納剣堂(4)
よく掃除の行き届いた村長宅の居間には誰もおらず、がらんとしている。いつもなら、食台に腰を下ろしお茶をすする村長の姿があった。家族を亡くしてから5年以上も一人暮らしをしていた老人の寂しさを垣間見た気がした。
「おお、リュウレイにリュウフォン! 朝早くからよく来たな。さ、こっちに来て座りなさい」
居間を抜けて奥の寝室に入ると、寝床の上で体を起こした村長がいた。見事に禿げ上がった頭と立派な白い口髭を持つ彼はリュウレイたちを見つけると、嬉しそうに笑い手招きする。彼にとって二人は実の孫娘のようなものらしい。
「おじいちゃん元気そうでよかったね」
「そうだな、リシン姐の言うとおりだ」
小声でささやき合ったリュウレイたちは寝床の脇に腰を下ろした。寝たきりになってからというもの、時々様子を見に来る程度しかできないリュウレイは何から切り出そうか、迷ってしまう。
「リシンから聞いたが、ワシに話があるそうだな。またリュウメイの奴となにかあったのか?」
「いや、そっちはいつも通りだから、どうでもいいんだけど……。この前の試打ちのことで気になることがあったんだ」
「領主様に献上した品のことか? あれはワシもリコウも見たが、見事な出来栄えだったぞ。お前さんがわざわざ見せに来てくれたではないか」
村長の言うとおり、打ち上げた剣を仕上げる前に親方や村長にその出来栄えを見てもらったのは事実だ。今の自分にはあれ以上のものは打てない、それほど意気込んで打ち上げた最後の一振りだった。
しかし、最後に見せた大先生リュウゲンは黙して何も語らず、おそらく義母リュウメイも領主様のところに顔を出した時に、その出来を確かめたはずだ。
けれど、今のところ彼女からの反応は何もない。いつも以上に何もないことがリュウレイの苛立ちとなって表れていた。仮にも、リュウレイをリュウ家の跡継ぎにするといったのは義母リュウメイだ。なら、最後まで面倒見ろと文句を言いたかった。
それ以上に、リュウレイのことを気にかけてくれた大先生から一言ももらえないことの方が気にかかった。自分にはリュウ家を継ぐ資格などないのではないか、そんな不安も頭の片隅にはある。
所詮自分は、血のつながらない赤の他人――。
そんなことを言えば、義姉やリュウシュンから殴られそうなものだが、誰からもはっきりとした答えを示してもらえないことに対する懸念はリュウレイが一番恐れるものだった。
それは否定や拒絶よりひどいものかもしれない。
この五年間、この村の鍛冶師としてふさわしい技量を身に着けるべく必死に取り組んできたすべてが無駄になったような錯覚を覚える。
果たして自分にリュウ家の後継者が務まるのか。視線を落とし、握りしめた拳がかすかにふるえている。そんなリュウレイを見かねたリュウフォンが村長に尋ねた。
「リュウレイはなんでも深刻に考えすぎなんだよ、きっと。次に会った時にもう一度聞けば、お父さんだってちゃんと答えてくれるよ。村長のおじいちゃんもそう思うでしょ?」
「ん? そうだな……」
村長は無言のリュウレイをじっと見つめたまま、顎髭をいじっていた。それから、口元に笑みを浮かべその禿頭を叩き、大声で笑い始めた。
「ハッハッハ! お前さんも大分鍛冶師らしくなってきたな、リュウレイ! 悩むのは欲が出てきた証拠だ、いうなれば自分の色を求め始めたということ。何も恥じることなどないぞ!!」
いきなり笑われたリュウレイは驚いた様子で顔を上げた。その顔にはまだ村長の言うことを信じきれないでいるもどかしさがあった。
「そう情けない顔をするな、深刻に考えているのはむしろリュウゲンの方だ。あやつは口より先に体を動かすのが性に合っている。お前さんの作を見て、鍛冶師の血が騒いだのだろう。むしろリュウレイをリュウ家の跡継ぎとして認めたということだ。もっと自分に自信をもって胸を張るがいい、お前はワシや村の皆が鍛え上げたのだからな」
「そんなの……不器用すぎるだろ。大先生……」
村長の言葉に安堵したリュウレイは放心したように肩を落とした。同時に自分が積み上げてきた5年間の重みに気づき、道半ばであることを痛感する。
