終章(8)
「――そういえば私たちが出かけている間に旦那様がお帰りになっていたみたいですね」
「ハクエキさんが? 仕事がひと段落したのかな」
風呂から上がり、一息ついていたところにカンショウが思い出したようにつぶやいた。それを聞いたリュウレイとリュウフォンは顔を見合わせながら、姉姫アルスフェローの夫であるソウハクエキのことを思い浮かべる。
もともとこの村で薬師の仕事を生業としていたソウ家の長男であのセイランも一時期彼の下で薬草やその調合方法の指導を受けていたくらいだ。
五年前、姫長メイシャンがまだ本調子でなかったころは姉姫アルスフェローが妹の代理として周辺領主たちと協議して混乱する治安の回復と復興に向けた行政の立て直しに奔走していた。
そんな中、鍛冶師の村に住まい森で採れる薬草を調合して村人に提供していたソウハクエキと出会ったのはほんの偶然であった。ともに草木を愛し自然に対する深い造詣を持つ二人は互いに惹かれ合い、回復した妹メイシャンの仲立ちもあって村人や一族の祝福を受けて炎神の社で婚礼を上げることとなる。その日のことを昨日のことのように覚えているリュウレイやリュウフォンはいつか自分もあんなふうになりたいと心から願ったものだ。
その後、アルスフェローが王都での庭園作りの経験を買われて姪である領主フェリナの要請を受けて、新たに造成される領主邸の庭園作りを引き受けた時夫であるハクエキもまた、自分の知識を生かすべくその事業に参加することになった。
その時に作られたのが姫長メイシャンがふもとの町に滞在するときに利用する別邸の見事な庭園である。その見事な作りを見たほかの貴族たちもまたこぞって姉姫アルスフェローに庭園の設計を依頼し、その都度ソウハクエキは庭師として庭園造成に参加することになった。今では彼自身も直接設計や施工を担当するようになり、その間この村を離れることが多くなったのだ。
まだ新婚気分の抜けきらない姉姫夫妻にしてみればもどかしいことだろうが、そこはそれリュウレイのリュウ家と同じくふもとの町の領主連合から援助を受けている関係上、少しでも自分たちで収入の宛を確保しておきたいとの思惑もあった。
一方でアルスフェローはナルタセオやほかの商人たちを通して大陸各地の珍しい植物や薬草、お茶といった嗜好品になりそうな品種を集めて栽培している。植物に関しては右に出るものがいないほどの知識を持つ彼女もまた、この地で新しく作付け出来る作物を模索しているらしかった。
それは遠い未来、混乱する中原を再興するための方策の一つなのではないかとリュウレイは夢想する。いつの日か、リュウシンのような英雄が現れて、争いに暮れる人間たちを再び一つにまとめ上げ、大陸を統治する。それは文字通り、見果てぬ夢に過ぎなかった。
差し当ってその可能性を持つのはリュウ家の嫡男である、リュウオウだろうか。彼はレゾニア王家の姫巫女を母に持ち、大陸を救った炎の王を父に持つ炎神の加護を受けた炎の御子だ。
そして、最後のレゾニア王である祖父アレンダール王とレイフェリア王妃の直系を継ぐ男子でもある。この前、妹のリュウサンが引き起こした光の御柱をあっさりと鎮めたことは記憶に新しい。
もし成長したリュウオウが王の剣を手にしたなら、その時こそ古の王国は再び息を吹き返すであろう。
そこまで考えてリュウレイはその幻想を否定する。リュウオウはまだ子供だし、その手がいずれ血に塗れるようなことを想像したくはなかった。それにリュウレイは見ていたのだ、義姉が生まれたばかりのリュウオウにレゾニア王族としての名を与えるところを。
無論、娘であるリュウサンもまた王族の姫君としての名を持っている。いつか、彼らがその名を名乗る時は来るのだろうか。
そこでもう一つの疑問が胸に浮かぶ、その疑問を思い切って妹分のカンショウにぶつけてみることにする。
「なあ、カンショウはもう姉姫様の村人としての名前は教えてもらったのか?」
「なんですか、それ? 初耳なんですけど」
質問の意味が理解できないのか、いまいち会話がかみ合わない。見かねたリュウフォンがふわりと浮かび上がり、カンショウの隣に座って説明する。
「だからね、アルスはハクエキと結婚しているでしょ? だからアルスの家はソウ家なの、うちがリュウ家のようにね。二人の子供やルタやカレオラ。あの館に住んでいる人たちはみんなソウ家の姓を名乗っているんだよ」
「へえ、そうなんですか。それは知りませんでした。確かに考えてみればその方が当然ですね」
――それなら私もソウ家の娘になるのかな?
そんなカンショウの疑問にリュウレイたちは笑って答えた。先祖代々受け継いだ名を何より大事にする北の地の人々のことだ。それはまずありえない、それにカン家の名を残すために鍛冶師となることを決めたカンショウのことだ、いずれ新しい一家を建てて独立することになるだろう。
全てがうまくいけばの話だが――。
「先は長そうですねぇ……」
しみじみというカンショウの姿にリュウレイたちが思わず笑みを浮かべたその時、幼い声が自分たちを呼んでいるのに気が付いた。
「リュウレ――イ、リュウフォ――ン! 母上が遅いって怒っているのじゃ――!」
畦道の向こうからこちらめがけて走ってくるのはリュウ家の長女リュウサン、その後ろから兄のリュウオウも息を切らせてくる。
思わず顔を見合わせるリュウレイたち、風呂場での長話がとんだ災難を呼び寄せたようだ。
「まずいな、さっさと帰った方が身のためだ! じゃあな、カンショウ。あとで工房で会おう!」
「また、あとでね!」
急いで走り出したリュウレイたち、その背中に向かいカンショウは大声で呼びかける。
「リュウレイ姐さんたちもお気をつけて! また今度リュウ家に遊びに行ってもいいですか?」
「ああ、いつでもいいよ! カンショウならみんな大歓迎だしな!!」
「お菓子とかいろいろ用意しておくから、楽しみね!」
「はい、わかりました!!」
元気のよいリュウレイたちの返事を受けたカンショウはリュウレイたちに抱きかかえられて笑顔でこちらに手を振る幼い兄妹の姿に答えていた。
――やっぱり小さい子はかわいいな、リュウオウ様とちび姫様も素直でいい子だし。リュウ家に遊びに行くときは何かお土産を用意しておきたいな。
そんなことを思いながら、彼女は家路につく。朝日に照らされた村の家々からは炊事の煙が上がっていた――。




