終章(42)
月曜分を先行で公開します。
――うふふ、あの子たちは仲がいいなぁ。見ていてこんなに腹が立ったのは久しぶりだね、全く……。
食後のひと時を姉姫自慢の露天風呂でたのしく過ごすリュウレイたち、そんな彼女たちを笑顔の裏側で暗い感情とともに見つめる一人の女がいた。彼女は最初からこの村に来訪した目的を誰にも告げてはいなかった。
おそらくそれを察していたのは姫長メイシャンや姉姫アルスフェローその人くらいのものであったろう。だからこそ、普段と変わりなくふるまい村人たちには決して悟られないように表面上を取り繕っていたにすぎないのだが。
「どうかしたの、お母さん?」
「ん? あはは、何でもないよ――」
あどけない表情で腕の中の娘が尋ねてくる、それに笑顔で答えながらそろそろ頃合いかなと女は結論付けた。女は隣にいた同胞に視線を向けると娘をしばらく見ているように頼んだ。
「私、ちょっと用事があるからシラルのことお願いね」
「うん? 急にどうしたんだ」
「うん、だからとても大事なこと。あなたが言わないから私が言いに行くの、わかった?」
目の前に突き付けられた一言に女の表情が変わる。
「エリオ、お前まさか!?」
「――大きな声を出さないの、子供たちやみんなが驚いてるよ?」
そう言って周囲を見渡せば、姫長メイシャンを除く全員の視線が女たち――ラセルエリオとナルタセオに集中していた。その中の一人、リュウレイとカンショウのそばにいたリュウフォンことエルカオネに視線を向けたラセルエリオは普段の飄々とした笑顔を浮かべたまま、静かに告げる。
「それじゃ私行ってくるから、ラグ。お母さんとシラルのことはお願いね」
「うん、わかったよラセルお母さん……」
子供心に思うところがあったのか、ラグセリオは母と腹違いの妹を守るように頷いて見せた。
そのやり取りに剣呑な空気を察したリュウレイは背後にリュウフォンを隠すとカンショウのことをそばにいたカレオラに託していた。
「やっぱり、突然村に来た時からおかしいと思っていたんだ。普段のあいつらしくないってな――」
そういうリュウレイの背に隠れたリュウフォンはどこか落ち着きを失くしたように小さく震えているようだった。歌姫としての力はリュウフォンの方が強いだろう、しかしラセルエリオにはそれを凌駕するだけの強い意志の力がある。
本来何物にもなびかず、自分の正しいと思うことだけに興味を示すのがリュウレイの知るラセルエリオという女の生き方だ。
彼女は王都で出会ったリュウシンを愛し、一子を設けた。それは彼女にとってかけがえのないことであったからだ。
その彼女は今、湯船から立ち上がりその見事な肢体から滴り落ちるしずくを払いながら悠々とリュウフォンのいるところまで歩み寄る。途中、手出しするつもりのない姫長メイシャンが彼女に告げた。
「風呂や館を壊すでないぞ、風の村に請求書が飛んでいくゆえにな」
「やだな――、メイシャンでもあるまいしそんな物騒なことしないよ私――!」
「なら好きにするがよいわ」
ふっと笑うメイシャン、その両脇にいたリュウ家の子供たちの頭をやさしくなでたラセルエリオはその場に立ち止まると、リュウフォンに語り掛ける。
「私が言いたいこと、もうわかってるよね? なのに何でこそこそ逃げ回るの、あなたにとっても大事なことだろうに……」
「私は……」
リュウフォンは何かにおびえるようにリュウレイの後ろで自分の頭を抱えていた。それを見たラセルエリオはさらに言葉をつづける。
「風は我らに全てを運んでくる、生も死もよいことも悪いことも何もかも。それらをすべて受け入れて風と共に生きることこそが我ら風の民の定め――。あなたの大好きなおじいちゃん、口うるさかった族長の口癖だったよね? でもあなたは逃げるんだ、あの子にはずいぶん懐いていたのに薄情だね、エルはさ――!」
「――うるさいっ!」
その瞬間大気が震えた、まるで重く沈みこむような大きな何かに打ち鳴らされた金切り音が周囲を満たし、渦巻いてゆく。
「……いかん!」
