納剣堂(1)
身体に慣れない重みを感じて、黒髪の少女リュウレイは目を覚ました。部屋の中は薄暗く、まだ夜明け前のはずだ。いつも通り、早起きしてしまう自分が少し恨めしく思える。自分にしがみつくように眠るリュウオウの頭を撫でてやりながら、今までのことをぼんやりと思い起こす。
… … …
昨夜は村人総出の宴の後、夕食後は義姉や子供たち、リュウフォンを交えて楽しく過ごした後、二日連続で母屋の客室で眠ることになった。
酒が入っていた義姉は早々と寝室に引きこもってしまい、久しぶりにリュウオウたちと一緒に寝ることになった。子供たちを挟むようにその両側にリュウレイとリュウフォンが横になる。明かりを消す前、既に眠ってしまったリュウオウたちの横顔を撫でながらリュウフォンがうれしそうに笑う。
「なんだかこうしていると、私たち家族みたいだね」
「何当たり前のこと、言ってるんだよ。私たちは本当の家族、だろ?」
リュウレイが相好を崩すと、リュウフォンはちょっと不満気に訂正する。
「む――、そうじゃないの。この子たちが私たちの子供みたいだねって言いたいの」
「おいおい、さすがに気が早いだろ、それは……」
相変わらず返答に困ることをリュウフォンは躊躇いなく言う。その純真さというか、迷いのない真っすぐな気持ちはリュウレイにはない。これも古の血のなせる業なのか。そんなことを考えていると、リュウフォンが顔を近づけてきた。半ば強引に、待ち望んでいたようにおやすみの口づけをかわす。
「お休み、大好きだよ。リュウレイ」
「私もな、お休み、リュウフォン」
室内を照らす小さなカンテラの赤い輝きが徐々に薄まりやがて室内は闇に染まる。その直前に見たリュウフォンの全てが無性に愛おしく思えた。
… … …
身を起こしたリュウレイはリュウオウを抱きかかえたまま、これからどうすべきか思考を巡らせる。義姉譲りの甘えん坊で人一倍の寂しがり屋のリュウオウやリュウサンを置いたまま、遠駆けに出るのは薄情すぎる気がする。それにリュウレイもたまには子供たちと一緒に過ごしたい思いが強かった。
「今日も遠駆けは休みにするか。日が昇ってからでも、遅くはないしな」
自分の胸の中でいつもよりあどけない寝顔を見せるリュウオウに自然と笑みが湧いてくる。この子が生まれたときから一緒に過ごしてきたリュウレイにとっては、やはりその存在はかけがえのないものだ。それは姉のリュウシュンやリュウフォン、義母やほかの村人にとっても変わりのないことのように思える。
一人そう思考を巡らせていた時のことだった。室内にカンテラとは別の、赤い光が漂い始めた。小さな光の粒子のように飛翔するそれは徐々にその輝きを増していく。
それと同時に部屋の外から聞きなれた人の足音が静かに近づいてくるのが分かった。それが誰なのか、考えるまでもない。
「おはよう、義姉さんも早く目が覚めたみたいだね」
戸を開けて、こちらを覗き込む義姉に向かいリュウレイは小さな声で話しかけた。義姉はそれに答えることはなく、寝巻のまま愛する子供たちの方をじっと眺めていた。
人前では、元気に振舞う義姉だがその内心はかなり複雑だ。人よりも寂しがりやだし落ち込みもする。特に子供たちへの愛情は深く、リュウオウたちが近くにいないだけで落ち着きがなくなるほどだ。その思いがわかるだけにリュウレイはさらに言葉を続ける。
「二人ともぐっすり寝ているよ。代わろうか?」
「うむ、そなたは遠駆けがあるのじゃろう。わらわたちに気兼ねなく、行ってまいれ」
「ああ、それじゃリュウオウたちのこと、頼むね」
先ほどまで素肌に感じていたリュウオウの温もりに名残惜しさを覚えつつ、義姉と入れ替わるようにリュウレイは寝台から立ち上がった。義姉に抱きしめられたリュウオウは母親のことがわかるのか、さらに甘えるように強くその体を抱きしめた。
「なるべく早く戻ってくるよ。今日は私も義姉さんの手伝いするから」
リュウレイが言うと、義姉は仕方ないという感じで笑顔を浮かべた。
「期待しておるぞ、もっともその余裕があればの話、じゃがな」
「?」
義姉の言葉に若干の違和感を覚えながら、着替えの服に袖を通す。その時、片目だけを開けてこちらをうかがうリュウフォンに気が付いた。リュウレイが小さく頷くと、彼女もまたクスリと笑い、それに答えた。
いつものように山頂で落ち合おう。
そんな二人のやり取りに気づく者はいなかった。着替え終えたリュウレイは義姉に声をかけて部屋を出る。気を取り直し、両手で顔をばしんと叩いたリュウレイは歩き出した。
「さて、今日はいつもより気合入れていかないとな!」
義姉との約束を思い出し、笑うリュウレイの顔はどこか晴れ晴れとしていた。
… … …
家の裏手を流れる水路で、顔を洗おうとしたリュウレイの眼に見慣れた人の背が飛び込んできた。誰よりもたくましいその人はようやく白み始めた東の空と頂をただじっと眺めている。その横に並び、リュウレイも澄み切った朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「義母さんがこんな早起きとは知らなかったな」
リュウレイがからかうように声をかけると、腕組みをした義母リュウメイは薄く笑いを浮かべて答える。
「あの程度の酒じゃ、飲んだうちには入らないねえ。それに最近体がなまっているから、村にいる間だけでも鍛えておきたかったのさ」
「それ以上鍛えて、何になるつもりだよ……」
リュウレイが笑うと、リュウメイはその大きな手のひらでリュウレイの頭をガシガシと乱暴に撫でまわした。
「あんたも言うようになったねえ! 全く誰に似たんだか!! アハハハッ!」
かわいげがないといわれているようで怒ったリュウレイが逃げると義母はそれ以上、何もしなかった。
「……義母さんに似たに決まってんだろ! 私は義母さんのこと、許した覚えはないからな!!」
一昨日の麓の町でのことを思い出し、リュウレイはまた泣きそうな自分に気が付きくじけそうな自分の心を叱咤する。そんなリュウレイを見ていたリュウメイは東の頂を指さして答えた。
「それなら、久々にあたしとアンタで競争するかい? あんたが勝ったら、あんたの言うこと聞いてやろうじゃないか」
「その言葉、忘れんなよ!!」
リュウレイが叫ぶと、リュウメイは笑いを収め東の峰を見据える。
「まだまだあんたみたいなひよっこに負けやしないよ。あたしに勝ちたければ、死ぬ気で来るんだね!」
その言葉とともにリュウメイは疾風のように駆け出していた。リュウレイもそれに遅れることなく、大地を蹴り走り出す。
「私の修行の成果、見せてやるよ、義母さん!!」
リュウレイの呟きは風と共に流れていった。




