納剣堂(2)
「ったく納得行かねえな――!」
青く晴れ渡った空の下、澄み切った朝の空気の中に不満気なリュウレイの声が響き渡る。そのすぐ後をリュウフォンがいつものように宙に浮かんだまま、ついていく。何が面白いのか、彼女は不機嫌そうに前を行くリュウレイの方を見てくすくす笑っていた。
「リュウレイったら、子供みたい」
「好きに言ってろ、ああムカつく!」
リュウフォンの呟きにリュウレイは鋭く舌打ちする。今朝方、義母リュウメイと久々に山頂まで競走したリュウレイは自分より遥かに頑丈で強固な体躯を持つ義母に大差で負けてしまった。通い慣れたはずの山道を持てる全力で駆け上った。文字通りの死力を尽くして。
しかし、結果は無残。
結局、自分を満足そうに見下ろす義母の足元にたどり着くころには、呼吸すらままならい状況に陥っていた。子供のころからこの辺りの山々を遊び場にしていたと豪語する義母はまだまだ余裕を残していた。二人を追いかけて山頂にやってきたリュウフォンに慰められたものの、悔しさは拭えず最後は母に担がれて、ふもとまで戻る羽目になった。
それを朝食の時に義姉や子供たちにからかわれて、さらに不機嫌に陥ることになる。リュウオウたちと遊ぶ約束をしていた義母は捨て置き、とりあえず家を出ることにした。
義母から鍛冶に関する助言を期待して勝負を挑んだが、負けた以上潔く引き下がる方がよさそうだと判断した。それよりも昨日の親方の言葉通り、鍛冶師の村の生き字引でもある村長に話を聞いた方が早い。
そんなことを考えていたリュウレイの後ろにいつの間にかリュウフォンがいたのはいつものことだ。朝からの騒ぎを一部始終眺めていたリュウフォンはリュウレイのことをからかいながら、あとをついてくる。なんだかんだと言っても、リュウフォンが一緒だと気が休まるし、退屈はしない。それに自信を失いかけたリュウレイに発破をかけているのだ。
それに今まで自分をかわいがってくれた村長にしかめっ面で会うわけにもいかないだろう。
気を取り直したリュウレイは立ち止まり、周囲の風景に目を向けた。
今、リュウレイたちがいるのは村の中央にある広場に向かう畦道。その周囲では多くの農民たちが畑の手入れに精を出している。大陸中原からの移民でもある彼らは元々農業に携わるものが多く、戦乱で荒れ果てた大陸中央を離れ、比較的戦禍の少なかった北の地に数多く移り住んでいた。
義姉と村長、それに鍛冶師の村の主だった者たちは彼らを受けいれいることで衰退した北の山嶺にある村々に活力を取り戻すことを選んだ。その結果、以前ほどではないが各地の村は徐々に落ち着きを取り戻していったのである。
村の中央にある広場では、女たちが集い洗濯物を片付けながら世間話に余念がない。その周囲では子供たちが遊び、元気な声を上げていた。彼女たちはリュウレイたちを見ると声をかけてきた。
「おや、二人揃って珍しいね。どこかにいくのかい?」
「うん、これから村長様に会いに行くんだよ」
工房の食堂で働く女性の一人が納得した様子でうなずいていた。その横では数人の男の子がリュウフォンのところに集まり、しきりに話しかけていた。普段、工房にこもりっきりのリュウレイは知らないことだが、村人たちの間でのリュウフォンの人気はそこそこのようだ。空を自由に翔けるその姿に憧れを抱く者もいれば、その魅力的な容姿に惹かれるものも多いのだろう。その分、普段一緒にいることの多いリュウレイにとっても内心気が気ではない。
もっとも、村人の間ではリュウレイとリュウフォンの仲の良さはしっかり認識されており、彼女たちに余計なちょっかいを出そうものなら、明日の我が身はないと男たちは戦々恐々していた。何より、辺境に住まう女たちを敵に回すことは死活問題となる。
これは村の長を務める姫長たるリュウレイの義姉がその最たるものだからだ。高貴なる血をひき、人にはない恐るべき力を秘めたその存在を北の地に住まう誰もが恐れ敬い、あがめているのだから。
「今日は誰が村長様のところにいるの?」
リュウレイが問うと、先ほどの女性が教えてくれた。
「ああ、今日はリシンの番だね。さっきも朝の食事を持っていくのを見かけたよ。あたしたちもあとで顔を出すつもりだけどね」
女衆が口々に頷き合うのを見て、リュウレイは隣のリュウフォンと顔を見合わせた。
村長が体調を崩し、そのまま寝たきりになったのはもう半年も前のことになる。今年で七十も半ばを数える高齢の老鍛冶師はその名を知られた名工であった。
若かりし頃は各地を渡り歩いて修行に励み、この地に戻ってからは各地の領主貴族から直接注文を受けるほどの重用を受けた。また惜しみなく自分の技術を後進に伝えて、その育成を図り村々の発展に尽力した偉大な人物として、人々から敬われていた。
しかし、その人生は波乱に満ちていた。流行り病で息子夫婦を失い、唯一残された後継ぎと期待した孫も戦乱に巻き込まれて夭折し、稀代の名鍛冶師は天涯孤独となったのである。
一人となった後も彼は腐らず、村人を叱咤しこの村になくてはならない存在であり続けた。
そんな彼が日課としていたのは、先に亡くなった家族や村人たちの墓守であった。暇があれば、墓場の草をむしり花を手向けてその御霊を慰めることを怠らなかった。それだけが後に残された自分の役目であることを村長は己に課していたのだろう。
そうした彼の一面を知る村人は誰もが、村長に尊敬の念を抱きその健康が回復することを願っていた。リュウレイやリュウフォンもその気持ちに変わりはなかった。
この村の来た頃から、村長は二人のことを気にかけ何くれとなくその面倒を見てくれた。特に鍛冶師となることを選んだリュウレイには時に厳しく、時にやさしく守り導いてくれた恩人でもあった。今のリュウレイがあるのはすべて村長のおかげといっても過言ではない。その村長に久々に向かい合うとあって、内心緊張を隠せずにいる。
そんなリュウレイの肩にリュウフォンがそっと手を当てた。
「大丈夫だよ、リュウレイ。村長のおじいちゃんなら、きっとリュウレイの力になってくれるから。何の心配もいらないよ」
「そうだな、でもあの人には返しきれない恩義がある。少しでも成長したところを見て欲しいんだ。まだまだだけどな」
苦笑いするリュウレイをリュウフォンの優しい微笑みが包み込む。それを見たリュウレイにもう迷いはなかった。
女たちに別れを告げ、まっすぐに村長の家に向かう。村長の家は寄り合い所のすぐわきに立っている。今では使われていない村長の工房が静かに佇んでいた。