「村長様、大先生のことはわかったけど、私はまだ見習だ。一人前になるにはどうすればいい?」
リュウレイはもう一つの疑問を口にした。今日聞きたかったのはむしろそちらの方だった。姉のリュウシュンが言っていた通り、義母リュウメイはすでに16の時には独り立ちして自分で鍛冶の仕事をこなしていた。経験の違いこそあれ、リュウレイも独り立ちしておかしくはないと思っていた。親方やほかの鍛冶師たちに聞いても、こればかりはリュウ家のことだからと、確かな答えは得られていない。
代々、この村の鍛冶師たちを見つめてきた村長ならはっきりとした答えを知っているはずだ。リュウレイが答えを待っていると、村長は呆気にとられた様子で首をかしげた。
「なんだ、お前さんそんなことも知らなかったのか? 独り立ちの儀は通過儀礼のようなものだ。普通は親から子へと、師から弟子へと伝わるものだから、失念しておった。許してくれ」
「言い訳はいいから、どうすればいいのかを教えてくれよ! 村長様!!」
「実は、非常に簡単なことなのだ。村の奥に鍛冶の神をまつる社があるのは知っているな?」
「うん、炎神の社だろ? それがどうしたの」
「その社のさらに奥、そこに納剣堂があるのだ」
「納剣堂?」
聞きなれない言葉にリュウレイは隣のリュウフォンと顔を見合わせる。そういえば大して気にしてはいなかったが、義姉についていったときに社の奥の方に古ぼけた石造りの建物があるのは何度か目にしたことがある。それがまさか自分にとって重要なものになろうとは思いもしなかった。
軽い後悔に苛まれているリュウレイを横目に村長の言葉は続く。
「そこはな、代々この村で鍛冶師となったものが最初に打ち上げた剣を収める場所なのだ。上手い下手の変わりなくこれより先、己が全てを鍛冶に捧げる決意を神に示す神聖な場所。それが納剣堂というものだ。そこまではいいな?」
「うん、わかったよ」
リュウレイが頷くと村長は懐かしいものを思い出すように語りだす。
「思い出すな、わしが初めて剣を納めたのは15の時、もうかれこれ60年も前のことになる。あのリュウゲンも、初めてこの村に来た時に己の剣を納めていたな。それからずっと、この村で鍛冶師として生きてきたのだ」
「お父さんも……」
二人の話を聞いていたフォンが感慨深そうに呟いた。
以前、大先生はこの村の生まれではなく婿養子としてリュウ家に迎えられたと義母から聞いたのを思い出した。それには村長も深く関わっているとも。
「お前さんたちにはまだ話してはいなかったか。ワシは若かりし頃、この大陸の遥か東方に鍛冶の修行に赴いたことがあってな。かの地には大陸では失われた技術を持つ一族がいると噂に聞いたことがあった。そんなあやふやなものを頼りにわしは東を目指した。そして行き倒れ寸前のワシを助けたのが、若き日のリュウゲンと老師だった」
「大先生と……老師?」
「うむ、老師ははるか昔に姫長様のご先祖に仕えていたこともある鍛冶師たちの最後の末裔でな。自分の業をリュウゲンとこのワシに教えてくださった恩人なのだ。ゆえにワシらは老師の業を後世に伝えるべく、多くの者たちを育てた。その最後の一人がお前さんだ、リュウレイ。少しはリュウゲンの気持ちもわかってもらえたか?」
「うん、大先生も村長様も、親方たちも私に期待してくれてたんだな……。それなのに勝手に落ち込んでた自分が恥ずかしいよ……」
村長の温かい言葉に涙が浮かんでくる。結局、自分はまだ子供なんだなと理解できた。これでは、リュウオウたちにも笑われてしまいそうだ。リュウレイの肩をそっとフォンが抱いた。
「だから言ったでしょ? みんな、私とリュウレイの味方だって」
「そうだな、ようやくわかったよ」
優しく微笑むフォンにリュウレイが頷くと村長の大きな手が二人の頭を撫でてくれた。
「リュウレイとリュウフォン、お前さんたちはこの村の宝だ。それを忘れてくれるなよ」
「私とフォンが村の宝……」
「レイ……」
気がづけば、フォンも感極まって涙を流している。二人を見て満足したのか、村長は一つの提案をリュウレイに聞かせた。
「リュウレイよ、一つ頼みたいことがあるのだ。ワシはこの通り、もう起き上がることはできん。代々、村長は納剣堂と社を守ってきた。その役目をお前に譲りたい。引き受けてくれるか?」
