荒々しい外見に鍛え上げた体躯の男たちはこの辺りでは知らぬものがないほどの荒くれぞろい。彼らを率いるのはチョウモウと呼ばれた頭目、がっしりとした体躯に一際武骨でいかつい顔の男が大声を張り上げる手下の間を悠然と通り抜けてゆく。見るからにふてぶてしいその面構えを見た周りの人々はみな一様に怯えた表情を浮かべるばかりだ。
やがて馬上の男の前まで進み出たチョウモウは瞳を怒らせて胴間声を発する。
「久しぶりだな、チョウガイ! 最後にあったのはもう一年以上前か。リュウ家のせがれを連れてお前が出陣した時には顔を合わせる暇さえなかったがな」
「元気そうで何よりだ、ライガの兄貴。親父やお袋、店の皆は変わりないか?」
「ああ、みんな元気すぎて困るくらいだ! 何せ、中原の戦にケリがついたかどうかさえあやふやなくらいだ。俺の手下どもも商人組合の護衛やら何やらでてんてこ舞いよ!!」
チョウガイと呼ばれた馬上の男と、チョウモウ……チョウ家の嫡男を意味するあだ名で呼ばれた実兄のチョウライガは久々の再会を果たした。
昔からすぐ下の弟、チョウバクとともに多くの荒くれものを束ねて北方のその名を知らぬものは無いとまで言われた放蕩無頼と侠気の男、チョウライガはその射抜くような視線をあたりに巡らせて、弟に問いかける。
「戻ってこれたのはお前だけか? ほかの奴らはどうした」
「みんな死んだ、俺の部下も仲間も残らずにな。中原で集めた手下どもは何とか一二割は残ったかもしれん、だがここに至るまでの旅路でみんなはいなくなっちまったよ……ヨウランとその仲間たちも含めてな」
「なんだと、チョウガイ! てめぇ、それは本当か!!?」
甲高い怒声を上げて、チョウモウは馬上の弟の襟首をその野太い両腕でつかみ上げる。驚いた愛馬から振り落とされる形で地に投げ出されたチョウガイは自分を睨みつける兄の視線を真正面から受け止めることになった。
「本当だよ、こんなうそをつく意味が俺のどこにある? あの戦で俺は何もかもを失った。今ここにあるのはこの命一つだけさ」
「てめぇ……、それがこの町の男たちを連れだした奴の言うことか! お前の口先一つで何人の人間がくたばったと思っている!? お前の代わりに都で戦に行った俺とチョウバクの手下も半分は死んだんだぞ! それがわかっているのか!!?」
自らも剣の師匠リュウゲンが打ち上げた剣を振るい、獣使いとの戦を経験したチョウモウの怒りは留まることを知らない。それはリュウ家のリュウシンを新たな王に担ぎ上げ中原を人間の手に取り戻すと誓い、その夢破れた弟への怒りに他ならなかった。
「……確かに俺たちはしくじった、けどまだ望みは捨てちゃいない。だがらこそけじめをつけるために俺はこいつらと旅をしてきたんだ。自分にできることをするためにな。悪いが兄貴よ、そこを通してくれ。俺は領主のフェリナ殿に戦の顛末を報告しなきゃならん。そのあとは姫巫女殿とリュウオウか。それから二人の王女殿下にも……」
「チョウガイ、テメエ正気かぁっ!」
淡々とした表情を崩さない弟の態度に激高したチョウモウが右の拳を激しく叩きつける。襟首をつかまれたまま、したたかに殴りつけられたチョウガイは久々に味わったその一撃に一度も兄弟ゲンカに勝てなかった幼き頃を思い浮かべる。
先祖代々の悪しき因縁全てを背負って生まれた鬼子のような兄たちの背をひたすら追いかけていたあの頃。だが今は違う、自らの足で自分の決めた道を歩む。それがチョウガイに取って生きるということであった。
「相変わらずのバカ力だな、おかげでいい具合に目が覚めたぜ。それといつまでも俺があんたより弱いと思うな。俺は獣使いどもの力を食らって生き延びてきたんだ。それがどういうことか、いま証明してやる……!」
「チョウガイ、テメエは……!」
怪力の兄チョウモウ、その両手を強引に振りほどき、今度は逆に細身の弟が巌のような兄の体を持ち上げてゆくではないか。その悪夢のような光景にチョウモウの手下はおろか、周囲の人々も呆気に取られていた。
「牙の秘儀を手にした俺に勝てる人間はどこにもいない、たとえ兄貴たちであってもな!」
「う、うわああああっ!!」
その言葉と同時に大柄なチョウモウの体をそのまま手下どもの方に投げつける。その首元には獣の牙と思しき首飾りが揺らめいていた。
大柄な頭目チョウモウに押しつぶされた手下どもは情けない声を上げて助けを求める。そんな手下どもの上で、チョウモウは弟の背負ったものの大きさを感じ取り、深いため息をついた。
「……後で店にも顔を出せ、親父やお袋、それに妹のチョウシュクも心配している。それに俺のせがれどももな」
「わかっているさ、だがどうしても私事は後回しになる。それだけは勘弁くれ」
その言葉に無言でうなずいたチョウモウは体を起こすともう行けと手を振った。それを見たチョウガイは再び戻ってきた愛馬の背に跨ると自分の後ろに続く集団に合図を送り再び、領主の館へと進んでゆく。
その胸中にあるのは故郷に戻ってきた安心感などどこにもない。ただ自分が背負った罪の大きさを一つ一つ確認するかのような重苦しさがどこまでも広がってゆくばかりであった――。
… … …
「あの――、またすみません。チョウガイさんって誰なんですか?」
手を上げてリュウレイに質問を伝えるのはカンショウ、それを見たリュウレイは笑いながらチョウガイという人について答えてゆく。
「大先生の一番弟子で、うちの義母さんの同門。私の兄弟子って所かな。一歩間違えれば、私の義理の父親になってたかもしれないって話だったな――」
「ちょっとそれどういう意味ですか!? 詳しく教えてくださいよ、リュウレイ姐さん!!」
何気ないリュウレイの一言に食らいついたのはカンショウだ。あのリュウメイにそんな人がいたとは驚きの新事実ではないか。早まる鼓動を抑えつつ、リュウレイにその先を促す。
「ああ、もう落ち着けって! 私が話したなんてうちの義母さんには絶対に言うなよ! 私だって村長様や親方たちからまた聞きした程度だからな。いまからちょうど十五、六年前になるのかな? 大先生の弟子だったチョウガイさんはわずか二年で鍛冶師の修行を終えて、栄華の都に上ったんだよ。その時にうちの義母さんを誘ったらしいんだ、けど義母さんは村に残って鍛冶師として生きることを決めていた。それ以来二人は違う道を歩んでいったというわけだな」
「それって悲恋ですよね!? まさかあのリュウメイ様に将来を誓い合う相手がいたなんて驚きです――!」
「お前頼むから、もう少し静かにしろ。あのババアに知られたら、今度こそ私がぶち殺されるんだからな――」
はしゃぐ妹分を抑えつつ、リュウレイの昔話は続く……。




