終章(36)
「あらあら、みんなようこそ我が家へ! 歓迎させてもらうわ、一度にこんなにお客様をお迎えしたのも久しぶりだからなんだか楽しいわね――」
森の木々に囲まれた静かな庭園の先にある館の玄関で、リュウレイたちを出迎えた姉姫アルスフェローは満面の笑みを湛えていた。もともと人をもてなすことを何より好むアルスフェローは親しい友人であるナルタセオやラセルエリオとその子供たちの来訪を何より喜んでいるようであった。
途中聞いた話ではナルタセオ達は今夜、アルスフェローの好意でこちらの館に泊まることになっているらしい。遅くとも明日中には一度懸崖の村に戻るつもりでいるらしいがそれまではせっかくの親子水入らずを楽しむつもりのようだった。
「それがいいさ、リュウシュンじゃないけどたまにはナルタセオも息抜きした方がいいに決まっているからな」
「……気持ちはありがたいが、やはり私も好きでやっている仕事だ。私の来訪が遅れることで、支障をきたす人々がいるかもしれない。それを思うとやはり気は抜け無くてな――」
リュウレイの言葉に首を振るナルタセオ、やはり彼女も根っからの仕事人らしい。そんな母親を小さな息子がじっと不安そうに見上げている。
ナルタセオはラグセリオを抱き上げると、笑顔でそれに答えた。
「お母さん……」
「そんな顔をするな、ラグ。私はどこにいてもお前を思わないときはない、出来ればお前を連れて大陸のあちこちを見せてやりたいくらいだがまだ風を紡げないお前やシラルトリオを連れてはいけないんだ。けれど、いつか大きくなったときはお前もお母さんと同じように人の役に立てる仕事を身に着けてほしい。きっとお前のお父さんもそれを望むはずだ」
「うん、わかったよ。いつか僕も大きくなったらお母さんみたいな商人になってお金を稼ぐんだ、そして村のみんなに楽をさせてあげるんだよ」
「ふふ、そうなるといいな。だが、そのためにはまずいろんなものを見てその良しあしを見抜く力を学ばねばならない。お母さんもまだまだ道は半ばだ。私たちは数百年の時を生きる原初の民、時間はいくらでもあるが商機は限られている。それを忘れてはいけないぞ」
子供相手にそんな難しいことを言って理解できるのかと近くで聞いていたリュウレイが呆れていると、案の定ラグセリオは首をかしげていたが最後には運と頷いて母親を喜ばせるのだった。
――ああ言うのはやっぱり仲のいい親子だからだよな……。
傍から見ているとそう思わざるを得ないリュウレイは自分を振り返ってみる。もし仕事でわからないことをそのままにしようものなら親方あたりから握り拳が飛んでくるだろう。
仮にも工房の仕事を任されている身だ、もし客先におかしなものが流れでもしたら評判は一気に地に落ちるだろう。ただでさえ、この辺りには鍛冶工房は多い。
たとえは悪いがリュウレイたちの代わりなどいくらでもいる、それにこの村の鍛冶師たちが先祖代々築いてきた名声を失うことはほんの一瞬なのである。それこそ、病床にある村長やリュウ家の祖先たちに申し訳ないでは済まされまい。
――親方たちならまだいいけど、それが義母さんや大先生相手なら見捨てられてもおかしくはないから絶対に気は抜けないんだよな。
幼いころから鍜治場にこの身を置いてきたリュウレイである、今となってはその厳しさのありがたみが良く理解できるようになった。いずれ、見習いのカンショウや成長したラグセリオも遠からず同じ道を歩むことになるだろう。
その時、彼らがどんな経験をするのかはわからないが少しでも彼らが道を迷わずに済むようにしてやるのがナルタセオやリュウレイたちの役目になるだろう。
「あ――、またナルタセオが難しい話してる――! ラグセリオにはまだそんな話は早いよ――だ!」
仲良く笑い合うナルタセオ親子のすぐそばをからかうようにリュウフォンが飛んでいる。
それを見たリュウレイは深いため息をつかざるを得ない、仕事を持たないラセルエリオやリュウフォンには想像もないことなのだろう。それを思うとなぜか涙が込み上げてきた。
「あれ、リュウレイ姐さんどうかしたんですか?」
「いや、麗しい親子愛に感動していただけさ……」
「そうですか、その割には悲哀が伝わってくるんですが……」
まだリュウレイの抱える深い闇を理解するには至らない純粋なカンショウ、彼女の頭を撫でながらリュウレイは一人泣き笑うのであった。
「なんでもないぞ、私は大丈夫だからな――」
そう言って先を行くリュウレイを姫長メイシャンたちは遠巻きに見つめるだけであった。
「ねえ、母上。リュウレイ、どうしたのかな?」
「いつものことじゃ、いつもの――」
「ふ――ん、僕よくわからない!」
何気ない親子の会話がリュウレイの胸の傷を深く抉るのであった――。
… … …
館中央にある大広間には食卓が並び、人数分の椅子が所狭しと並んでいる。そこに控えていたのは給仕役のルタとカレオラ。今夜は彼女たちが客あるリュウレイたちをもてなしてくれるとあって、少し恐縮する。
そこに姉姫アルスフェローがリュウレイを手招きする。何事だろうと思い、近づくリュウレイ。そこで彼女は思わぬことを耳にする。
「どうかしましたか、姉姫様?」
「リュウレイには悪いんだけど、いつも私たちの食事を用意してくれる女衆たちが今夜はもう引き上げてしまっているのよね。普段は私たちの分を作ってくれるだけだからそれでもいいんだけど、今夜はほらナルタセオ達やアレアスタたちもいるでしょ? だから人手が足りないのよね」
つまりは厨房の方に手を貸せと――。いつも通りの展開に、リュウレイは乾いた笑顔でそれに応じた。
「ええ、いいですよ! 姉姫様の頼みとあってはこのリュウレイ、一肌でも二肌でも脱いで見せます!!」
「ありがとう! リュウレイならそう言ってくれると思っていたわ、この俺は必ずするから。楽しみにしておいてね」
そういうとアルスフェローは先には用意してあった分の料理を運ぶようにルタ達に伝えると食卓の方に歩いていった。その際、ちらりとリュウレイの方を振り返ると笑顔で言う。
「ああ、それと今夜はもう一人頼んであるから一緒に頑張ってね!」
「それってまさか……」
食堂の端に見慣れた人物がいるのを見つけたリュウレイは彼の方に手を振りながら、気分が重たくなるのを感じていた。
――あいつもいるのかよ……、やりにくくなるな。
しかし、一度仕事を引き受けた以上は完遂するのがリュウレイの流儀というものだ。気を取り直して、一度も入ったことの無い姉姫の館厨房を目指しリュウレイは歩いていく。
その背後ではすでに死闘とも呼ぶべき宴が幕を上げていた。
「何をしているのです、リュウレイ! 早く厨房に行って次の料理を作りなさい、ここはそう長く持ちませんよ!!」
「はい、わかりました!!」
悲鳴に近いカレオラの叫びに背中を押されたリュウレイは一目散にかけていく。その先にはリュウレイの一番苦手な人物が忙しそうに鍋を振るっていたのである――。