「私なんかでいいの? 他の人の方がいいんじゃない? 例えば大先生とか親方とか……あとはうちの義母さんとか」
もう一つだけ残った、リュウレイの悩み。それを思い浮かべていると村長はそれを察したように笑った。
「あやつらに任せる気にはなれんな、わしは本音を言えばリュウ家の奴らが大嫌いでな。リュウメイの死んだじいさん、リュウエンからの腐れ縁だ。あやつはわしより五つ年上でな、本来ならリュウエンが村長となるべきだった。それを勝手にくたばりおって、おかげでワシがいらぬ苦労を背負い込む羽目になった。その恨みはあの世で晴らしてやらねば気が済まぬ」
「村長様が大先生やうちのババア……じゃなくて義母さんのこと嫌いだったなんて意外だな」
リュウレイが笑うと、村長はごまかす様に禿頭を叩いて見せる。その子供じみた仕草にリュウフォンは面白そうにお腹を抱えて笑っていた。
「嫌いだったとも、あやつらはワシより腕が立つ。お前さんにはまだわかるまいが、己の先が見えるということは寂しいことなのだ。だから若き日のワシはリュウエンに負けたくなくて村の外に飛び出してしまった。そのことに後悔はないが、あとに残されたワシの女房と生まれたばかりの倅はたまったものではなかっただろう。ワシは一人残されたが、それも自業自得というものだろうな」
笑いを収めた村長はしんみりとした様子で、じっと目を瞑った。そんな村長に向かってリュウレイは身を乗り出して叫ぶ。
「大丈夫だよ、村長様! 私がその後を継ぐ! 村長様の分まで頑張って、必ず大先生や義母さんを超える鍛冶師になる! それが私の『誓い』だ!!」
突然の宣言に村長とリュウフォンは顔を見合わせた後、吹き出す様に笑い始めた。
「相変わらずリュウレイってすごいこと言うよねえ」
「いやいや、それでこそワシが見込んだリュウ家の跡継ぎだ。お前さんなら、いやお前さんでしかそれはできまい。頑張れよ、リュウレイ。道は険しい、だがやり遂げたときの思いは格別だろうからな」
「うん、まかせてよ。村長様!」
「ふふ、お前さんは真っすぐだな。お前さんのためにリュウメイがあちこちを飛び回る気持ちもわかろうというものだ」
何も語らない義母リュウメイの背中を思い出し、リュウレイの心は震える。そんなリュウレイを村長は静かに見守る。
「義母さん……」
「リュウレイよ、ワシはこれ以上何も言うまい。それは無粋というものだ、納剣堂に行き、義母リュウメイの剣を見て来るがいい。それが今のお前さんには何よりも心の支えとなるだろう」
話疲れた村長はゆっくりと寝台に身を横たえる。その顔は満たされたように穏やかだった。リュウレイは上掛けを丁寧にかけ直してから立ち上がる。
「ありがとう、村長様。私、これから社に行ってくるよ!」
「ありがとうね、おじいちゃん。大好きだよ!!」
リュウフォンは村長に抱き着くと、リュウレイの後に続いた。彼女たちを見送った村長の目に映っていたのは、死んだ孫とその幼馴染たち。かつて、失ったかけがえのない宝の姿だった。
リュウレイたちが出て行って間もなく、リシンが戻ってきた。
「リュウレイたちの話は終わったみたいだね、別人みたいに顔つきが違ってたよ。腐っても村長様だね」
「戻ってきたか、リシンよ。世話をかけるな」
「人間お互い様だろ、それにじいさまにはうちの旦那も世話になったからね。こんなの恩返しにもならないさ」
空になった洗濯籠を片手にリシンは村長の方を見た。彼女に頷き、村長は静かに目を閉じる。
これで村長の胸のつかえが一つとれた、あとに残るのはただ一つ。
死んだ若者たちの中でただ一人生き延びて、復讐を誓い村を去った少年のことだ。彼は幾多の苦難を背負い、そしてとうとうこの村に戻ることはなかった。
彼の人生が幸せであったのか、村長には分らなかった。
許せ、リュウシンよ。お前にすべてを背負わせてしまった無力なワシらを。お前の家族はこの村のものすべてが守る、せめて死ぬ前にもう一度お前の顔を拝むまでワシはまだ死ねん……。
その心の中の呟きが彼の者に届いたのか、それを知る者はいない――。




