終章(41)
「へぇ――、なかなかいい雰囲気だな……」
木製の柵に周囲を囲まれた館の奥、立ち上る白い湯気が裸身のリュウレイたちを迎えている。それらを目にしたリュウレイはまるで別世界に来たような感覚に包まれていた。
そんな彼女に相棒でこれまた見事な体系を惜しげもなく晒すリュウフォンが笑いかけていた。
「リュウレイは初めてだったっけ、このお風呂。私は何度かアルスに誘われてはいったことがあるから知ってたけど、こういうのもいいでしょ?」
「ああ、悪くないよな。六年位前に赤の山嶺付近にある温泉郷に立ち寄った時以来だろうな。これは旅籠としても十分に金がとれるだろうな」
そういうリュウレイの視線の先にはこれまた木製の重厚な作りの四角形の湯船の中に熱い湯がなみなみと注がれている。姉姫宅の裏山から湧き出た清水をそのまま生活水として新たに築いた水路を使い、その一部を炎の精霊を使い沸かしているのだ。
原理的には村の共同浴場とは何ら変わりはない。しかし、雨除けの屋根付き、しかも地面には所狭しと石畳が敷き詰められている。これなら、精霊のもたらす赤い輝きが照らす背後の山々の風景や庭園を楽しみながら、一日の疲れをゆったりと癒すことができるだろう。
「カンショウはうらやましいよな、こんな豪華な風呂を毎日楽しめるんだから。確かここはフェリナ様お抱えの建築士が設計したんだろ?」
「そんなことを言ってたね、私は時々利用させてもらっているけど!」
風詠みに飽きた時、アルスフェローの顔を見たくなった時など時間を持て余すリュウフォンである。空を自由にかける彼女の行動範囲は意外に広かったのだ。
そんな二人の会話を聞いていたカンショウはどことなく勝ち誇った笑みを浮かべていた。
考えてみれば、彼女はここで姉姫アルスフェローやその子供たち、ルタやカレオラと一緒に入ることができる。リュウレイも過去の数回しかない姉姫一家との交流はなかなか見ごたえのある光景でもあるのだ――。
それを思うと、なぜか敗北感が込み上げてカンショウの肩をつかんでいた。
「おごるなよ、カンショウ! 私が負けたのはこの見事な露天風呂に関してだ、それを忘れるな――」
「いきなり何言ってるんですか、リュウレイ姐さん! このお風呂私だってそんなに使っているわけないじゃないですか、毎日朝晩リュウレイ姐さんたちと一緒に村の共同浴場使っているし、戻ってきたらご飯食べてうちの手伝いをしてすぐに自分の部屋に直行ですよ!!」
まだ体力に劣るカンショウのこと、取り込んだ炎の精による強化もままならない彼女は眠りにつくことでひたすら疲れを癒していた。半年先はわかるまいが今はまだまだか弱い一人の女の子に過ぎないのだから。
「あ、悪い悪い。私が一方的に悪かった」
カンショウの勢いに押されたリュウレイは思わず頭を下げる。それを見ていたリュウフォンは呆れた様子でカンショウの手を引いて湯船へと誘っていた。
「ほらほら、おバカなリュウレイは放っておいて先にお風呂に行こう! 今日はカンショウも大分お疲れみたいだしね」
「やっぱり私の見方はフォン姐さんだけです――!」
ふわりと浮かび上がるリュウフォン、彼女の胸元に抱き寄せられたカンショウは嬉しそうに笑顔でリュウレイの方を見ていた。
――ほ――、私に見せつけるとはいい度胸だな……、おい――。
そうしたやり取りを見るのも嫌いではないリュウレイのこと、空中からそのままざぶんと大きな水しぶきをあげて湯船に飛び込んだ二人を追いかけて勢いそのままに飛び込んでゆく。
「考えが甘いぜ、二人とも! このリュウレイを見くびるのはその辺にしとけ!!」
「えっ、リュウレイ姐さん、危ない!」
「きゃああああ――っ!」
その後、近くにいたリュウフォン達も巻き込んで大きな水しぶきが湯船から上がる。後には全身お湯に濡れたリュウレイたちが大きな声をあげて笑い合うばかりであった――。
… … …
「――まったく、年も考えずにお風呂場ではしゃぐとは何事ですか。怪我でもしたらどうするのです?」
「「「申し訳ありません――」」」
先ほどの騒ぎを聞きつけて、姫長メイシャンたちを案内してきたカレオラが湯船につかりリュウレイたち三人にお説教を聞かせている。今は亡きレイフェリア王妃に仕えて生涯独身を貫いた彼女は既に五百年近く生きているだろう。
しかし、その美貌は色あせることなくこれまた見事な肢体を披露している。思わず小声でリュウレイが「すごい……」と口走り、リュウフォン達に両方からつねられたのはいい思いで言うところか。
「おっきなお風呂だね、母上――」
「この程度、ふもとの町の館に比べれば大したことはないわ。そなたが大きくなったらもっと大きなものを作ればよい、わかったかリュウオウ」
「うん、わかった――」
知覚では姫長メイシャンをはじめ、ナルタセオやラセルエリオたちが湯船に入り、ほぼ満員の状況になりつつある。後で、姉姫たちとお湯を楽しむといっていたリュウシュンの判断に間違いはなさそうだった。
気の強い姫長メイシャンたちの会話を聞いていたカレオラがまた起こるのかと思いリュウレイがじっと彼女の方を見ていると、カレオラは特段取り乱した様子もなく黙って三組の親子たちの楽しげな様子を見ているだけであった。
このない彼女はその生涯を主アルスフェローの成長に費やしてきたといっても過言ではあるまい。アルスフェローの話では、アリステロア以前の姫巫女候補たちにも仕えていたという彼女の経歴は輝かしいものであろう。
しかしそれも今となっては空しいものに違いあるまい、リュウレイがそんなことを考えているとリュウフォンと何か話していたカンショウがおずおずとカレオラの方に近づいていくのが見えた。
「あの、カレオラ様の近くにいてもいいですか?」
「――ええ、構いませんよ。カンショウ、あなたは私の娘も同然なのですから――」
「――はい!」
嬉しそうに答えるカンショウをカレオラはいとおしそうに抱きしめていた。カンショウはそんなカレオラを早くに亡くした母に重ねていたのか、嬉しそうにただじっと抱き着いていた。
そんな光景に目を細めるリュウレイ、ここにいない義母リュウメイはまた村の衆と飲み歩ているに違いない。それを思うと、カンショウ達がうらやましく思えてくるのはなぜか。
「――私も一緒だよ、リュウレイ」
「ああ、そうだな。私にはリュウフォンがいる、それにみんながいる。それだけで十分だよ――」
そっと互いの手を握りしめ、唇を重ねるリュウレイたち。それを見ていた子供たちは不思議そうにしていたが、それぞれの母親たちに止められて静かに見守るばかりであった。
この日、リュウレイたちは心行くまで姉姫アルスフェロー自慢の露天風呂を堪能したのであった――。