同族の力を打ち消す力を持つ静寂の歌姫たるナルタセオが咄嗟に歌声を響かせると同時に周囲に鳴り響く音は消えていく。その力を解き放ったのは他でもないリュウフォンであったことに子供たちは驚きを覚えていた。
「お姉ちゃん凄い……」
「あんなの、見たことないよ――」
シラルトリオとラグセリオが呆然と見守る中、怒りに我を忘れたリュウフォンが静かに浮かび上がり、同時にラセルエリオもその長い髪を風に揺らしながら両者は対峙する。
「私はあいつが憎かった――、神より賜りし愛し子を使い多くの人を殺したシレルレオネが!! 私がこの村でリュウレイたちに守られていたのは、私がこの手で憎いあいつを殺さないようにするため! 王都ではリュウシンに止められて私はあいつを殺せなかった、でもこの村でメイシャンやみんなと暮らしている間もずっとそれは私の心にくすぶり続けていた。
あいつへの、シレルレオネへの憎しみの炎が! あいつさえ、あいつさえいなければ私はみんなと心から分かり合うことができた、それなのにあいつは勝手に先に死んだ!! 許せない、許せないからだからこうしてリュウレイたちと一緒にいるのよ!! それだけが私の心から憎しみを消してくれる唯一の方法だから!!」
絶叫するリュウフォン、それは彼女の持つエルカオネとしての偽らざる感情の発露であることは疑いようがなかった。エルカオネはずっと悩み続けていた、この村の住人として自分はどう生きていくべきかを。その原因を作ったのはほかならぬ従姉、シレルレオネの犯した許されざる大罪であったのだから――。
その叫びを聞いたラセルエリオはおかしそうに笑っていた、あまりにもくだらない告白を聞いた――少なくとも彼女にはそう聞こえていたからだ。
「ふふ、何それ? あの時シレルが獣たちを使って自分の力を知らしめなければ、残された私たちはみんなガデルの慰み者にされていただけだよ? そしてあの嫉妬深いメリオーネがそれを許したと思う? あいつは自分の愛した男を手にするために一族を裏切り、自分の姉や母親を切り刻んだ最悪の女なんだから」
リュウレイはラセルエリオが口にした二人の名前を聞き、顔をしかめた。
… … …
獣使いの長、将軍ガデルとその副官であり、風守りの一族祭祀に次ぐ地位を持っていた導きの歌姫を継承した罪深き女メリオーネ。
先代の導きの歌姫メラルカリオの末娘であったメリオーネは自分より優れた力と美貌を持つ二人の姉を忌々しく思っていた。そしてラグナザレフの王の使者としてよく一族の神殿を訪れていた若き将軍ガデルに一目ぼれした彼女は何かと彼に近づくようになってゆく。
ガデルも表面上は普通に彼女に対応していたものの、その視線はメリオーネの姉、メルヴィレオとメイルカルネに向けられていた。
早くに両親を亡くしたガデルは彼女たちに亡き母ラルーハの面影を重ねていた。ガデルの父であり先代族長にして老雄ガドラオは征服した部族の族長に連なる一人の少女に惹かれた。その少女は母方より風守りの祭祀に近い血筋を受け継いでいた。
その血を受け継いだガデルが彼女たちにあこがれを抱くのも当然の帰結であったのかもしれない。しかし、ある時ラグナザレフに大きな異変が起こった。それは偉大なる先王を力で打倒し、自らが新たな王として立った獣の王の存在。
邪悪なるかの者は王に仕える将軍の一人であったガデルに、異世界との門を秘匿とする風守りの一族を攻め滅ぼすように命じていた。それはガデルにとって唯一残された安らぎを奪い去る非情の命令であった。
しかし、獣の王は絶対的な力を持ってラグナザレフの各部族を支配し始めている。それに刃向かえば、ほかの将軍と同様に自分の一族軍団も破滅をまぬかれない。
一人苦悩するガデル、しかしそんな彼を破滅へと導くものが現れる。それこそがあのメリオーネ、のちに薄汚い裏切り者と呼ばれる彼女は殺したばかりの母メラルカリオの首を持ってガデルに決断を促したのだ――。
200話を越えていたのにようやく気が付きました。
この話、どこまで続くのか……。
一応終わりは収穫祭なのでそれまではお付き合いいただけると幸いです。




